♯99 瀬戸際の防衛戦



 旧市街を中心に確認された感染者の人達は、すぐさま中央神殿へと集められた。


 七夜熱に感染した疑いがあると突然言われ、集められたにも関わらず、感染者の人達は大人しく指示に従ってくれている。

 聖女様が姿を見せ、直接説明したからだ。


 曰く、七夜熱の発生は予知されていた事。その為の対策の準備が出来ている事。七夜熱は不治の死病では無く、特効薬があり、その在庫も十分であるとの説明がなされた。

 最後に法主様から、期間中の感染者の生活の保証がされる事を言い伝えると、不安な中にもどこか安堵の表情が見られた。


 第二段階までの感染者は外殿に留め置かれ、高熱期の患者は内殿へと隔離される。


 内殿の奉納堂が解放され、一斉製薬の時に大量に作った作業台が、簡易病床へと転用された。

 シーツをはじめとした大量の物質が、次々と集められていく。


 奉納堂の中は半分に仕切られ、患者の性別によって分けられる。高熱期の患者は嘔吐と下痢が激しく、下着をつけたままではいられないからだ。

 前開きの貫頭衣に着替えさせ、それぞれに看護を受けてもらう。


 そうして、ダウドさんをはじめとする13人が奉納堂へ運び込まれた時、新たに5人の患者が運び込まれてきた。


 その5人の中の一人に、アリシアさんがいた。


 勇者様の仕事の手伝いで、ある一党の拠点を叩く為の後方支援に参加していたのだそうだ。拠点を叩く直前で数人が突然発症し、高熱を発して倒れた為に作戦は中止され、急いで神殿に運び込まれたらしい。


 タイミング的に、ダウドさんが高熱を発した時間と重なる。

 ハラデテンド伯爵が薬をすり替えた一部地域が、これで特定される事になった。

 すり替えられた薬が配られたのは、トルテくん達が住んでいた地域に、まず間違い無い。

 ……残されたトルテくんが気にかかる。


 勇者様にトルテくんが外殿にいる事を伝え、運び込まれた高熱期の患者18人をチェックする。


「七夜熱の死因の第一は、脱水と栄養失調による衰弱だ! 患者の容態には気を配ってくれ!」

「レフィアさん。『生命維持』と『体力補助』の魔法を一人ずつかけていきます。レフィアさんは側で、魔法の構築を覚えて下さい」

「はい!」


 結界の外からガマ先生が指示を出す。

 『聖域結界』をまとった聖女様が、神聖魔法の構築見本を自ら見せてくれた。


 高熱期にある患者の看護は命がけになる。

 活性化した病原体は、その感染力を強める。魔法による防疫が出来なければ、常に二次感染のリスクを傍らに抱き続けねばならない。


 聖女様のように『聖域結界』が使えるか、リーンシェイドのように魔力操作に長け、身体を完全防備する事が出来ない限り、下手に看護要員も増やせない。


 唯一の例外が、私とベルアドネだった。


 女神の加護のある私と、幻晶人形の身体を持つベルアドネには、感染の危険性がない。


「患者の免疫力を落とさないよう、衛生環境には気をつけるんだ! 特に吐瀉物と排泄物は病原体の塊みてぇなもんだから、取り扱いは慎重に頼む!」

「心得ました」

「まかしといてちょーよ」


 高熱期には激しい嘔吐と下痢にみまわれる。


 経口補給の出来ない患者に対して、魔法で擬似的に栄養を補う『生命維持』と、失っていく体力を支える『体力補助』は生命線になってくる。


 神聖魔法の使える私と聖女様が一人ずつ、患者達に魔法をかけて回り、リーンシェイドとベルアドネには患者の衛生環境を整えてもらう事になった。


 普段から人の世話に慣れているリーンシェイドの手際の良さは、さすが、圧巻の一言に尽きるけど、意外なのはベルアドネだった。


「ほーい。ちょいと楽にしとったてーな。ちゃっちゃーっと終わらせたらーすでな。ほいっと、こっち向きやーせな。うん。そうそう。これで元通りええ男だかね。まぁちぃとの辛抱だがね、頑張りやーせな」


 個々それぞれに声をかけながら、慣れた手つきで身の回りの世話を手際良くこなしていく。

 汚れた口元や下周りを丁寧に拭き取り、汚れたシーツや衣服なんかも、嫌な顔一つ見せずに取り替えていく。

 患者に対しては、にこやかに微笑んでさえいる。


 正直、ベルアドネが凄い。

 なんだ、コイツ……。


「レフィア。手が止まっとらーす。ちゃっちゃっちゃっと動かさんと、わやになってまうがね」

「あっ、ご、ごめん……」


 つい我を忘れて見惚れてしまった。

 普段はあんな残念変態娘なのに、あのあしらいの上手さはどこからくるんだろうか。

 悔しいけど、……ちょっと見直してしまう。


 ついでに、作業の合間ごとに私や聖女様の手元を覗きこんでは、じぃーっと観察して、頷きながら離れていく。


 何やってんだ、コイツ。

 それでも手元が疎かになってる訳では無いので、注意する程でもないけど……。


 そうちょこまかと覗かれると、気にもなる。


「……さっきから、何見てんの?」

「ふーむ。神聖魔法とは言っても、構築の仕方はほぼ一緒であらっせるな。起動と導入部を変換して、具現パラメータをどうにかすれば、神聖魔法も魔法陣に落としこめるかもしれんがね」


 聖女様の構築したものを、見よう見真似でなんとか再現してるというのに……。

 コイツ、覗きこんだだけで構築式を解析してやがる。


 相変わらず、魔法に関しては頭一つ飛び抜けてやんの。


「ベルアドネさん、今のは……、本当ですか?」

「……ん?」


 ベルアドネの呟きを耳にした聖女様が、身を乗り出すようにして尋ねてきた。


「神聖魔法を、魔法陣に落としこめるって」

「まぁ、見た感じ、やろうと思えばできん事もあらーせんな」

「それは、……聖域結界でも可能でしょうか」


 聖女様の口から出た言葉に、ベルアドネの目元が真剣なものに変わる。

 一呼吸置いてじっと、聖女様を見つめた。


「神聖魔法の構築の基本が同じならな。……けど、自分が言っとる事の意味を分かっとらーすんか?」

「もちろんです」


 突然声色を潜めるベルアドネに、何か緊張したものを感じる。


「聖域結界は神聖魔法でも最上位の魔法でやーす。それも、聖女固有の。それを魔法陣に落としこみやーすんは、専有魔法をコモン化するって事だがね。聖女としての優位性を、自ら捨てやーすんか?」

「それでも構いません」

「……何で、そこまでしやーす」


 はっきりと言い切る聖女様に、ベルアドネは再度、厳しく確認をつきつける。


 ……専有魔法をコモン化する。

 よく分からないけど、二人の様子を見てると、何だかとても大事な事を決めているように感じる。


「……今はまだ、どうにか手が回っていますが、この先、どれほどの感染者が出てくるか分かりません。高熱期にある患者を看護出来る人員を増やす手段を、どうにかして見つけないとならないのです」

「……聖女としての優位性を失ってまでも?」

「構いません。それが、必要なのであれば」


 ベルアドネの真剣な問いかけに、強い意思を持って返す聖女様。

 ベルアドネは聖女様の視線を真っ向から受けとると、少し間をおいて、そっと頷いた。


「分かりやーした。聖域結界の構築方法を教えてくれやーせ。日付が変わる前には落としこんでみせやーす」

「よろしくお願いします」


 聖女様の覚悟の強さが伝わる。

 ここが、瀬戸際なんだ。


 ガマ先生は、衰弱期に至って生還した人はいないと言っていた。回復の可能性があるのは、高熱期にある患者までなのだと。


 ここが、命の瀬戸際なんだ。


 使えるものなら何だって使う覚悟が無ければ、拾えるハズの命だって救えない。


 そんな後悔だけは絶対にしたくない。

 今一度気を引き締めて、魔法を構築する。


 隣りの部屋にはアネッサさんをはじめとする、中央神殿の調剤部の研究員の人達も詰めている。

 効果が薄くなったとは言っても、リコリスが七夜熱に有効である事に変わりない。患者の容態を見極めながら、薬の調合率を調整しつつ、継続投与を試みる為だ。


 七夜熱の防疫態勢なんて、今まで無かった。

 発生が確認されれば、隔離して、焼き尽くすしかなかったのだ。看護の仕方も、治療の仕方も、正に手探りの状態で模索していくしか無い。


 瀬戸際の防衛戦に、重圧を感じてしまう。

 私なんかでさえこれだ。これまで七夜熱を研究し、唯一の経験者として皆に指示を回すガマ先生は、一体どれほどの重圧を感じているんだろうか。


 聖女様と二人で、患者に魔法をかけて回る。

 容態を観察しながら隣りにそれを伝え、指示された通りに薬を投与し、その様子をまた観察し続ける。


 少しでも時間があれば、リーンシェイドやベルアドネ達を手伝い、汚れ物をまとめて『浄化』の魔法をほどこして洗濯に回す。汚れ物は奉納堂の外に渡して、洗ってもらったものをそこで受け取る。

 雨季に入ったこの時期、ベルアドネが大量生産した『乾燥』の魔法陣がこの上なく役立っていた。


 そして、『聖域結界』の魔法陣も完成した。


 ベルアドネはその魔法陣を修道士のケープに刻み込み、誰にでも容易に扱える魔術具として仕上げてみせた。

 その際、『聖域結界』の効能を少しさげ、防疫に特化しつつも聖女様の専有性は保ったのだとか。


 ……コイツ。天才じゃね?

 

 手探りの状態で始まった治療態勢も、皆で協力しながら施行を重ね、何度も繰り返す内にそれなりに形になりはじめていく。

 出来る限りの無駄が省かれ、効率化を進めながらも、足りなかった配慮が補われていく。


 誰もが必死だった。

 ここで症状を押し止めるんだと、一人として犠牲者を出さないように、細心の注意が払われ続けた。


 気がつけば三日が過ぎていた。

 三日三晩、交替で休息をとりながらも、不眠不休の看護治療態勢が続けられた。


 その甲斐あってか、衰弱期に移行する患者はまだ一人も出ていない。


 けど、容態の回復を見せる者もまた、いなかった。

 疲労がじわりじわりと心と身体を蝕んでいく。


 容態が悪化する訳ではないけれど、さりとて、回復する訳でもない。

 このやり方が正しいのかどうか。

 他にもっと何か良い方法が無いのか。

 不安は焦りとなって、少しずつ、少しずつ溜まっていく。


 追い討ちをかけるようにして、聖女様の懸念もまた、現実のもとなった。

 時間が経つにつれ、外殿から運び込まれる患者の数が増えていく。ベルアドネのケープを使って看護要員を増やしてなかったら、とっくにパンクしていた。


 高熱期の患者の数はもうすぐ三桁に届く。

 症状の回復する者がいない中、患者の数だけが、じわりじわりと増えていくのだ。


 弱気になりかける自分を叱咤する。

 大変なのは患者であり、ガマ先生達なんだ。

 私が弱気になってどーするっ!


 疲労は身体よりも、精神をより蝕んでいく。

 出口の無いトンネルの中にいるような気分だった。


 そして、また新たに患者が運び込まれてくる。


 その運び込まれてきた患者を見て、私は唇を強く噛み締めた。


 可能性としては確かにあった。

 むしろ、今までいなかった事の方が不思議なんだ。


 考えたくなかったのかもしれない。

 考える事が、怖かったんだ。


 高熱を発する額をそっと手の平で撫でた。

 焼けるような熱が直に伝わってくる。


「大丈夫。絶対に、助けてあげるから」

「……ハァハァハァ。……レフィア、ねーちゃん」


 トルテくんは朧気な視線で、私を見上げていた。





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