♯55 紺色鼠の奔走2
朦朧とした意識の底から、人の気配に目を覚ました。
「うっ、ぐぁあっ!」
起き上がろうと身体に力を入れた途端、耐え難い痛みが全身を襲う。
そうだ……。
僕は聖女に負けて、浄化の炎に全身を焼かれ……。
助かった、……のか?
……何故だ。
何故、僕はまだ生きてるんだ?
どこだここは? 何故こんなに人が大勢いるんだ?
記憶が曖昧で頭の中が混乱している。
「アスタスにぃちゃん!?」
「……よかった。気がついた」
視界が霞む薄暗い中、自分を覗き込む2つの小さな影があった。……ファーラットだ。子供?
いやっ、まさかお前達っ!?
「テセ……に、ジジか!? ぐっ。まさか……、本当に?」
見覚えのある、いや、決して忘れられないファーラットの兄妹が、目の前にいた。
「……そうだよ。俺だよ、テセだよ。妹のジジもちゃんといるんだ。……よかった。本当に、アスタスにぃちゃんだ。本物の、アスタスにぃちゃんだ」
「私達の事、ちゃんと覚えていてくれたんだ……。ありがとう、アスタスにぃちゃん」
「お前達こそ、……よく無事で」
テセとジジが、涙ぐみながら身体にすがり付いてくる。
手を動かす事さえ酷く辛かったけど、痛みに構わず、幼い二人の兄妹を強く抱き締めた。
忘れる訳がない。
どれだけその身を案じて探し回った事か。
同胞を救う為に国内を駆けずり回っていた中、この子達だけはとその両親に託された二人の兄妹。この子達の両親を助ける事は出来なかったけれど、この子達だけでもと、スセラギ領へ向かう一行に合流させる事が出来た。
だが、その一行がその後、道中で魔物に襲われ、この兄妹が行方知れずになったと聞いた時には、自分で連れて行かなかった事を、どれだけ激しく後悔した事か。
……生きていた。
もう、ほとんど諦めかけていたというのに。
よくぞ、生き延びていてくれた。
まさか、こうして、再び会う事が出来るだなんて。
「人買いに捕まっちゃったんだけど、宿の旦那が人買いから俺達を助けてくれたんだ。今はその旦那の所でお世話になってるんだ。俺もジジも、ちゃんと働いてるんだぜ」
「……そうか。よかった。……本当に、よかった」
身体に残るダメージは相当深いものらしく、手当ての跡があるが、それでも全身にかなりの痛みがある。
聖女の魔法を直接受けたのだ、命があるだけマシなのだろう。
だけど、身体の痛みとは裏腹に、どこかさっぱりとした、落ち着いた気分でいられる自分に気づく。
心にかかっていた暗い部分がすっきりと晴れたような、目に映るものが鮮明に見えるような、そんな晴々とした気持ちでいられる自分がいた。
腕の中の温もりを確かめながら、自分の中の変化に思い当たるものに、考えをめぐらせる。
……瘴気だ。
瘴気に冒された肉体は病んで衰弱していってしまうが、瘴気が冒すのは何も肉体だけではない。肉体ほど顕著では無いが、その精神もまた、同時に冒されてしまう。
同胞を救うため、僕は国内を駆け巡っていた。
怨嗟の籠った瘴気渦巻く、血と死臭に乱れた国内を。
気をつけているつもりではいた。
気をつけていたハズだったのに。
同胞達の死に、ぶつけられる怨恨に、先の見えない現実に削られ続けていた精神は、いつの間にか、どっぷりと瘴気に冒されてしまっていたのだ。
自暴自棄にも程がある。
僕自身が、この先を生きる気力を失っていた。
どうしようもなく愚かで、馬鹿な事をしてしまった。
瘴気の晴れた今なら、思い至る事が出来る。
どれだけ絶望しようと、どれだけ心折れていようとも、誰かを道連れにする権利なんか僕にあるハズも無い。この腕の中にいる兄妹のように、未来ある子達を巻き込んでいい訳がない。
……僕は、何て馬鹿な事をしていたんだ。
「アスタスにぃちゃん、……嬉しいけど、ちょっと苦しいよ俺」
「……ごめん。ごめんなっ、……ごめんな」
「ど、どうしたのっ? 痛い? まだ痛くて泣いてるの?」
瘴気が晴れた要因は、……聖女だろうか。
聖女の中には稀に、瘴気を浄化させる事が出来る者もいると言う。それが本当なのだとしたら、あの聖女が……。
意識を失っている間、確かにそうだとはっきりとは言えないが、何かとても優しくて穏やかなモノを感じていた。
誰かがずっと撫でていてくれたような、そんな不思議な感覚を、うっすらと感じていた。
その優しさが触れるたびに、どこか心が安らぐような、柔らかな日だまりに包まれるような、不思議な感覚。
……夢だと思っていた。気のせいだと。
もしあれが夢では無いのだとしたら。
聖女が、僕を助けた? 瘴気を払ってまで?
……何故、人間の聖女がそんな事を。
「……テセ、ここはどこだ? 今、何がどうなってる?」
「ここはフィア砦の地下避難所だよ。この近くにあった死者の迷宮から亡者が溢れで来てるからって、みんな、ここに避難するようにって」
「……奈落の封印は解けたのか」
何がどうなって解けたのかは分からないが、状況から察するに、目的通り亡者の行進は始まったらしい。
あの状況から何をどうすればそうなるのか、さっぱり分からないが、目的は達成されてしまっていた。
今はただ、後悔だけが残る。
……僕は、何て事をしてしまったんだろう。
「おいっ! 何でクソ汚いネズミがここにいやがるっ!」
人混みの中から誰かが声をあげた。
寄り添ったテセとジジの身体が強張るのが分かる。
周りの視線が集まる中、僕は二人をさらに抱き寄せた。
「誰だっ! コイツらをここに入れたのはっ!」
「胸糞悪ぃ」
「こんな時にお前らみたいなのと同じ場所になんかいられるかっ! とっとと出てけっ!」
不安と恐怖に煽られてか、都合の良い捌け口を見つけたとも言わんばかりに罵声と怒号が飛び交う。
これは僕の犯した僕の罪だ。けど、この子達だけは何としてでも守らなければいけない。
「叩き出せっ!」
「やめろっ!」
まさに周りの人達が僕らに掴みかかろうとした時、一際大きな声が室内に響いた。
人集りを割って、大柄なオーガの若者が近づいてくる。
「くだらねぇ事で騒いでんじゃねぇっ! 今それどころじゃねぇだろが!」
「ギンギ……、だけど、コイツら」
「うるせぇ!うるせぇ!うるせぇ! いいかっ! 何も怖いのはてめぇだけじゃねぇんだ! ここにいる誰もがみんなっ、怖いのも不安なのも全部必至で堪えて、魔王様を信じて集まってるんだっ! それをギャーギャー喚き立てて不安を煽るんじゃねぇっ!!」
ギンギと呼ばれた大柄なオーガは、いきり立つ者達を怒鳴りつけながら、僕達を庇うように進み出てきた。
「だ、だけど、コイツらまでここにっ……」
「うるせぇってんだよっ! 魔王様は近辺にいる全ての住人をここに避難させろって言ったんだ。オーガも獣人もファーラットも区別なく全てだっ! 魔王様がそう言ってるのに、魔王様にすがって、助けて貰おうって俺達が勝手にコイツらを追い出してどうするっ!」
「……ギンギ、お前」
「いいかっ! 俺達はただ魔王様を信じろっ! 絶対に魔王様なら何とかしてくれるっ! 俺達は絶対に助かるんだっ! 魔王様を信じられない、言う事が聞けないってんなら、てめぇらこそここから出ていけばいいっ! そうじゃないなら黙って信じて待ってろっ!」
ギンギが周りを一睨みすると、騒ぎ立てようとしていた者達は、バツが悪そうに退いていった。
ギンギはそのまま、僕達の傍らに腰を据えた。
「……ありがとう。ギンギのあんちゃん」
テセが小声で大柄なオーガに礼を述べた。
「テセ、知り合いなのか?」
「うん。ジジを蹴飛ばして、俺を殴り殺そうとしたあんちゃんだよ」
「……。すまん、お前が何を言ってるのか分からん」
「その坊主の言う通りさ。俺の一方的な恨みを一方的にぶつけて迷惑かけちまってな。詫びって訳でもねぇが、お前らには指一本触れさせやしねぇよ。安心しな」
ぶっきらぼうに言いながらも、ギンギはニカっと笑い、テセとジジとの頭を順番に荒っぽく撫でた。
「……礼を言う」
「いらねぇよ。俺もファーラットには両親を殺された恨みがある。その恨みを忘れた訳じゃねぇ」
「なら、何故僕達を庇うような真似をする?」
「……ある別嬪さんに言われちまってな。恨みをぶつけるべき相手を間違えるなって。 まぁ、それで納得してる訳でも、思う所が無い訳でも無いんだが……」
バツが悪そうに頭を掻いて、ギンギは言い淀んだ。
恨みをぶつけるべき相手、……か。
「……いい女の前じゃ格好つけたくもなるだろが。んで、一度格好つけたんなら、それを引っ込めるのも癪に障る。確かに、俺の両親を殺したのはファーラットだが、この坊主達じゃねぇ。もちろん、お前でもねぇよ。なのに手当たり次第に恨みをぶつけてたんじゃ、……格好悪いよな」
「そういう問題、……なのか?」
「知るか。……実はよく分からん。分からねぇんだが、何だかな。上手く言えねぇんだが、ファーラットであるってだけでソイツを憎むのも、何だが違うって気がしてな。……まぁ、そんな感じだ」
「……すまない」
決して綺麗な言葉でも、気の効いた言葉でもない。
けど、ギンギの言葉に胸を突かれた思いだった。
「すまない。……すまない。ありがとう」
「男がそんな簡単に泣くんじゃねぇよ」
言葉にならない思いが込み上げてくる。
僕は本当に、何て馬鹿な事をしてしまったんだろう。
瘴気に冒されていたとは言え、自分のしてしまった事の責任はちゃんと取らなければいけない。
魔王様ならば、この事態をちゃんと収めるだろう。
そしてその後、僕は魔王様の裁きを受ける。
この命を以て償う事になるだろう。
……それでも構わない。
けれども、もし、もしこの命が残るのであれば、僕は残りの人生を懸けてでも償わなければならない。
その覚悟を、……決めた。
「お、おい……」
突然、室内にどよめきがうまれた。
「こ、これは……」
魔力に敏感な者もそうでない者も、一様に天井を見上げている。正しくは、天井のその向こうを。
「な、なんだっ!? こりゃ。こんなの、……マジかよ」
今いるのが砦の地下なのだとすると、それはおそらく砦の上の階、最上階の辺りなのだろう。
そこから、とてつもない魔力の高まりを感じる。
今まで見た事も聞いた事も無いような、密度の濃い、すさまじい量の魔力の存在を頭上に感じている。
……尋常な量の魔力じゃない。
さながら、突如としてそこに太陽が生まれたかのような、非常識なくらいの魔力量だ。
「……何かがはじまるのか?」
ギンギが天井を見上げてポツリとこぼした。
同じように天井を見上げて、僕は気づいた。
いや、否が応でも気づかされた。
──この魔力の感じには覚えがある。
優しく、どこまでも包み込むような穏やかなこの感じは、僕から瘴気を払ってくれた、あの魔力と同じものだ。間違いない。
あの魔力の持ち主が、今、この上にいる。
「聖女だ。砦の中に聖女がいるのか?」
「聖女って、人間の聖女か? ……そう言やぁ魔王様が人間どもも砦の中に入れたって、誰かが騒いでやがったな。……って、これが聖女の魔力だってのか!? 途方もねぇな……マジかよ」
「人間どももって、僕達だけじゃなくて、魔王様は人間でさえも区別しないってのか」
「状況が状況だから、使えるものは何だって使うつもりなんじゃねぇのか? 俺達はただ魔王様を信じるだけだ」
魔王様と聖女が手を組んだのか……。
まさか、そんな事があり得るだなんて。
すがるような気持ちで、僕はただその存在に思いを寄せ、静かに祈りを捧げた。
聖女。貴女に出会えたこの幸運を。
感謝の思いを祈りに込めて。
ありがとう。
そしてどうか、僕が貴女に救われたように、ここにいる皆にも救いの光が届きますように……。
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