第10話 ノート
小学校の授業は正直言って退屈だ。某探偵漫画の主人公の気持ちがよく分かる。なので、仁に色々教えている。その内容は足し算から日本や世界の歴史まで幅広く、おかげでノートはよく分からないことになっている。別に俺は悪いと思わない。そもそもみんな同じことをしろというのもおかしい話だ。
担任教師が白い目で見てきても仕方ない。
「おーい、何をしてるのかなー?」
眉をぴくぴく動かして、腰に手を当ててこちらを脅してきても残念ながら俺には全く通用しない。
「勉強です」
変に目をつけられて由利に報告されるのも気がひけるが、分かりきっていることを真面目に聞くことほど苦なことはない。理解力がある方の仁だってすでに今の学習内容は把握している。正直、俺が教えた方が早い。
「今は国語の時間なんだけどなー?」
ひらがなを書く授業のようだが、課題は事前に終わらせてあるし、問題はないはずなのだが。
「……みんなでやろうね」
すでに終わらせてあるドリルを見て、担任教師は呆れ顔で戻っていった。
そしてそのことはやはり、由利にバラされたらしかった。だが、由利は怒ることなくノートを見せて、と言った。
俺は少し慌てた。小一のノートに漢字が書いてあったりなどすれば、すぐにバレてしまう。
「……はい」
隠していたものを出すように言われたような気分で俺は、あるノートをごく自然に差し出した。絵とひらがなしか描いていないものを選んだのだ。
「魚、描いてたんだ。名前も書いてあるね。すごい」
そう、これは釣りに関するノートである。一応、他の教科とノートを分けておいてよかった。
由利は目を輝かせて、じっくりと見ている。
「誰に教えてもらったの?」
「おじいさんだよ、いつも会ってる」
つまり親父のことだが、まあ、間違えてはいない。幼い頃教わったのは親父だからだ。それに最近、親父に会う目的で外に出ることが増えたのを由利は知っている。
「そう」
目を細め、楽しそうにそれを見るのはなぜだろう。そんなに面白いことが書いてあっただろうか。
「よく覚えてるんだね」
「う、うん」
過去それを生業としていた自分にとっては当たり前なのだが、確かに仁としては優秀に見えるのだろう。小学校一年生で魚の名前を全て言える子どもはほぼいないと言っていい。しばらく、ペラペラと紙をめくる音が続いた。ずっと由利の方を見るのも変だろうと俺は周りを見回す。他の三人ともがまだ帰宅していないので、家は静かだった。
「……でも、海には気をつけてね」
だから、突然呟かれたその言葉にも敏感に反応してしまった。
「前のお父さんは、お酒を飲んだ帰り道にいなくなったの。帰り道は海のそばで……もしかしたら、溺れちゃったのかもしれないって…思ったら怖くなるの」
どうやら、死んでしまったのかもしれないとは思っていたらしい。その予測が、子ども達さえも海から遠ざけているのかもしれないと思った。
全て、俺のせい……か。
家族が気まずいのも。由利が心配性になるのも……全て、俺のせい。
そうやっていくら自責の念に囚われても、この状況を変えられないのは知っている。だけど、俺のせいだというのも変わらない。
俺が死ぬということは、こんなにも重く周りの人達にものしかかっている。そのことを改めて実感して、どうしようもなく悔しくて。
『同じこと言ってばっかりだよ、父ちゃん』
仁の言葉にはっとする。
『まだ僕は小さいからわからないけど、くよくよしてても嫌われるだけだって、父ちゃん教えてくれたよね』
そうだ。もし、俺がこうやってくよくよしてると由利が知ったら、怒って愛想を尽かすだろう。
昔からくよくよすることを嫌い、真っ直ぐに生きてきたのだ。
そんなところを好きだと言ってくれた由利の気持ちに応えよう。
『…ありがとな』
小恥ずかしいけれど、今回は仁に助けられてしまった。
『大丈夫だよー』
そんなこんな心の中で会話しているうちに、咲良が帰ってきた。由利は夕ご飯を準備するためノートを閉じて立ち上がる。
「また見せてね」
そしてそう言って笑ってから、去っていった。
「なになにー?」
咲良がこちらに駆け寄ってきて見せるよう言ったけれど、俺はそれよりも先に片付けてしまった。
「何よー!」
それに対して咲良は怒ったけれど、どうでもよかった。
心なしか、頰が熱くなったように思えた。
これは、俺と由利の内緒なんだから。
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