ラ・ウール防衛組~ コッペリア・コンプレックス (中)~

 少女から、あの弾けるような笑顔が消えました。

 

 たとえ、少女の体が大人への階段を歩みはじめたからといって、彼女の可憐さ、美しさには何の翳りもありません。


 むしろ遠からず、絶世の美女へと花開くことが約束された蕾がなったとばかりに、少女の女性的魅力がより増したくらいだったでしょうか。


 しかし、そんな美貌など例の官僚の男にとっては余計なものでしかありませんでした。


 ただでさえも偏執的な性癖の中でも、ひどく限定的な少女趣味の持ち主です。


 今すぐにでもその幼い身体を貪りたかった欲望をこらえ、より自分好みの年齢に育つまでヨダレを垂らしながら待ち続けた末にようやく最上級の人形を手に入れることができると思っていた矢先。


 少女は男が忌み嫌う、醜く汚らわしい贅肉をまとったただの女へと成り下がり、彼の手元からスルリと零れていきました。


 養子縁組の話は瞬く間に破談。

 それでも男の無念と怒りは簡単には収まりません。


 少女の家に人やお金など何かと融通していたものをキッパリと絶っただけには飽き足らず、自身の持つ権力の許す限りに父親を追い詰めます。


 それまでの貴族さながらの高い地位や裕福な暮らしから一転、職場である帝国軍の中にも居場所を失った両親の憔悴は、それはひどいものでした。


 元より選民思想が強く、人を見下し、上に媚びることに慣れた彼らにとって、その失墜は到底我慢できるものではありません。


 あらゆることが理不尽です。


 ただの変態の八つ当たりで冷遇されることも。


 どうにか権威を取り戻そうと奔走した先のイチイチに先手を打たれて封じられたことも。


 謝罪や賠償を受け入れてくれないことも。


 自分たちに訪れた不幸も。


 両親にはただただ理不尽なものに感じられます。


 そして、それは必然のことであったのでしょう。


 そんなやり場のない両親の苛立ちは、すべて少女へと向けられてしまいます。


 お前さえ初潮を迎えなければ何もかもがうまくいった。

 お前さえもう数年、未熟な人形のままであればすべてが丸く収まった。

 お前さえ男に目をつけられなければ、

 お前さえそれほど愛らしくなければ、

 ……お前さえ、生まれてこなければ……。


 理不尽に打ちのめされた彼らは、それ以上に理不尽な仕打ちを幼き少女に与えます。


 肉体的な暴力がありました。

 精神的な暴虐がありました。


 それまで頭を撫ででくれた同じ手の平で頬を打ち、『お前のおかげだ』と褒めてくれた同じ口で『お前のせいだ』と罵詈雑言の限りを少女に浴びせかけました。


 少女はそれらを甘んじて受け入れます。


 両親の不幸は全部全部、自分のせいなのだと心から思い、されるがまま、言われるがまま耐え忍びます。


 そんな殊勝な態度がまた気に入らないと腹立ちが増長し、更なる理不尽が加えられたとしても、少女はそれでもジッと我慢します。


 『全部、お前が悪いんだ』

  ――そう、ぜんぶ私が悪い。


 『お前はとんでもない親不孝者だ』

  ――そう、私はとてつもない親不孝者。


 『お前は俺たちの人形であればよかったんだ』

  ――そう、私はお人形。


  ――意志も意思も持たない可愛いだけのお人形。

  

  ――大人でも女でもヒトでもない……私はただのお人形……。


 少女から笑顔が消えました。


 ぶたれても、なじられても、責められても変わらず少女は笑います。


 けれど、あの弾けるような笑顔だけはもう、消えてしまったのでした。



 そんな折、少女の家に一人の来客がありました。


 父親の豊富だった人脈の中の末端にいた人形師です。


 人形師としての技量は一流であったけれど、商売人としての才覚はまるでないという不器用な青年でした。


 腕を持て余し食いぶちに困っていた彼は、地元の商工会で付き合いのあった宝石商に営業や販売を委託、主に貴族などの上流階級を相手にオーダーメイドの人形を作って生計を立てていました。


 そして、その宝石商というのが少女の家にも頻繁に出入りしていた業者だったのです。


 普段は出不精な彼が宝石商に促され、気まぐれに少女の屋敷を初めて訪れたのは、もう何年も前の話。


 華やかな宴の席はやはり肌に合わないなと青年は不貞腐れていました。


 早々に引き上げよう……そう思っていたところです。


 遅れて会場内に入ってきた一人の少女の登場に、青年の体に電流が走りました。


 身に付けた豪華なドレスや仰々しい装飾類にも負けない輝きを放つ白い肌。

 歩く度にフワリとたなびいて香る儚げなスミレ色の髪。


 常に楽し気な表情を浮かべる顔は、幼くて無邪気。

 しかし、チラリと交じり合った視線の奥に控えた水色の瞳は、やけに悩まし気。


 青年は頬を赤らめながら、慌てて目をそらしました。


 そして頬どころか体中に火照りを感じていたたまれなくなりました。


 他人にも自分にも不器用な青年は、今、自分を捕えているこの体調の変化と、胸に沸き上がってきた感情が何であるのかがわかりません。


 口に合わない高級な酒を飲んだせいだろうか?

  居心地の悪い環境と人いきれに酔ってしまったのだろうか?

   このところ納得がいく人形を作れないでいる心労が出たのだろうか?


 青年はグルグルと頭の中で色々と考えます。


 結局、チラチラと横目で少女の姿を追いかけるうちに宴がお開きとなり、フラフラした足取りで自宅へと戻ってベッドの上に寝転がってみても、彼には答えらしい答えが見つけられませんでした。


 なんてことはありません。


 他の大多数の男と同じ、ただ可憐な少女に恋をしてしまっただけという簡単な答えに、鈍感な彼は夜が明けてもなお辿り着くことはできませんでした。


 

 初めての恋を知ってから青年の作風はガラリと変わります。


 富裕層が主な顧客だった青年。


 基本的にはハメ込んだ高価な宝石類を引き立てるのが目的で、精巧さは二の次、リアルさは三の次という作品ばかりを作っていました。


 それがどうでしょう。


 とことんまで人間らしさを追求した、極めて写実的なものへと変わったのです。


 目鼻立ちから僅かな唇のキワ、手足の長さから肩幅の広さに至るまで数ミリ単位の微調整を繰り返します。


 冷たく無機質なはずの肌には、まるで新鮮な血液が通ってでもいるかのような活力が溢れます。


 髪の一本、爪の一枚が、日毎に伸びるのではないかというくらいの再現性を見せます。


 指定された期限も、顧客の求めたデフォルメ作品とは程遠い仕上がりへの文句も知りません。


 仕事を取ってくる宝石商の愚痴や怒りや泣き言など聞く耳もちません。


 そのこだわりよう、その妥協の無さ、その寝食を惜しんで工房に籠る姿には鬼気迫るものがありました。


 そんな彼の情熱が乗り移ったかのように、次々と生み出されていく人形たちには、もはや本物の人間と見まがうほどの迫力みたいなものが宿るようにまでなりました。


 それでも彼は止まりません。


 単なる観賞目的用を細々と作っていた一職人から、時代を代表する芸術家と呼ばれるまでに世間から評価されても。


 より金払いのいい新たな客層を得て巨万の富を得ても。


 青年は変わらず、憑りつかれたように黙々と精巧な人形を作り続けます。


 まるで見果てぬ何かをひたむきに追いかけ続けているかのように。

 まるで足りない何かをひたすらに埋め続けているかのように……。


 

 ……数年の後、青年は風の噂で耳にします。

 

 あの時の可憐すぎる少女。


 今もなお自分の心の大部分を占めて憚らない高嶺の花たる少女。


 想っても焦がれても、追いかけても埋めてもまだ褪せることのない恋心を抱く少女が置かれた悲惨な現状を知ってしまいます。


 そしてそれが、人形を作ること以外ほとほと不器用な青年に、一世一代の勇気を与えます。


 ―― 僕が彼女を救うんだ ――



 『……初めまして……お嬢さん』


 『いいえ、初めてではないわ。いつかの夜会にお越しになったでしょう?』


 『……覚えていてくれたのですか?』


 『ええ、一度お目にかかった方の顔は忘れないの』


 『……僕は貴女を救いたい』


 『ありがとう。でも、大丈夫。大丈夫よ』


 『貴女はこんな鍵のかかった何もない……家具も紙も木切の一片すらもない部屋に閉じ込められていい女性じゃない』


 『いいえ。罪深い私には、こんな罰でもまだ温いわ』


 『貴女は何も悪くないではありませんか』


 『いいえ、いいえ。そうではないわ。私が全部、悪いのだから。あの方の求めた通り、お父様とお母様が望んだ通りのお人形になり切れなかった私が全部、悪いのだから』


 『……僕は人形師をしています』


 『そう、素敵なお仕事ね』


 『誰が見ても本物の人間と間違えるくらい、精巧な人形を作れます』


 『そう、素晴らしい腕前をお持ちなのね』


 『……ぜひ、貴女の人形を作らせてはくれませんか?』


 『いいえ、いいえ。それはできないわ。お父様とお母様がきっとお許しにならないもの』


 『大丈夫です。実はもう既にご両親から許可は頂いて参りました』


 『……あら』


 『件の帝国官僚の男にも話はつけて参りました。貴女を模して作った僕の人形に≪人形遣いパペッタ―≫の技術を応用、自我を持たせた『自活駆動型』の人形として男に提供することで、貴女の家への度重なる嫌がらせを止めてもらうと約束させました』


 『そう……手際がいいのね、貴方?』


 『後は、貴女さえ了承していただければ、すぐにでも作業に取り掛かります』


 『いいえ、いいえ。最初から私に選択権はないわ。あの方が求めるならば、お父様とお母様が望むのならば、私はそれを喜んで受け入れましょう』


 『わかりました。ありがとうございます』


 『うふふ……お人形になり切れなかった私のお人形だなんて、可笑しいわね』


 『……僕はもう、貴女にそんな哀しそうな微笑みを浮かべて欲しくはありません』


 『そう……今の私の笑みは、そんなに哀しそうに見えるのね?』


 『……僕が……必ず貴女を救い出します。そして貴女のあの朗らかな笑顔をもう一度、見せて下さい』


 『ええ、そうね。そう……できるといいわね』


 そう言った少女の微笑みに、やっぱりかつてのような明るさはありません。


 その憂いを孕んだ奥行きのある笑みもまた、青年の心をひどく打ち震わせるほどに美しいものでした。


 しかし、それでも身勝手な大人たちに不当に奪われてしまったものをこの手で取り戻さなければならない……青年は決意を新たにします。



 ―― 本当に……そうなれば素敵ね、お兄さん? ――



 お人形と呼ばれた少女の小さな小さな呟きは、


 少女の代わりとなる人形を作り出そうとする青年の耳には届かず、



 灯り一つ無い空っぽの部屋の虚空深くへと吸い込まれていくばかりでした。



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