第39話

 王子は薄暗い地下から出て、ようやく明るい陽の光を浴びた。薄暗い地下に慣れた目には太陽はあまりに眩しく、しばらくの間は、目を開けていられないほどだった。


(日が昇ってしまった……)


 閉じた瞼の裏に感じる暖かな光は、しかし王子一行に不吉な影を落とした。早ければあと数刻もしないうちに、トーマスは出港してしまうだろう。


 教会の方を振り返ると、そこにはきつく縛り上げられた教祖たちが山と積まれている。その周囲を村人が油断なく囲い、一人も逃してなるものかと、目を血走らせていた。


 教会の関係者は、村人たちの手によりあっという間に捕縛された。積年の恨みを晴らすように、村人たちの追撃は容赦がない。罪を犯した者がしばしば使う「命令されて仕方なく」という嘘は、村人たちがいる限りすぐにばれてしまう。


 時折、村人に抵抗して暴れる教会の信者もいたが、彼らはダグラスの手によってがんじがらめに縛られた。もはや戦意を喪失した信者たちを取り押さえるのに、ダグラス一人がいれば十分すぎるほどだった。


 おかげで王子は少しの間休息をとることができた。不眠不休で一晩動き続けたのだ。疲れていないはずがなかった。王子自身、動き回っているときは良かったが、座っている今は眠気を感じる。ぶんぶんと頭を振って、無理やりに眠気を追い払った。


「それにしても、殿下。あんなに暗い地下室で、よく私たちが隠れているのに気付きましたね。気配を殺すの、下手でしたか?」


 捕縛をダグラスに任せ、矢の補充をしていたロビンが王子に聞いた。


「いや。完璧だった」


 王子は間髪入れずにそう答えた。ロビンが本気で隠れようと思ったら、王子はおろか、ダグラスでもそう簡単には見つけることなど出来ないだろう。


「お前の気配には気づかなかったが、お前がいるという確信はあったよ。

 だって、司教が伏兵に命令したとき、誰も動かなかったじゃないか。お前が先に侵入して、伏兵を全て倒していたのだろう?」


 王子はあっけらかんと笑った。彼はロビンを心から信頼していた。だから馬小屋の前で合流できなかった時点で、馬を探して教会内に潜り込んでいることは予想がついていたのだ。


 ロビンは、王子の洞察に感心したような、あるいは呆れたような表情で「信用していただけて、光栄です」と言った。


「ですが、手痛いタイムロスになってしまいましたね」


 ロビンの言葉に、王子は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。


「もう手遅れかもしれないな」

「まあ、別働隊がいますから。あまりお気に病まずに」


 ダグラス同様、ロビンもあくまで気楽だ。確かに王子一行は保険のようなもので、正規の兵も動いているのだから、彼の言うことにも一理はある。

 王子は内心でため息をついた。彼らを見ていると、まるで自分一人だけがもがいているように錯覚してしまう。これが、力ある人間の余裕なのだろうか。


「殿下、少々お時間よろしいですか」


 どうやら全ての信者の拘束が終わったらしい。その表情に一切の疲れさえ見せずに、ダグラスが王子のそばに跪いた。懐から一冊の本を取り出して、王子に渡す。


「これは?」

「どうやら、ここの教会が魔女狩りを行った記録のようです」


 記録が見つかったのは僥倖だった。教会の罪を裁くのに、非常に役に立つだろう。だがそれは、あくまで裁判所の管轄であって、王子の仕事ではない。王子の怪訝そうな表情に気づいたのだろう、ダグラスが分厚い記録帳を開き、ある名前を指差した。


「こちらをご覧ください」


 王子が本を覗き込むと、そこには大量の名前が記されていた。いったいどれほどの人間が魔女狩りによって不当に苦しめられたのかと思うと、目眩がする。そしてとうとう、ダグラスが見せたかったであろう名前を、王子も見つけた。唖然としてその名をつぶやく。


「アイリーン・マーフィー……」


 決して珍しい名ではない。しかしマーフィーという名には、覚えがありすぎた。魔女狩りが行なわれた日付を見る。今から三十年ほど前だ。ダグラスが言わんとする意味を理解すると、先ほどから感じていた眠気など吹き飛んでしまった。


「司教に確認したのですが、当時、奴はまだ見習いだったらしく、確かなことは何も覚えていないそうです。

 お疑いなら拷問でもしますが、どうしますか?」


「いや、いい。どうせろくなことは覚えていないだろうし、拷問ならば後でもできる。

 それよりダグラス、お前も少し休め」


「お心遣い、感謝いたします。ですが休息は不要です。すぐにでも発ちましょう。馬の準備をしてまいります」


 そう言うとダグラスは踵を返し、馬の世話をしていた二人の部下の元に向かった。そのうち過労死するのではないかと、少々不安になりながら、王子はその背中を見送った。


 ちなみに馬は、さきほど王子が選ばなかった扉の向こうで、のんびりと休息を取っていた。ねずみの行動は、ことごとく裏目に出ている。


「村長殿」


 王子は魔女狩りの記録帳を小脇に抱え、鋭い視線で司教を睨んでいる村長の元に走った。

 村長は王子が近づいていることに気づくと、急に眼差しを和らげた。


「これは、これは。どうかなさいましたか?」

「すみませんが、この人について教えてくれませんか」


 マーフィーという名を指差した王子の質問に、しかし村長は顔を曇らせた。


「申し訳ありません、なにぶん昔のことですので、詳しくは……」


 そう答えながらも村長は真剣に頭を悩ませ、やがてなにか思い出したようで、付け加えた。


「ああ……。そういえば、彼女には娘がいました。かわいそうに、火刑に遭う母を見て泣き叫んでいましたよ。あれは見ていられなかった。

 確かその後、マーフィー一家は引っ越したはずですよ」


 この程度のことしか思い出せなくて申し訳ないと、村長は王子に頭を下げた。


「とんでもない。こちらこそ、辛いことを思い出させてしまって、すみません。ご協力に感謝いたします」


 村長は王子と話し終えると、すぐに教祖たちの監視に戻った。少しでも目を離したら、縄抜けでもして逃げてしまうのではないかと心配しているかのようだった。

 王子は村長が立ち去っても、まだその場から動かなかった。


(魔女として処刑された、アイリーン・マーフィーには娘がいた……)


 その事実が持つ意味を、王子はつい深読みしてしまう。

 無言で立ち尽くす王子に、ダグラスが近づいてきた。


「殿下、馬の準備が整いました」


 王子たちはすぐに馬に跨り、ユヴィナ港への経路の確認をする。王子はダグラスの部下二人を、万一に備えてこの村に残した。この村でも最高の馬を三頭借りて、王子たちは村人に見送られながら村を出た。


「本当に、ありがとうございました!」


 処刑されそうになった娘の声が風に乗って飛んでくる。娘の目は、確かに王子を見つめている。娘をずっと守っていたのはダグラスなのに。


 大きく頭を下げるその姿が、少しずつ小さくなった。やがて馬は風よりも早く走り出して、娘や村人たちの声は王子には届かなくなった。


 

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