第17話 太ましき町人

 辺りの景色は、イストポート付近に比べるとはるかに緑に乏しく、荒涼としていた。

 そしてその中を通る、整備されていない粗い道。

 シドウとティア、そしてアランの三人は、ひたすらその道の上を北北西の方向に歩いていた。


 三人の左手方向の彼方には、高くそびえたつ巨大な断崖絶壁が、白く霞んでうっすらと見えている。

 まるで、天から降りている巨大なカーテン――。




 そのカーテンの上は、『グレブド・ヘル』と呼ばれている高地である。


 大陸の中央近くに位置するその高地は、周囲を断崖絶壁で囲まれ、外の世界からほぼ隔離された地となっている。

 元々は人型モンスターが生息していた地域であり、小さな集落を点々と作ってこじんまり暮らしていた。


 だが、大魔王が登場して魔王軍が結成されると、それは激変した。

 本拠地として禍々しい巨大な魔王城が建てられ、人型モンスターの他にも大陸の有力モンスターが次々と入城。魔の地と化した。


 現在は大魔王が死亡し、魔王軍も消滅しているため、人型モンスターの残党が細々と生活を営んでいるとされている。




「ティア、疲れてない?」

「ん? わたしは大丈夫だよ?」

「それならいいけど……」


 シドウは念のために右隣のティアに声をかけたのだが、やはり彼女は体力的にまったく問題ない様子だ。


「私のことは心配してくださらないのですか? シドウくん」


 今度は左隣からシドウに対し、そのような声がかけられた。


「あっ、すみません。でもアランさん、魔法使いなのに体力ありそうですよね」

「きちんと鍛えていますから。これくらいの歩きはまったく問題ありません。単にシドウくんに心配してほしかっただけです」

「……そうですか」


 さすがにマントをサッと取って筋肉を見せつけるなどはしてこなかったが、アランの体格には弱々しい感じがまったくない。

 太くは見えないが、おそらくそれなりにしっかりした体をしているのだろう。

 背もかなり高めで、言われなければ魔法使いであることに誰も気づかない外見である。


「俺が二人を乗せて、堂々と空を飛べると楽なんですけど」

「そうもいかないでしょ。これから行くマーシアの人に目撃されたら面倒なことになるだろうし。ねえ? アラン」


 シドウには歩きよりも楽で速い移動手段があるため、ついぼやいてしまったのだが、すぐにティアから突っ込みが入った。

 同意を求められたアランは、ティアが示した理由の他に、もう一つ付け加えた。


「そうですね。それに……シドウくんの背中に乗る資格があるのは、ティアさんだけなのではないでしょうか?」

「え。何? 資格って」


 わけがわからないティアは、当然聞き返す。


「ドラゴンという生物は、相当信頼している相手しかその背に乗せることはないと言われています。残念ながら私はまだ会って日が浅すぎる。難しいのではないですか」


「へー。そうなの? シドウ」

「うん。そういうしきたりがあったのは本当らしいよ。アランさんはよく知ってますね」

「そう教わったことがありますから」


「でもそれはまだドラゴンが沢山いたころの話です。母さんからは、もうそれに 囚とらわれなくていいと言われていますよ。『人間がそれで助かるのであれば、喜んで乗せるように』と。俺はアランさんを乗せて飛ぶことに全然抵抗はないです」


「おお、そうなのですか。それは嬉しいですね。機会があるかどうかはわかりませんが、そのときはぜひ」

「わたしも空は飛んでみたいと思うなー。気持ちよさそう!」


 三人でそんな会話を交わしていると。


 ――お。


 前方から吹いてくる穏やかな風。

 シドウはその中に、耕された土が持つ独特の匂いが含まれてきたことを感じた。


「畑の匂いが少しする。もうだいぶマーシアの町が近づいてきているみたいだ」

「えっ? わたし全然匂わないけど?」

「ふむ。私も特に匂いませんね」


 ティアとアランが不思議そうに返す。

 どうやら、匂いに気づいたのはシドウ一人だけだったようだ。


「俺、少し鼻がいいみたいなので」

「そうなんだ? 半分ドラゴンだから?」


「そういうことじゃないと思うけど……。人間の範疇でいいというだけだと思うよ。だいたい、ドラゴン姿だったら人間とは比べ物にならないくらい鼻が利くようになるから」


 基本的にドラゴンは鼻の利くモンスターである。

 シドウもドラゴン姿になれば、母親や兄弟たちと同等の嗅覚を持つことができた。


「変身するとどのくらい嗅覚が鋭くなるのですか?」

「そうですね。知っている人、例えばティアだったら、あの湖くらいまで離れて隠れていても、体の匂いで『ティアがいる』と判別可能だと思――」


 シドウは右方向やや遠くに見えている大きな湖を指さしながら、そう説明した……

 と同時に、ティアの荷物袋がシドウの顔に命中していた。


「俺、なんで叩かれたの」

「ヘンタイ!」


 ぷいっとそっぽを向いてしまうティア。

 それを見て、アランが小さく吹き出した。


「やっぱりシドウくんは色々駄目なようですね」




 * * *




 少し歩いていると、眼前の景色に明らかな変化が起きた。


「あ、シドウ。あれ、全部畑だよね?」

「たぶんそうだよ」


 いつのまにか機嫌を直していたティアの質問に、シドウは答えた。


 マーシアという町は、『大陸でもっとも進んだ農業技術』を持っているとされている。

 進行方向の視野左半分に大きく広がる、畑。

 模様に富んだ緑のじゅうたんが、三人にその栄誉を見せつけていた。


「雨少なそうなのに、こんなに畑があるって凄いなー」


 ティアが感想を述べる。


 このあたりは大陸中央に近く、かなり内陸に位置している。そのため、降水量が多いわけではない。

 そして、右手側に見える巨大な海……としか見えないような巨大な湖。その湖水も淡水ではなく塩水であり、そのまま農業用水にすることはできない。


 ティアの言うとおり、一見、農業には不向きな地域に見える。

 実際、歴史上でも永らく本格的な農業は行われていなかったとされている。


 シドウには、修行時代に師匠から教わった知識がある。

 なぜ今この地域が大陸一の農地になっているのか、その理由は把握していた。


「この畑を整備させたのは、魔王軍なんだ」

「え? そうなんだ?」


 驚くティア。

 アランは知識があったようで、わずかにうなずいた。




 マーシアは、魔王軍に占領されていた町だった。


 一見すると農業が困難に見えてしまうこの地域だが、湖に流れ込む川がいくつかあるほか、地下水もきちんと存在している。

 その潜在能力に目を付けていたのは、人間ではなく、魔王軍だった。


 魔王軍はこの町に突然侵攻すると、瞬く間に占領下に置いた。

 そして町の人間を使って大規模な水路を造り、井戸を大量に掘り、灌漑農業をおこなえる環境を整備した。

 それまで放牧や湖での漁業のみで細々と暮らしていたマーシアの町は、一転、広大な農地と大陸一の農業インフラを手にすることになったのである。


 その後大魔王が倒され、この町も勇者パーティによってめでたく解放された。

 マーシアは『開放の町』という称号で呼ばれるようになったが、魔王軍の指揮で出来上がった農地や、占領下で整ったインフラなどは、現在もそのまま残っている。


 皮肉なことに、侵略されたことで豊かな町となってしまったのだ。




「でもシドウ、なんで魔王軍はわざわざそんなことしたんだろうね?」


「アンデッドを除くと、モンスターも自然の生物だから、食べないと生きていけないからね。グレブド・ヘルは気候が厳しいせいで食糧の確保がなかなか難しかったんだ。魔王城も食糧事情が結構厳しかったって、母さんから聞いたことがある。農地を整備すれば、この町だけで魔王城を食わせられるって思ったのかもしれない」


「へー、そうだったんだ……」

「ふむふむ。それは面白い話ですね」




 * * *




 マーシアの町は、町ごとぐるりと、淡い土色の壁に囲まれていた。

 その入り口のところまで、三人は来た。


 入口には警備の兵士が一人……。


 ――!?


 立っていたのは、ブクブクに太っている中年の兵士だった。

 皮の鎧を着けているが、かなりきつそうである。


(あのさ、シドウ)

(何?)

(あの人、ちょっと太り過ぎじゃない? 押したらどこまでも転がりそう)


(確かにそうだけど……。俺と最初に会ったときみたいに、感想を本人に直接言いに行ったりしないでよ?)

(大丈夫大丈夫。あの人はシドウじゃないから。そんなこと言わないって)

(……)


 三人は近づき、兵士に挨拶をした。

 すると、


「おやおや、若者三人だけで来たのかい。珍しいこともあったもんだ」


 そう言って詰所からもう一人、中年の兵士が出てきた。

 その兵士も、同じくらいブクブクに太っていた。

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