にんじんおばさん
どこの乗馬クラブに行っても、必ず何人かはいる。
袋ににんじんをいっぱい入れて、ニコニコしながら、馬に配っているにんじんおばさん。
実は、あまり歓迎されない。
中には「食べ物を与えないで下さい」と看板を立てたり、「にんじんなど、おやつを与えないで下さいね」と口頭で説明したりするクラブもあるが、にんじんおばさんは、気にしない。可愛い馬ににんじんを配って歩く。
しつこく注意をするものなら、まるで人格を否定されたかのように不機嫌になる。
なぜ、にんじんおばさんが歓迎されないのか?
にんじんおばさんが嫌われるのは、にんじんをあげるからではない。
馬にご褒美のにんじんをあげる人はベテランの中にもいるし、調教の一環としてあげている人もいる。
そのどちらでもなく、どっさりあげている人もいる。
同じようににんじんをあげていても、全く嫌がられない人と嫌がられる人がいるのだ。
その違いは何か?
子育て中の母親に例えるとわかりやすいかも知れない。
隣のおばさんが、子供にいつもケーキをくれる。ありがとう……。
でも、それが毎日だったら?
隣のおばさんだけでなく、その隣のおばさんも、だったら? その隣の隣のおばさんも、だったら?
子供がケーキでお腹いっぱいになり、ご飯を食べなくなるだろう。
肥満になってしまうだろう。
いつもケーキを欲しがって駄々をこね、むくれるかも知れない。
いつもすみません、もう結構ですから……と遠慮がちに言うも、親に隠れて、こっそりケーキを買って与える……そんな隣のおばさんに、親は感謝するだろうか?
「ありがとうございます。でも、あまり甘いものは食べさせないようにしているんです」
などと言おうものなら、子供がかわいそうだ! と怒り出す。
「喜んでくれているのに、おやつを与えて何が悪い!」
……これが、にんじんおばさんの言い分なのである。
人間の中には、なぜか、動物に餌をあげるのが大好きな部類の人がいて、その動物にとってどれだけ悪影響があるかをどんなに説明しても、全く理解できない人がいる。
野生動物に餌を与える人もなかなか減らない。
あげてはダメだと知っているけれど、自分だけならいい……と、なぜか思ってしまうようだ。
これは性分というか……。
自分が与えたものを食べてくれるのが嬉しい、欲しがってくれるのが嬉しい、どうしてもあげたくなる欲求があるのだと思う。
動物愛という言い訳を伴って、その欲求の制御が難しい人がいるのだと。
でも、動物にしてあげたいと思うことが、必ずしも、動物にしてあげるべきこと、一致するわけじゃない。
馬は繊細な動物だ。
ちょっと食べるものが変わっただけで、お腹を壊すことがある。
先ほどまで元気だった馬が、疝痛を起こして、翌日にはもう死んでしまう。
にんじんの食べ過ぎが原因ではないにしても、馬を管理する側としては、どんなものをどれだけ食べているのか? は、常に把握して、疝痛予防に務めたい。
いわば、子供の食生活を母親が心配するのと同じなのだ。
子供の食生活を心配する母のように、私もシェルが何を食べているのか、常に心配している。
だから、勝手ににんじんやおやつをくれる人には、いい顔をしない。
時に、注意することもあった。
……が。
「まぁ、そんなことを言わず……あ、そうそう、お菓子があるのよ、あなたもいかが?」
ごちそうさまです。
………。
いや、買収されたわけではない。
悟ったのだ。
郷に入れば郷に従え、という。
ここのクラブは、馬ににんじんを配るのを禁止していない。
むしろ、どうぞ、どうぞ、なのだ。
そこで、私が嫌な顔をしても、嫌な人になるだけで、何の得もない。
それに、側にいる他の馬がにんじんをいっぱいもらっている中、シェルだけ当たらないのは、あまりにもかわいそうすぎる。
クラブには馬がたくさんいる。
「自馬オーナーさんの中には、勝手におやつをあげるのを嫌がる人もいるみたいよ」
それだけわかれば、わざわざ、シェルの馬房までおやつを配りにはこない。
洗い場でつながれている時、私がいる時に、食べる量はたかが知れている。
把握さえできれば、私もにっこり笑顔で、「どうもありがとう」と言えるわけだ。
ただ、チョコレートを食べさせた人には、正直、怒り心頭だった。
自分が食べていた半欠けを、いきなりシェルにあげてしまったのだ。
シェルは、食べ物には慎重だけれど、おやつをくれる人のことは頭から信用して、パクッと食べてしまい……。
まるで唐辛子を食べさせられた子供のように、目を見開いて、首を小刻みに振り回した。
「あら、好きじゃなかった? ごめん」
……じゃなくて、苦しんでいるんだよ。
その日、シェルは半日何も食べられなかった。
シェルの苦しみなんて、その人は知らない。
毒になるものを食べさせたというのに、30分後には忘れている。
おやつをあげた喜びしか覚えていないのだ。
世の中には、おやつを馬にあげたい人がたくさんいる。
だから、その人のために、おやつを食べてあげるのも、馬の仕事。
その人の欲求を満足させてあげる……それが馬の使命。
それで、万が一、腹を壊して死んだとしても。
馬は人のために生きて、人のために死んでゆく運命だ。
私は、シェルを守ってあげなくてはいけない。
とはいえ、私は「にんじんを馬にあげる人」が嫌いなわけじゃない。
馬が大好きだから、にんじんをあげたい。喜んでもらいたい。
それは、私の中にもあることだから。
「シェルっちに、にんじんあげてもいい?」
「どうぞ、どうぞ」
嬉しそうににんじんをあげる人、美味しそうににんじんを食べる
シェルを見るのが好きだ。
ほのぼのした気分になる。
美味しそうに食べてくれるシェルは、クラブでも人気者だと思う。
シェルは「鼻先にんじん」で後をついてきてくれる。
ストレッチも大好きになった。
袋を下げたにんじんおばさんが通りかかると、大きな前かきをして、ガンガン! 呼びつける。
「うわー、シェルっち、私を待っていてくれたのー!」
と、ニコニコしているおばさんから、そのにんじんのほとんどをゲットする。
気難しそうな人からは、つぶらな瞳で、熱い視線を送り、小首を傾げたりして……欲しいのよん、とやる。
ぶりっ子でにんじんをもらっている。
かと思えば、気弱な人からは、目を三角にして耳を伏せ、ボクちんににんじんをよこさないとは何事だ! と暴れてみせる。
恐喝でにんじんをまきあげている。
その様子を見て……。
私は時々、思うのだ。
シェルは、本当ににんじんが食べたいのだろうか?
人がくれるものならば、他の馬は食べないキュウリもシェルは美味しそうに食べる。多分、なっているのを見ても、食べないだろうと思う。
相当食べられないものじゃなければ、シェルは喜んで食べてくれる。
美味しそうに食べると、人が喜んでくれるから……。
幸せそうになるから……。
だから。
シェルはにんじんをねだり、にんじんを食べているのではないだろうか?
人に愛されることが、命をつなぐことだと知っているから。
……考えすぎか。
「りんさーん! にんじんおくれよーん!」
飼い葉桶に顔を突っ込み、私の顔を見、また飼い葉桶に顔を突っ込み……。
「ここ、にんじん、入れようよーん!」
やっぱりただの食いしん坊。
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