♯95 亜麻色の髪の女神(とある少年の憧憬3)



 朝からずっと、小雨が降り続いていた。


 嫌な天気に憂鬱な気分でいると、昼を過ぎたあたりから本格的に降り始めてしまった。


 マジか……。


 雨漏りだらけの家を振り返り、さらに凹む。


 姉ちゃんはいない。

 昨日からギルドへと泊まり込んでいる。

 勇者様の仕事が詰めに入ったので、そのお手伝いをする為なんだとか。仕事の内容は知らないけど、忙しそうで何よりだ。


 代わりに、奥ではダウドにいちゃんが横になっている。ここの所体調を崩し気味で、それを心配した姉ちゃんが家に呼んだらしい。

 家に一人でいるよりも、そっちの方がいい。


 それもあってか、姉ちゃんは普段よりも余計に張り切ってるっぽい。


 夏が終わったら新市街へと移る予定だから、新生活の為にも今、稼げるだけ稼いでおかないといけない。


「ダウドにいちゃんも、普段から頑張りすぎなんだよな。……ったく」


 ダウドにいちゃんは勝手に、オレごと姉ちゃんの面倒を一人で見るつもりでいる。

 姉ちゃんだって働いてるし、オレだって、来年には13になる。13になれば、ギルドで正式に仕事を請け負える。

 そういう勝手に思い込んで突っ走る所は、昔から何も変わらない。


 けど、「俺達は三人で一つの家族になるだ」って言って、照れ隠しに豪快に笑う不器用なダウドにいちゃん。

 不器用だけどまっすぐで、でも、すぐに格好つけようとして失敗するダウドにいちゃん。

 そんなダウドにいちゃんが、オレも好きだ。


 秋になったら三人で一つの家族になる。

 もうすぐダウドにいちゃんが、本当の兄ちゃんになるかと思うと……、何だか色々と苦労しそうだ。

 こそばゆくて、ついニヘラッとしてしまう。


 戸が開いて、ヌッと人が入ってきた。


「ようトルテ。ダウドの様子はどうだ?」

「ガインツさん。ダウドにいちゃんなら奥で寝てるよ? 今日はお仕事なかったの?」


 ダウドにいちゃんの大工仲間のガインツさんだ。

 ガインツさんは雨避けの皮布を脱いで、濡れた身体から水飛沫を勢いよく飛び散らせた。

 相変わらずクマみたいな人だ。


「この雨だ。今日は止めだとよ。まぁ、ダウドにもいい休養になるだろ。あいつ、あれで今日も現場に出てこようとしてやがったからな」

「無茶は男の甲斐性だって言ってたよ」

「はっはっ。結婚が決まったからって張り切り過ぎだ、あの馬鹿は。結局こうやって婚約者の家で厄介になってりゃ世話ねぇぜ。お前はあんな馬鹿にはなるなよ、トルテ」

「そんなにいちゃんも、嫌いじゃないけどね」

「へっ。ちゃんとあの馬鹿が大人しくしてるか様子を見て来る。奥だな……」


 ガインツさんが奥へ行こうとした時、ガダンッと大きな物音が奥から聞こえてきた。


 一瞬二人で顔を見合わせ、すぐさま奥へと駆け込む。


「ダウドにいちゃん!?」


 奥の部屋では、ダウドにいちゃんが床に蹲っていた。

 さっきのはベッドから落ちた音らしい。


「待てっ! トルテ」


 急いでダウドにいちゃんの所へ駆け寄ろうとして、ガインツさんに止められた。

 何で? ダウドにいちゃん、苦しそうだよ?


「こいつは……、まさか」


 ダウドにいちゃんの様子を見て、顔色を変える。

 目を見開き、呼吸を浅くしたままガインツさんは後退り、部屋から駆け出して行った。


「……ガインツさん? ダウドにいちゃん!」


 ガインツさんの行動を不思議に思いながらも、倒れているダウドにいちゃんの側へと走り寄る。

 抱き起こそうとして身体に触れ、あり得ないぐらいの高熱を出している事にきづく。


「ダウドにいちゃん、凄い熱だ。なんでっ。なんで急にこんな熱が……。ダウドにいちゃん! しっかり! しっかりして!」

「がふっ!?」


 何とか起こそうとするけど、身体の大きさが違いすぎて無理だった。それでもどうにか身体の向きを変えさせた時、ダウドにいちゃんが勢いよく嘔吐した。

 体調を崩し、重湯ぐらいしか食べてないダウドにいちゃんの吐瀉物は、白く濁った液体でしかない。


 おかしい。……こんなの、絶対に変だ。

 浅く、短い喘息を繰り返しながら、ダウドにいちゃんが高熱に苦しんでいる。


 朝はこんなに酷くなかった。

 少し休んでいれば、すぐによくなるって言ってたのに。


 大声で呼び掛けるけど、反応がない。

 混濁した意識の中で、ついには高熱に全身を痙攣させはじめた。


 懐にあるお守りのブロマイドを、服の上からぎゅっと握りしめる。


 姉ちゃん。オレ、どうしよう。

 どうしたらいい?

 ダウドにいちゃんが苦しんでる!


 突然の容態の変化に困惑していると、ドカドカッと大勢の大人達が家の中に駆け込んできた。

 さっき出ていったガインツさんもいる。


「トルテ! ダウドはっ!?」

「わ、分かんない。急に吐いたりして。身体も、ものすごく熱があるんだ。オレ……、どうしたら!?」


 大人達の姿に頼もしさを感じ、ダウドにいちゃんの様子を伝える。

 早く、ダウドにいちゃんを!


「高熱に、……白濁したゲロだと?」

「おい……。まさかっ」

「くそっ、何で、何でこんな所でっ」


 ダウドにいちゃんを助けて欲しくて、入ってきた大人達に視線ですがる。……けど、様子がおかしい。


 みんな部屋には入ってくるけど、戸口から奥へこようとはしない。戸口から離れず、中を覗き込んでいるだけだ。


 なんで、なんでみんなそんな所にいるの?

 誰か手を貸して欲しい。

 オレ一人じゃ、ダウドにいちゃんを起こせないんだ。

 誰か、大人の人の力を……。


「アリシアがいない、今の内に」

「やるなら、早くしないと手遅れになる」

「誰にも知らせるな」


 何を、言ってるんだよ。みんな。

 意味が分からない。訳分かんない事言うなよ。

 そんな事より、ダウドにいちゃんを……。


「トルテ! こっちへ来るんだ!」


 ガインツさんに腕を引かれ、引っ張りだされる。


「トルテ。五日前に法主様が聖都に薬を配ったのは知ってるな。防疫の為とかいうヤツだ」

「……うん。オレも手伝ったし、飲んだよ」

「これは、あくまで噂なんだが、あの薬。……七夜熱予防の薬だって話がある」

「七夜熱!?」


 ……聞いた事がある。

 人を殺しまくる恐ろしい伝染病。

 発生が確認された町は焼き尽くされるという。


 ……焼き尽くす。


「……この町から、七夜熱の病人を出す訳にはいかねぇ」

「ここを焼かれたら、行く場所なんて無い」

「ここから七夜熱は、出せねぇ」


 大人達の目が坐り、表情が消えていく。


 ……待てよ。何だよ、それ。

 何言ってるんだよ。意味分かんないよ。

 ダウドにいちゃんが苦しんでるんだ。

 そんな事いいから、誰か、誰か力を貸してくれよ。


 ガインツさんがオレの肩を強く掴んだ。


「分かれとは言わん。だが、仕方ねぇんだ」


 ガインツさんの顔からも、表情が消えていた。


 何言ってんだ。何言ってんだよ!

 何でみんな、そんな人形みたいな顔してんだよ!


 駄目だ。絶対そんなの駄目だ。

 みんな……、何する気だよ。

 ダウドにいちゃんを、……どうする気だよ。


「嫌だ……。嫌だよ? そんなの、駄目だ!」

「トルテを黙らせろ。ガインツ」


 大人達の中の一人が冷たい声で言い放った。

 途端、耐え難い悪寒が背中を走る。


「トルテは、……まだ子供だ」

「関係ねぇだろ! 騒がれたらヤバいんだよ!」

「ダウドにいちゃんを、……どうする気ですか」


 絞りだすように出した声が掠れる。

 今にも雨音に消えてしまいそうなオレの質問に、答える大人は誰もいなかった。


「やめてよ。……やめて下さい」

「……トルテ。すまん」

「あやまんないでよ。違うよ。誰か、誰か助けてよ。ダウドにいちゃんが苦しんでるんだ。お願いだから、誰か助けてよ! 力を貸してくれよ!」


 叫びが、……届かない。

 大人達の顔から、表情は消えたままだ。

 無言の室内に、雨音だけが虚しく響く。


「仕方ないんだ。こうするしかっ」

「嫌だっ!?」


 伸びてきたガインツさんの腕を力まかせに振り払う。

 勢いをつけて、そのまま家を飛び出した。


 嫌だ! 絶対嫌だ! そんなの駄目だ!


 どしゃ降りの旧市街を全力で走り抜ける。

 大人達が変だ。絶対におかしいよ!


 雨でぬかるんだ地面に足を取られ、派手に転ぶ。

 泥と砂利で口の中が一杯になる。


 立ち上がろうとして気がついた。

 自分の手足が、どうしようもなく震えている。


「……なんでっ。なんでそんなっ!?」


 ぐっと、砂利ごと口の中で歯を食い縛る。


 誰でもいい。

 誰でもいいから、誰かに助けを!


「お願いしますっ! 誰か助けてくださいっ!」


 片っ端から目につくドアを叩いてまわる。

 叫ぶようにして、声を張り上げる。


 お願いだからっ! 誰か!


「トルテ! よすんだ!」

「ガキが! 騒ぐんじゃねぇ!」


 ガインツさん達が慌ててオレを追いかけてくる。

 こんな酷い雨の中、訳ありそうな子供にドアを開けてくれる人なんて、この旧市街にはいやしない。

 それは、オレだってよく知ってる。

 関係無い奴に手を差しのべて、面倒に巻き込まれるなんてごめんだ。


 そんなの分かってる。

 ……けどっ! でもっ!


 追いかけてくる大人達の脇を抜けて、狭い路地の奥へと逃げ込む。

 酷いどしゃ降りの中、ぬかるんだ地面に足を取られるのは、追う側も追われる側も一緒だ。

 ここでオレが捕まる訳にはいかない。

 オレがあの人達に捕まったら、誰にも助けを呼べないまま……、ダウドにいちゃんが殺されてしまう。


 駄目だ! そんなのっ!


 路地裏を抜け、壁の崩れた穴をくぐる。

 姉ちゃん……。この事を姉ちゃんに知らせないと。


 雨と泥を含んだ服がずっしりと重い。

 けど、それでも。全力で走り続ける。


 頭のてっぺんから爪先まで、全身が冷たいのに喉の奥が熱い。

 何度も泥の中に、頭から突っ込んでは起き上がる。


「姉ちゃんに、知らせないと……。勇者様ならっ!」


 懐のブロマイドを握りしめ、新市街の大通りを目指す。

 冒険者ギルドに行けば、姉ちゃんがいる。

 勇者様ならっ、きっと助けてくれる。


 雨の大通りには誰もいなかった。

 当然だ。こんな酷い雨の中、出歩く馬鹿はいない。


 オレはふらつきながらも懸命に走った。

 雨にずぶ濡れになった服が身体にまとわりつく。

 手足が重い。身体が冷たい。

 視界が、……霞む。


 それでも、それでも何とか冒険者ギルドにたどり着く。

 冒険者ギルドにたどり着いて、扉にすがり付くように、膝から崩れ落ちてしまった。


「……嘘だろ」


 興奮が一気に冷め、底知れぬ寒さが込み上げてくる。

 冒険者ギルドの扉は、しっかりと閉ざされていた。


「姉ちゃん! 勇者さま! 誰か! 誰かいないの!?」


 扉を力一杯叩きつけ、すがりつくように大声で叫ぶけど、扉の奥からの反応は何も無い。


 ……何で。何で誰もいないんだよっ!

 ここじゃないのか!?

 ここにいるんじゃないのかよっ!?


 勇者様の仕事の手伝いに行くと言っていた。

 冒険者ギルドに泊まり込むとも。


 ……でも、いないんだ。

 もう、仕事先に行った後なのかっ!?


 ……くそっ! くそっ!

 なんで、なんでいないんだよぉ!


 こうしてる間にも、あの人達がダウドにいちゃんを。


 ……時間が無いんだ。

 今から姉ちゃんを探してたりしたら、間に合わない!


「くそぉぉおおおおお!」


 力一杯扉を殴り、蹴りつける。

 膝がふらついて、そのまま大通りに倒れ込んでしまった。


 三人で一つの家族になるのに。


 秋になったら、ダウドにいちゃんが本当の兄ちゃんになるのにっ!


 なんでっ、なんでこんな事に!


 一生懸命働いて。

 頑張ってお金を貯めて。

 三人で旧市街から抜け出して。

 これから新しく家族になるハズなのに!


 なんでこんな事になってんだよ!

 ふざけるなっ! ありえねぇよっ!


 ──当たり前だろ、お前も一緒だよ


 ダウドにいちゃんはそう言って、笑いながらオレの頭を乱暴に撫でた。


 ──ったく。あの馬鹿はっ


 姉ちゃんは顔を真っ赤にして怒ってた。


 両親の顔なんて知らない。

 それでも、寂しくなんかなかった。

 オレだって、オレだってみんなで家族になりたい!


「ダウドにいちゃん……。ダウドにいちゃんっ」


 懐のブロマイドを強く、強く握りしめる。

 オレに、……力を下さい。

 オレに勇気を下さい!

 ダウドにいちゃんを、助けて下さい!


 ……諦めちゃ駄目だ。

 ここでオレが諦めたら、ダウドにいちゃんが!


 震える手足に気合いをこめて、立ち上がる。

 誰でもいい。誰でもいいから、どこかに助けを!


 バシャンと水飛沫をあげて、立ち上がったオレの後ろを真っ白な馬車が通り過ぎた。

 豪奢な造りの、真っ白な馬車だ。


 ……馬車。

 こんな大雨の中に、馬車で。


 馬車には、聖女様の印が掲げられていた。

 聖女様の印の入った、豪奢な馬車。


「聖女様……。聖女様ならっ!」


 目の前に差し出された希望に見えた。

 聖女様なら、きっと助けてくれるかもしれない。

 聖女様なら、見捨てたりなんかしない。


 オレは懸命に走った。

 がむしゃらに走り出して、馬車を追いかける。


 真っ白な馬車は速度を抑えてたのか、バテた足でも何とか追い付く事が出来た。


 希望の輝きに見えた。


 どしゃ降りの絶望の中にあって、白い馬車が、とても眩しく見えた。

 オレはそれの意味する所も忘れて、懸命に馬車を追いかけ、追い付き、馬車にすがりついた。

 馬車のタラップにすがりついて、……馬車を止めてしまった。


「聖女様! お願いします! 助けてっ……」

「貴様! どういうつもりだ!」


 馬車にすがりついて叫ぼうとした所を、護衛の騎士の人に力一杯、剣の柄で殴られた。


「この馬車が誰のものか分かってるのか!」


 殴られ、弾き飛ばされたオレを、護衛騎士の人が力ずくで取り押さえる。

 地面に押さえつけられたオレは、そこでハッと頭が冷えた。


「……あっ。……ああっ」


 かつて貴族の馬車の前を横切って殺された、貧民の子供の話が脳裏を過る。

 貴族の乗る馬車の前を横切ってはいけない。

 姉ちゃんからも、何度も言い聞かされた事。

 その馬車を止めるなんて、……もっての他だ。


「……ああっ。……あああっ」


 やってはいけない事をやってしまった。

 のぼせあがっていた頭の奥が、急速に冷えていく。


 カチャリと、護衛騎士が剣を鞘から抜いた。


 雨の中の、聖女様の印の真っ白な馬車。

 そのタラップの所だけが、黒い泥で汚れている。


 オレが、……掴んだ所だ。


 オレが掴んで馬車を止め、……汚してしまった。

 聖女様の印の入った馬車を、オレが汚した。


 オレ……。何やったんだ。

 何をやっちまったんだ。一体。


 聖女様の印がついているからといって、必ずしも聖女様が乗ってるとも限らないのに。


 相手は貴族どころじゃない。

 この国の頂点に立つ聖女様。

 その聖女様の印の入った馬車を……。


「……ああっ。あ、ああっ」


 身体が震える。

 手足に力が入らない。

 言葉が、……声にならない。


 護衛騎士の人に取り押さえられ、自分の死が目の前にせまる。


 ……ごめん。


 ……ごめん、ダウドにいちゃん。


 ……オレ、にいちゃんを助けられなかった。


 オレじゃ、……駄目だった。


 ……。


 ……ごめん。


 剣を抜いた護衛騎士の人が近づいて来る。

 ぐっと固く目を瞑った時、馬車の中から誰かが飛び出して来た。


「待って!」


 バシャンとどしゃ降りの中を走り寄ってくる。

 聞き覚えのある、声だった。


 雨と涙で霞む視界に、亜麻色の髪がひるがえる。


 ……。


 ……。


 嘘だろ……。

 何で、何でこんな所に……。


「トルテ? あんた、何でっ!?」


 亜麻色の髪をした、……女神に見えた。


 亜麻色の髪の女神が、どしゃ降りの絶望の中にいるオレの前に、ずぶ濡れになってまで現れてくれた。


 ……どうして、このタイミングで。

 こんな時に、……来てくれるんだよ。


 ずぶ濡れの女神に抱き起こされたオレは、溢れでる涙を堪える事が出来なかった。





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