君のいる世界といない世界

 通夜で見た、遺影は。


 昨日僕が助けたはずの、彼の姿だった。


 いや。


 昨日僕が助けた、彼だった。


 助けた、はず、じゃ、ない。


 助けた。


 ・・・・・・・はず、なんだ。


 目の前の光景が、信じられなかった。本当に、生きているはずの人間の通夜が執り行われていると感じてしまった。だけど、そう思っているのは、僕だけだった。誰もが誰も、彼の死を悼んでいた。


 僕だけが。


 その死を、疑っていた。


 これから告別式をやって、葬式をやって、彼の体が焼かれてしまうかと思うと、胸が締め付けられそうになる。


 僕は一体、何のために頑張った?


 一体。


 何のために。


 こんな。


 こんな悲しい顔をする人たちを見るために、頑張ったって言うのか?


 ・・・・・・・・。


 間違っても。


 斉藤さんの顔だけは、見られなかったけれど。


 心ここに在らずのままに淡々と通夜をこなし、気が付けば僕は、沙夜と一緒に帰り道を歩いていた。何一つ心を込めることができないままに、彼の通夜を終えてしまった。


「あんなにもお若い子が亡くなってしまうなんて、本当に辛いです。一体、何と言葉にすればよいのか・・・私には分かりません」


「・・・・・・そう、だね」


「どうして人の死とは、こんなに悲しいものなのでしょうか」


「・・・もう二度と、会うことができないからだと思うよ」


「・・・そう、ですよね。失った命は、戻ることはないのですよね。・・・でも、それならば私は一体どうして、もう一度命を与えられて生きているのでしょう・・・」


「・・・・・分からないよ」


 分からない。


 もう、何もかも。


「・・・・・」


「・・・・・」


 結局、それ以上の会話はなかった。通夜の後にお喋りできるほど無神経ではなかったし、僕はもう、まともに喋る気力さえなかった。


 折角、沙夜のいる一日だったのに。楽しい一日に、楽しい休日になると思っていたのに。無為に、今日が終わってしまった。


 明日はまた、沙夜がいなくなってしまうのだろうか。


 嫌だった。


 憂鬱だった。


 悲しかった。


 ・・・。


 ・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・。


 ・・


「―――ワン!」


「――――――――――――――――――――――」


 息を、飲んだ。


 止まった。


 足が。


 時間が。


 何に?


 何に。


 声に。


 鳴き声に。


 何で?


 何で。


 何でって。


 それは。


 それは――――――。


「あ、フィルちゃん。今日はちゃんと、家にいるみたいですね」


 ・・・・・・・・・・・。


 今日は。


 ちゃんと?


 何が、いるって?


 視線をずらす。その方向に。沙夜の見る方向に。その鳴き声のする方向に。


 ・・・・・かずき君の死を知った時。でてきた感想は「信じられなかった」だ。通夜に出席しても、それは変わらなかった。生きているはずの人が死んでいることが、受け入れられなかった。


 もし。


 その言葉を借りるなら。


 今。


 僕の中にある感想は。


 信じられなかった。


 死んでいるはずの生き物が、生きていることが。


 受け入れられなかった。


「・・・・・・・・・は」


 僕の目の前にいたのは。


 昨日、死んだはずの。


 僕が、助けられなかったはずの。


 犬だった。


 フィル、だった。


「・・・・・・・・」


 ぐらりと、眼前が歪む。


 もう、何が、どうなって、どうやって、どうなった?


 訳が、分からない。


「もう家族のみんなを困らせちゃ駄目ですよ」


「ワン!」


 沙夜はその犬に近付き、頭を撫でる。昨日僕がそうしたように。フィルは嬉しそうに、尻尾を振り回した。


「・・・・・沙夜」


「はい、旦那様。どうなさいましたか?」


「昨日、僕らって、何、したかな」


「・・・・・え?」


「昨日は、散歩に、行ったかな」


「・・・はい、お約束でしたので、私が旦那様に村を案内して差し上げました」


「神社には、行ったかな」


「ええ、参りましたよ」


「それで、どうしたかな」


「どうした、と仰いますと?」


「その時、フィル、は、いた、かな・・・何を、どうしたっけ、かな」


「・・・旦那様?」


 震えた声で、僕は喋り続ける。


「どうして沙夜は、フィルを、知ってる、の?」


「・・・昨日神社で、お見かけしたからでございます。お見かけして、飼い主様がいらっしゃらないようでしたので、旦那様と一緒にお探ししました。・・・覚えておられないのですか?」


「探して、どうしたっけ」


「首輪に飼い主様のお名前が書かれておりましたので、無事飼い主様を見つけることができました。そしてその方にフィルちゃんをお渡ししました。雨が強く降っておりましたので、その後はすぐに家に戻りました」


「・・・・・川沿いは、歩かなかったかな」


「思った以上にお荷物の整理に時間がかかってしまったせいもあって、そちらの方へは時間がなくて行けませんでした。また今度の時にしようと、そうお約束しましたが・・・」


 ・・・・・荷物。


 そういえば、玄関が・・・。


 じゃあ昨日、僕は、川沿いを歩かなかった?だから、かずき君を助けることができなかった?


 ・・・・・ふいに、左腕を見た。何故そうしたかは分からない。だけど僕の中にある本能が、そうさせた。


 そこに。


 そこにあったはずの傷は。


 昨日流木でつけたはずの傷は。


 跡形もなく、消え去っていた。


 待て。


 待て待て。


 待ってくれ。


 立っていられなくなり、僕は塀に手をついた。


「だ、旦那様!?どうなさいましたか?お気分が悪いのですか?」


 沙夜は僕に擦り寄って背中をさすってくれる。だけど今の僕には、何の効果もなかった。


 沙夜が。


 沙夜がいたら。


 沙夜がいたら、フィルの飼い主を探そうとした?


 沙夜がいたから、フィルは死なずにすんだ?


 だけど、だから。


 その代わりに、かずき君を助けることができなかった?


 かずき君が溺れていることに、気が付けなかった?


 川沿いを、歩かなかったから。


 沙夜が。


 沙夜が、いなかったら。


 かずき君は死なずにすんだ。


 かずき君を、助けることができた。


 だけど。


 フィルを、助けることができなかった。


 フィルを、飼い主のもとに帰してあげることができなかった。


 つまり。


 そういうことか?


 そういうこと、なのか?


 じゃあ、そんなの・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 命。


 だって、人は。


 一番。


 でも、


 犬だって。


 人によって。


 そんなの。


 だからって。


 馬鹿。


 お前。


 何、考えてんだ。


 命なんて、比べるものじゃないだろ?


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 いや。


 だって。


 でも。


 どう考えたって。


 人と。


 犬と。


 どっちかなんて。


 そんなの。


 答えは、決まってるじゃないか。


 ・・・・・・・・・・・・・・・じゃあ。


 じゃあ。


 決まりだろ?


 


 


 それなら。


 そう言うのなら。


 沙夜は。


 彼女は。


 いないほうが、よかったってことだろ?

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