第2話 自然地理

 チェスターの町に一番近い森。


 鬱蒼とした暗い森ではない。上を見上げれば木漏れ日が眩しい。

 葉の緑も若々しく、息を吸うと爽やかな森の香りが全身に染み渡る。


 ここは普段、強いモンスターが出ることはない。

 ゴブリンなどの下級モンスターが増え過ぎて討伐の依頼が出ることはあるそうだが、それを受けて討伐に訪れるのは主に初級冒険者である。上級冒険者のシドウにとっては、仕事上あまり縁のない森と言ってもいい。


 ところが、この森のやや奥。以前木こりたちが使っていたという宿舎の廃墟。

 そこでつい数日前、アンデッドモンスターらしきものが一匹目撃されたという情報があったのだ。


 今回受けた依頼の内容――。

 それは廃墟の調査、およびアンデッドがいた場合はその討伐だった。




 シドウとティアが奥の廃墟を目指して歩いていると。

 前方に、人間の子供ほどの背丈をしたモンスターが二匹出現した。


 頭部は比較的大きめであり、体色は緑色。そして粗く削られた木の棍棒を持っている。

 ゴブリンだ。


 籠手爪を構える音。

 ティアは瞬時に戦闘態勢をとったようだ。


 しかし隣を歩いていたシドウは、「俺がやるから」とそれを制し、腰の剣を抜いた。

 そして「え? なんで?」と戸惑う彼女を置いて、一人でゴブリンに向かう。


 近づいてくるその姿に気づいたようだ。ゴブリンが棍棒を構え、接近してきた。

 ゴブリンはあまり素早いモンスターではない。

 シドウは一匹目に対して踏み込むと、棍棒を振りかざそうとしたゴブリンの右前腕に攻撃を与えた。


 うめくゴブリン。

 手から棍棒が落ち、地面に積もっている枯れ葉の音がした。


 その間に距離を詰めてきていた二匹目のゴブリンが、棍棒を振り下ろしてくる。

 シドウは後ろへの跳躍でかわすと、ふたたび踏み込み、右上腕に斬撃を命中させた。


 それぞれ攻撃が命中したはずのゴブリンだが、腕が切断することもなければ、血が飛び散ることもなかった。

 二匹とも反対の手で命中部位を抑えながら、どこかに走り去っていく。


「あれ? どうなってるの?」


 その様子を訝しく思ったのだろう。ティアが近づいてきて疑問を口にした。


「この剣、片刃なんだ。今のは背のほうで攻撃した」

「あ、本当だ! 片刃の剣なんて珍しい。でもなんで刃のほうで斬らないの?」


「そっちで斬ると、死ぬから。今回の依頼と関係ないし、別に殺さなくても」

「……ふーん」




 その後はモンスターの出現がなく、ひたすら二人並んで歩くことになった。

 ティアは退屈したのか、「海の話の続きが聞きたい」と言い出した。ギルドで話していたときに保留していた、海の中についての話のことだ。


 海の底も陸上と同じように山や谷があり、火山活動すら存在すること。固体である岩石も長い年月で見れば液体のような振る舞いをするので、きっと海底は動いているであろうこと。理論上では海嶺――海の中の山脈にて地面が生まれているであろうこと。海溝は逆に地面が沈み込んでいる海の墓場であろうこと。

 そのようなことを、シドウは詳しく説明していった。


 ティアは初めて聞く話であるためか、ときおり質問を挟みながら、興味深そうに聞いていた。


「面白かった! なんでシドウはそんなことを知ってるわけ?」

「師匠から教わったんだ」

「誰なの? 師匠って」

「大陸最南端にペザルという港町があるんだけど、そこのピーターという先生」

「聞いたこともないけど。有名な人? どんな武術が専門の先生だったの?」

「自然地理学」


 そう答えた瞬間に、ティアの首が進行方向からシドウのほうに勢いよく回転した。


「は? 何それ?」


 表情も怪訝なものに様変わりしている。


「地形学や気候学、動植物の生態学などをひっくるめた学問。あ、でもあの先生は他にも色々やっていて、古生物学や物理学も――」

「じゃなくて。それ武術と関係ないじゃないの」


「師匠は学者だから」

「なんで冒険者になるのに学者に弟子入りするの? 変なの」

「十歳のときに、母さんにそうしろって言われてね。そのとおりにした」

「うわあ、服ダサい上にマザコンかー。最悪!」

「……」


 シドウが黙っていると、ティアはクスッと笑い出した。


「何かおかしい? ティア」

「ギルドでもそうだったけど、バカにされても怒らないよね。冒険者って、プライド傷つけられるとすぐ喧嘩になるのに」

「少しムッとしているつもりだけど。そう見えない?」

「全然!」


「あっそう。まあ、俺は母さんから『どんなときでも人間の味方を』と言われているから」

「またお母さんかあ……。でも、地理学って地名を覚えたり町の特徴とかを勉強するものだと思ってた。それだけじゃないんだね」

「そっちは人文地理学のほう。同じ地理学でも違う」


「へえー。でもその人文地理学というやつのほうが冒険者としては役に立ちそうだけど。自然のことなんて勉強して何か役に立つの?」

「わからない」

「え、わからないんだ?」


「うん。やっぱり、わからないな。今わかっているのは、そういう大きなことを勉強していると、些細なことが割とどうでもよくなるっていうことくらい。たとえば、同い年の冒険者にバカにされても殴りたいとまでは思わない、とか」


「あ、今わたし、嫌味を言われた?」 

「いちおう言ったつもり」

「うふふっ」


 なんで嬉しそうなんだ――シドウは突っ込もうとしたが、その前に森の道は終わり、視界が開けた。


「あ、着いたな……廃墟だ」

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