お帰り、切り裂きジャック
零壱
本編
昔、とある小さな町で起こった奇妙な事件。
たくさんの女の人が体をバラバラに切り裂かれて殺されてしまった。
事件を調査している警察のもとに届けられた一通の手紙。
その手紙はこの事件を起こした犯人から送られたもので、差出人は“
結局、警察は犯人を見つけられないまま、百年以上の月日が経った。
切り裂きジャックはどこへ行ったのか。それを知る者は誰一人いない。
私たちが知っているのは、この程度のこと。
たしかに「犯人はユダヤ人だ」とか「実は複数犯だった」とか知ったかぶる人は少なからずいるし、私たちがその他のことを調べようと思えば「史上初の劇場型犯罪」だったことを知ることが出来る。
でも、普通に生きている私たちにそんな知識は必要ないし、ましてやただの人殺し――それも女性だけを狙った下劣な奴――について興味なんて微塵もわかないだろう。
はっきり言って、この程度すらも知っているのが不思議なくらいだ。
だというのに、私たちはこの下劣で卑劣で愚鈍な殺人鬼のことをほんのちょっとは知っている。
なぜ、と疑問に思ったことはないだろうか? きっとあるにはあるはず。でも、すぐにどうでもよくなったに違いない。理由は言わずもがな。
切り裂きジャックのことを知っている理由。それも誰かに教えられていなくてもちょっと考えればわかることだ。
もしわからないと思ったのならヒントをあげよう。――切り裂きジャックは史上初の劇場型犯罪だ。
もうわかったはずだ。じゃあ、答え合わせだ。
切り裂きジャックのことをどうして私たちは知っているのか。
それは、私たちが切り裂きジャックという劇を楽しんでいるからだ。
どういうことなのかわからないことはないと思う。
でも、きっと理解しづらいと思う。
だから、ちゃんと教えよう。
たとえば、私たちは本を読む。この本は小説でも漫画でも、あるいは絵本でも構わない。
もしくは、私たちはゲームをする。これもなんだって構わない。
とにかく重要なのは物語を体験できるものだから。
そう、それは劇場も同じだ。
どのような手段――読書、ゲームその他もろもろ――であれ、私たちはその中にある物語を体験することが出来る。
物語を体験することで、私たちはその知識を得ることが出来る。
その登場人物の感情や行動を知ることが出来るし、その舞台の背景や状況を理解することが出来る。
もちろん、それ以前に私たちはその物語を体験して笑ったり、怒ったり、泣いたり――そうやって楽しんでいる。
物語を体験するというのは、私たちにとって楽しいこと。
それは間違いないこと。誰だって理解できるし、揺るぎない事実だ。
そして、より優れた――つまりより多くの人々に楽しまれた物語は後世にまで語り継がれる。
物語は世界のあちこちに数えきれないほど存在するけれど、人々がとても楽しんだものは世界中で知られている。
童話が最も良い例だろう。
桃太郎、竹取物語、舌切り雀、猿蟹合戦……赤ずきん、白雪姫、
どこで知ったのか、どれだけ覚えているのか。そんなことはどうでもいい。大事なのは、これらの物語を私たちはどこかでいくらか知ったということ。
語り継がれる以上、その物語は少し変化してしまっているかもしれない。
伝言ゲームと同じ理屈だ。
本質が変わってしまったりするかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
赤ずきんが本当は狼に食べられて終わりだったはずが、後世では狩人に助けられた赤ずきんが狼に復讐するように。
悲劇は月日が流れて、いつの間にか喜劇になっているかもしれない。
あの事件が起こってから百年以上も経った。
今でも謎は解明されていなくて、事件の起こった場所では今でもその恐怖を思い出す人がいる。もちろん、それは親から語り継がれた子どもだろうけど。
でも、一方で世界の名だたる名作家から素人以下の無名物書きまで、だれかれ構わず事件を題材にした物語を作っている。
人々を楽しませる作品を作るにあたって、犯人が楽しむことを目的にしている劇場型犯罪は最高の題材だ。
切り裂きジャックというキャラクター、切り裂きジャックという事件。
不完全な部分を補って、魅力的な部分を継ぎ足して、そうやって作られた物語を私たちはどこかで、どのようにかして知ることになる。
私たちが切り裂きジャックを知っている理由。
それは、私たちがその事件を楽しんでいるから。
そして、楽しいことは自分でもやってみたくなるものだ。
創作家たちが自分の作った物語として彼を取り込んだように、私たちもまた彼の真似をしてみたくなる。
だから、犯罪はなくならない。だって、面白そうなんだもん。そうでしょ?
そうやって現れた下劣で卑劣で愚鈍で、しかし面白い犯罪者たち。
私は彼らを見かけると、こうやって呼びかける。
お帰り、切り裂きジャック。
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