悪魔の苗床
むつじ
悪魔の苗床
「あのっ……私と付き合ってください」
中学生3年の夜のこと。
私は初めて告白をした。
毎日通っている塾の帰り道。
小学生の頃からずっと好きだった岩崎くんに告白をした。
私は暗くて自分でも顔が可愛くないことは分かっていたので正直期待はしていない。彼はきっと私よりも可愛い子を選ぶはずだから。
私にとって岩崎くんは特別だ。
私は小さい頃からいじめられていたけれど何故か彼だけは私を悪く言わない。それが嬉しくてすきがあれば彼の隣りにいるようにした。彼のそばにいる時間はいつもよ早くすぎる。
隣にいるだけで幸せになれる不思議な人。
私の幸せを運んでくれるのはきっと彼に違いないのだと思った。そう思い込んだら気持ちはいっぱいになってドロドロと溢れ出している。一度溢れたらもう抑えはきかない。
生まれて初めて恋に落ちた私はもう迷うことは無かった。
街灯で淡く照らされた彼の顔は少し驚いているようだった。私の好きな人――
もう少しだけこの時間が止まればいい。私はこの綺麗な人にもうすぐ嫌われてしまう。せめてこの瞬間の彼を焼き付けようと彼をじっと見つめた。
もうもしかしたら話しかけてもらえないかもしれない。ひどければ目すら合わせてもらえないるだろう。だから私はこの時を大切にしたい。
緊張に包まれる中彼は静かに口を開いた。
「いいよ。俺も佐田のこと嫌いじゃないし」
今までの緊張は何だったのかすぐに答えは帰ってきた。受け入れてもらえると思っていなかったので素直に嬉しい。気が抜けてしまったのか足から力が抜けてその場にへたりこんでしまう。人生で初めて自分の予想が外れて安堵した時だった。
私、
授業中は隠れてスマホで連絡を取って
帰りは2人で手を繋いで
休日は公園でたわいない話をして
それなりによくある中学生の恋愛をしていたと思う。彼を頭に浮かべるだけで幸せになれて一緒に過ごすだけで元気が溢れ出る日々。
この時の私は夢の中の住人だったのだ。悲しいことにいつか夢は醒めてしまう。人は朝起きてしまえばどんな夢だって中に閉じこもっていられない。現実はそれほど甘くはないのだ。
私が目を醒ますきっかけはあまり良いものではなかった。
事件は定期試験が始まる前の放課後のことだった。
何故か学校中で風邪が流行ってしまいそのおかげで放課後の清掃当番がたりなくなっていた。よりにもよって私が当番のときに。
早く終わらせて帰りを待ってくれている岩崎くんと放課後を過ごしたい。つまらない掃除など早く終わらせたくて1人で手早く清掃できる場所を探す。そしてちょうど女子トイレの当番が決まっていないようなので移動しようとしたときだった。
「おい、佐田ァ」
クラスでもっとも私を毛嫌いしているスクールカースト上位の女子の声が聞こえた。わざわざ私に声をかけてくるということはあまり良いことではない。こいつは私にいつも不幸を届けてくる。
「なに?」
出来るだけ短く冷たい声で答える。早く話題を切り上げたいが教室の中で逃げ場がない。そしてごく稀に助け舟を出してくれる私の彼氏も今なぜかこの部屋にいなかった。
「あたし達さ今日は急用があって掃除できないんだよね」
「そうなんだ」
「だから私達の代わりに体育館の掃除お願いね!」
「なんで私が?」
「あとはよろしく!じゃあ」
バカ女は私と会話する気などさらさらなく強制的に体育館の掃除を私1人に押し付けて下校していった。周りは私を助ける気は全くないようでまるで空気のように扱う。せめて偽善でも良かったから手伝ってくれればいいのに。私は静かに体育館へ移動することにした。
あれだけ広い部屋を1人で掃除するには時間がかかる。誰もきっと見ていないだろうから適当にモップがけだけしてさっさと帰ろう。気分はあまり良くないが何人もいて誰かがサボり時間がすぎることはないのでそこだけは気楽だ。
清掃場所につくと嫌に静かな空気が漂っている気がした。
広い場所に一人というのもなんだか不安になってしまうのかもしれない。私は早くこの状況から抜け出したくて体育館倉庫に清掃用具を取りに行く。この部屋には私一人のはずなのに何故か人の気配がして落ち着かない。そんな時、倉庫の奥の方から熱い吐息が聞こえてきた。
この声は聞いたことがある。国語の先生の声だ。先ほど感じた違和感はこの人か。
「先生を誑かすなんて君は悪い子だね」
欲に満ちて熱い色を帯びた声。
体育館倉庫でやっちゃうなんてなんだか深夜ドラマみたいだななんて考えていたとき私が予想していなかった相手の声も聞こえてくる。
「誑かされるあんたもどうかしてる」
私は耳を疑った。動きそうになる体を抑え込んで聞き耳を立ててしまう。
「まぁ…彼女に悪いと思わないの?」
「彼女?あぁ…便利だからね」
「便利って……ひどいわね」
「事実だしそれ以外に付き合う理由ないじゃん」
私の彼氏である人と先生の会話が聞こえてしまった。
彼は私のことが好きではなく便利だからというしょうもない理由で付き合っていた。このことに嫌でも気がついてしまって人生初の人殺しをしたい欲が心の傷口から漏れ出す。
今はとてもじゃないが冷静ではいられない。
私が幸せだと感じていた時、彼は便利な女のご機嫌取りをしていたのか。
これ以上聴いていたら感情のまま彼を傷つけてしまう事に気がついて静かにその場を後にした。
私は掃除当番を放り出して無作為に校舎中を歩きだす。
今立ち止まってしまったら私は彼のもとに行って何かしでかしてしまう。苛立ちがつのって何もない壁を思いっきり蹴り上げた。
「……痛い」
鈍痛が足から下半身に広がっていく。まるで自分の心の痛みのように肉体の痛みも広がる。なんだか自分の行動がおかしくて笑いがこみ上げてきた。
『どうして私は裏切られた?』
頭の中にぱっと浮かんだ言葉は私を支配する。
もともと彼と私とで感情の温度が違うかもしれない。彼にとってああいう行為はごくごく自然なことで日常的なものだが私にとっては許せないというだけことなのだろう。しかし私の世界に溶け込んできたのは彼が初めてだったからこれからどうすれば良いのかわからない。彼がいなくなってしまえば私は1人だ。
考えれば考えるほど自分がわからなくなる。考えと行動が私の中で噛み合わず良い答えが見つからない。見つからないものを探すのは道の見えない迷路をしているようだ。
私は足の痛みはそのままに再び意味もなく歩きだす。
廊下を過ぎて階段を上り、また廊下を過ぎて階段を上った。
1段1段上るたびに彼との思い出と倉庫での出来事が混ざり合いぐちゃぐちゃになっていく。私はどうすれば自分に決着をつけれるのかただ考えることしかできない。
そんな中私の体は1つのゴールにたどり着いてしまった。どんなに大きな建物でも上に上がり続けていればてっぺんにたどり着く。もう登る階段はない。
ピタッと私は立ち止まる。
動きを止めた瞬間涙が勝手に溢れてきた。今まで動いて抑えてきた涙は止まることなく流れる。誰も居ないことをいいことに私は思いっきり泣きじゃくった。
自分がこんなに誰かのために感情を動かせるなんて知らない。きっと私をこんなにできるのは岩崎くんだけだ。ここで他人への興味なんてまったくなかったのにそれを変えたのは紛れもなく彼だと気がつく。私は彼に支配されている。それなのに彼は私に支配されていないのは私からしたら理不尽だと思う。
きっと私が許せないのはそこなのだ。
ここで私にある考えが浮かび涙をふいて急ぎ教室に荷物を取りに行きまた階段を駆け上がった。
屋上に私は出て旅の支度を始める。
色々考えてみた結果、彼が1番めんどくさくなるような結果を生み出すことにした。彼の心のなかにとどまれないのなら記憶に残るようなことをすればいい。どんな感情でもいいから残したい。彼女だったモブAで終わりになんかしたくないのだ。
私はこれから屋上から飛び降りることにした。
飛び降りる前に遺書も書く。岩崎くんの名前と浮気をされていたこと私だけが彼を好いていたようだということ。あとは恨み言をつらつらとねちねちと彼の夢に出てくるようにしつこく。嫌われても無関心でいられるより何倍もマシだ。これで彼が傷ついてくれれば私は彼と一緒に過ごせる。彼が生きている間は多分ずっとそばにいれるはずだ。
私は靴を脱いでカバンの中身を整理する。
ここから飛び降りれば私は多分生きていけないだろうから最後に身辺整理をしておきたい。この中に入っているのは大切なものばかりだ。落ちた後に血で汚れてしまうのは嫌だと思う。きれいな思い出はそのままにしたい。
2人で撮った写真
お揃いのキーホルダー
誕生日に貰ったアクセサリー
私はものとして残すことで愛を見て確認したかったようだ。形に残したところで気持ちがこもっていなかったらそれはただのガラクタでしかないのにガラクタですら愛おしく感じる。なんだかそれがおかしくて自然と笑いがこみ上げてきた。
カバンの整理が終わればいよいよあとは飛び降りるだけ。
私は自殺防止のフェンスを乗り越えて大きく深呼吸した。
死ぬ前の瞬間はもっと後悔するものだと思っていた。例えばやりたいことがいっぱいでもっと長く生きていたいのにとか大切な人を置いていくことが辛くて悔やんだりとか。
今の自分はそういった考えはなく純粋に彼を傷つけることに喜びを感じている。死は終わりではなく始まりだ。彼はきっとこれから苦しむ。下手をすれば一生トラウマになって私のことを忘れないかもしれない。
「あぁ…幸せだな」
私はそっと宙を舞った。
なかなかに気持ちの良い空中飛行はゆっくりと時間が過ぎる。
過去の楽しかった思い出が頭の中をすぎていく。
多分これが走馬灯だ。
私は多分あと数秒で地に落ちて死んでしまうのだろう。どうせ死ぬならこんなに楽しい気持ちじゃなくてもっと後悔して死ねるくらい人生が楽しかったらよかったのに。私はそう思い目を閉じた。
目を閉じた後ふわっと甘い香りがした。女の子が好きそうなふわふわのお菓子が近くにあるような臭いに頭がくらくらする。死ぬ前にはこんなに胃がムカムカするんだな。
「君なかなか面白いこと考えるね」
ねっとりとした不快な声が聞こえてきた気がした。予想していなかった事態に少しだけ驚きを感じる。
目を開けると私は空中で止まっていた。あと少しで地上にズドンと落ちる手前。私の傍らには見たことのない黒髪くせっ毛のイケメンがいた。私は死ぬ前にはこんな事が起きるのかと他人事のように考える。私の初めての自殺はこのイケメンにいとも簡単に邪魔されてしまった。
「えっと……あなたはだれ?」
自分が今どんな状況かもわからないのでとりあえず目の前のもじゃもじゃに話しかけることにする。はやくどうにかして私の体を落としてほしい。
「いまそれ聞く?」
「だって聞かないとずっとこのままでしょう」
「よくわかったねぇ」
「いいから早く名乗って」
おちょくられている気がしてすこしだけイライラする。あからさまに目の前の人物は肩を落としてため息を付く。
「冷たいな…死に際にこんなイケメン捕まえてその反応はなくない?」
「自分でそういうこと言うと更にウザさ増すのでやめてください」
私は力の限り感情を全面に押し出して伝えた。このふざけた状況からして彼は死神とかなのだろうか。彼は私を見てバカにしたような笑いを浮かべていた。
「死神なんかと一緒にしないでくれるかな」
「思考を読むのやめてください」
彼には私が考えていることはどうやら筒抜けらしい。だったらさっきから私が苛ついてるのもわかっていて行動しているのか。本当にツバを吐き捨ててやりたい。
「僕に冷たすぎない?」
「だったら早く話を進めて」
彼は目薬をさして無理やり涙を流し始めた。なんというか行動の1つ1つが胡散臭い。なんだかこの人と話をすると気持ちがぐらぐらしてくる。早く話を切り上げてしまいたい。そう考えていたら彼がため息をついてめんどくさそうに口を開いた。
「僕は悪魔です」
とてもメルヘンちっくなことを言っているが私の時間は止まったままだ。普段生きている私の世界からは想像出来ないことが起きているし本人がそういっているのだから悪魔なんだろう。
「君見た目によらず聞き分けがいいね。僕達は人間の死に際に後悔とか憎悪とかそういう気持ちを食べさせてもらうんだけど君はちょっと変わってたからつい声をかけちゃった」
「は?どのへんが?」
人を珍獣みたいに言わないでほしい。私には私なりの理屈があって行動しているはずだしわりとありふれたどこにでもいる人間だと思う。
「君死ぬっていうのにとても幸せそうなんだもん。人間が死ぬ時っていうのは大小あれ後悔とか迷いが残ったりするものなんだけれど君は恐ろしいほど純粋だ。悪魔の僕でもゾッとした。初めて気持ちが揺さぶられたよ」
悪魔は私を見て気持ちがとても高ぶっているようで頬が赤く染まっている。なんだか高級レストランに初めて招待された子供が未知の料理を待ち焦がれているようにも見えた。私はその目を向けられていることに寒気を覚える。私の感情は悪魔を満たすために備わっているわけではない。
「私みたいな人間いくらでもいるでしょうに」
なるべく何でもないように答える。岩崎くんのためにとった行動がこの得体のしれない悪魔の心を動かしていると思うと吐き気がした。虫唾が走る。
「おおっ!こわいこわい!怒っているところ悪いけど僕にとっては初めてだった。これが重要なのさ。」
「どういうこと?」
「少なくとも僕が出会った中では死の淵でここまで純度の高い喜びに包まれてる人間はそうそういない。いたとしても何が壊れている。例えばそうだね……」
彼は笑いながら体とか精神とかかなと続けていた。暗に私の心は壊れているとそう言っているのか。
「まぁそう答えを急かさないでよ。君は君の考えた最善策を迷いなく実行した。そしてそこに一筋の迷いもない。まさに愛が無ければなし得ない。素敵じゃないか!」
悪魔は私の頭を優しく撫でた。彼のなかの熱気はどんどん高ぶっているようで私は少し引いてしまう。初めてに出会った彼は感動しているのだ。
「この年でここまで愛に狂える人間はなかなかいない。君は壊れてるんじゃなくてただ狂っているだけなのさ。そんな面白い人間を死なせちゃうのもったいだろう?」
彼はこの後こう続けた。僕達は狂った人間を好むと。そうかこの悪魔からすれば私はそれこそ珍味なんだ。どのくらい生きているか知らないけれど彼の生涯のなかで出会ったことのないレア中のレア。
「私のことどうするつもり?」
何か悪い予感がして思わずきいてしまったが話をするよりも逃げた方が良かったかもしれない。まぁ体は宙に浮いているので逃げることもできないのだが。こいつは私の意思など毛ほども気にしてないのだ。
「そうだな…」
値踏みするような視線が痛く刺さった。私の全身を見回した後にいいこと思いついたといった悪魔は少し照れてこう言う。
「じゃあ僕の苗床になって!」
「えっ……なにいってるの?」
「あ、解りにくいかな……僕の花嫁になってよ」
「あなた私の一部始終ほんとに見てたんだよね……私好きな人いるの!岩崎くん以外に心揺れないの!」
「俺は別に重婚でもいいよ!」
「私はよくないしあなたのこと好きじゃないし正直に言えば嫌いだから無理」
「ひどい!!」
このような言い合いが激しく行われる。どちらも折れることなく主張が続いたので終いには2人とも息切れしていた。ここまで声を張り上げたのは小学生の学芸会以来だ。
「いい加減もう諦めてお嫁に来てよ…」
「嫌」
「僕もいい加減子供作らないといけないんだよ……親戚にも心配されてるしおじいちゃんも急かしてくるし…協力してよぉ」
「全てあなたの怠慢。過去を悔いて大人しく引き下がって。そういう感情に訴えてどうにかしようとするところが詐欺の手口みたいで嫌い」
「もう…ひどいよ」
悪魔はこのやりとりの後めちゃくちゃ大きな声で泣き出した。見た目には20代くらいの男の人に見えるのでなかなかに新鮮に見える。なんだか自分よりも年下の子供を相手にしているみたいでどうするのが正解なのかわからない。呆然と悪魔の様子を見ていた時私は隙だらけだった。悪魔は人間の隙を見逃さない。彼は私の頭を素早く包んでぱっと口付けした。
「これで君は僕のもの!」
そう言った彼は今日1番のキラキラした顔をしていた。そのあとに目の前がぱっと光出して視界が白に染まった。私は眩しくて目を閉じてしまう。
これから面白おかしく僕を楽しませてね。
そんな台詞が頭の中をよぎって私は完全に意識を失った。
肌寒くなって目を覚ますと屋上で寝ていた。私はどうやら屋上に来た後また泣き疲れて寝てしまっていたらしい。靴も履いているしカバンは私の隣にある。妄想もいい加減にした方が良いかもしれない。頭上に浮かぶ星空を見上げてさっと立ち上がりその場を後にした。
「次会うときは僕のことちゃんと覚えててよ?」
私が過ぎ去ったあと悪魔は怪しく闇夜で囁いた。これが私の人生をかき回してくれる悪魔との出会いになる。
悪魔の苗床 むつじ @okokwtaiga
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