間章 暗澹のアザーサイド

暗澹のアザーサイド(一)

 たちばな一葉かずは伊東いとう大地だいち、二人の高校生の進む道は今、ひどい風雨にさらされていた。


「なあ、ほんとに行くのか?」


 二つ並んだビニール傘の中、そう言いながら大地が不安げに振り返る。


「この天気だぞ? 同級生が次々に殺されてるんだぞ? おとなしく家に帰ったほうが良かないか?」


 そこへ横風が強く一吹きして、二人の傘をしならせた。共に膝下はずぶ濡れだ。

 だけど一葉は惑うことなく、ただ黒い真珠のような瞳で静かに睨み返す。


「……いや、行くんだよな、そうだよな。はぁ……何度も確認して悪かった」


 大地はガクンと肩を落として、傘もつられて落ち込むように動いた。


「別に、あなたまで来る必要はない。場所さえ教えてくれれば――」

「そうは言うけどよ……。ったく、独りで行かせられるかって」


 半分諦め顔でポリポリと頭を掻くダイチではあったが、その眼はすぐに鋭さを取り戻して一葉を見つめ直した。


緑川みどりかわの方はいいのか? 探しに行かなくても……」

「いい」


 その名前を噛みしめるように一葉は一度目をつむり、またゆっくりと見開いた。


「電話にもでないし、探すアテもない。だから今のうちに事件のこと、もう少し調べておきたい」

「……そうか」


 また、気まずい沈黙がその場を支配した。


 アスファルトをしたたかに打つ雨の中を、大地が進み、半歩遅れて一葉が続く。だが、彼女には相方を気にするそぶりはなく、ただ前を見据えている。風雨にけぶる道の先を見出さんとするかのように。

 だから途中二度三度、隣を振り返った大地の方が先に沈黙を破るのは、ある意味では必然だった。


「さっきは……悪かった」


 一葉の両目だけがそれに応えて大地を向いた。


「その、後藤ごとうが死んで、緑川が銃を向けられた時、俺は……何もできなかった。俺にできることがあるんだろって言っておきながら、実際にはこの体たらくだ」

「……別に謝ることじゃない。そうなるのが普通だと思う」


 淡々とした一葉の言葉も、実際その通りなのだろう。後藤が警察署内で殺されて、世界が元通りになった時の衝撃は凄まじいものだった。最も犯罪が起こらないはずの場所での殺人は、いつの間にか周りに戻ってきた警官達の間で大混乱を引き起こした。緑川みどりかわ優也ゆうを探せの大号令が加賀美かがみ刑事を発端として始まって、残った一葉や大地への聴取もどこか浮ついたまま進んでいたほどだった。

 犯罪に日頃接している警察でさえこうなのだから、大地が何もできなかったとしても無理もない。


「だけどよ!」


 そんなことは分かってる、と彼の自己嫌悪が渦を巻いた。運動部でつちかわれたストイックな性格に、その甘さを受け入れる余地は一ミリも存在しないようである。


「お前は違った。あいつをかばって、銃口に身を晒してまで……。なあ、正直俺はまだ頭のどこかで犯人はあいつなんじゃないかって思ってる。またあいつのそばで人が殺された。どうして犯人があいつじゃないって――」

「根拠なんて、ない」


 遮った一葉の声は、この雨音をかき消すがごとく澄み切っていた。

 迷いはないのだ。


「私はユウを助けるって決めたから。……それだけ」

「……そうか」


 信じてるんだな。

 大地は自分の口の中でだけその言葉を転がして、そして、


「俺も助けたいって、言ったからな。約束するよ。さっきみたいな格好悪い真似はもうしない。頼ってくれていい」

「別に――」

「言ったろ、自分のためにやってるようなもんだって」


 突き放しかけた一葉を制すように、大地は言葉を重ねた。


「……好きにすればいい」


 根負けしたように、一葉はそれだけ吐き捨てる。

 いよっし、と大地は軽くガッツポーズを作って、スポーツマンらしい白い歯の笑顔が雨中に咲いた。


 一葉はそれを横でチラリと盗み見るが、また大地が顔を向けた。


「で、話してくれるんだろ? 今、何が起きてるのか」


 大地がそう切り出すと、


「……そうね、あなたももう、巻き込まれてしまったものね」


 一葉は大地に悟られぬよう自然と前を向き、訥々とつとつと話し始めた。


「似たようなことを、前にも経験したことがある。その時も多くの人が殺された。頭を奪われて……」


 衝撃的な独白に、大地は思わず言葉を失った。

 だが、すぐさまぎゅっと唇を噛みしめて、目で続きを促す。


「あの時と同じなら……いえ、これは間違いなくあの時と同じ。犯人は何かの超常的な力を得て人々を殺しているはず。警察に対処できるような相手じゃない。もっと大勢の被害者がでても不思議じゃない。でも今回はペースが遅い。一人一人、選別しているのか、慎重になっているのか。とにかく、警察も言っていた通り何かの意図をもって殺し続けている。そして、たぶん、ユウを使っている。触媒として」

「触媒……?」

「ええ。うまく言えないけど……でもユウの周りでばかり死者が出るのはそういうことだと思う。だから犯人を追っていけば、おのずとユウも見つかるはず」

「なんか、すごい話だな……。わかったような、わからんような、半信半疑だけど」


 そこまで言って、大地はゆっくりと足を止めた。

 一葉もその横に並ぶ。


「まあでも、要するに、ここに来たのは犯人の手がかり探しってわけね」


 大地が見上げた先に一軒、とりたてて特徴もない平凡な二階建ての住宅が居座っていた。傾斜の緩い黒い屋根に、薄いビスケット色の壁。二階部分には横長のベランダが付いていて、その下ではドアと同じくらいの背丈のオリーブの木が一本、雨に濡れながらゆらゆらと揺れていた。ともすれば両隣にずらりと並ぶ他の家々に埋没してしまうその家は、『藤崎』の二文字が彫り込まれた表札の一点をもって、二人には特別な意味を持っていた。

 首刈り魔と呼ばれた藤崎ふじさき綾子あやこが生前暮らした家である。


 一葉がその意味を確かめるように表札のふちを指で触れた。それはまだ新しい光沢をまとっていて、古びた壁からは少々浮いている。


「で、このあとはどうす――」


 ピンポーン……。


 大地が言い終わらないうちに一葉の細い指がすぐ下の呼び鈴に伸びて、少し間の抜けた音が家の内側で響いた。


「ちょっ」


 一瞬だけぽかんと呆けていた大地だったが、すぐに我に返って、


「いきなりすぎだろ。ほら、色々あるだろ、心の準備とか――」


 しかし、それもまた言い終わらないうちに屋内から穏やかな女性の「はーい」という声がして、ドタドタと足音が近づいてくる。

 一葉はすまし顔で大地に一瞥いちべつをくれ、門の前に直って一つ深呼吸をした。

 大地はまだ何か言おうとしていたが、


 ガチャ……


 と、ドアが開いた拍子にシャキンと不自然に背筋を伸ばした。


「どちらさま……あ、ダイちゃんじゃない!」


 出てきたのは少しふくよかな、カーブのかかった茶髪が印象的な女性だった。綾子の母、藤崎ふじさきあかねであろう。彼女は門の前に並ぶうちの一人を認めて、親しげに声をかける。

 それを合図に一葉が半歩、前に出た。


「あの、私達、アヤコさんの友達で――」

「あらあら、そんなかしこまらないで。ダイちゃんも久しぶりね。最近全然遊びに来てくれてなかったじゃない。……さ、入って入って」


 手招きを受けて、逆に二人は顔を見合わせる。


 異様だ。何というか、明るすぎる。娘を一年前に失って、人はここまで明るくなれるものだろうか。


 そんな違和感をよそに、茜が家の中を振り返る。そこからは二階への階段が見えていた。彼女が呼びかけた。

 いぶかしげにしていた二人の顔は、そこで完全に引きることとなる。


「アヤちゃーん! お友達が来てくれたわよー!」

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