やがて来る僕らの終わり
髭鯨
第一章 ある日常の終わり
ある日常の終わり(一)
やがていつか終わる。それが万物共通の決まり事であるらしい。
夜はやがて朝になって、冬はやがて春になって、そうやって日を重ねていくとやがて僕は学生ではない何者かになるらしい。
僕らの日常だって、いつか終わりがくるものなのだ。
例えばそのうち核戦争が始まってしまうかもしれないし、何十年か後には海水面の上昇でこの街が海に沈んでしまう日もくるのかもしれない。地球が太陽に
だけど、何かが長く続けば続くほど、それは僕らのなかで当たり前に変わってしまって、それが終わる心の準備だって少しもできていなかったりするわけで……。
そして時に終わりは突然訪れて、僕らからその大切な当たり前を奪い去ってしまうんだ。
あの夜も、そうだった。
雨の夜だ。バツバツと雨粒が地面を叩く音を耳が間近に拾っている。
どうやら僕は仰向けに寝転んでいるらしい。背中には泥状にふやけた大地をびたりと感じた。
大粒の雨が容赦なく僕を打ち付けて、身体が冷たい。
あれ、今日は何曜日だっけ。
宿題はもう終わらせたんだっけ。
このままだと風邪をひいてしまうだろうし、洗濯で母さんを怒らせてしまうだろうし……。
ええと、そもそも僕は今何をやっているんだっけ。
「うっ……」
身体まで泥に同化したように重く、動かそうとすると鈍い痛みが走った。
腕で目を庇いながらまぶたを開けていくと、視界がうっすらと赤みを帯びてくる。
空が……赤い?
上空では
なんとか首を左右に動かすと、辺りには白い大地が広がっているのが見えた。
異様だった。でこぼこの丘陵、生い茂る雑木林、崩れそうな古い木造住宅、そういった景色がかろうじて輪郭を残して灰のような白に沈んでいる。その上に赤い雨は絶え間なく降り注いで、白い泥の大地の所々に赤い染みを作っていた。どうしようもなく非現実的で、何かが完全に間違っている。
びちゃり……。
音がした。唐突に。雨音じゃない。もっと重い何か。
いやに生々しく聞こえたそれは方向感を欠いて、かなり遠くのようにも、すぐ近くのようにも感じた。
びちゃり……。
まただ。今度は不気味なくらいはっきりと聞こえた。
頭をもたげて音の主を探すと、足の先、車一台分くらい離れたところに何かが立っている。
女の子だ。
暗い空模様に滲んで、顔はよく見えない。白いブラウスと紺のスカートという学校の制服姿で、小柄な女の子が無言のままこちらを向いている。両手は傘もささずにだらりと垂れ下がっていて、真っ赤な雨がその女の子を容赦なく濡らし、肩から胸元にかけてを赤く汚していた。袖口やスカートの裾からは赤い雫がボタボタとこぼれ続けている。
びちゃり……。
一歩、女の子が近づいた。
最初は肩でも貸してもらおうか、なんて考えていた。だけど様子がおかしい。
そして気づいてしまった。
頭がない。
暗がりで見えないわけじゃない。本当にないんだ。
女の子のようなその輪郭は首元でぶっつりと途切れていて、代わりに鮮やかな赤い血がどくどくと噴水のように噴き出していた。
理解した途端、全身にぞくりと震えが走った。脈拍は加速し、開きっぱなしの口は一言も紡ぎだせない。
びちゃり……びちゃり……びちゃり……。
首なしの少女は一歩一歩近づいてくる。僕に向かっているのは間違いなかった。
何をするつもりだ。捕まったらどうなるんだ。……わからない。そんなの知るわけがない。
とうとう彼女の歩みは終着点、僕の顔のすぐ脇までやってきた。もし彼女に顔があればきっと僕を見下ろしているのだろう。
「君……は……」
見上げた姿に誰かの面影が重なりそうで、必死に想像のモンタージュをこねくり回すのだけど、ついに形は定まらずに霧散してしまう。
僕に向かって血まみれの手が伸びてくる。返事などない。当然だ。彼女に応える口などないのだから。文字通り聞く耳だって持ってない。
だけど、もう叫ぶしかなかった。仮に無意味だとしても。だって叫ぶ以外に何ができるっていうんだ。僕は身体に残った力をかき集め、この光景を塗り替えんばかりに肺の底から解き放った。
「やめろぉおおっ!!」
白――
叫び声と共にがばりと上体を起こした時、視界のすべてが真っ白になっていた。
六面とも白い部屋だ。白いベッドに僕はいて、身体には白い布団が掛けられている。耳元では白いプラスチック製のデジタル時計がカチカチと時を刻んでいて、時間はちょうど午前十一時に差し掛かったところだった。
……ああ、いつもの夢か。
ようやく理解して、全身が一気に
いつもの夢……そう、いつもの夢だ。もう何回目かもわからない。
内容は毎回同じだ。雨の夜に、あの首なしの少女が出てきて、僕が叫んで、現実にお帰りだ。いい加減僕も慣れろよって思うのだけど、夢の中ではいつも全て忘れていて、毎回
もっと楽しい夢のほうがいいんだけどな。
頭に残る夢の感触をざっと掃き捨てたところで、かたわらで人が見ていることにようやく気付いた。驚いたような表情の男が二人と女性が一人、叫び声を聞かれたのか。急に気恥ずかしさが襲ってくる。
見ると、女性の方は上下とも清潔そうな、青みがかった無地の服を着ていた。看護師さんだろうか。はっとして見返してみると僕自身は青色のガウン……入院服とも言えそうだ。となると、ここは病院なのだろうか。
「あの」
声をかけた途端、その女性は突然我に返って「先生を呼んできます」と言うなり、扉を開けて廊下にパタパタと出て行ってしまった。
「あ……」
気まずくなって視線をさまよわせると、男二人はギッと睨みつけるように僕を見ていた。険しく力強い眼つきに射すくめられた様な気がして、反射的に背筋が伸びた。
どちらの顔にも見覚えはない。年齢も僕とはかなり離れているように見える。
一人は武骨で、ボサボサの髪は白髪混じり、太い眉、不精髭、熊みたいな風貌という例えが自然と浮かんだ。着ている茶色のジャケットはひどく傷んでいるようだし、広い肩幅、腕周りの肉付き……とてもじゃないが医者には見えない。
もう一人はまだ細身で医者とも言えなくはなかったけど、黒いスーツと黒縁の四角いメガネ、きっちりと真ん中で分かれた黒髪に、なんだか冷たい印象を受けた。
げふん、と熊男が唸り声のような咳払いをして、胸ポケットに右手を伸ばす。中で何かを操作していた。何だろうかと思いきや、彼の口から出てきたのは予想に反して無機質な言葉だった。
「六月十六日、
チョウシュって何だ。話が掴めない。
だけどそんなのお構いなしで、熊男がのっしのっしと近寄ってくる。
「目覚めて早々で悪いが、少し話を聞きたい」
有無を言わさぬ物言いに、顔が強張るのを自分でも感じた。
「……なんでしょうか」
「まず、私らは――」
全てを言う必要はない、とばかりに言葉半ばでジャケットの内ポケットから黒い手帳が取り出された。熊男の顔写真と
「刑事さん、ですか」
「ああそうだ。今は急ぎでね。とにかく質問に答えてくれるか。まず、ボウズ、名前は?」
乱暴な物言いだ。でもすぐに気を入れ直して答える。
「
「ユウ君か。若いね。学生?」
「は、はい。
「ふうん、
日野刑事はそう呟いて、もう一人に目配せをした。黒スーツの方は特に反応するでもなく、じっとこちらに視線を向け続けている。
「それで、単刀直入に
昨晩……。
聞かれた通りに思い出そうとした。だけど、頭がズキリと痛んだだけで何も浮かんでこない。
言い淀んだ僕の前で日野刑事はため息をついた。見せつけるかのように、大きく深く。
「思い出せないなら手助けしてやる。昨晩、この近くの公園脇で人が殺された。被害者は刻水館高校の一年、男子生徒……お前さんの同級生だな。
矢継ぎ早に繰り出される情報の数々、その一つ一つが鼓膜から脳へ伝わり、徐々にストーリーを形成していく。
まだ日野刑事は狂暴な形相で僕を睨んでいる。一泊置いて、彼は念を押すように質問を重ねた。
「もう一回訊くぞ。昨晩……何をしていた?」
ここまで言われれば、察しの悪い僕でも理解できる。とどのつまり、僕は疑われているのだ。だけど、だけど……。
とにかくこのままじゃ訳のわからないまま殺人犯にされかねない。反論材料はあるのか。寝起きの
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