♯56 目覚める力



 深く、深く息を調える。

 言われた通りに心を落ち着かせ、身体の力を抜く。


 砦の最上階は、四方の壁から外が大きく見渡せる構造になっていた。辺りはすっかり暗くなっていて、星一つなく、真ん丸に浮かんだお月様が、まるで夜空にぽっかりと穴を開けているようにも見えた。


 月明かりの下で、蠢く亡者達が眼下に映る。

 砦の周辺は、すでに亡者で埋め尽くされていた。


「レフィアっ! 下を見やーすなっ! 自分の内側にだけ集中しとりやーせっ!」

「ご、ごめんっ!」


 床一面に特殊なインクで描かれた魔法陣の上、ベルアドネと聖女様と私の3人は、それぞれの所定の位置に立っている。


「レフィアさん、大丈夫ですわ。必ず上手くいきます。自信を持って落ち着いてやれば、必ず」

「……はいっ!」


 砦の最上階へと聖女様を連れてきた時、ベルアドネの準備はすでに整っていた。

 ベルアドネからこれから行う事についての詳しい説明がなされ、聖女様はすぐにそれを理解し、快く協力に同意してもらった。

 魔法についての難しい話はやっぱりと言うか、さっぱりチンプンカンプンだったけど、魔法上級者による二人の短い打ち合わせを経て、今は魔法陣の行使に取り掛かっている。


 魔法陣の制御については問題無いだろう。何と言ってもベルアドネのお母さんが作った魔法陣だ。ベルアドネ自身も何度か直接教わっているらしい。


 聖女様にも、何の不安も無い。

 聖女様が構築する魔法は『祝福』という、神聖魔法でも最も基本的な魔法らしい。曰く、下手に上級の退魔の魔法を行使するよりも、基本的な魔法を、達成値と範囲を集中拡大させた方がより高い効果が得られるのだと言う。


 よく分からないけど、そういうモノらしい。


「何をごちゃごちゃ考えとらーすかっ! おんしゃは雑念が多すぎやーす。自分のすべき事に集中しやーせなっ!」


 ……あぐっ。怒られた。


 一番問題なのは私だ。

 自身の魔力を引き出して、魔法陣に送り込め言われたけど、何をどうすればいいのかさっぱり分かんない。


 魔力を引き出すって何だろう。

 何をどう引き出せばいいんだ? これ。

 踏ん張って捻り出すのとは違うよね……。


 いや別に、何をと言う話でもないけどさ。


「いらん事ばっかりに囚われやーすなっ! 自分の中へ中へとまず、意識を集中しやーせっ!」

「中へ中へ……。中?」


 中って何だ? 内臓?


 いや、うん。そういう意味じゃないのは分かってるんだけど、感覚的に言われても……。

 中へ。中へ。中々へ。


 ……よく分からん。どうしよう。


「焦らないで、レフィアさんなら大丈夫ですわ」

「……聖女様」

「優しく目を閉じて、深く、ゆっくりと鼻腔から息を吸ったら、少しずつ長めに、口から吐いて」


 聖女様の言葉に従って、深く深呼吸をしてみる。


「大丈夫ですわ。レフィアさんには、人並み外れた魔力を感じます。深く、深く。身体の内側の声に、意識を傾けてみてくださいませ」


 身体の内側の……、声? 声……。

 声と言われても、そのまんま何かが聞こえるとかじゃないよね?


「身体の中心を、一筋の光が通るようにイメージすると良いかもしれませんわ。その光が、お腹の下辺りを通るように。だいたい、おへその下の方、子宮のある辺りに、何かを感じません事?」


 一筋の光を身体に通して……。

 お腹の下辺り……。


 ……。


 ……。


 ……お? おぉ!?


「……何か、ある。……おぉ? ぉおおお!?」


 凄い。何だこれ。何か感じる。

 暖かくて、力強くて、何か浮き上がってくる感じの、何かが、下腹部から沸き上がってくるのを確かに感じる。


「それがレフィアさん。あなたの持つ魔力ですわ」

「……これが魔力。これが、魔力なんだ。凄い」


 ぉおお! 私にもあった! 魔力があった!

 これが、魔力か……。凄い、本当に何かある!


「……それだけの魔力量があって、使い方を知らんとか、宝の持ち腐れもええとこだがね」

「知らなければ学べば良いですわ。レフィアさん、魔力を感じる事が出来たのでしたら、後はひたすら、感じた力に集中する事ですわ」

「はいっ!」


 集中。集中。集中。

 雑念は駄目。ごちゃごちゃ考えない。


 ……。


 ……。


 魔力を子宮で感じるのだとしたら、男の人はどうやって感じるんだろうか。何か他の所で感じるんだろうか。

 男性の、女性の子宮にあたる所?

 そんなんあったっけか。


 まさか、キンタ……。


「雑念がめっちゃ混じっとる気がするがね」

「レフィアさん……。集中ですわっ! 集中っ!」


 ごめんなさい。モウシマセン。

 ってか、何故下らない事考えてるのバレたんだ。


 気を取り直して集中。集中。


 ……。


 ……。


 ポカポカしてきた。


 結構これ、気持ちがいいかもしんない。

 下腹部に感じる力に意識を向け、さらに集中し続けてると、次第に身体の隅々まで行き渡っていくような気がしてくる。


 ゆったりと、優しく、穏やかに。

 何だか、心が落ち着いてくるような不思議な感覚。


 私は何かを焦りすぎていたのかもしれない。


 焦って、思い込んで、勝手に突っ走って。


 今回ここにいたるまでの自分を振り返ると、見事にやる気と行動が、くるくると空回りしてしまっていたように思う。

 空回りして、周りに迷惑をかけてしまっていた。


 ……格好悪い事この上ない。


 結局、法主様を説得出来たのはリーンシェイドのお陰だし、魔王様に認めさせたのもベルアドネだ。


 ……私じゃない。


 私はただ、自分の都合で騒いでいただけだった。


 迷宮から脱出出来たのも、奈落の中でもそう。


 ギンギさんの中にある深い恨みを、少しでもほぐしてあげられた訳でもないし、あのファーラットの子供達を助けてあげられた訳でもない。あの瀕死の紺色のファーラットはどうなったんだろうか。


 ベルアドネを助ける為に来たハズが、彼女を直接助けたのも聖女様だって言うし、そもそも、カーライルさん達に助けて貰わなければここまで来る事すら出来なかった。


 私は今回、まだ何も出来ていない。

 何も、出来ていないままだ。


 私はただ、そこで喚き散らしていただけ。

 何も知らない、何も出来ないクセに、ならばこそ、もっとよく考えて、自分に出来る事を探さないと駄目なのに。


 私はただ、感情のままに動いてただけだった。


 ……。


 ……なっさけない。

 何やってんだ、私は。


 情けなさすぎて言葉もない。


 ほどよくリラックスした全身に、力が満ちる。


 嬉しかった。

 誰かの役に立てる事が、嬉しかった。


 村にいた時は、みんなと仲良く出来ていたと思う。

 友達も、いた。

 けど、誰もがみな、私に一線を引いているのが分かった。

 仲良くしてくれるけど、どこか、遠い。


 何を言っても、何をやっても、私は『特別だから』と、誰も側に居続けてはくれなかった。


 特別なんかじゃない。

 特別扱いなんかをして欲しい訳じゃないのに。

 ただ一緒にいて、同じモノを感じて欲しいだけなのに。


 マオリ……。マオリだけだった。

 マオリだけが、どこまでも付き合ってくれた。

 マオリだけは、いつも一緒にいてくれたのに。


 マオリが村からいなくなった日、私は泣いた。


 あいつは知らないだろうけど、私は、もうどうしようも無いくらいに、泣いて、泣いて、泣き続けた。


 泣きながら、ひたすらに剣を振り続けた。


 会いたかった。会いたくて会いたくて仕方なかったのに、マオリはどこか遠くへ行ってしまった。

 いつも一緒にいてくれたのに、もう、振り返っても隣りには誰もいない。


 ぽっかりと開いた寂しさを埋める為か、マオリと一緒にセルおじさんから教わった剣を、毎日、毎日、ひたすらに振り続けた。


 それが、マオリとつながる唯一の結び付きだと思ったから。


 剣を振り続けていれば、マオリと過ごした日々を忘れずにいられると思ったから。


 私はひたすらに剣を振り続けた。


 農家の娘にすぎない私が剣を振る事に、村のみんなはあまり良い顔をしなかった。

 年頃になると、無駄に剣術の腕を上げるよりも、料理の腕を上げた方がいいと言われるようになったけど、それでも、私は意地でもやり続けた。


 そして、ひょんな事から魔の国に来る事になって、そこで、続けていた剣の腕を皆に認めてもらえた。

 鍛えていたお陰で、リーンシェイドとアドルファスを助ける事が出来た。


 マオリと過ごした日々が、確かに私の中に残っているのだと実感する事が出来た。


 ……それが、嬉しかった。


「……魔力量が多いとは思っとらしたが、これは」

「……ここまでとは、正直、驚きですわ」


 ベルアドネと聖女様の声が、どこか遠い。

 溢れでる魔力が全身に満たされ、さらに膨らんでいく。


 もっと、誰かの役に立ちたいと思った。

 もっと、誰かの為に何かをしてあげたいと思った。


 ……でも、出来なかった。


 結局私は、誰かの助けをかりなければ、何もやり遂げる事が出来ないのだと、そう思い知らされただけだった。


 だったら……。


 だったら、それでもいい。


 私一人で出来る事が何も無いのなら、何も出来なくても構わない。

 一人で出来ないなら、一人でしなければいい。


 私に出来る事なんてたかが知れている。


 だったら、自分達に出来るほんの少しの事を持ち寄って、力に代えればいい。


 無力である事を悔やむよりも。

 求められた事に全力を出しきりたい。


 ──音が消えた。


 心地良い感覚に身体を委ねる。

 内側から広がる力を心静かに受け入れる。


 ──足りない。


 全身が魔力で満たされているというのに、どこかもどかしさを感じる。


 ──何故? 何が足りない?


 このもどかしさは何だろう。

 まるで、湖の水をスプーンで掬うかのようなもどかしさを感じる。

 目の前に確かにあるのに、手元に届かないもどかしさ。


 もどかしい?

 もどかしいって、何?

 何をそんなにもどかしく感じているんだろうか。


 意識をさらに深く沈みこませる。


 湧水のように溢れでてくる魔力の、その源をたどるかのように、深く、深く沈みこむ。


 暖かさと、穏やかさと。

 切なさと、優しさと。


 人それぞれに魔力の形があるのは知っていたけど、自分の魔力を感じたのは初めてだ。


 これが、私の魔力。……こんな感じなんだ。


 さらに深く、どこまでも深く。


 そこに、何かがあるのが分かった。


 自分の中にある、自分の魔力。

 その形を知って初めて分かる、何かが、そこにあった。


 自分の中にある魔力の源、その源の出口を固く結び締めるかのように、それがあった。


 自分の魔力ではないものだ。

 それが、魔力の源を固く閉ざしている。

 より多くの魔力を、引き出せないようにしている。


 ……でも、これは優しさだ。


 黒いリボンだと思った。

 この黒いリボンには、……覚えがある。


 ふと甦る、幼い日の思い出。

 あの時の、リボンだ。


 私を守る為のおまじないだと言っていた。

 あの時のリボンが、ずっとここにあったんだ。


 ……うん。


 このリボンは私をずっと、守っていてくれていたんだと、……分かる。


 でも今はそれを必要としている。

 私の力が、必要とされている。


 ──今まで、守ってくれてありがとう。


 私は、感謝の気持ちをこめながら、そのリボンをほどいた。


 リボンはスゥーっと溶けるように消えていく。

 包み込むような優しさを、残して。


 力が。


 ……満ちる。


 開かれた扉から、力が、解き放たれた。





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