♯44 聖女の焦燥4
危ない所だった。
物影から様子をうかがってタイミングを計るつもりが、突然の状況に咄嗟に魔法障壁を展開してしまった。
考え足らずの行動だった事を反省せざるをえない。
けど、やってしまったものはしょうがない。
出来なかった事をウダウダ悔やむよりも、今しなくてはいけない事を考える。
少し開けた部屋の奥で炎が渦巻く。
あれがさっきまで濃紺色の毛並みをしたファーラットだったと言って、何人ぐらい信じてくれるんだろうか。
私だったらまず信じないし、今こうして目の当たりにしていたって信じられない。
炎がゆらめいで、勢いよく立ちのぼった。
周りの背景が陽炎で歪んで見えてる気がする。
勘弁して欲しい。あれ、相当な高温域に達してるんじゃないだろうか。ジリジリと肌に感じる熱気が、何だか凄まじい事になってきている。
いくらか高い天井を覆うように、一気に高温域の炎が広がった。
来る。
魔法障壁を展開して降りかかる炎から逃れる。
強度にも発動速度にも優れた魔法だけど、平面にしかできないし、面積もお盆に毛の生えた程度でしかない。
高温の炎で茶巾包みにされたら、それこそひとたまりもないだろう。
いくつかの数を同時展開して、鱗のように互いのすき間を補うように配置して傘を作り出す。その傘の下を全力で駆け抜けて、どうにか炎の範囲の外側に出られた。
丸焼けになる事なく無事にかわしきったけど、防ぎきれなかった熱が身体の所々をちゃっかり焦がしてくれた。
うん、これヤバイ。
相手の何気無い一撃に、一体いくつ魔法障壁を張ったんだ私は。
炎がとぐろを巻いてこちらへと振り返る。
生きてる炎ってどうなんだ。ずるくないか?
今までこんなの見た事ない。
何か方法を考えないとジリ貧間違いなしだ。
炎がしなって鞭のようにふるわれた。
この距離で届くのかと様子を探ろうとしたら、弓なりに弧を描く先端部分が千切れて飛んできた。
飛ばせるんかいっ!?
両手に魔法障壁を展開して位相を掌に固定する。
放物線を描いて飛来する炎弾に、面を斜めにそわせてスライドさせて弾く。1発でも直撃したらアウトだろう。そんな感じの炎弾の圧力と熱に胆が冷える。
近付けば炎に包まれて、距離をおけば炎弾が飛んでくる。……このままじゃ、駄目だ。
苦しまぎれに光の槍を組み上げて相手に放った。
勇者ユーシスがよく使う魔法だ。
光の槍は一直線にとぐろを巻く炎の中心に飛んでいって、その中心を貫いて後ろの壁に突き刺さった。
……だよねー。
足元を狙って飛来する炎弾をよけて、崩された体勢をどうにか整える。狙いも中々嫌らしい。
自然な炎だったら、その火元をまずどうにかすればいいんだろうけど、相手が炎そのものな時はどうすればいいんだ? これ。
こんな屋内で轟々と燃えさかってるんだから、空気を遮断した所で素直に消えてくれるとも思えない。
うがー。この八方塞がりな感覚に悶える。
これが戦闘中でなければ、今すぐ地べたに転がって手足をバタつかせてしまいたい。こういう何をどうしたらいいのか分からない戦いは、はっきり言って好きじゃない。
入って来た入り口にちらりと視線を移す。
物陰から工作員のおじさま達が、バレないように身を隠しつつ戦闘の様子をうかがっている。
控えているように合図して飛び出して来たけど、正解だったと思う。それなりに訓練を重ねて来た人達ではあるけど、戦闘力という面においては今のこの場面では足手まといにしかならない。
ごめんね、自分の身を守るのに精一杯で。
でも、目の前の魔物を何とか私に釘付けに出来れば、後は工作員のおじさま達で、拐われたあの子を助けだせるだろう。
要は私次第なのだ。
何とか出来れば……。
何とか。
うーん。
「何故人間の世界の聖女がいるのかは知らないけど、どうやら本物のようだね」
ゆらめく炎が大きな鼠の姿をとる。
あくまで輪郭だけで、炎の塊のままだけど。
何をどうやって喋ってるんだろうか。
「僕の攻撃を防いでいられるのはさすがだけど、守ってばかりじゃどうにもならないんじゃないのかな。その内に疲れて、全身焼け焦げてしまうよ」
「自信がおありのようですがお生憎さま。その前に貴方をどうにかしてみせますわ」
「手も足も出ないのにかい? 強がりも過ぎれば滑稽でしか無いのに」
あぐっ。確かに。
言い返せない所が憎たらしい。
何とかしないと。何とか。
「見逃してあげるからこのまま帰りなよ」
「……はい?」
「面倒臭いんだよ、君。何しに来たのか知らないけど、今それどころじゃないんだ。そろそろ魔王城からの追手も来る頃だし。これでもね、色々と忙しいんだよ僕は。だからとっとと帰れよ」
「……。では、そちらの娘さんをお渡しいただけるのかしら?」
「「……は?」」
……。ん?
今、目の前の魔物と誰かの声がかぶったような。
「なんで、わんしゃを?」
奥にいるレフィアさんがキョトンとした顔でこちらを見ている。無理もない。こんな魔の国のど真ん中で、まさか助けが来るとは思ってなかったに違い無いのだから。
「安心して下さい。貴女を助けに来ました」
「だから、何で聖女がわんしゃを」
「……話が見えないな」
……。何だろう、この違和感。
いやぁな汗で背中がベトつく。
「レフィアさん……。ですわよね」
「誰がレフィアでやーすかっ! よりにもよって誰と間違えとらっせるか誰とっ!」
「……。そういう事か」
あれ?
おや?
おやや?
「人違いだよ、聖女。この子の名前はベルアドネ。何で勘違いしたかは知らないけど、レフィアじゃない」
「……ちょっと待って、そんな。嘘」
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
冷静に、こういう時こそ冷静に。
……人違い?
「マジでかぁぁぁあああああ!?」
つい叫んでしまったけどそれ所じゃない。
何これ、何それ、何だこれ。
こんな所で人違い?
嘘でしょ、嘘よね、ありえない。
「狼狽してる所で悪いんだけど、時間が無いんだ。人違いだって分かったんなら、さっさと……。レフィア?」
炎の魔物が何かに気づいた様子を見せる。
確かに、人違いだと分かったのなら、こんな所でいらぬ戦いをしてる場合ではない。
時間が無いのはこちらも同じ事なのだから。
「……レフィア。確か魔王が拐って来た人間の娘も、そんな名前だったような気がするけど」
急にボソボソと考え事をはじめてしまった。
引くなら今がチャンスかもしれない。
同じ事を、この場にいるもう1人も思ったようだ。ベルアドネとかいう娘も何やらタイミングをうかがっている。
あの子もずいぶんと綺麗な子だ。
事情はよく分からないけど、あの子もまた、自分の意思でここにいるようには見えない。
人違いではあったけれど、若い娘が不本意で拐われてきたという事実は事実であるらしい。
こちらも事情が事情であるだけに、何でもかんでも助けてあげられる訳ではないけれど……。
一瞬の隙をついて、その子が走り出した。
私が入って来たのとは別の入り口に向かって走り出す。
「……逃がさないよ」
「ちっ! ワヤだがねっ!」
こちらに一切の興味を失ったのか、炎の魔物は逃げようとする娘を追いかけようと、身体を細くのびあがらせた。
「させませんっ!」
とっさに
聖なる気を込めた魔力を叩きつける、神聖魔法の初歩の術だ。術を組み上げる暇がなくてとっさに出してしまった。
でも、こんな初歩的な術では……。
「ぐはぁっ!?」
……あれ?
「邪魔をするなぁ!聖女!」
逃げ出した娘を絡めとろうとしていた炎の穂先が弾け飛び、炎の魔物は苦しげに、身体を元いた場所に集めなおした。
何だかとてもよく効いてるみたいだ。
もしかして、これなら!?
「今の内にお逃げなさいっ!」
もともとそんなに難しい術でもない。
最後まで助けてあげられるだけの余裕はこちらにも無いけれど、ここから逃げる為だけの援護であれば、してあげられない訳じゃない。
こんな事をしてる場合じゃないのは分かってる。
でもやっぱり、目の前に拐われてきた娘がいて、そのまま黙って立ち去る訳にもいかない。
「ぐっ。このっ! がっ!」
ダメージはそれ程でも無いようだけど、直撃した時の衝撃で、上手く身体をまとめる事が出来ないようだ。
突風に煽られる蝋燭の火のように、ゆらめきながらがら不安定なまま、形を保ちきれていない。
「くそっ!!」
ついには転身が解けてしまった。
渦巻く炎がかき消えて、紺色の毛並みをした元のファーラットの姿がそこにある。
これならっ!
術式を高速展開して新たに組み上げる。
浄化の炎。神炎を召喚して焼き尽くす上級魔法だ。この魔法なら
「燃えつきなさいっ!」
気合い一閃。青白い火柱が紺色のファーラットを包み込む。
「っがぁぁぁあああああ!?」
魔法の発動に微かな違和感がある。
まさか、抵抗された!?
神聖魔法でも最上位にあるこの魔法に、自身の魔力で抵抗するなんて信じがたい。
可能である事とそれが出来るかどうかは別だ。
これがファーラット? 嘘でしょ。
絶対ファーラットの姿をした別の何かにしか思えない。明らかに種族としての限界を超えている。
炎の火柱が消えて紺色のファーラットが崩れ落ちる。
本当なら跡形もなく燃え尽きてしまう所だけれど、抵抗に成功されてしまったのだ。やっぱり本来の威力を発揮出来ていない。
それでも相当のダメージを受けている。
光の槍を再び構築する。
紺色の毛並みは随分と焼け焦げており、呼吸音もか細い。やっぱりまだ息がある。
例え相手が魔物と言えど、無駄に苦しませようとは思えない。今は……特に。
一思いに息の根を止めるっ!
「待ちやーせっ!殺しやーすなっ!」
「あなたっ!?」
逃げたハズの娘が戻ってきていた。
確か娘の名はベルアドネといっていた。そのベルアドネがこの場に戻り、あろう事か紺色のファーラットの前に立ち塞がった。
どいうつもりなのか。
今さっき命を狙われた相手だろうに。
「これ以上は……。必要ねぇて」
ベルアドネは悲愴な表情で私に懇願した。
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