第14話 母親

 シーサーペントの子供ピヨピヨと、子供たちが遊んでいた砂浜。

 相変わらず他の人間の姿はない。穏やかな波の音だけが聞こえてくる。


 シドウは浜の波打ち際の近くで、膝を抱えてうずくまっていた。

 隣には、背中をさすってくるティア。


「落ち込むのはわかるけど。男の子なら泣かないの」

「俺、泣いてないけど」

「おんなじようなもんでしょ」

「……」


 結果は、出なかった。

 都市側の態度は想定外で、工場の操業は停止できず。一部の港や工場はシーサーペントの攻撃で壊滅。昨日も今日も死人は発生しているだろう。

 そして、そのシーサーペントも死亡した。


「いつも最高の結果なんて出ないでしょ? だいたいシドウがいなかったらそれこそ大量に人が死んでたんだと思うよ? この都市を救ったんだから、もっと胸張っていいと思うのに」


 ティアはそう言うが、シドウとしてはなんとも言えない喪失感があった。




 しばらく二人で海を見ていると。

 波打ち際に、一匹の小さな動物が姿を現した。


「あ――」

「あら、ピヨピヨじゃないの。まだここにいたんだ」


 ウミヘビよりは太い、青みがかかった灰色の長い体。大きめの頭部。クリクリの、大きいつぶらな瞳。

 最初に会ったときのように、ピヨピヨは体をくねらせながら、二人のほうへ寄ってきた。

 目の前に来て首を立て、目を合わせて「ピヨ」と一回鳴く。


 シドウは手を伸ばさなかった。首を倒して視線を下に逸らせ、またうずくまる。


 すると、ピヨピヨのほうからさらに寄り、膝を抱えているその手の甲を舐めた。

 その舌の感触でシドウがふたたび顔を上げると、今度は右膝から右腕にかけて器用に絡まり、また「ピヨ」と一回鳴いた。


「……ごめんなさい……。謝って済む問題じゃないけど……ごめんなさい」


 シドウがそう声を絞り出すと、ピヨピヨは頬をペロリと一回舐めた。


「あ! ピヨピヨ! おにいさんとおねえさんも!」


 背後から聞き覚えのある声。

 この都市に着いた日にここで会った、そして市庁舎でも会った子供たちだ。

 今日は早い時間に浜に遊びに来ることができたのだろう。六人、寄ってくる。


 リーダー的存在であろうチェック柄ワンピースの少女が、シドウのすぐ横にきて、ピヨピヨの頭をなでた。

 ピヨピヨはその少女の体に乗り移って顔を舐め、集まった子供たちから伸びてきた手も、一つずつ舐めていく。


「パパからきいた。ピヨピヨのおや、しんじゃったんでしょ?」


 少女は少し落とした声で、シドウたちにそう聞いてくる。


「うん……。ごめん……」

「ごめんね。こんなことになっちゃって」

「おにいさんとおねえさんのせいじゃないよ! ね? ピヨピヨ」


 少女はピヨピヨを両手でつかむと、シドウとティア、それぞれの顔に近づけていく。

 ピヨピヨは二人の顔を舐めた。


「ほら、ピヨピヨもげんきだしてっていってるよ」

「慰めてもらっちゃった……ありがとう。ほら、シドウもあんまり暗くなってるとよくないよ。もう泣かない泣かない」

「だから泣いてな――」


 今度は、海のほうで非常に大きな波の音がした。

 このあたりの海はいつも穏やからしいので、明らかにイレギュラーな音。

 この場にいる全員が、一斉に海を見る。


「……!」

「えっ?」


 しかし、驚いたのはシドウとティアの二人だけだった。


 首を出し、そして近づいてきたのは、成体のシーサーペントだった。

 港に来ていたシーサーペントと、同じくらいの大きさ。

 だが頭部にツノがない。しかも全体的に少し丸みを帯びているように見える。


「ピヨピヨのもうひとりのおやだ」


 少女のその言葉で、シドウは理解した。

 死亡したシーサーペントは父親のほうで、いま目の前にいるのは母親なのだ、と。


 その成体シーサーペントは、波打ち際にかなり近いところまで来て、止まった。

 シドウは立ち上がり、吸い込まれるように波打ち際に寄っていった。


「あなたは、母親……なんですね……?」


 魔王軍の共用語でそう問いかけるシドウに対し、シーサーペントは答えなかった。

 ただただ静かに、シドウを見下ろしていた。


「復讐に……来たわけでは、ないんですね……」


 シーサーペントの目に、殺気などはなかった。

 むしろ、上から包み込むような、温かく穏やかな瞳だった。


「俺は、どうすれば……いいんですか」


 シーサーペントはその質問にも、そのまま見つめているだけだった。

 しかし、


「お願いします。教えてください」


 という懇願を聞くと、口を動かした。


「あとは――」


「あとは……?」


「頼む――」


「……!」


 シーサーペントは共用語でそれだけを言うと、今度はシドウから少し後ろに視線を外し、小さな声を上げた。

 すると後ろからピヨピヨがやってきて、シドウの右手をペロリと一舐めすると、海にいるシーサーペント――おそらく母親の元に、戻った。


 そして、親子そろって、波打ち際から離れていった。

 いつのまにか波打ち際にやってきていた子供たちから、「バイバイ」「またね」と挨拶が飛ぶ。


 ピヨピヨはそれに対し、振り返って小さくジャンプすることで答えた。




「そうか……」


 シドウは一つの結論に達した。


「ティア」

「うん?」


 ティアも立ち上がっており、シドウのすぐ後ろにいた。


「これから市庁舎にもう一度行ってこよう」

「いきなりどうしたの」


 このあとは、少し休んだらこの都市から出発することになっていた。当然ティアは驚いている。


「港に現れたあのシーサーペント、最初から……暴れて死ぬつもりだったのかもしれない」


「え? 自殺ってこと? 動物が自殺なんてするの」

「基本的にはしないけど、種族保存の本能はどの動物にもあって、それはとても強くて、個体の保身よりも優先されるものだ――と、師匠から教わった」


 例えば、ある種の蜂は集団を助けるために個体が決死の攻撃をして、死ぬ。

 個のレベルでは、生還の見込みがないのに突っ込んで死ぬというのは不合理である。だが、いくつかの個体が華々しく死ぬことで集団が守られるのであれば、全体で見れば合理的と言えないこともない。


 昆虫である蜂が、自己犠牲の美学を持っているわけではない。だが、種族保存の本能による見えない力で、蜂の個体はそのように行動する意思を持つよう仕組まれている。

 今回、それと同じようなことが、よりスケールを大きくして起きたのではないか。


「つまり、工場の毒の情報を入手して、そして実際に水を確認したとき……シーサーペントの本能が、その毒を『種の存続を脅かすもの』と認定したんだと思うんだ。『こんなものが色々な川から海に流れるようになってしまったら危険』とね。

 あのシーサーペントは『昔から浜を使っているのは自分たちのほうだ』と言っていたけど、そのような感情すらも、見えない自然界の大きな力によって生み出されていたものなのかもしれない。

 そして種族の未来のため、『命と引き換えに、人間に対し抗議と警告をする役』をやることになった――」


「むー、なんか難しいね。でもシドウ、さっきのシーサーペントは? ピヨピヨの母親だと思うけど、別に戦いに来たわけじゃなかったよね?」


「うん。戦うために来たわけじゃなかった。それは、母親がいないとピヨピヨが生きられないからだと思う。それも、種族保存の本能が、復讐よりも子供を生かすことを優先させたんだ」

「なるほど……」


「だから俺らが、一番近くで見た俺らが、あのシーサーペントの死の意味を都市側に伝えてあげないといけないと思う。しっかり伝えて、こういう事件が二度と起きないようにしないといけない。そうじゃないと浮かばれないよ。

 命をかけて演じた役……果たさせてあげないと」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る