♯51 鈴影姫



『鈴森御前と剣聖』


 昔ある所にゼンという名の武芸者がいました。

 ゼンは剣に生き、剣の道を極めんとして数多くの魔物を討ち倒し、ついには剣聖と呼ばれるまでになっていましたが、未だ道極まらずと、己を鍛え続ける毎日を過ごしていました。


 そんなある日の事です。

 ゼンの元に1人の男が助けを求めてやってきました。曰く、この国に恐ろしい鬼が住み着いたので、ゼンに退治して欲しいとの事でした。


 ゼンは二つ返事で鬼退治を引き受けると、鬼の住む町まですぐにかけつけました。自分の鍛えた剣の腕を試す、またとない機会だったからです。

 ですがその鬼は人の暮しの中に紛れており、簡単には見つける事が出来ませんでした。ゼンは空腹と疲労から橋の上で途方にくれ、座り込んでしまったのです。

 どれくらいそうしていたのでしょう。しばらくすると、うつらうつらと眠りこけるゼンに声をかける者がおりました。


「このような所でどうされたのですか?」


 ゼンが顔を上げると、今まで見た事もないような美しい姿をした母娘が、ゼンの様子を心配そうにうかがっているではありませんか。


「いや、少し疲れてしまって。座り込んでみたら、自分で思っていたよりも疲れ果てていたようで、ついうつらうつらとしてしまったようだ。ご心配、痛み入る」

「それは大変でしたね。ですがこのような所ではお身体にも障ります。あばら屋ではありますが、すぐそばに私の家がありますので、しばらく休んでいかれませんか」


 その母娘の申し出にゼンは頭を下げました。

 見ず知らずの者を家に招き入れる事を不審にも思いましたが、一目見た時から、この母娘が人間では無い事をゼンは見抜いていました。


 ──さては件の鬼に違いない。


 ゼンは鬼の誘いに自ら乗ってみたのです。


 家についたゼンは、ささやかな夕餉をともにしました。妙な動きを見せたらその場で剣を抜くつもりでいましたが、母娘にそんな素振りは全く見られませんでした。

 それどころか娘を思い、母を慕う仲睦まじい二人の姿に、ゼンはどこか気の抜けた思いさえ覚えはじめていたのです。


 すっかり戦う気のなくなってしまったゼンは、早々に母娘に暇乞い告げ立ち去ろうとしましたが、そんなゼンを母親が呼び止めました。


「剣聖よ。妾を斬りに来たのでは無いのか」


 先程までの優しい声音とは違い、その凜とした物言いに、ゼンは足を止めて振り返りました。


「鬼であれば斬るつもりでいた。だが、母である者を斬る理由が俺にはない。出来れば早々にこの国を立ち去ってくれるとありがたい。……馳走になった」


 ゼンは懐から幾何かの金貨を包むと、それを母娘に渡して、その場を後にしたのです。


 自分の家に戻ったゼンは、迷いを打ち払うかのようにさらに厳しい鍛練に明け暮れるようになりました。


 ──自分は鬼を見逃してしまった。


 ゼンは自分の中に生れた迷いに戸惑っていたのです。

 鬼を見逃してしまった後悔と、

 それでよかったのだとする自身の心とに。


 けれどもそれからしばらくして、ゼンの元に思ってもみない知らせが届けられました。

 夜な夜な男を誑かして食い殺す鬼女が見つかり、町の皆で追い詰めているのだと言うのです。


 ゼンはカタナと小太刀を抱えて駆け出しました。


 町に入り、住宅街と貧民街を隔てる川に架かる橋、その橋の上に辿り着いたゼンはその光景に息を飲みました。


 血みどろになって橋の上に転がる男達の骸。

 その真中に立っている1人の鬼女。

 宵闇にぼんやりと光をうけて浮かび上がる白磁のように透き通った白い肌と、上質な絹のように夜風になびく美しい白髪。天を貫くかのように細くのびた2本の角が、その気高さを示しているかのようでした。

 この世の者とは思えぬ程に、美しく恐ろしい鬼。


 それこそが鈴森御前の真の姿なのです。


 鈴森御前は紅玉の瞳をゼンに向けました。


「剣聖よ、その剣を抜いて妾に斬りかかってくるがよい。たちどころにその心臓を貫いてみせようぞ」

「鈴森御前よ。こんな事は止めるんだ。これ以上、人を殺めるのはよせっ!」

「この後に及んでまだそのような戯れ言を。剣聖よ。その剣を抜くがよいっ!」

「止めるんだっ! お前は母であるのだろうっ! 娘の事を思えっ! 俺にお前を斬らせるなっ!!」

「母であるからこそ鬼にならねばならぬのだっ!」


 鈴森御前が中空から一振りの槍を取り出しました。

 剣聖も剣を抜き放ち、互いに斬り結びます。


 剣聖ゼンもさる事ながら鈴森御前もさるもの。

 互いに相手に刃の届かぬまま、戦いは一層激しさを増して行きました。

 ゼンは鈴森御前の槍を見切ってかわしますが、打ち込む時にはその美しさに目を眩まされ、斬りつける事が出来ないでいるのです。


 ──いっそ見えるから眩むのだ。


 ゼンは鈴森御前の前で両目を閉じました。


 ゼンが観念して覚悟を決めたと思い込んだ鈴森御前は、槍の穂先をほとばしらせて心臓を突きにかかりました。

 ですがゼンは、両目を閉じていても心の目で見ていたのです。


 ゼンは鋭い突きをひらりと避けると、その穂先を切り落とし、返す刃で鈴森御前を斬り伏せました。


 場が静まり、ゆっくりと目を開けたゼンの足元には、死してなお美しいままの鈴森御前が横たわっていました。


 ──斬らねば殺されていた。だが、斬りたくはなかった。


 ゼンが橋の袂、深い夜闇の向こうに視線を向けると、その暗闇の中で、美貌の女童めのわらしがゼンを睨み付けていました。


「鬼は斬れても女童を斬る剣は持っていない」


 ゼンは抜かずに終わった、もう片方の小太刀を女童に差し出しました。

 母親譲りの美貌を持つ娘の鈴影姫。

 この女童も、長ずればやがて恐ろしい鬼となるのでしょう。今の内に殺しておかなければなりません。


 ですが、ゼンにそれをする気はありませんでした。


「その小太刀はくれてやる。それで母親の仇を討つも、自らの生きる道を切り開くもそなたの自由だ。好きにするといい」


 ゼンはその場に座り込み、目を閉じました。

 そこは丁度、最初に鈴森御前の母娘に声をかけられた場所でもあったのです。


 しばらくの後、鈴影姫は一振りの小太刀とともに、夜闇の中にその姿を消してしまいました。


 ゼンは剣聖の名をより高めるとともに、そっと、その場を後にしたのです。



~『アリステアお伽噺集より抜粋』~



「鈴影姫、ですわよね。……生きてのびて、いたのですわね。……よかった」

「……聖女マリエル。不快です。次にその名を呼んだら殺します」

「え、ああ……。そうですわね。ごめんなさい」


 緊迫した空気が二人の間に流れる。

 少し戸惑った感じの聖女様と、何かドス黒い影を背負ったリーンシェイド。


 え? あれ? どうした?

 何でそんなシチュエーションになってるの?

 何で?


「深く詮索するつもりはありませんの。ただ、ここに来る前に少し貴女の事を思う事がありましたので。こんな風に会えるだなんて思ってもみませんでしたが、今はそう、貴女が生き延びていてくれてよかった。ただそれだけが言いたくて」

「……聖女に心配される言われもありません。余計なお世話です」

「そう、……そうね。その通りですわ。重ね重ね、ごめんなさい」


 元々愛想のいい方ではないリーンシェイドだけど、あれ? 初対面の人にここまで殺気を放つ娘だったっけか。


 いや、殺気を放つ娘だった。そういえば。

 私も出会って早々に怒られた記憶があるや。

 それにしても何だろう、このただならぬ空気は。


「……ねぇベルアドネ。リーンシェイドと聖女様って、もしかして知り合いとかなのかな?」

「わんしゃが知っとる訳ねぇがや」

「だよね、……ベルアドネ、扇。扇が外れてる」


 肘でつついて気づかせる。

 まぁ、今更っちゃあ今更だけどさ。

 本人が気にしてるっぽいし。

 せっかく訛り隠しの扇も返せたし、ね。


「あわわっ!? ん。こほん。知り合いかどうかは存じあげませんが、リーンシェイド程の有名人であれば、聖女が知っていてもおかしくもないですわ」


 この残念娘め。

 気を緩め過ぎなんじゃなかろうか。


「有名人なの? リーンシェイドって」

「鈴森御前の娘の鈴影姫といえば、お伽噺しにもなってるじゃない。……あんた知らないの?」

「……え? 鈴森御前? ……あ、あーっ! 」


 それだっ! 鈴森御前っ!?

 鈴影姫って、どっかで聞いた事がある名前だと思ったら、鈴森御前と剣聖のお伽噺しに出てくる鈴森御前の娘だっ! そうだっ!


 って、……は? リーンシェイドが鈴影姫?

 リーンシェイドのお母さんが鈴森御前っ!?

 マジで!?


「あれって、……実話だったんだ」

「実話であっても、事実の通りかどうかは別ですわね。剣聖に都合が良すぎますもの」


 鈴森御前と剣聖と言えば思い出すのが村祭り。


「その話ならよく知ってる。私、昔村祭りの寸劇で鈴森御前の役やった事あるもん」

「……嫌な役をされたのですね。レフィア様も」


 リーンシェイドが皮肉めいた表情をする。

 いやぁ、その顔もそれはそれでそそられるものあるけど、リーンシェイドには似合わないよ。

 第一、嫌な役回りではなかったもの。


「嫌では無かったかな? バッタバッタと周りの男の子達を叩き伏せたし、剣聖役のマオリが目を瞑った瞬間に、台本無視して叩きのめしてやったもん」

「「……は?」」

「……御前役が剣聖役を倒してどうするんですの」


 何か皆がキョトンとしてしまった。

 だってねぇ……、ただやられるのなんてつまんないじゃん。


「どうもしないよ。鈴影役の妹と手を取り合って勝名乗りをあげたっけか。『勝負の最中に目を閉じた剣聖が悪い!』って言ったら、皆褒めてくれたよ?」


 マオリだけは涙目になって、いつまでもしつこく根に持ってたっけか。……女々しいヤツよ。


「まぁ、色んなバリエーションがあるって言うし、鈴森御前が勝って終わる話があってもいいんじゃないかな?」

「くくくっ、ふふっ。……やっぱりレフィア様には敵いませんね」


 お、珍しい。

 リーンシェイドが、……笑ってる。


「お話の中のはは様はいつも負けてばかりなのだと思ってました。……そうで無い事も、あったんですね。その『マオリ』さんもさぞ驚いた事でしょう。目に浮かぶようです」

「ん? ……マオリ?」


 リーンシェイドにまで笑われてやんのマオリ。

 ベルアドネがマオリの名前に微かに反応を見せた気がするけど、……どうした?


「私がその名前を持って生まれたばかりに、あまりにも多くのものを失ってきました。……ですから、あまりその名で呼ばれたくは無いのです。聖女、すみませんでした。私の八つ当りです」

「いえ、……私も迂闊でしたわ、貴女の事情を少しも考えずに、ごめんなさい」

「今はリーンシェイドと名乗っています」

「では、リーンシェイド。改めて、助けていただいてありがとうございます。本当に助かりましたわ」


 二人の美女はにっこり微笑んだ。

 よし和んだな。和んでる場合じゃないのは充分承知してるけど、ギスギスしてていい事なんて何も無いもの。それならこっちの方がいくらかマシだ。

 マオリくん。今キミがどこで何をしているのかは知らないけど、キミのおかげで美女が和んだよ。ありがとう。


「聖女マリエルよ。貴様に言伝がある」

「私に、ですか? ……何でしょうか」

「気持ちは分かるがそう身構えるな。貴様と行動をともにしてた者達からだ。貴様を助けようと亡者どもの中に突っ込もうとしてたからな、叩き出しておいた。代わりに貴様を陣営まで無事に連れて行くよう約束させられたが、『どうかご無事で、陣営にてお待ちいたします』だそうだ」


 ……連れがいたのか。叩き出すとか乱暴な事してたのね。まぁ、状況的に仕方ないか。でも、野蛮なアドルファスの物言いに聖女様も少し強張ってしまっている。

 女性には優しくしろよこの堅物め。


 ……そういばアドルファスとリーンシェイドって、兄妹だよね? お話の中にアドルファスって出てきてない気がする。


 ……あれ?


「それは……。わざわざどうも、ありがとうございます」

「心配するな。少なくとも迷宮内では1人たりとて死なせてはいない。あえて亡者の数を増やすのも馬鹿馬鹿しいのでな」

「とりあえず足を用意しますので、この場を離れましょう」


 リーンシェイドが言うと、髪の毛を2本ぷちっと抜いて指先で放った。……髪の毛?

 風に飛ばされるように落ちていく白い髪の毛が、くるんと回ったかと思うと、みるみるうちに膨らんで、二頭の大きな狼へと姿を変えた。


 ぉぉおおお。イリュージョン!


「式術による幻獣です。突然襲ってきたりはしないので安心してください」

「すごぉぉおおおい! かっこいいぃぃいいい!」

「……あ、ありがとうございます」


 褒めたら照れた。リーンシェイドマジかわゆい。


 二頭の狼にリーンシェイドとアドルファスがそれぞれに跨がり、私とベルアドネがアドルファスの方へ、聖女様がリーンシェイドの方へと乗り込んだ。


「本当にいいのか? リーンシェイド」

「あに様よりは、私の方がまだ人間に対する刺激も少ないかと。あに様が聖女を連れて現れたら、それだけで勇者の陣営が慌ててしまいそうです」

「……それはそうなんだが」

「大丈夫です。はは様を殺したのは確かに人間ですが、私を救ってくれたレフィア様もまた、人間です。……ただ人間であるというだけで憎む事は、もう止めました。だから、心配しないでください。あに様」

「……分かった。気をつけて行け」

「はい」


 何だか気になる事を言ったような気がする。

 そうか……。そういえば、そうだよね。

 リーンシェイドなりに色々と悩んでいたもんね。

 酒場でのギンギさんとの一件、リーンシェイドはどんな気持ちでギンギさんの事を見ていたんだろうか。もしかしたらそれもあって、ギンギさんへの態度に表れていたのかもしれない。

 気づくのが遅いか、……ごめんね。


「レフィアさん!」


 聖女様が振り返って私を見ている。

 何を言うでもなく、私からの返事を待っているみたいだ。周りの皆も、私の返答を待ってるみたい。


 うん。ここははっきりと私が言うべきだ。

 聖女様は私を助けに来たと、はっきりと私に言ったのだから。それにはちゃんと答えるのが礼儀だよね。 


「聖女様。こんな私なんかを助けに来てくれて、本当にありがとうございました。まさか、聖女様に来ていただけるなんて夢にも思っていませんでした。言葉に出来ないくらい、物凄く嬉しかったです。……でも、一緒にはいけません」


 私の返答を、何となく察していたのだろう。

 聖女様は何も言わずに私を見つめていてくれる。


「私はまだ魔王様に返事を返して無いんです。このまま戻る訳にもいきませんし、こっちで大切な友人も出来ました。無理矢理に連れて来られはしましたが、私は今は自分の意思で、ここに残りたいんです。我儘を言って申し訳ありません。でも、それが今の私の気持ちなんです」

「……分かりました。色々とあったのですわよね。今の貴女を見てると何となく、そう言うと思いました」


 聖女様は優しく頷いてくれた。

 うん。聖女様もマジ天使。

 大切な、の所で何故かベルアドネが照れた仕種を見せてたけど、心配するな、あんたじゃない。


「今は時間がありませんが、落ち着いたら、必ずちゃんと説明をしに行きます。聖女様、ごめんなさい」

「いいえ、謝らないでください。……そうですわね。貴女とは是非もう一度、ゆっくりとお話してみたいです。この状況を収めて、落ち着いたら必ず」

「はいっ!」


 聖女様が頷いて姿勢を戻すと、リーンシェイドが狼を操って空を駆けていった。


 うん。必ず。


 ……。


 ……。


 ……って、おい。この狼、空飛ぶの?


「我らも行くぞ」


 アドルファスも狼を操って空を駆け出した。

 ぬぅぉぉおおお!? 飛んだ!?


 私は落ちないように必死でしがみついた。

 落ちないよね!落とさないでね! ゆっくりね!


 太陽はずいぶんと西に傾きはじめていた。





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