第41話 あなたは、誰ですか

 気のせいか、空だけではなく景色全体に、重たい灰色がかかっているように感じた。

 シドウはゆっくり、いや、おそるおそる着陸した。

 母親デュラと赤髪の青年アラン、その両者のちょうど等距離になるところへ――。


「母さん、ただいま」


 ティアを横に降ろすと、シドウは人間の言葉で母親に挨拶した。

 アランのほうへは……挨拶できなかった。

 一瞬、「誰だ?」と思ったからである。


 もちろんアランであることに間違いはない。が、表情は険しく、アランと聞いて思い出す穏やかな微笑ではなかった。

 しかし、なぜかまったく覚えのない雰囲気のものとも思わなかった。


「シドウか。おかえり」


 ドラゴン特有の低く太い、しかし静かな声で、母親デュラが挨拶を返してきた。


「シドウくんとティアさんでしたか……。まさかここで再会するとは。なぜここに?」


 デュラに向けていた手のひらが、スッと降ろされる。

 険しい顔は緩み、眉間の皴も消えた。

 それでも、シドウの記憶に定着していた彼の顔ではなかった。しつこいくらいの頻度で、必要以上の近距離で向けられ続けていた、あの微笑ではなかった。


「俺らは、これからグレブド・ヘルにある旧魔王城に行って、新魔王軍なるグループの危険なアンデッド実験を中止してもらう予定です。両親にそれを伝えるために来ました」


 赤髪の青年と母親の両方を見ながら、シドウは答えた。


「なるほど。そういうことでしたか」


 アランは言葉を返してきた。

 デュラのほうは特に言葉は返さず、シドウを見てゆっくりと一度まばたきをした。


「アランさん。俺のほうからも、あなたは、何をしにここに……とは聞いてもいいですか?」


 ドラゴン態であるシドウの声が、かすれ、そして震えた。

 巨大なシドウの心臓は、彼の返事を待たず、すでに速く大きく拍動し始めていた。


「私はこれから――」


 シドウに対し、アランは言った。


「あなたの母親を処刑するつもりです。そのために今ここにいます」


 その瞬間、かすかに残っていた希望は打ち砕かれた。

 彼はたまたまこの山に通りかかって、ここまで様子を見に来てくれて、兄弟たちを焼き払った犯人から母親を守ってくれようとしていたのではないか――ということは、なかった。


 登山道で兄弟たちを焼いたのは彼であり。

 そして今、自分の母親を攻撃しようとしていたのだ。


「冗談……では、ないんですよね……?」

「そう見えますか?」


 間髪なく返した彼の声は、穏やかなれど、熱帯であるペザルの空気すらも凍らせるようだった。


 ――あなたの母親を処刑するつもりです。

 彼の言葉は過去形ですらない。

 こうやって自分やティアと再会した今も、その意思が変わらないということだ。


 少し前、彼とは一緒に旅をした。

 先輩冒険者ということもあり、彼は大人びていて、要所で的確なアドバイスをくれていた。正式なパーティメンバーではないのに、マーシアの町で事件が発生したときは一緒になって考えてくれて、一緒になって問題解決にあたってくれた。別れるころには信頼関係すらも出来上がっていたと感じていた。


 また会えるようなことがあれば、今度は離さず、「一緒に来てください」とお願いしようかと思っていた。

 旧魔王城に行くことが決まってからは、戦力的な不安からもその思いは強くなり、ダラムを出発する前に冒険者ギルドで彼の消息を尋ねたくらいだった。


 なのに。

 彼は自分の兄姉たちを焼き、そして今、母親を〝処刑〟すると言っている。

 なぜ?

 その思いしか出てこなかった。


 父母や兄姉たちとの久しぶりの再会。みんな元気にしているだろうか。

 ダラムから空を飛んでいるときは、そんな気分だった。

 なのに。なぜこんなことになっているのだろう。

 今、自分はいったい何を見ているのだろう。何を見せられているのだろう。


「アラン、どういうこと?」


 足元にいたティアからそんな言葉が聞こえてきて、シドウは我に返った。

 赤髪の青年を見る。やはり記憶にある彼の顔ではない。


「アランさん。俺も聞きたいです。どうしてですか? 理由を教えてください」


 アランは静かな、いや、まだ静かであろう抑えた光を、濃い碧眼から発した。


「私が生まれたのは、ウルカジャーニアという町です」

「……!」


 その地名に、シドウの首がビクンと震え、硬直した。


「地理学者に弟子入りし、この世界のことを勉強したあなたなら。そして何よりもこのドラゴンの息子であるならば、ご存知のはずですね」

「……はい」


 固まった長い首は、ゆっくりと垂れていった。


「え、何? どこよそこ。知らないけど?」

「ティア。今はもう、その町はないんだ。大魔王がいたころ、降伏を拒んで、魔王軍の傘下だった時代のドラゴン族に……一夜で皆殺しにされたから」


 シドウは視線を落としたまま、ティアにそう説明するのがやっとだった。


「そうですね。ですが私はたまたま町の外にいたため、生き残っていたのです」


 シドウがアランのほうに顔を戻すと、ふたたび彼の眉間には皴が寄っていた。

 見るのがつらく、また顔を逸らしたくなった。

 だがそうしようとした瞬間、彼の濃い碧眼が強く光った。

 首から上が金縛りにあったように固まり、逃げることは許されなかった。


 そしてその激しい光を受け、シドウは思い出した。

 先ほどアランがシドウの母親と対峙していたときの雰囲気。それは確かに覚えがあった。

 マーシアの町で彼が町長に対して見せたときのそれと、同じだったのだ。

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