魔王の嫁。はじめました

♯45 過つ道たりとて（骸姫の迷走３）

　アスタスの隙をついて逃げらかす。

　とにかくここから離れなかん。

「逃がさないよっ！」

「ちっ！　ワヤだがねっ！」

　いくらも歩数を稼げない内に、すぐ気づかれてしまいやぁした。炎の穂先が、わんしゃを捕まえようとぐんっとのびあがる。

　多少無理がありやしたな、これは。

　いくら歩数を稼ごうと、あれで追いかけられてはひとたまりもあらせん。視界の外に隠れるぐらいでもせんと、一瞬の間につめられてまう。

　例えばリーンシェイドのような俊敏さがわんしゃにあれば、あるいはこの場から、逃れる手段があったのかもしれせん。

　身体能力に劣るこの身が恨めしい。

「させませんっ！」

　まるで蔓のようにのびてきた炎の穂先が、目の前で弾け飛ばっせた。よりにもよって私とレフィアとを勘違いした聖女が、何故か私を援護してくれやした。

　まぁ、レフィアも容姿はまぁまぁやし、美しさという意味であれば間違えるのも仕方もあらせんけど。うん、仕方無い、それは分かるがね。

　けどそれが勘違いだと分かったハズなのに、何故まだ助けてくれようとしとらっせるのか。

　聖女の考えが今一つ分からせん。

「ぐはぁっ！？」

　アスタスが呻き、怯みを見せやせた。

　聖女の魔法が効いとらっせるっぽい。

　とにかく、この場を離れなわんしゃも術が使えやせん。下手に術を使えば、封印にどんな影響があるかも分からせん。

　わんしゃとおかあちゃんの魔力はとてもよく似とらっせる。この封印を施したのがおかあちゃんである以上、アスタスの言う通り、封印に変な影響が出ないとも限らせん。

「邪魔をするなぁ！聖女！」

　アスタスの注意が完全に聖女に向かいやした。

「今の内にお逃げなさいっ！」

　本当に、何を考えとらっせるんか聖女は。

　よく分からせん。よく分からせんが、これはまたとない好機だがね。

「ぐっ。このっ！　がっ！」

　後ろ背にアスタスの呻き声が聞こえやす。

　噂には聞いとらしたが、聖女とはとにかく厄介な相手なのだと改めて思い知る。

　今のアスタスは火霊に転身して、その身体は燃え盛る炎そのものになっとらっせる。よもや、そのアスタスを翻弄させる程とは、想定の上でやした。

　アスタスの使った術は多分、精霊転身の秘術だがね。

　規模や威力は遠く及ばれせんが、天魔大公クスハ様が使われるそれと、同じものであらっせる。

　まさかそれを、門下であったとはいえ、ファーラットであるアスタスが使える事には、正直驚嘆の一言に尽きやせる。

　クスハ様には多くの門下がいらすが、その中に精霊転身の術を身につけた者がいるなんて聞いた事もあらせん。

　そこに至るまでのアスタスの苦悩を思うと、まるで我が身の事のように身にもつまされやす。

　わんしゃも、同じだったから。

　おかあちゃんの傀儡の術を使えるようになるまでに、どれほど辛い修行を重ねてきたか。

　他の誰に分からなくても、わんしゃには、それがどれだけ辛く厳しいものなのかが分かりやす。

　ファーラットの天才児アスタス。

　……自らの生まれもった才能だけで、そう呼ばれるようになった訳ではあらせんハズだて。

「くそぉぉぉおおおおお！！」

　アスタスの絶叫に足が止まる。

　振り返ったらあかん。

　ここで振り返ったら、あかんがね。

　アスタスは道を間違えやした。

　選んではいけない道を選ぼうとしとらっせた。

　してはならない事を、しとらっせたんだがね。

　アスタスの犯した過ちの先で、どれほどの者が苦しむ事になるのか。考えるだけで背すじが凍りつきやす。

　情けをかけたらあかん。

　同情に心を引かれとったら……、あかんがね。

　背中の向こうで聖女の魔力の高まる。

　聖女が勝負に決着をつけようとしとらっせる。尋常ではない威力の魔法が構築されとらすんが、肌に感じる危機感で伝わってきやす。

　人間の聖女とは、ここまでのモノでやしたか。

　驚きとともに、何かとても暗いものが胸中を染める。

　死の予感。

　見知った者の、絶対的な死の予感。

「燃えつきなさいっ！」

　聖女が叫ぶと同時に、組み上げられた魔法が発動しらせった。

　その放たれた魔法に込められた魔力量に、冷たい感覚が全身を走り抜ける。

　幼き日に会った時のアスタスが、唐突に脳裏に浮かぶ。

　同胞であるファーラット達を思い、その導き手にならっせるのだと、自分の目指す道を教えてくれたアスタス。

　あの時の姿を、思い浮かべてまう。

「っがぁぁぁあああああ！？」

　アスタスの断末魔に振り返る自分をとどめる事が、出来やせんかった。

　振り返った先に、青白い火柱が上がる。

　広間の中央で、転身の解けてしまったアスタスが、その紺色の毛並みを青白い炎に包まれとらっせた。

　──アスタスが死ぬ。

　炎が消え、その場に崩れ落ちる。

　ゆっくりと、静かに。力尽きていく。

　──アスタスが、……死ぬ。

　とどめを差すべく、聖女が光の槍を構築しとらせっるのが分かった。

　あれだけの魔法の直撃を受けても、まだ息があらっせる。まだ、命を繋いどらっせる。　

　──ごめん。

　それは、誰に対してなのか。

　おかあちゃんにか、それとも、アスタスの行為によって被害を受けるであろう人達にか。

　気がつけば、アスタスの元へと駆け寄っていた。

「待ちやーせっ！　殺しやーすなっ！」

「あなたっ！？」

　馬鹿だ馬鹿だとよくおかあちゃんに怒られやした。確かに、わんしゃはどうしようもなくたーけだがね。

　一体、わんしゃは今、何をしとるんだか。

　本当に何故、聖女の前に立ちはだかって、アスタスを庇ったりなんか。

「これ以上は……。必要ねぇて」

　アスタスはすでに虫の息だがね。

　今ここで庇った所で、助かる見込みがあるとも思えやせん。

　馬鹿な事をしとらっせやす。

　無意味な事をしとるんだがね。

　愚かな自分の姿が、情けなのうてかん。

「自分が何をしているか分かってらして？　その者は貴女を害そうとしてましたのよ？」

　聖女の言葉は呆れを含んどらっせた。

　けれども言葉とは裏腹に、聖女は光の槍を組みほどきやした。

　わんしゃは本当に、何をしとるんだか。

「アスタスは多分もう、助からねぇて。このまま、もう……。けど、もし助かるなら、自分の犯した過ちの償いをさしてやりてぇ。そのチャンスを、……残してやりてぇ」

　自分の言葉を確かめるように、一つ一つ自分に言い聞かせるように、繋げていきやーした。

　そう、多分、……そういう事なんだと。

　アスタスは苦しんどらっせた。

　自分自身を見失ってしまう程に、ひどく苦しみもがいとったんだがね。

　アスタスのした事も、しようとしていた事も、決して許される事ではあらせん。もしここで生き延びたとしても、今まで以上に苛酷な償いを迫られやす。

　もしかしたら、これはわんしゃのわがままでしかあらせんかもしれん。どうしようもないくらいに子供じみた、幼稚なわがままだがね。

　悪戯に、アスタスをより苦しめてしまうだけなのかもしれせん。

　けど、アスタスにここで死んで欲しくない。

　ここで死んでしまう事で、その罪だけが残り、これまでアスタスが足掻いて、もがき続けてきた時間が無駄になってまう事が、我慢ならせんかった。　

「貴女も随分と……。いいえ。そうですわね。貴女がそれで良いのでしたら、私には何も」

「かんにんな……」

　聖女が警戒を緩めたその時だがね。

「なっ！？」

　ドォンと何かの底が抜けるような、お腹の底に響くような轟音とともに、足元が大きく縦に揺れよった。

「これはっ！？」

　聖女が息を飲みやせった。

　足元が揺れるのと同時に、床一面に魔法陣が浮かび上がる。

「……封印の魔法陣だがん？　何故で急に」

　八門式連環層積型封印魔法陣。

　間違いあらせん。おかあちゃんの施した、わんしゃが知っている中でも最固にしてもっとも複雑な封印。

　八門ある封印陣をそれぞれ繋ぎあわせ、ただでさえ強力な封印をさらに強固にした魔法陣。

　その魔法陣の封印が、今まさに解かれようとしとらっせる。

　描かれた術式をたどると、主柱の八門の封印陣はすでに解かれていた。

「何で、そんなっ！？」

　今はかろうじて補助の陣で、奈落の底から沸き上がる瘴気を押さえ込んどらっせる。

　慌てて自分の魔力を練り上げ、補助の封印魔法陣の上をなぞる。少しでも封印を支える為に。

　封印魔法陣はすでにその役目を解かれ、下から跳ね上げようとしている瘴気の凄まじい圧力が、溢れ出そうとしとらっせる。

　けれどこれはもう、手遅れかもしれせん。

　どれだけ補強しようと、じわりじわりと押し戻されてまう。もう、いくらも持ちやせん。

　けど、……どうしてこんな。

「これは、……何なの、何が起きているの？」

　聖女も狼狽が隠せとらん。

「封印は、すでに解かれた後だったって事だがね……」

「封印？」

　でも、……何故。

　アスタスは封印を解けなかったっと言っとらっせた。何をしても駄目だったと。

　だからこそ、藁にもすがる思いでわんしゃをここに連れて来やっせたハズ。

　……時間。

　……50年。

　50年の、……時間。

「長い間封印によって押し込められていた瘴気が、魔法陣にからまって、……凝り固まって、……いた」

　アスタスは、封印を解いとらっせた。

　この複雑な術式の封印を、ファーラットの天才児はすでに、解いとらっせたんだがね……。

　けど、封印は解除されんかった。

　何故なら、封印によって押し込められた瘴気が、まるで膠のように魔法陣を裏から固めとったから……。

　そこに聖女の魔法。

　間違いあらせん。先程の聖女の魔法で……。

「……固まっていた瘴気が、浄化されてしまった」

「何の事ですの？　この魔法陣は何なのですか？　何が起きようとしているの？」

　始まってまう……。

　いや、すでに始まっとったんだがね。

「亡者（デッドマン）の行進（ウォーキング）……」

「何を……。まさかっ、これ」

「亡者（デッドマン）の行進（ウォーキング）が始まったんだがね……」

　生者を呑み込む亡者の行進が、始まる。

　もう……、止められやせん。

「え？　嘘、何これ。床が光ってる？」

　その声の主は、そこで突然姿を見せらした。

　まさかありえせんと思いながら振り返ると、そこにいるハズのない姿があらっせる。

　何でこのタイミングで、この場所に……。

　広間の入り口から姿を見せたレフィアが、床一面に浮かび上がる魔法陣に驚いとらっせる。

　そりゃ、驚くのも分からっせるが……。

　あんたがここにいる事の方が驚きだがね。

　どうしてこんな所に……。

「あ、いたっ！　ベルアドネ！　助けに来たよ！」

　この場の雰囲気にそぐわない、底抜けに明るい声が、場の絶望感をより深めとるような、そんな風にも感じられとった。