僕とピアノ

微睡

第1話


僕はピアノが嫌いだ。


あの椅子に座り続けて、同じ曲を幾度も繰り返す。


母は、練習しろ、練習しろと繰り返し言ってきて気持ち悪い。


だから、あの場所が嫌いだ。






ただ、練習は嫌いだけれど、先生のピアノが好きだ。


なんでも無いように初見で形にする。


結婚してからは、コンサートの類いはやらなくなったと言っていた。


そんな美人なピアノの先生。







「マロンは可愛いなぁ」


レッスンの10分ぐらい前に到着する。


前の生徒のピアノの音を聞く、バイエルの何かなのだろうか?


それとも有名な作曲家の曲だろうか?


難しい曲が聞こえる。あまり、好きな曲ではない。


「まーろーんー」


先生の買っているミニチュアダックスフンドのマロンがふわふわのお腹を見せてくるので、わしゃわしゃーと撫でまわす。


ちゃんと躾がされているからか、ただ賢いだけなのか、ピアノがなっている時は吠えているのを見たことがない。


やがて、ピアノの音が止む。


あぁ、レッスンの時間だ。


「ほら、おいで。君の番だよ。」


心地よいソプラノボイスが響く。


また、呆れられるのかな……?





「なーんで、また練習してないのかなー?」


頬を膨らましながら先生は言う。


「ちょーっと練習したら、うまくなると思うんだけどなー」


と、先生は言う。


「何か君のやる気に繋がることがあればいいんだろうけどなー」


先生は、そういって悩んでくれる。


そうだ、といって、おもむろに楽譜棚へと向かう。


なんだろう?と、思っていたら


「確か、ゲームとか好きだったよね?」


そういって、ジャーンととても良い笑顔で楽譜を見せてきた。


「これねー、ゲームコンサートっていって、ゲームの曲だけでコンサートやるっていうイベントで行われた、披露された曲だけの楽譜なんだけど。やってみない?」







魅惑の笑顔で渡された楽譜、触ってみれば知ってる曲なだけに違和感を覚えて、練習をしてしまう。


そっと楽譜を鞄に入れて、昼休憩にピアノを触らしてもらうようになった。


音楽の先生には凄くビックリされた。

君ってピアノを弾くんだねって。


そして、次の週に行くと先生にも凄くビックリされた。


「あんなに練習嫌いだったのに練習してきてるじゃない。」と。


先生には軽いノリで謝られた。


ごめんごめん。君にはクラッシックとか、基礎じゃなかったんだね、楽しむためのピアノを教えるべきだったんだね、と。








ある日、学校で話しかけられた。


「ねぇ、あのへったくそなピアノだったのにどうしたの?」


放課後、音楽室で、だ。


ついポカーンと眺めてしまう。


「あ、私のこと知らない?

先生の娘よ。多分、一個上ね。」


無言でいると


「ねぇ、聞いてる?水曜日のラストの子でしょ?

最近、ちゃんとしたピアノの音が聞こえるんだけど」


「……それはね、多分。今は、ピアノが楽しいんだ。」


「楽しい?ピアノが?」


「うん、なんていうのかな?自由にやっていいよって言われた感じ。」


ふーん?といいながら楽譜を見に来る。


「あ、この曲知ってる。」


それは、そうだろう。僕達みんながそのゲームにハマったからだ。


「コレも、コレも。」


だろうね、CMとかでよく流れてた曲が多い。


「一度引いてみる?」


「いいの?」


じゃあ、ちょっとだけ。


そういって、横に座る。


引いているのを聞くと、綺麗に楽譜をさらえているのがよくわかる。


初見でこんなに綺麗にさらえるのがスゴいな、と思う。


ちゃんと練習してきたんだろう。


「……なんか違う。」


そう、少し違う。


「君の弾いてたのと、何か違うよね。」


「多少ね。」


たとえば……そういって、同じところを弾く。


所々に1/8音符よりも短い音を入れて、アニマート(活気に満ちて)で。


ある程度弾き終えると手を止める。


彼女の様子を見ると少し不満そうな感じで見てくる。


「こんな風にアレンジしてみてるんだ。

先生が、気持ちにしたがってみなさいっていってね、やってみたいことがあれば教えてあげるからって」


「へぇ、あのお母さんが……」


「そう、だから、そのためには最低限さらえるようになりなさい。いじるためのキーを見つけなさいって」


そういうと、少し沈黙が落ちた。娘さんは、うつむいたまま、時間が過ぎる。


そして


「もう一度、その曲弾いてよ。

やれるところまで。」


と。







一人の観客がついたけれどもやることは変わらない。


少し気恥ずかしいけれど、それからはなにも言ってくることはなかった。


やがて、下校時間のアナウンスが流れ始める。


それを聞いて、片付けを始める。


「……ねぇ、明日もここでやってるの?」


「そのつもり。」


「明日も来るから来てね、絶対。」


少し、悩んだが


「まだ、やりたいことがあるから、明日もくるよ。」


「そう、待ってる。」


そういって、さっと教室から出ていった。








次の日、音楽室に向かう途中から音が聞こえた。


ピアノではなく、弦楽器の音が。


「あ、来てくれた。」


教室をあけると同時にそう声を掛けられた。


手にはヴァイオリンを持って。


「なんで、ヴァイオリン?」


「ピアノは一台しかないじゃん?」


そういって。







それから、二人のジャズが始まった。


いや、ただしくはジャズのなり損ない。


僕自身は、口がうまいわけではなく、みんながしゃべるみたいに勢いでしゃべるってことが苦手だった。


でも、演奏している間は二人の間は音が補った。


楽譜は、ひとつ。しかも、主旋律だけ。


そうなると自然にどちらかが伴奏を行う。更に楽譜にないオリジナルまでやるんだから無茶苦茶だった。


でも、音でメインの入れ替わりを指示しあっていた、といえればカッコいいんだけれども、実際はアイコンタクトでタイミングを計って入れ替わる。


ただ、ただ楽しかった。

きっと彼女も楽しかったと思う。


楽譜にない音楽、テストにはならない音楽が。







やがて彼女が来る頻度が減っていく。


一つ年上の彼女。


つまり、受験の時期。


毎日来ることが、出来ないのは分かっている。


週に3日となり、2日と減り、そして……


彼女は来なくなった。









「バカじゃないの?」


在校生の僕は、今日もピアノを弾いていた。


「普通さ、来るわけないじゃん」


そう、卒業生の彼女は言う。


「友達と遊びに行くでしょ、普通」


いつもオリジナルになるところにくる。


「ねぇ、聞いてる?」


「……僕はさ。」


今回はオリジナルにせず、楽譜を丁寧にさらう。


彼女の口を止める。


「どうしても、ここから先が苦手だったんだ。」


「知ってる。だからオリジナルで誤魔化してたんでしょ?」


「……知ってたんだ。」


丁寧に楽譜をさらう。


苦手なところを、記号にしたがってやり直す


「そりゃね、進めるときに私に振ってくるんだもの。」


笑いが出てくる。

ですよねー。


ミスなく、弾き終える。


そして、振り替える。そして、目線を合わせる。


「音楽科のある学校にいくんだって?」


「そうよ。」


「追いかけてもいい?」


鼻で笑われた。


「今さらムリでしょ。」


「とても、とても、楽しかったんだ。一緒に弾くの。」


「私も、とても楽しかった。けど、それが?」


「だから、追いかけたい。また、一緒に弾きたい。」


「練習嫌いのあなたが?音楽科なんて基本クラッシックよ?」


「先生がね、オリジナルっていって教えてくれてたことってね、音楽科のテストに出るようなことなんだって。」


「はい?」


「音楽科の高校を出ればジャズの道も広がるっていわれたんだ。」


「そう、で。」


「それを聞いたからって訳じゃない。あなたと再び弾くために、追いかけても、いいですか?」


唖然とした顔を見せたあと、アハハと大きな声で笑い出す。


涙が出るほど笑ったのだろう、目元を一度コスったあと


「きなさい。」


とても、いい笑顔で僕にそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕とピアノ 微睡 @dosooh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る