♯94 アーレ
「雨の勢いが、収まりませんね」
天井を見上げた聖女様が、ぽつりとこぼした。
「雨季に入ったみたいですね。これだけ降ると、却って小気味いいです」
「レフィアさんは、……雨が好きですか?」
「どちらかと言えば、晴れてる方が好きです」
カラッとした、どこまでも高く澄んだ空が好きだ。
突き抜けて高く、どこまでも遠い空。
雨は恵みだけど、やっぱり私は晴れの方が好き。
「らしいですね。私も雨は……」
ふふっと笑って、聖女様は息を吐いた。
「何だか一つ、肩の荷が下りた気がします。とても緊張していたんですよ? これでも。レフィアさんに嫌われてしまったらどうしようって、すごく悩んでいました」
「私が聖女様をですか? とんでもないです」
こんなに私の為に色々と考えてくれているのに。
私が聖女様を嫌うとか、とんでもない。
そんな事、まずありえない。
「本音を少しだけ言えば、レフィアさんが神殿に来てくれたら、もっと一緒にいられるかもって、……思ってしまったりも」
「私もです。あと10日で帰らなければいけないのが、とても寂しいので。そう言ってもらえると、何だか嬉しくなってしまいます」
「……もっとここにいればいいのに」
「魔王様との約束も、ありますから」
必ず、戻ると。
魔王様、と言った瞬間。聖女様が胸の辺りをぐっと押さえ、わざとらしくめまいをおこしてふらついた。
……どうした。一体。
「くっ。中々、独り身の心を抉ってきますね」
「……って、はい?」
今にも血を吐き出しそうな程に、聖女様が悶える。
……何が始まったんだ? これ。
「顔を真っ赤にして告白したかと思ったら、もうノロケとは……」
「……なっ!? え、ちょっ、聖女様っ!?」
いや、待て。いきなり何を言い出す!?
顔を真っ赤にしてって……。
そんなに赤かったのか。
「……魔王との約束ですか、そうですか。……そうですよね。大好きな魔王との約束なら、仕方ないですよね」
「へ? ……はい? は? いや、だから」
大好きって何じゃい。大好きって。
そんな事は一っ言も言ってない。
勝手に盛ったら駄目です。
「友人よりも愛する人の側に。……そうですよね。仕方ありませんよね。独り身は心抉られても泣きながら耐えるしかありません。ぐふっ、……しくしく」
しくしくとか、言っちゃってるし。
……。
おーい。
聖女様が突然はじけた。
何がどうした。
しゃがみこんでしまった聖女に、恐る恐る近寄ってみる。
「聖女、……様? どうしたんですか、急に」
声をかけ、肩に触れようとして、突然、立ち上がった聖女様に抱き着かれた。
「えっ!? 何? 何ですか!?」
「……否定。しませんでしたね、
耳元で聖女様がボソリと呟いた。
抱き着かれているので今、どんな顔をしているのかは見えないけど、聖女様の耳が真っ赤になってるのが分かる。
はじけたよう見えたのは照れ隠しか。
聖女様も何というか……。
意外に不器用な人なのかもしんない。
「今更訂正しても、もう駄目ですよ。もう友人、確定ですからね」
「……そんなに念を押さなくても、否定も訂正もしません。……って言うか、むしろ私なんかを、聖女様の友人呼ばわりなんかしちゃって、いいんですか?」
「ここへは、私の個人的な友人として招待したハズです」
「……それは建前だとばかり思ってました」
「建前なんかじゃ……、ありません」
えっと……。
どうしようこの状況。
何故か聖女様に甘えられてしまっている。
美人に包容されるのは決して嫌じゃない。
むしろ、大歓迎です。
けど、これ。どうしたらいいんでしょうか。
「アーレ……」
聖女様がそっと呟きながら、身体を離した。
柔らかな感触と心地よい温もりが離れていく。
……しまった。
悩んでないで抱き返せばよかった!
これじゃ魔王様をへたれ呼ばわり出来ない。
「アーレと言うのを、聞いた事ありますか?」
「ええっと……。おじさん達が乾杯する時に口にする掛声ですよね。たまーに、酒場で酔っぱらいが盛り上がって叫んでたりするのを聞いた事があります」
酒杯をもって、景気よく乾杯する時の掛声だ。
まぁだいたい勢いがのって、あーれぃーになってるけど。
「アーレとは、変わらぬ友情に敬意を評して、という意味なのだそうです」
「……知りませんでした。それでよく、酒場で言い合ってたりするんですね」
聖女様が一歩距離をおき、くるりと振り返った。
……顔が真っ赤だ。
相当恥ずかしかったらしい。
友人って言葉を言うが為に、つい勢いでやっちゃったんだろうな。
私も、さっきあんな顔してたんだろうか。
ぐっ……。忘れたい。
「アーレ、レフィア。互いにこれらから進む道は違えども、この先もどうか、友人でいさせてください」
聖女様が片手を差し出して真っ直ぐに、そう言った。
だから私も、真っ直ぐに返す。
「アーレ、マリエル。こちらこそ。ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」
差し出された手を、しっかりと握る。
繋いだ手が心強い。
友人。
友人か……。
なんだかこそばゆいね。こういうのも。
「レフィアさんの福音の話は、私だけの中に留めておきます。誰にも話したりはしません」
「そうしてもらえると、ありがたいです。けど、それで大丈夫なんですか? ……その、色々と」
聖女様の立場上、それで大丈夫なのかと心配にもなる。
大事にされても困るけどね。
「大丈夫だと思います。だって福音を必要とするのは、女神様の降臨を願う時なのですから。言い方を変えれば、魔王をどうしても倒さなくてはいけない時、ですよね。……そんな時が、来るのですか?」
「……それを私に聞かれても」
「何を言ってるんですか。レフィアさんだからこそ、聞いてるんです。魔王は倒さなくてはいけない敵に、なりますか?」
何度目かの同じような問いかけをされる。
何度もされるのは、まだ満足のいく返事をしていないからなのだと思う。
ここは、……はっきりと言わなければいけない。
はっきりと断言すべきだ。
私の、意思として。
「……なりませんし、させません」
「なら、大丈夫だと思います」
聖女様は満足気に微笑んだ。
ふぅっと素に戻って、聖地を見渡す。
「もうここに来る事は、多分無いでしょうね」
聖地。
聖女たる者の、到達地。
魔王様が敵にならないのなら、ここに到る必要もまた、なくなる。
「……祭壇の裏に、実はとても珍しいものがあるのですが、その事をレフィアさんはご存知ですか?」
「祭壇の裏に、ですか?」
「こちらです」
聖女様に促されるままに、祭壇の備え付けられた階段の裏へと回り込む。
立ち入り禁止の聖地の奥にあるもの。
……何だろう。
裏へと回り込むと、そこに飾られているものがあった。
一枚の、……絵だ。
祭壇の裏にひっそりと、一枚の絵が飾られていた。
その絵を見て、……思わず息を飲んでしまった。
聖女様は目を見開いてる私を確認すると、隣りに並び、そっと視線を絵に注ぐ。
「初代聖女、アリシア様の肖像です」
長い黒髪が印象的な、優しそうな女性が描かれている。
綺麗な人だ。綺麗な人だけど……。
驚くべき所は、そこじゃない。
私は、この絵を知っている……。
この絵を、見た事がある。
私の見たものはだいぶくすんで、ボヤけてしまっていたけど、……間違いない。
これと、同じ絵だ。
立ち入り禁止の聖地の奥。
こんな、限られた人しか入ってこられないような場所に、飾られている絵。
なんで同じ絵が、こんな所に……。
「生前に描かれた、唯一のものなのだそうです。……と言っても、これは複製されたものだそうですけど。本物は、小さなペンダントの中に描かれていたそうです」
ペンダント。
そう……、ペンダントの中に描かれていた。
古ぼけたペンダントの中に描かれていた肖像。
あれは、……やっぱり初代聖女様だったんだ。
セルアザムさんの言っていたアリシアさんは、初代聖女様だ。
光の女神様をその身に降臨させ、悪魔王を倒したっていう、初代聖女、アリシア様。
「ペンダント自体は、長い歴史の中で行方が分からなくなってしまったそうです。なのでこれが唯一、生前の初代様の姿を後世に伝えるものだとか」
セルアザムさんの持っていたペンダント。
そこに描かれた、初代聖女アリシア様。
古いものだとは思ってたけど、まさか1200年前のものだったとは。
……。
……。
セルアザムさんは初代聖女様を直接知ってる。
……それも、とてもよく。
どういう関係だったんだろう。
「濃いピンクのスプレーバラ……」
「バラが、何か?」
「聖女様は知っていますか? 濃いピンク色のスプレーバラの事を」
「もちろんです。国花ですから。彫り込まれたものに色はありませんが、聖女の紋章にも使われています」
「聖女様の、紋章にも?」
「品種名は『アリシア』と言うんです。花言葉は『高貴なる純潔』」
魔王城の片隅にある、小さな花壇。
その花壇に咲く、濃いピンクのスプレーバラ。
『高貴なる純潔』……アリシア。
悩み事がまた一つ、増えた気がする。
悪魔大公セルアザムさん。
貴方は一体、何者なんでしょうか……。
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