第9話 小学校
もうすぐ四月。ついに小学校に入学することになった。
かつて俺が通っていた分校は少子化の影響でなくなっていた。ただ建物自体は潰れておらず、史料館となっていた。
なんとなく寂しくて、そして嬉しくもあった。多分こんな風に思うのは俺だけだろう。
とにかくそういうことで本校に通うのだが、毎日徒歩にしては長い距離を移動しなくてはならない。
なので、一年生にしては少し早いが自転車を買ってもらい、練習をした。
まあ、俺がいようとこけるのはこけるのだ。
身体が慣れていないし、無理はない。
『できないよぉ〜』
最近、もう一人の自分が心の中ではあるが声を出すようになった。初めての時はもうちょっと、お互い緊張感があったんだがなあ……。
あの時は、突然だった。
『……え?』
突然、そんな声が聞こえてきた。なんだこれは、と思ったが、この高い声、そして感じる気持ちの変化から見て、この声の主はこの身体の主、仁であることは間違いなかった。
俺はその時、ちょうど念じるようにこの身体に語り掛けていた。それもちょうど、自転車の練習をしていた時だったか。こけるな、こけるなと念じていた。それがまさか聞こえているとは、そして返って来るなんて思いもよらなかった。
『だれ?』
純粋無垢なその声が、そう問いかける。
『俺は、お前の兄ちゃんや姉ちゃんの父ちゃんだ。訳あってここにいる。これからもよろしくな』
そう言ったとて、すぐに納得するはずはない。
『兄ちゃんや姉ちゃんの父ちゃん……?』
きょとんとした様子だが、この年の子どもに事情を説明したとて理解することはできまい。
『ああ、そうだ。そして、俺がここにいるのは、お前と俺だけの秘密だ』
『……わかった』
なぜ、仁がこんなにも早く理解したのかは俺にもわからない。だけど、もしかすると仁本人も何か感じていたのかもしれない。
『父ちゃん、助けてよぉ〜』
時々、ふざけたことを言うので殴りたくなる。
『お前の父さんじゃないっての』
『でも、兄ちゃん姉ちゃんの父ちゃんなんだからその弟の僕の父ちゃんだろ?』
『お前には智という父親がいるだろうが』
『じゃ、父ちゃんって呼ぶからね』
聞いてない。全然聞いてない。というかこいつ、智のことをどう呼ぶつもりなのだろうか。
まあ、そんなこんなあってお互い支え合った練習の成果あって自転車にも乗れるようになり、ランドセルも買って、準備は整った。
そして入学式の日は来た。
「はじめまして。これからこのクラスを担当する吉田です。よろしくね」
担任教師、本多皐月は元同い年だった。元々同じ街に住んでいて、同じ分校で学んだ仲間だ。
それがどうして分かったかというと、女子の中では唯一の大学進学をし、教員免許をとったからである。しかしまさか、こんな所で働いているとは思いもよらなかった。もしかしたら近くに住んでいるのかもしれない。
クラスメイトは緋夏をはじめとした女子十五人と男子十五人で、分校時代を生きていた俺としては突然三年生になった時を思い起こされる。かつてはこの多くなった教室で由利、智ら分校メンバーで固まっていたりしたものだったが、今はまだそのような雰囲気はない。町の方には幼稚園があるので少し固まっているような気もするが。
緋夏は早速前の席の女子から話しかけられ、楽しそうに話している。俺はといえばまだ誰とも話していない。というのも。
『なあ、父ちゃん。なんか話してよ』
『ダメだ。それじゃ意味ないだろ』
『だってなんて話したらいいのか分かんないし……』
もう一人の自分、自称息子が話す勇気を持てずにいるからである。
『前に緋夏と話しただろ。それを思い出せ』
『最初は父ちゃんが話してくれたし……』
『だから思い出せって言ってるだろ。大丈夫だ。よほど変なことを話さない限り向こうは返してくれる』
『……けど……』
ああ、面倒くさい。
『そんなメソメソしてたら嫌われるぞ』
思わず言ってしまった一言が幸い、仁に勇気を与えたらしかった。
『……うん、僕頑張ってみる』
その言葉に安堵する。
『頑張れよ』
俺は保護者目線で見守ってやることにした。そしてとりあえず適当に、目の前の男子の肩を叩いたー。
入学式が終わり、帰り道である。隣には由利がいるが、まずは自称息子に話しかけてみる。
『楽しかったか』
自称息子、というよりこの身体は既に自転車に慣れ、安全運転がなされている。少しまだふらふらするのはご愛嬌だ。
『楽しかった!』
念のため、この会話は由利には聞かれてはいない。なぜなら心の中での会話だからだ。
『ならよかった』
あれから楽しそうに会話が続き、彼には一人の友達ができた。そいつはどこか智に似ているような活発な奴で、扱いやすかった。
明日から一緒に遊べるとのことで、自称息子は浮き足立っているのである。
「楽しかった?」
由利が笑いながら言った。
「うん、楽しかったよ」
これは仁としても俺としても変わらない。久々のこの感じを味わえるのは、生まれ変わった者の特権だ。
ただ……少し……。
「少し寂しかったけどね」
仁が勝手に言葉にしてしまう。俺は仁を殴りたくなった。仁は心の中で笑っていた。
由利は少し驚いてから、笑った。
「お母さんも寂しいな……でも、これから楽しいことが待ってるから、そのお話を聞くのも楽しいよ」
そうだな、と俺は心の中で同意する。なんやかんや言ってこの生活は楽しい。何をとっても以前と同じものはないけれど。
「また、色んな話聞かせてね」
「うん」
任せとけ、と俺も胸を張る。俺が見守っておくから、悪いことはさせない。
車を運転する智はただ笑って話を聞いているのみである。何を考えているのやら、全く不明である。
車は皆の待つ家に向かう。今日はご馳走だ。
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