嘘をつくために生まれてきました

稲美 圭

1

 狭いワンルームの空間が修羅場と化しても、ピンで壁に貼り付けられたロバートアレン様は微笑みを崩さない。つい先週観た最新作もたまらなく良かったが、ジャンルがアクションだったせいか、ドンパチばかりでより子の期待していたアレン様の全裸シーンがなかった。


 芸術とさえ思える美しい金髪にブルーサファイアの瞳、完璧な肉体美、あのたくましい腕で抱き寄せられ、キスでもされた日には、より子の身体は熱にとろけるチョコレートになってしまう。


「ちょ、く、死ぬ、ちょと1回、オエッ、ちょと1回落ち着こ」

 

 そんなより子に現在チョークスリーパーホールドを決められ、わりと本気で首の動脈を締め上げれているのがアレン様とは似ても似つかない、藤堂弘昌とうどうひろまさだ。

 現時点ではかろうじて、より子の彼氏である。


 人間には本来危機回避能力というのが備わっているらしいが、藤堂は鈍いらしい。一方でより子は自らの怒りがピークを超えて神経がブチ切れそうになり、やばいと感じたところで壁のアレン様と視線を合わせることができた。藤堂の首を締めながらもあぁアレン様…と思うことで自分を見失うのを防いだのである。


 そうでもしれなければ、本当に殺していたかもしれなかった。藤堂の意識が遠のく寸前でより子の腕にも限界がきて、力が緩む。


「ゴホッゴホッ、あぁ死ぬかと思った」


「殺すつもりよ、今すぐ出ていかないなら」


「まぁまぁちょっと、聞いてくれ。誤解なんだから」


「誤解もくそもあるか!」

 

 藤堂が事情も語らずに突然会社を辞めてきたのが2年前である。それからいつまでたっても仕事が決まらないわけだが、定期的にハローワークへは出かけているようだった。今日が面接だとはりきっていた日も確かにあったはずだ。それでも一向に職につく気配がない。

 

 藤堂は人当たりがよく穏やかで、見た目は優しそうな第一印象の良い男だ。年齢も26歳とより子の3つ下で、再就職に不利と言われるほどではない。選り好みをしなければ適当な仕事くらい、いくらでも見つかるはずだった。失業保険の適用期間が終わり、より子の痺れも切れ始めた頃、ハローワークから帰ってきたはずの藤堂のスーツから、ほのかに香るフレグランスに女の勘が働いた。


 より子は今日、自分の仕事が休みだったのを利用して藤堂の後をつけてみたのである。結果、真実はたった1日であっさりと明らかになった。悪い予感が的中するにしても、もう少し猶予が欲しいと思えるほどだ。


 藤堂はハローワークへ出かけると言いパチンコへ、そして飲み屋、さらに赤い顔でのナンパに失敗した挙句、最後に風俗という実に見事なルーティーンをこなしていたのである。


「より子を少しでも楽させたいと思って、風俗で働こうと思ったんだよ。ほら、そんじょそこらのバイトより給料高いだろ!」


「その前に酒飲んでナンパしてたろが!んで、失敗して腹いせで風俗に抜きにいったんだろが!」


「ちげぇって!雇ってほしいんだったら女の子をスカウトして来い!ってあの店の店長に言われたんだよ。でもほら、俺気が小さいから。だから一杯ひっかけて声かけたんだって!」

 

 もっともらしいことを言っているが、これも99%の確率で嘘だということをより子はこれまでの経験から確信している。何度騙されたか分からない。このいいわけの為に嘘をつく、頭の回転の早さと口のうまさだけは感心するほどだ。藤堂が本気で詐欺師になろうと思えば、指名手配犯レベルの大金を稼げるかもしれない。


「パチンコは!」


「あ、あれは、ほら、あれも面接。パチンコ店、バイトの中では給料高い方!」


「普通に台打ってたろーがー!」


「ぎゃー!」


 藤堂は叫びながらより子のドロップキックを間一髪で避けた。床が大きな音を立て、ガラステーブルから置きっぱなしの雑誌や、より子が飲んだ発泡酒の空き缶が落ちる。頭の回転が早く、口がうまいくせに、金がないのが藤堂だ。人の良さは認めるが、それ以上に甲斐性なしで、ひとつのことを続けられないどうしようもないクズである。


「いいからもう出ていって!」


「出てけって、ここ、俺の名義で借りてるんだけど」


「私が家賃払ってんだろーがー!」


「ぎゃー!」


 次こそはと狙い撃ちしたタックルは見事に藤堂の身体を浮かせた。そのまま藤堂は後ろ向きに倒れて床で頭を強打し、さすがに大人しくなった。死んだか!?死んだなら死んだで構わないと、まわったアルコールを味方につけて、より子は肩で息をしながら倒れている藤堂を見下ろした。


「これ……痛い…シャレならん」


 右手で打った後頭部を抑えながら、藤堂はぼそりとつぶやいた。さすがに本当に殺されると思ったのか、表情からいつものへらへらとした憎たらしい柔和さが消えている。より子はそれでもまだ顔を踏んづけてやりたい衝動が収まらず、このままでは拉致があかないと藤堂に背を向けた。


「分かった。私が出ていく。知らないからね」


 もはや一瞬の迷いもなく、より子はクローゼットからスーツケースを取り出した。いつかこうなる日が来るだろうと、密かに必要最低限の荷物だけはまとめていたのである。私物を全部持ち出したいところだが、それよりもこの場を去りたい気持ちの方が勝った。より子はケースに入るだけの下着と服を適当に詰め込むと、魂が抜けたようにまだ起き上がらない藤堂を尻目に、殺意をドアノブに込めて勢い良く玄関扉を開け、そしてバタン!と閉めた。


 エレベーターを使って一階に降り、外に出ると6月の雨、夕暮れ時だった。

 濡れた路面に外灯が反射し、てらてらと光る。視界が降り注ぐ雨水の斜線で遮られた。折り畳み傘を開いて一歩踏み出したところで、より子はアレン様のポスターを忘れていたことに気づく。一度だけ、数分前まで自分の暮らしていた部屋を見上げたが「やぁおかえり」と、何事もなかったかのように出迎えそうな藤堂を想像し、より子は舌打ちをして歩き出した。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る