猫は家につく

青葉 千歳

1章 不連続時間

家路

 ある意味都会の喧騒よりも煩い蝉の鳴き声を聞きながら、僕は目的地を目指して歩いていた。左を見れば林、右を見れば田んぼ。こういうのを何もないと表現するものかと、些か疑問に思ったりした。


 もしかしたら何もないのは、都会の方なのではないだろうか。


 なんて哲学を自分に投げかけるあたり、大した暇人である。とはいえ歩く以外にすることがないので、それを暇と表現するのなら間違いではないのかもしれない。


 まあ歩くだけというのも、なかなかに大変ではあるのだが。


 目的地までの距離は、大したものではない。多分。それでも僕が電車から降りて五分で歩くことにうんざりしているのは、僕の肩に負担をかけてくる荷物のせいだった。


 僕はこの時、カバンを二つ背負っていた。正確には一つを背負い、もう一つは右肩だけに引っ掛けていた。どちらも背負うタイプのカバンのため、非常に不安定だ。必然、右肩に掛けたカバンが落ちないように右肩を上げて歩く。それもまた、歩く気力を元気よく削いでくれる。


 一つには衣類が、一つには生活必需品(僕調べ)が入っている。それだけ聞けば大した重さではないように聞こえるかもしれないが、どうやら必要以上に必需品を詰め込んでしまったようだ。後々引越し業者の人が家の方に荷物を届けてくれることを考えれば、本当に必要なものを除いて全て預けるべきだった。それでこその必需品だろうに。こういうのを何と言うんだったかな。取らぬ狸の皮算用?いや、多分全然違う。


 ・・・あっつ。


 と、言いたくなったが、言ったところでどうしようもないと言葉を飲み込んだ次の瞬間。


「あー、あっつ・・・」


 結局無意識に言葉が出てしまった。しかし言葉を飲み込んだ時に思った通り、呟いたところでどうにもならない。むしろこの暑さを再確認する羽目になって最悪である。その呟きもすぐに、蝉の鳴き声に掻き消された。


 その後しばらく歩くと、ちらほらと民家が見えるようになってきた。だが、目的地がもうすぐなのか、まだ先なのか、いまいち分からなかった。


「こっちだったかなぁ」


 分かれ道に差し掛かるたびに、僕はそう呟いた。しかし一向に見覚えのある風景を見ることができない。ここまで幼い頃の記憶を頼りに歩いてきたが、どうもこの調子では辿り着けそうにもない。体力の限界、とまでは言わないが、一刻も早く腰を下ろして一息つきたかった。


 誰かに道を聞こうかとも思ったが、残念ながらこんな平日の昼間に外を出歩いている人はいない。出会うとしたら買い物にでも出かけた主婦、もとい主夫くらいのものか。


 仕方なく僕は携帯電話を取り出してマップを開いた。全く、なんとも素晴らしい技術である。こんな便利な世の中でいいものか。ここに来ようと決めた時、携帯電話を使わない生活も考えたが、やはり一度便利を知ってしまうと後には戻れないようだ。そもそも通っている大学は都会にあるので、すぐに連絡が取れないと非常に困る。困るというか生きていけない。


 ・・・・・。


 生きていけない、か。


 馬鹿げた話だ。


「・・・って、そんな細かいところまで載ってるわけないか」


 マップを開いたはいいが、こんな僻地では細かい番地まで記載されていなかった。道や民家の位置は分かるものの、そもそも目的の民家がどこにあるのか分からないので意味がなかった。


「参ったなぁ」


 どうしたものかと立ち竦んでいたら、ありがたいことに人が通りかかった。僕の予想通り、まさに買い物帰りといった主婦である。果たしてこんな僻地に買い物ができるところがあるのかは甚だ疑問ではあるが、そんなことは今はどうでもいい。


「すみません、ちょっと道をお訪ねしたいのですが」


「はいはい、どうしたの?」


「この辺に桐敷きりしきって名前の家があると思うんですが、どこだか分かりますか?少し前まで老夫婦が暮らしていたはずなんですが」


「桐敷?ああ、桐敷さんね、知ってるよ。この先の道を真っ直ぐ行って分かれ道を左に曲がれば、そのうち大きな家が見えてくるから。そこが桐敷さんの家よ」


 そう言ってその人は僕が来た道を指差した。どうやらさっきの分かれ道で逆の方へ来てしまったらしい。このまま真っ直ぐ行っていたら面倒なことになっていたかもしれない。


「そこの分かれ道まで一緒の方向だから、一緒に行くかい?」


「ありがとうございます」


 お礼を言って、僕はその人の隣に並ぶ。


「荷物お持ちしますよ」


「あら、ありがとう。でも大丈夫よ。そんなに持てないでしょう?」


「大したことありませんよ、これくらい。そこまで重くないですし」


 嘘である。


 さっきまでヒイヒイ言っていたのはどこのどいつだ。


「そうかい?ありがとうねぇ」


「いえいえ」


 手に持っていたビニール袋を受け取ると、予想以上の重さに眩暈がした。とんだ馬鹿である。


「はぁ、うちの子もこれくらい気配りができて優しい子だったらねぇ」


「あはは、そんなことないですよ。きっとお子さんも誰にだって優しくしてあげてると思いますよ。親御さんに優しくできないのは、照れ臭いからですよ」


「そうなのかしらねぇ」


「そういうもんです。特に思春期の子なら」


「まったく、今すぐ優しくしてほしいわぁ」


「あはは。きっといつか、親のありがたみに気付きますよ」


 親のありがたみというのは。


 大人になってから、ようやく気付くことができるものだ。


 大人になってから。


 親が、いなくなってから。


 ・・・・・・・。


「そういえばあなた、桐敷さんの家に何のご用なの?よくよく考えてみれば平日なのにこんな何もないところに来て・・・学校はないの?」


「学校はありますが、大学生なので。一度くらい休んだりしても問題はないです」


 正確には今は休学中で、大学に行く必要がないだけなのだが。


「そうなの。じゃあどうしてわざわざ大学を休んでまでこんなところに?」


「実は僕、桐敷優人ゆうとと言いまして」


「あら」


「ここに住んでた桐敷宗栄そうえいと桐敷多恵子たえこは、僕の祖父母なんです」


「あらぁ、そうだったの」


「僕の祖父母のこと、ご存知だったようですが・・・」


「知ってるわよぉ、お世話になったもの。亡くなったのは本当に残念だったわ。村のみんなも桐敷さんにはお世話になっていたから、みんな残念に思ってたわ」


「そうでしたか。それは何というか、祖父母がそんな風に思ってもらえていたなんて、嬉しいです」


「そう、あの桐敷さんのお孫さんだったのねぇ。どうりで優しいわけね。あはははは」


「はは、やっぱり血ですかね」


 あんまり自分で、意識したことはないけどね。


「それで?今日はお祖父さんとお祖母さんのお墓参り?こっちの方にお墓あったのかしら」


「いえ、そういうわけではなく・・・実は、今日は引越しで」


「引越し?」


「ええ、祖父母の家に住もうかと」


「あらぁ!そう!それは嬉しいわぁ。よろしくねこれから」


「こちらこそよろしくお願いします」


「でもどうしてわざわざ?大学も遠いし不便でしょう?」


「まあ、その・・・・・気持ちを切り替えたくて」


「・・・?そうなの」


 気持ちを、切り替えたくて。


 この気持ちを、どうにかしたくて。


 ・・・・・・・。


「そんなわけですから、今後ともよろしくお願いします」


「困ったことがあったらなんでも言ってね、力になるから。あ、うちは斉藤さいとうって言うの」


「ありがとうございます」


 そこで一瞬会話が途切れる。丁度そのタイミングで、目的の分かれ道に差し掛かった。


「それじゃあね、私こっちだから。荷物持ってくれてありがとうね」


「よければ家まで運びましょうか?」


「いいのよそこまでしなくても」


 今度は斉藤さんが僕の手からビニール袋を受け取る。手にかかる負担が消え僅かに楽になった。


「桐敷さんの家はこの道をしばらーく真っ直ぐ歩いたところにあるから。途中民家がなくなるけどそれでも真っ直ぐね。そうしたら大きな家が見えてくるから」


「はい、色々ありがとうございました」


「こちらこそ荷物を持ってくれてありがとう。じゃあね」


「ええ、では」


 そう言って、僕は斉藤さんと別れた。

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