第1章 狙われた宝具

第2話

 太陽と競い合うかのような早い時刻に、少女は目を覚ました。

 もうすっかり冬めいてきたこの季節、早朝はもう肌寒い。ベッドの温もりを惜しむようにぎゅっと目を瞑り、勢いよく起き上がる。


 少女は身に染み込むような寒さに、ぶるっと震えた。ベッドの脇に掛けてあった、くたびれたガウンを羽織ると、少女が目を覚ましたのに気がついたねずみたちが、わらわらと集まってきた。


「エラ、おはよう」

「今日も朝寝坊だね」

「お腹がすいたよ、エラ。チーズが欲しいなあ」


 人間にとっては早すぎる刻限であるが、ねずみにはそんなことは関係ないらしい。すっかり活動を開始しているねずみたちは、もうお腹がぺこぺこだと、エラに食べ物をねだる。

 本来であれば、野生のねずみは自分で食べ物を取ってくるものだ。しかしこの屋敷のねずみたちは、食べ物はどこかから湧いてくるものだと信じていた。なぜなら狩りなどしなくても、エラのそばにいさえすれば食いっぱぐれることがないのだ。


 エラは愛おしそうに、一番近くにいたねずみを拾い上げると、その頭を人差指で撫でた。撫でられたねずみは、気持ちよさそうにエラの掌の上で丸くなった。それを見た他のねずみたちが、自分も自分も、とエラの掌に押し寄せる。


「痛ぁっ! 足を踏んでるよ!」


 はじめに掌にいたねずみは押され弾かれ、地面にぽてっと落ちてしまった。周りのねずみたちは、それを心配するどころか、容赦なく踏み台にしてエラに近付く。もみくちゃにされたねずみから、「ちゅう」と小さな抗議の声が上がったが、それは完全に無視された。


「お前たち、少しくらい落ち着けよ」


 大騒ぎの中、一匹のねずみが声を張り上げた。

 周りのねずみたちのサイズは、エラの片手よりも随分と小さいが、このねずみは、それより二回りほども大きかった。サイズだけが原因ではないのだろうが、大きなねずみは周りから一目置かれているらしい。騒がしかったねずみたちがぴたりと止まって、たまたま近くにいたねずみ同士、互いの口を互いの前足で塞いだ。

 エラは大きなねずみを拾い上げると、両手を広げて上に乗せた。


「おはよう、リオル」

「おはよう、エラ。よく眠れたかい?」


 リオルはこの屋敷のねずみたちの、リーダーのような存在だった。年も大きさも他のねずみより抜きん出ていたが、なにより彼は賢かった。エラはいつも、チーズの歯切れなどをリオルに渡す。そうすればリオルが、屋敷のねずみに平等に行き渡るように、きちんと計算してチーズを配分するのだ。


 エラはリオルを連れて静かに階段を降りると、キッチンに忍び込んだ。「残り物だけにしてね」と念を押してから、チーズの棚にリオルを降ろす。リオルはぺろりと舌舐めずりをすると、チーズの物色を始めた。

 エラはリオルから目を離し、顔を洗い、身支度を始めた。軽くウェーブのかかった長い金の髪を簡単にまとめると、冷たい水に触れたせいで桜色に染まった頬を軽く叩き、朝食の準備に取り掛かった。別に作れと命じられたわけではないが、朝食作りはもはやエラの習慣だった。




 ほんの少し前まで、エラは家族から召使いのように扱われ、朝食を作ることだけではなく、掃除も洗濯も、家事はエラの仕事だった。

 しかしお城で舞踏会があったあの日から、全てが変わった。


 この国は、高齢の国王が治める、小さいけれど平和な国だ。なんとしてでも領土を増やそうとか、そういった野心を起こさなければ、この国を攻めてくる敵もそうそういない。なぜなら、この国は周囲を海に囲まれた島国だったからだ。


 近年、船舶の技術が進んできているとはいえ、航海に危険が付き物である事実は変わらない。海に出るのは、いつだって命がけだ。特にこの国の近海には、巨大ダツ(剣のように鋭く尖った魚)や大海蛇が生息している。大軍を船に乗せて危険な航海をし、拠点もない島国に戦争を仕掛けるのは、あまりにリスクが大きすぎた。

 そんな平和な国では、王族といえども政略結婚などとは無縁で、王子は自由に妃を選ぶ事ができた。年老いた国王には息子が一人いるが、もう適齢期にさしかかるというのに、婚約者どころか、恋人さえいなかった。各地の有力な貴族の娘たちが王子に気に入られようと、その美しさを磨いて王子を待っているのにもかかわらず、だ。


 その王子がある時、舞踏会を開くと宣言した。驚くべきことに、その舞踏会の参加資格は『この国の国籍を持つ者』であった。もはや参加資格など不要だと言われているのに等しい。

 これには国中が大騒ぎになった。貴族の家は、娘と王子がお近づきになるまたとないチャンスだと、金を湯水のように使い、こぞって娘を飾り立てた。その勢いや凄まじく、「王子は妃になるお人を、金で選んでいるに違いない」と噂されるほどだった。

 お金や権力を持たない貴族以外の家の娘は、祭りに参加するくらいの軽い気持ちで、でももしかしたら……なんて夢を見ながら舞踏会を待ち望んだ。


 エラはその舞踏会で王子と初めて出会い、意気投合した。身分違いではあるが、今でも王子とは友人として付き合いを持っている。


 継母は舞踏会の日以来、自らの行いに対する国からの罰を恐れてか、エラに命令をすることはなくなった。ただし、代わりに腫れ物に触れるようにエラに接するので、仲が良くなったとは言い難い。

 継母だけでなく、近所の住民もそうだ。エラが王子と友人になったと知るや、エラは好奇の目にさらされるようになった。これまで気にならなかった他人の視線が、今は痛いほどに感じられる。


 そのせいもあって、エラは最近、外出を最低限に抑えるようにしていた。人の噂も七十五日。きっとすぐに、そんな噂など忘れられるだろうから、それまでの辛抱だ。


 今日は裏戸の修理でもしようか。つい最近、近所の子供にでもいたずらされたのか、裏戸の鍵がゆるくなった。普段からそう使う扉ではないから放っておいても害はないのだが、暇にしているよりは、幾分有意義な時間の使い方だろう。外出できないと一日がやたらと長いのだ。


「エラ、エラ」

 名前を呼ばれて振り返ると、リオルが小さなチーズの塊をいくつも抱えていた。そのほとんどが随分古くなってしまったチーズだ。リオルはエラの言いつけを忠実に守っていた。

 エラ自身も、実はなるべく残りが出るように計算して、チーズを使っていたから、残り物だけでねずみたちには十分な量があるのだ。


「それがいいのね、わかったわ。私は朝食の支度をしてしまうから、先に部屋に戻っていてね」

 それからエラは、自分の分と継母、二人の姉の四人分の食事を作った。朝食だから、あまりボリュームのないものの方がいいだろう。朝が弱い姉たちは、きっと起きてくるのが遅いから、簡単に温め直せるものがいい。


 エラは火を起こすと、洗い物を乾かしていた台から大きな鍋を取り出した。もう慣れたが、この厨房は四人分の食事を作るには広すぎる。一人で厨房に立っていると、がらんとして寒々しく感じるほどだ。


 父が亡くなって、この広い屋敷に住んでいるのはたったの四人になった。普通このサイズの屋敷には、祖父母なども一緒に住むのだろうが、継母の両親は他界している。唯一、継母には姉が一人いるが、ずいぶん前に遊んでもらった記憶があるだけで、ここ数年会ってもいなかった。結果、広さの割には物が少ない厨房ができあがったのだ。


 エラは鍋に残り物の野菜を入れて煮込んだ。そこに、庭で飼っている鶏が産んだ新鮮な卵を落とした。これなら簡単に作れて、体も温まる。

 三人分のスープを鍋に残し、自分の分だけ取り分ける。せっかくならリオルたちと食べようと思い、自分のお皿とパンの欠片をトレーに乗せて自室まで運ぶ。

 エラが部屋に戻ると、ねずみたちはエラのベッドの上に乗って、一心に窓の外に目をやっていた。あまり外に身を乗り出すと、ねずみの姿が外から見えてしまう。エラは慌ててねずみたちを手で抑えた。


「あっ、エラ」

「おかえり、エラ」

「ねえ見て、またあいつだよ」

「こっちを見ているよ」

「僕がかっこいいから?」

「エラを見てるんだよ、ばかだな」


 騒ぎ立てるねずみたち。その言葉を聞いてエラは、ああ、またかと思った。

 エラも、ねずみたちが指差す方に視線を向けた。エラの視力では、覗き見をしている人間を見つけることはできなかったが、ねずみたちは人間よりも鋭い。彼らが「いる」というなら、エラには見えなくても「いる」のだろう。


 今度はなんだろう。記者かなにかだろうか。

 今までで一番大変だったのは、王子のファンだと自称する女の人が家に押しかけたときだ。あのときは、姉のアルベルタがものすごい剣幕で、その女性を追い返した。ああいった強引さは、エラには真似できない能力だ。

 自身で視線に気付かなくても、私生活を見られるのは気持ちの良いものではない。エラはため息を一つつくと、シャッとカーテンを閉めた。


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