第四章 最奥の賢者
#110 待ち望んだ返答(魔王の憂鬱11)
──きゅうち【窮地】
逃れようのない苦しい立場。
追いつめられた状況。
夜闇の中をひたすらに走り抜ける。
街道を逸れ、道なき道を全力で疾走する。
……やばい。
何でこうなった。
疲労が全身に重くのしかかる。
だが、足を止める訳にはいかない。
立ち止まれば追い付かれてしまう。
ヤツラは、すぐそこまで来ている。
鉛のように重い足を引摺り前を目指す。
何でこんな状況になってんだ、俺は。
……いや、分かってる。悪いのは俺だ。
自業自得の四文字が重くのしかかる。
思えばヤツラには内緒で聖都に来てたんだ。
さっさと帰ってきてしまえば良かった。
それなのに、ギリギリまで滞在してしまった。
……仕方ないよな。
だって、トルテの葬儀だったんだから。
知らん顔して行く訳にもいかんだろ。
木立を抜け、平原をひたすら突き走る。
魔王城に向けて、その最短距離を。
……ふはははっ!
どうだっ! これが俺の速さだっ!
魔王の全力疾走を舐めるなっ!
「おおーっ! 凄いじゃん! ベルアドネ」
「まっかせやーせなっ! 飛っばすがねっ!」
突如、脇の茂みから黒い影の塊が、重低音の唸りを響かせて飛び出して来た。
夜闇の風を轟々と切り裂きながら、一塊の弾丸となった馬車が、俺を横から軽々と追い越していく。
ぬぅおぉぉぉおおおおおっ!?
ここで追い抜かれてたまるかぁぁあああっ!
手足に魔力を込め、全力の向こう側へと飛び込んでいく。
馬車の中にはレフィアがいる。
最近魔力感知に敏感になってきているレフィア。
込めた魔力で手足を強化させても、一片たりとて身体の外に漏らす訳にはいかない。
漏れたらバレるっ。
繊細な魔力操作をしながら必死で駆け抜ける。
ぐぅううぉぉおおおおっ!?
見つからないように夜闇に紛れ、追い抜かれないように必死で走り続ける。
……。
……。
何やってんだ、俺。
だが、ここで負ける訳にはいかない。
だって俺、魔王城にいる事になってるのに。
俺がアイツらよりも後に戻るとか、ありえねぇーっ。
何としてもレフィア達より先に、魔王城に戻らねばならない。
疾走する馬車の窓から、リーンシェイドがこちらをじっと見てる気がする。でも気にしたら駄目だ。
夜目が通るリーンシェイドがこちらをじっと見てたとしても、気にしたら駄目だ。
てか、気づいてんならソイツらを止めろよっ!?
その冷たい視線が地味に悲しいわっ!
そもそも誰だーっ!
アイツらの馬車にスヴァジルファリなんて着けたのはっ!?
神速で名高いスレイプニルの原種。
六本足の駿馬、スヴァジルファリ。
最高速度はさすが、スレイプニルには劣ると言われているが、そんなのは頂上決戦での話。平野を渡る一陣の風となったその足は、とんでもない速さを誇る。
マジで、クッソはえぇっ!
だが俺も魔王の名を背負う者。
たかが馬ごときに、負けてたまるかっ!
1日あれば十分だと思った。
1日先に出れば、十分先に戻れると思ったのに。
何でこんな事になってんだっ!?
あれか!?
地方グルメ堪能してたからか。
美人女将の宿に長居したからか。
ちょっとセクシーなお姉さんのお店に寄ったからか。
どれだっ!? 何が悪かった!
そうだよっ! どれも悪かったよ!
余裕ぶっこいてすまなかった。
反省してるから、俺を追い抜くなぁああ!
いざとなったらクスハに連絡して、直接迎えに来させればとタカをくくっていたのも悪かった。
よくよく考えてみたら、無いじゃんっ、魔王城への連絡方法がっ! 渡しちまったんだった!
その場のノリと雰囲気で、勇者に仮面を渡しちまったんだから、魔王城に連絡が取れなくなってる事を、すっかりさっぱり忘れてしまっていた。
ちくしょーっ!
コイツら、無駄にはえぇーっ!?
何でそんな普通の馬車で、この速度に耐えられるんだ。ありえないだろっ!? そんな強度でこんな速度出したら、普通は空中分解するんじゃねぇーのかよっ!?
くそーっ! 分かってる!
ベルアドネが車体を強化してんだろっ!
無駄なとこに才能使いやがってーっ!
「ねぇ、これ。もっと速く出来る?」
「もちろんだがね。まかしてちょーよっ!」
するなぁぁぁあああああっ!?
やめろぉおおっ!?
やめてくれぇぇぇえええええっ!?
「……さすがに少し可哀想なので、程々にしておいてあげて下さい」
「……そう? じゃあ、いいや」
リーンシェイドォォォオオオオ!
大好きだぁぁあああっ!
……だが、俺を見ながら言うのは止めてくれ。
何だかいたたまれなくなる。
可哀想って、馬だよな? 馬の事だよな?
哀れんだ目でこっちを見ないでくれ……。
「あっ、魔王城の灯りが見えてきた」
何っ!? もうそんな所までっ!?
最短距離をどんだけの速さで来たんだ一体!
……こうなったら、仕方ない。
俺も奥の手を使わざるをえなくなった。
このままじゃ、ヤバい。めっちゃヤバい!
体内の魔力を収束、変換して練り上げる。
魔力がどんどんと目減りし、変換されていく。
闘神闘気。
アスラ神族のみが使う事の出来る、特殊な力。
まさかこんな所で、この力に頼る事になるとは。
変換された闘気が全身に満たされていく。
疲労の溜まった手足に、力がみなぎる。
ふふふっ……、はははははっ!
スヴァジルファリよっ!
さすがはスレイプニルの原種!
よくぞここまで、この俺と肩を並べたっ!
その速さっ、賞賛に値するっ!
……だが、それもここまでよっ。
この闘気に満たされた俺の真の力を……。
「おおーっ、城門が見えてきやーしたな」
……ヤバっ、マジで余裕ねぇーじゃん。
調子に乗って馬鹿言ってる場合じゃない。
闘神闘気を身にまとい、ぐっと足腰に力をためる。ここからなら、十分届くっ!
ズガァン! と爆発音とともに地面を蹴る。
地面が大きく削られ、爆発音にも気づかれるが、大丈夫だ。すでに俺はそこにはいない。
今まで並走していた馬車を尻目に、一瞬で魔王城内にまで跳躍を果たす。
……これだけは、使いたくなかった。
まさか馬と張り合う為に、アスラ神族の秘術である闘神闘気を使わざるえないとは。
……死んだ両親に面目ない。
自室の壁をぶち抜いて中へと転がり込む。
大丈夫、痛くない。痛いのは心だけだ。
……ぐっ。情けない。
急いで旅装を解き、全身鎧に着替える。
湯浴みぐらいは、……したかった。
汗でベタつくインナーが気持ち悪い。
「何事だーっ!? 今の衝撃は!?」
外から壁を破壊した時の衝撃で、廊下が騒がしくなる。
何人かの近衛騎士が雪崩れ込んできた。
「静まれっ! 何でもない。少し部屋の風通しを良くしただけだ。各自落ち着いて、持ち場へ戻れっ」
「へ、陛下!? いつの間にこちらへ!?」
「たった今だ、気にするな」
嘘じゃない。本当にたった今だ。
お願いだから気にしないで欲しい。
例えまだ腰当てを履いてなくても。
短い返事を返して、近衛騎士達が部屋を出ていく。
素直でいいヤツラだ。ありがたい。
急いで腰当てを履き、ベルトをしめる。
息つく暇もなくエントランスへ向かうと、すでにレフィア達は到着して馬車を下りていた。
……あっぶねぇ。ギリギリだった。
「はぁ、はぁ、はぁ、よくぞっ、戻った」
やべぇ、息が切れたままだ。
これじゃただの変態じゃねぇーか。
「……大丈夫ですか、魔王様」
「はぁ、はぁ、大丈夫だ、ちょっと鍛練に、軽く、ランニングを、な」
「……軽く、必死なご様子でしたが」
……リーンシェイドの視線が冷たい。
半眼でじっと、呆れたように言われてしまった。
……気の所為だろうか。
最近リーンシェイドの態度が冷たい。
同じように呆れた顔をするシキ達は気にせずに、レフィア達に休むようにと言い含める。
城で出迎えるという面目は保てたから、今はそれでいい。何より俺が休みたい。
報告やら何やらと色々とあるかもしれんが、とりあえずは後回しだ。後で改めて聞く。
だいたい、俺も聖都にいたんだからおおまかな事はすでに分かってる。
それよりも、だ。
「はぁ、はぁ、レフィア。すまんが、大事な話がしたい。はぁ、自室に戻る前に、少し時間をくれないか」
「……はい。控えの間で、お待ちしています」
……今一つ格好がつかないが。
覚悟は決めたんだ。なるべくなら早い方がいい。
その為に、こんな思いまでして面目を保ったんだから。
神妙な態度で奥へ戻るレフィアを見送りながら、懐深くにしまったブロマイドの辺りに手を添える。
……すまんな、トルテ。
お前の力を、少しだけ借りるぞ。
皆を解散させて、息を整える。
……あー、ヤバかった。
浅かった呼吸が静まり、変わりに緊張が高まる。
深く、深く呼吸を繰り返す。
……大丈夫だ。
落ち着け。落ち着くんだ。
今までになく緊張を感じる。
手足が強張るのは疲労ではないと分かっている。
名を、レフィアに告げるんだ。
俺がマオリだと、告げなければいけない。
ドクンッと耳元で鼓動が大きく脈打つ。
しばらく時間を置き、覚悟を確認する。
呼吸はどうにか整った。気力は十分。
一歩ずつ確実に廊下を進む。
控えの間の扉の前で一度立ち止まる。
深く、深く息を吸って、吐く。
……よしっ。行くぞっ!
強張る腕をどうにか持ち上げてドアノブを回す。
ガチャリと大きく音を立てて、扉が開いた。
レフィアは部屋の真ん中にいた。
旅装のまま、静かに俺の来訪を待っていた。
「……魔王様」
何かを言いかけていたのを制して、まずはテーブルにつくように勧める。
まず俺が落ち着きたい。すまんな。
ただ名前を明かすだけなのに、怖いんだ。
俺がマオリだと知らせぬまま、ここまで来てしまった。
もっと早く教えていれば違ったのかもしれない。
けど、知らせぬまま、来てしまった。
ゆっくりと席につく。
テーブルの上の水差しから、水を注ぐ。
魔王として接して来てしまった。
魔王として今まで接して来て、それなりに良好な関係を築いて来てしまった。……その事に、今更ながら後悔してしまう。
魔王が俺だったと知って、お前はどうする?
驚くだろうか、……呆れるだろうか。
今まで黙っていた事を、……責めるだろうか。
怒るよな……、やっぱり。
軽蔑されるだろうか。……嫌われるだろうか。
……口の中がカラッカラに乾いてしまう。
「……お前に、言わねばならん事がある」
だがそれでも、言わないといけない。
俺がマオリである事を、打ち明けねば。
「……私もです。私も魔王様にお伝えせねばならない事があります」
「その……、何だ。つまり、……あれだ」
……どうやって言えばいいんだ、これ。
とりあえず、……水を飲もう。
……。
……。
水がうまい。
……違う。言え、言うんだ。
例えそれで嫌われたとしても。言うんだ。
嫌われたとしてもだっ!
……嫌われ、たとしても。
……。
もうすでに嫌われてるとか、無いよな?
「……レフィア」
「はい」
「レフィアは、俺が……、その、……嫌いか?」
……何聞いてんだ俺は、馬鹿か。
突然変な事を聞いたもんだから、レフィアが目をパチクリさせてこちらを見ているじゃないか。
目をパチクリとか、今どき言わねーよっ!
あーっ、くそっ! 分かってるよ!
ふっと、レフィアの表情が綻んだ。
思わずその姿に見惚れてしまいそうになる。
「嫌いな訳、無いじゃないですか」
「……そ、そうか。そうか。……そうだな」
「好きですよ。魔王様の事」
「あぁ……、そう、だな」
良かった。嫌われてなかった!
うぅ……、とりあえず嫌われてる訳じゃ……。
……。
……。
は?
……。
……。
はぁっ!?
「今、何て……」
聞こえなかった訳じゃない。
むしろ、しっかりと聞こえていた。
頭の中でぐるぐるとリフレインしまくってる。
いや、まて。
……はっ? って、おい。
混乱する俺をよそに、レフィアがスッと席を立ち、その場にかしずいた。
「魔王様からの求婚を、お受けいたします」
……え、いや。
だって、俺はまだお前に。
「未だに未熟な身ではありますが、どうか御身のお側に、いさせていただけるようお願い申し上げます」
しっかりと覚悟を決め、レフィアが顔を上げた。
それは、待ち望んだ返答だった。
レフィアが俺の求婚を受けた。
それは、何よりも俺が望んだ事だったハズなのに。
レフィアの頬に一筋の涙がこぼれた。
その涙に俺は……。
言うべき言葉を、失ってしまっていた。
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