♯88 立体ブロマイド(とある少年の憧憬2)



 握り締めた手の中に一枚の銀貨。


 三日前、法主様から聖都の全住人に薬が配られた。

 疫病の発生が予知され、その予防の為らしい。

 旧市街に住むオレ達を含む、現在聖都にいる全住人に無料配布されると聞いて、最初は耳を疑った。


 まさかそんな事、ある訳ない。


 誰もその知らせを信じたりはしてなかったけど、それが実際に配られてしまっては疑うべくもない。

 聞いた話では、決して安い薬ではないのだとか。


 こんな事、今まで聞いた事もない。

 前代未聞の出来事に、周りの皆も驚いていた。


 あの、疫神とかいうでっかいヤツといい、晴れた日の落雷といい、不思議な事ばかりが続いてる気がする。


 けど、薬の無料配布の手伝いをして、勇者様から手間賃が貰えたのは大きかった。

 思いもかけない臨時収入に心も弾む。


 新市街の路地裏を回り、目当ての印を確かめる。

 その話を聞いた時、絶対に手に入れたいと思った。

 あちこちで手伝いを続けて小遣いを貯め、臨時収入を足して、ようやく銀貨一枚を手に入れる事が出来た。


 近所のおばちゃん達の間では、神殿に来た美人集団。

 あの集団が神殿に来てから、何か色々と起きてるんだと噂が広まっているらしい。

 何か良く無い事が起きるのかもって。


 馬鹿な事を言ってるって思った。

 あの人達はただ不安になりたいだけだ。

 何でも無い事でも不安を感じて、不安に対する愚痴をこぼす事で、鬱憤を晴らしたいだけなんだ。

 不安になりたいなら、不安がってればいい。


 銀貨を握り締めて、強く思う。


「レフィアねーちゃん達が来て、良く無い事が起きるなんて。言い掛りもいいとこだよな」


 忘れもしないその姿を思い浮かべる。

 亜麻色の髪の、誰よりも綺麗な、優しい人。

 突拍子も無くて、どこか無邪気で子供っぽい人。

 あんな人が、悪いものを連れて来る訳がない。


 目当ての場所に行こうとして、建物の隙間に入ろうとした時。見知った人と目が合ってしまった。


「トルテ? 何やってんだお前」

「リリーさん? リリーさんこそ、何で」


 蝶銀仮面の謎の剣士、リリーさんだった。

 自分で謎って言っちゃう面白い人だ。

 確か、勇者様からの仕事をしてるって聞いてる。

 普段は中央神殿に泊まり込んでるハズなのに、なんでこんな時に限って……。


「少し時間が空いてな。折角だから下調べも兼ねて見て回ってるとこだ。……お前は? どこ行くんだ?」

「オレはっ、……ええっと、……あの、ちょっとこの先に用事があって……」


 適当に誤魔化そうとしたけど、駄目だ。

 あからさまに不審になってしまう。

 あんまり人に見られちゃ駄目なのに。

 案の定、リリーさんも不審がってる。


「どうした? 変だぞ、お前」


 約束の時間もあるから、あまりここでマゴマゴしてられないってのに、良い言い訳も思い付かない。


 あーっ、もう。

 こうなったらリリーさんも引き込んじゃえ。


「リリーさんっ。こっち。黙ってついてきて!」

「……は? お、おい」


 リリーさんの服の裾を引っ張って、建物の隙間に入り込んでいく。

 リリーさんがガタイのいい人じゃなくて助かった。


 目的の場所に着くと、目当ての人物がいた。

 頭からすっぽりと黒いフードを被った怪しい人だ。

 約束の時間まではまだあるけど、人に見られるのも不味い。要件は早く済ませるに限る。


「……暁のウサギは?」

「聞き耳を臥せて目を瞑る」

「客は一人だと聞いたが?」

「この人はオレの尊敬する人なんだ。この人にも是非紹介したくて、……駄目かい?」

「……客なら歓迎するさ。説明は、いるか?」

「よければお願い」


 符牒を交わして相互に確認を取る。

 よし。ちゃんとギルドで聞いてきた通りだ。


「おい。……何だ? これは」

「しっ。今から現物を見せてくれるから、リリーさんも静かに聞いてて下さい」

「現物?」


 声を潜めて首を傾げるリリーさん。

 まさかリリーさんと一緒になるとは思わなかったけど、却って良かったのかもしれない。

 姉ちゃんにバレた時の言い訳になる。


 黒フードの売人が懐から一枚のカードを出した。

 聖女マリエル様が描かれた精巧なブロマイドだ。


「いいか。供給元からも、くれぐれも表だって目立たないようにと言われている。誰にも言うんじゃないぞ」

「……ただのブロマイドだろ? 何をそんなに」

「ふっ。見てな」


 黒フードが勿体ぶりながらも、オレとリリーさんの目の前で聖女様のブロマイドに手をかざした。

 途端、ブロマイドの絵が立体的に浮かび上がり、まるでそこに、精巧に作られた人形があるかのような幻影に変わる。


 改めて見てもすごい造りだ。

 髪の毛の一本一本まで、生きてるかのように見える。


「……これはっ」


 リリーさんがすぐ側で息を飲んだ。

 そういうもんだと知ってるオレですら、実物を見て驚いてるんだから、知らなかったリリーさんならなおの事だと思う。


 でもね……。


「……これだけじゃ、無いんだよ」

「これだけじゃ、……無い?」


 声を潜めて言うオレに、黒フードがニヤリとした。


「くっくっく。分かってるじゃねーか、坊主。そうだ、確かにこれだけじゃねぇ。立体的に浮かび上がるってだけなら、何もここまで神殿から隠す必要は無い」

「神殿から隠す……。隠さなきゃいけないような何かが、……あるのかっ!?」

「くっくっく。そうがっつきなさんな。いいか、よーく見てなよ」


 身を乗り出さんとするリリーさんを押さえて、黒フードはそっと、聖女様の幻影が浮かぶブロマイドを持ち上げた。

 路地裏から、光の指す方向へとブロマイドをかざす。


「……なっ!? こ、これは」

「気づいたかい? そう、そうなんだよ」


 光にかざされた幻影は、その薄い所と重なっている所の違いを、はっきりとシルエットで浮かび上がらせる。

 薄い所と言うのは身にまとう法衣の事で、重なってる所といのは、つまりはそれを着ている聖女様自身の事。


 つまり……。


「こ、ここまではっきりとボディラインのシルエットが……!?」

「どういう造りかは知らんが、しっかりと精巧に造られた幻影でな。光にかざすと、幻影の薄い所と重なった所がはっきりとシルエットで別れるんだ」


 荘厳な法衣をまとった聖女様の絵姿が、光にかざすとその法衣だけが透けて、見事ととしか言い様のないボディラインのシルエットがはっきりと見て取れる。

 これこそ、今、聖都の男達の間でコソコソと流行っている、立体ブロマイドだ。


「そして、これは何もこの一枚だけじゃねぇ。全部で四種類。一枚、銀貨一枚で交換だ」

「四種類? ……ま、まさか!?」

「くっくっく。知らない訳じゃあるまい。今神殿にいる、聖女を含めた四人の美女を」


 そう。そうなのだ。

 ブロマイドの種類は四種類。

 その中の一枚こそが、……オレの求めるもの。


「わ、分かった。……俺にも一枚くれ。いや、是非売って欲しい!」


 ……。


 ……。


 リリーさん。食い付き良すぎ……。

 いや、引き込んだのはオレだけどさ。

 思った以上にがっつく姿勢に、黒フードも引いてるよ?


「ま、待て。待てってば。慌てるな。すぐさま売ってやりたいとこなんだが、供給元から売り方にルールをつけられててな。どれでも好きなヤツを選んでって訳にゃいかねぇんだ」

「……ルールだと? それじゃなきゃ売れないってのか。どんなルールなんだ?」

「ブロマイド一枚は銀貨一枚、それは確かだ。ただ、購入するブロマイドは、密封された状態で渡される」

「……中にどれが入ってるのか分からない、と?」

「安心しな。四種類の内のどれかは必ず入ってるらしい。だが、どれが入ってるかは、開けてみるまでわからねぇ。俺もどれがどれに入ってるかは知らねぇんだ」


 黒フードは、懐から密封された包みを数枚取り出して見せた。

 確率は、……四分の一。


 オレとリリーさんは顔を見合わせて頷いた。


 なけなしの、銀貨一枚。

 この一枚に、全てをかける!


 黒フードに銀貨を渡して、包みを選ぶ。


 緊迫する空気。

 狙いを外してしまったら、次は無い。


 一番右か、それとも真ん中か……。

 包みを選ぶ指が、緊張に震える。


 どれだ。……どれに入っているんだ。


 迷いは硬直し、目元が霞む。

 じわりと滲む汗が頬から顎へと流れ落ちた。


 これだっ! ……と決めた包みを取ろうとして、先にそれをリリーさんに取られてしまった。


 ……。


 ……。


 ……何だとっ!?


 驚愕に目を見開くオレに、ふっと軽く微笑むリリーさん。

 大人気なくないかっ!? それっ!


 リリーさんは躊躇なくその包みを開け……。


 地面に崩れ落ちた。


「……何で。……何でベルアドネ」


 あっぶねーっ!

 破れそうな程に鼓動を打つ胸をなで押さえる。

 危なく外す所だった。

 リリーさんが大人気なくて助かった。


「ま、まだまだ! 一人一枚って訳じゃないんだろ!」

「あ、ああ。特に制限は無いが……」


 すぐさま復活したリリーさんは、さらに銀貨を黒フードに渡して次の包みを受け取る。


「……なっ、リーンシェイド、……だと!?」


 驚愕に足を震わすリリーさん。


 ……何だろう、何となくだけど。

 リリーさんの狙ってるものが、オレと同じもののような気がする。


 リリーさんはさらに銀貨を黒フードに渡した。


 ……結果。


 ベルアドネ。

 マリエル。

 ベルアドネ。

 リーンシェイド。

 ベルアドネ。

 マリエル。

 ベルアドネ。

 ベルアドネ。

 ベルアドネ。


 ……リリーさんは灰になった。

 銀貨11枚とともに。


 って、ちょっと待てぇぇぇええええ!?

 マジか? マジで!?

 これ、確率四分の一どころじゃないじゃん!


 これだけ引いて一枚も出ないとか。

 となりで爆死しててるリリーさんには悪いけど、オレだって引き当てる自信ないよ? こんなん。


「毎度あり。……まぁ、こういう事もあるさ。坊主はどうする? どれにするんだ?」


 けど。……引かねば当たるものも当たらない。

 意を決して一枚を選び取り、包みを開ける。


「……あ」


 恐る恐る開く包みの中に、亜麻色の髪が見えた。


「当たった。……本当に、当たった」


 銀貨一枚で引き当てたそのブロマイドは、今まで見たどの絵画よりも輝いてるように見えた。


 ……やった。


 やった! やったぁぁあああ!

 引き当てたぁぁぁああああ!!


 知らず身体中に力がこもる。

 自然とブロマイドを掲げてガッツポーズを取っていた。


 となりで、ユラーっとゾンビのように立ち上がるリリーさんに気づけない程に、オレは舞い上がっていた。


「トルテ……。相談があるんだが……」

「リリーさん。いくらリリーさんでも駄目です」


 ヤバい。

 蝶銀仮面の向こうのリリーさんの目が、……ヤバい。


「トルテ! 頼む!」

「絶対に駄目ですからねっ!」


 ブロマイドを懐にしまって走り出す。

 今のリリーさんはヤバい。

 何だか分からないけど、絶対ヤバい!


 狭い路地裏を走り抜け、ゾンビのように追いかけてくるリリーさんから必死で逃げる。

 めっちゃくちゃ怖いよ!? リリーさん!


「あっ……」


 勢い良く路地裏から飛び出して、通りすがっていた女の人にぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさいっ!」


 散らばる荷物を慌てて拾い集める。


「大丈夫なので気にしないで下さい」


 酷く落ち着いた声に顔を上げると、目深に被ったローブから、その下の顔が見えた。

 見覚えのある、物凄く綺麗な人だ。


 ……あれ?


 確か、レフィアねーちゃんやアネッサねーちゃんと一緒にいた人な気がする。


 ……何でこんな所に。


「トルテ! 待て! 待つんだ!」


 さらに後ろからリリーさんが飛び出してきた。

 ヤバい。追い付かれる!?


 ふと、目の前の人が目を見開いた気がした。


「俺のリーンシェイドと、せめて、せめて交換してくれ!」

「……誰の何と、交換するんですか?」


 真夏の日差しを受けた鉄板でさえも冷えきるような、酷く冷たい殺気を感じた。

 リリーさんから逃げないといけないのに、足が強ばって地面から動けない。


 ……この殺気は一体何でしょうか。


 そぉーっと後ろを振り向くと、同じようにリリーさんが固まっていた。


「……こんな所で何をしてらっしゃるのですか」

「……あ、いや。……その。違う。俺は俺に似てるが俺じゃない。人違いだ」


 リリーさんが訳の分からない事を言い出した。


「そのような仮面一つで、まさか私が見間違うと?」

「いや、……だから」

「……それで? 誰の何を交換するんですか?」


 何故か知らないけど、リリーさんが詰め寄られてる。

 まさかリリーさんがリーンシェイドさんと知り合いだとは思わなかった。


 ……ちょっとびっくりだ。

 けど、今がチャンス!


 リリーさんが動けない隙を見計らって、一気にその場から逃げ出す。


「トルテーっ! 逃げるなー! 助けろーっ!」


 後ろ背にリリーさんの悲痛な叫び声を聞きながら、オレはまっすぐに家に帰った。


 懐にしまったブロマイドから、ふつふつと喜びが沸いてくる。


 ……やった。


 ……やったぁあ!


 ついに、ついに手に入れた!


 オレはレフィアねーちゃんのブロマイドを、懐深く、大事に大事に抱え込んだ。





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