第七章・囚われの姫君~ ICHIJI‘S view⑧~

 ザワザワザワ……

   ザワザワザワ……

     ザワザワザワ……



 「……ん?」


 しばし、呆気にとられ放心していた俺。


 その耳に、なんだか随分と久しぶりな気がする外界の混濁した喧騒が聞こえた。


 「……結界が……消えた?」


 そうして、ふと見渡せば。


 リリーが展開し、それまで俺たちとその他の人間を隔絶していた漆黒色の結界が取り払われ、元の絢爛豪華な舞踏会場の華やかさが目に眩しく映っていた。


 「幼女A」


 「うむり」

 

 パチン

 

 アルルが短く声を掛けると、リリーがすぐさま指を鳴らす。


 またしても、結界を張る?……いや、違う。


 今度はもっと直接的だ。



 グニャリ……

    ズブブブブゥゥゥゥゥゥ……


 赤色に数滴の黒を混ぜ合わせたような暗い紅色の明滅。


 会場の床が波打ち、溶けるように沈み込み、一切の光も射し込まないであろう深い深い大穴が穿たれる。


 さすがにいい加減、殆どの人々が何か異常な事態が起きていると気がついてパニックを起こしそうになっていたのだけれど、嬌声や叫び声を上げる間もなく、彼らはその不吉な暗闇へと一瞬のうちに飲まれ、落ちていく。


 そして穴が巻き戻し再生のごとく元通りに塞がり切った頃には、俺たち以外、会場には誰も残ってはいなかった。


 「うむ、備えあれば憂いなし。術式を練っておいて正解じゃったわい」


 「あのねぇ、だからって異次元までぶっ飛ばす必要ないじゃないですの。……あれ、≪空間誘導ディレクション≫ですわよね?」 


 「仕方ないじゃろ。誰かさんの放ったスーパーパワー(笑)の余波で生半可な魔術や≪召喚サモン≫は全部キャンセルされてしまうんだもの」


 「だからって指パッチンだけでサラリと≪魔法≫使わないでくださいまし。この世の魔術師全員の努力と研鑽を踏みにじった上にグリグリとした後、砂をかけてアッカンベーってしているみたいなお手軽さですわよ……」


 「中途半端はするな(ドヤ)と言ったのは誰じゃったかのぉ?」


 「……それを言われちゃったら……その、アレなわけですけれども……ってかカッコ書きで馬鹿にしないで」


 「まぁ、≪空間誘導ディレクション≫とは系統だけ似せた出力も範囲も劣る紛いものじゃよ。飛ばしたのも次元の彼方などではなく、今頃はここの中庭辺りに落ちていることじゃろ。……今の我では≪魔法≫をそのまま使うことは叶わん。そもそもそんなものが簡単に使えたら、さっさとそこの絶対正義マンの方をぶっ飛ばしておるわい」


 「……とりあえず、ありがとうございました」



 シュゥゥゥゥゥゥゥ……



 肩から力を抜いたアルルに呼応するように。


 彼女を覆っていた白銀の光も静かに集束していく。


 「ああ、ホームグラウンドたるラ・ウール王宮ここですらこれだけしか持ちませんか……ホント不便……」


 そう、愚痴っぽい割にはどこか安堵したように見える姿は、いつものアルル。


 俺の良く知るアルル=シルヴァリナ=ラ・ウールへと戻っていた。


 「…………」


 『シルヴァリナ』……前からちょくちょくと耳にしてきた言葉だ。


 アルルのミドルネーム。


 そして母親からあの庭園とともに受け継いだ大切な名前。


 きっと意味はそれだけではないんだろうと薄々感じてはいた。


 ただ、それ以上に。


 アルルが俺にあまり触れてほしくないような空気も感じていたので、聞けないままでいた。


 気にならなかったと言えば、もちろん嘘になる。


 どうしても追及しなければ気が済まないというほどではないにせよ、アルルのフルネームを聞くたびに心の隅でひっかかるものはあった。


 けれど俺に話す必要があるとアルル自身が判断した時。


 いつか俺が聞かなければいけないその時が来るまで、こちらからは触れないでおこうと決めていたのだ。


 しかし、なるほど……。


 俺たちが三人がかりで挑んでもかすり傷一つ付けられなかった相手を、こんなに簡単に手玉に取ってしまう圧倒性。


 リリー曰く、周囲の魔術をことごとく無効にしてしまうスーパーパワー(?)という絶対性。


 アルルの性格を考えるなら、そんな人々の努力も研鑽も、過程も理もあっさりと無視してパワーバランスを崩壊させる反則級の力なんてあんまり自慢したいものじゃないんだろう。


 「……くっくっく……」


 ただ……どうやらこの男は違うらしい。


 「なるほど、なるほど……実に……いや、実に実に素晴らしい……」


 当の力をぶつけられた本人。


 圧倒性と絶対性の前に一撃で体中に傷を負った男。


 「今の今までどこか懐疑的ではあったのだが……これは認めざるを得ないらしい」


 デレク・カッサンドラ……強きを正しさと信じる『正義』の狂人は。


 頭から垂らした血に顔を真っ赤に染めつつも、沸きがる愉悦に大きく、大きく、笑うのだった。


 「なにがただの小娘だ。なにが役者不足だ。やはり貴様の命の散り際は……皇帝など及びもつかない大輪の花火となるんだろうな、シルヴァリナよ……」


 ゆっくりとめり込んだ壁から這い出てくるデレク・カッサンドラ。


 あっけなく吹き飛ばされたことへの羞恥も。


 鉄壁を誇るらしい≪風の鎧≫すら無視して全身に傷をつけられた痛みですらも、今の彼には関係がなく。


 むしろその屈辱と痛みが至上の喜びとばかりに笑い続ける。


 「……相も変わらぬ多大な評価を頂いたところで恐縮なのですけれど、ほら、この通り。一発かますくらいしかできませんわ」


 「しかし、あんなもの。その力の一端に過ぎないのだろう?」


 「いいえ。正確には一端どころかただ錠を緩めて漏れ出しただけの力ですらないもの、ですわ」


 「なんと、そこまでに……」


 「……もっとも先ほども述べた通りに、ひどくややこしい制約に縛られていて雁字搦めですの。ですので、これ以上のものは生憎とお見せできませんわ。ええ、決して出し惜しみをしているわけではなく。……あなたの『シルヴァリナ』に対する知識がどの程度かは存じ上げませんが、この意味がおわかりになって?」


 「制約……それはやはり、かの唯一無二であるこの世界の正史に記述されている≪断罪の巫女≫伝承の通りということなのか?」


 「……はぁ……まったく……」


 アルルが驚きと呆れを含んだ大きなため息を吐く。


 「あなた本当にただの軍人でしたの?もしかしたら歴代皇帝ですら知らぬ者がいるかもしれない、そんなこの世の秘匿中の秘匿中の更に秘匿事項。どうしてあなたごとき一般人が知っているんですの?」


 「くっくっく、この俺を一般人ときたか。……確かに『シルヴァリナ』の伝説を前にしてしまえば、俺の行う『革命』ですら、他愛のない歴史の一コマにまで成り下がってしまうだろう」


 「……まぁ、いいでしょう。殊更に吹聴できないことまでも十分ご理解していただいているようなので」


 「吹聴しようにも俺には扱いかねるよ、こんなもの」


 「……それで、どういたしますか?」


 「別に、どうもしないさ」


 「変わらず、ただ革命の華にするためだけに、わたくしを殺すと?」


 「無論だ。『正義』の執行者は揺るがない。……と……」


 「……言いたいところなのですわね?」


 「……ふっ」


 両者は笑う。


 不敵に、不遜に、そしてどこか悪戯っぽく。


 口角を釣り上げて嗤う。


 「……貴様がどうしてこの八方塞がり状況下でもそこまで強気でいられたのか、ようやくわかったぞ、姫君よ」


 「確率的には殆ど博打の域ではありましたわ。質実剛健をモットーに生きてきたわたくしとしてはヒヤヒヤもので、本当に心臓に悪かったですの」


 「誰かの上に立つ者は時に大博打の決断に打って出なければならない機会があるものだ。大いに勉強になっただろう?」


 「貴重な経験をありがとうございます。……そして、あなたがわたくしの予想以上に本物の『正義』であったこと、そこにも感謝をしなくていけませんわね」


 「当たり前だ。俺の『正義』は絶対なのだから」


 「では、この交渉戦い、わたくしの勝ち、ということでいいですわね?」


 「ああ、完敗だよ『シルヴァリナ』」


 ………

 ……

 …


 ……え?


 と、思わず言葉を漏らしたのは誰だっただろう?


 俺かアンナかギャレッツかゼノ君かヒイラギか……。


 ともかく、誰しもが展開の早さについて来ていない。


 アルルの勝ち?

  デレク・カッサンドラの完敗?


 わけがわからない。

  まったくもって何がどうなっている?


 「……なんだ……」


 一瞬とはいえ、アルルが見せた力に恐れをなした?

  見た目以上にデレク・カッサンドラの傷は深いのか?


 ……いや、違う。


 そもそももう、事態はアルルやデレク・カッサンドラ個人の問題だけには留まらない。


 ラクロナ皇帝の命。


 ラ・ウール以下数人の国王の命。


 制圧された帝国本陣。


 止まらない、止められない『革命』の流れ。


 そういった諸々の問題は何一つ解決していない。


 デレク・カッサンドラ本人が言っていただろう。


 自分一人を打倒してみたところで意味はないのだと。


 ……わからない。


 この白銀の少女と正義狂いの男は、一体、何をどう折り合いをつけたというのだろう。


 「……それで、どうする?」


 混乱する俺たちを尻目に、アルルと同じ問いを、今度はデレク・カッサンドラが投げかける。


 「俺はともかく、そう易々とウチの奴らは納得せんぞ?」


 「手始めに第二試合。わたくしの駒とあなたの駒。互いにぶつけ合ってその勝敗の行方を見届けます。……こちらの勝利条件はラ・ウール国王と皇帝の奪還。更には奪取したケルアックの貨物船に乗ってもう既にラ・ウール王都へと侵入をしているそちらの兵からの拠点防衛ですわね。そちらはその逆、わたくしの兵の思惑をことごとく粉砕せしめることが目標です」


 「ふむ……」


 「こちら側はともかく、あなたの側の兵は暴れられる場所さえあれば理由なんてなんでもいいという者たちがきっと多いのでしょう?その不満はこれで解消されますわよ」


 「……それから?」


 「そして第三試合。二試合目の雌雄が決したところで、わたくしとあなたで大将決戦としゃれ込みましょう。もちろん、純然たる殺し合い。それまでの勝敗など関係なく、最後に生き残っている方が勝ちです。……今度はわたくしも制約だなんだと無粋なことは言いません。極限まで魂を絞り出し、『シルヴァリナ』としてあなたに臨もうではありませんか」


 「それが可能であるのか、根拠がないだろう」


 「信じてもらうより仕方がありません。ただ、あなたの知るわたくしは、いよいよとなった時に尻ごみをし、やっぱり出来ませんでしたと言うような偽物ですか?根拠というならば、他でもない、あなたの胸に聞いてみてくださいな」


 「言うじゃないか。よろしい、その自信がハッタリではないことを信じ、提案を受け入れよう。……しかし、それでも納得しない者は出てくるぞ。中には俺と同等程度に『正義』を信奉し、『革命』にその全霊を注ぐ輩もいる」


 「……わたくしを捕縛しなさい、デレク・カッサンドラ」


 「なに?」


 「人質としてわたくしを捕らえ、あなた方の拠点にでも幽閉しておきなさい。ただ殺すのではなく、大陸民すべてに『革命』を知らしめるため、もっとも効果的な時と場所、乙女の血しぶきがそれこそ一番美しく大輪の花火となるであろう潮目のために一先ず手元で寝かせておくとでも言っておけばいいでしょう」


 「それで奴らの留飲が下がるとでも?」


 「そこは下げさせなさいな、首領殿。あなたの度量の見せどころですわよ?」


 「御しがたいと言ったはずなのだがな。……やれやれ貴様の厳しさと正しさは、どうやら仲間内だけのものではないようだ」


 「お好きでしょ?そういうの?」


 「……悪くはない……」


 「では、もっとあなた好みに言い換えましょう。……これは試練です、デレク・カッサンドラ」


 「試練?」


 「あなたの掲げる『正義』が果たして本当に正しいのか……あなたと、あなたのお仲間のしていることが本当に間違ってはいないのかの試練なのです。……わたくしたちが勝てばそれまでですし、あなた方が勝てばもっと胸を張って己が主張の正しさを証明できるでしょう。……『正義』が絶対の光であると一切疑ってはいないあなたには今更の話ではありますが、そこにこの≪断罪の巫女≫が裁定を下してあげると言っているのです」


 「……くっくっく……」


 「どうです、悪くないでしょう?」


 「くっくっく……ああ……ああ!!悪くない!!悪くないじゃないか!!はっはっはぁぁ!!!!」


 喜びを大爆発させるデレク・カッサンドラ。


 その血だらけの顔を歪めに歪め、両手をいっぱいに広げて笑い続ける男の姿は。


 やっぱり、俺たちの持ちうるどんな物差しでも絶対に計り切れない。


 正義のバケモノでしかなかった。




 「……ホント、変態的に狂ってますわね……この男……」


 「……アルル……」


 もう、さすがに黙って見ていることはできなかった。


 「一体、どういうことになったんだろうか?」


 「……イチジ様……」


 バツが悪そうに、恥ずかしそうに。


 敵将と対峙していた時にはまるで見せていなかった、少し萎縮したような様子でアルルがゆっくりと振り返る。


 「とりあえずは、勝ちましたわ」


 「勝ち……でいいのかな?」


 「ええ、完勝です。これで一先ず、にっちもさっちも行かなかったはずの王手からは逃れ、幾ばくかの希望を確保することができましたの」


 「アルル、ごめん。俺は今、結構混乱しているんだ」


 「そうは見えない、相変わらずの素敵な無表情ですけれど」

 

 「……本気で怒るけれどいい?」


 「……ごめんなさい。……こうする他に良い方策が思いつきませんでした」


 「……これが、君の覚悟だったわけか」


 「はい。結果として即敗北という最悪は免れました。……しかし、わたくしはあなたを……他の多くの人達の命を賭け金として勝負を挑んでしまいました」


 「そして自分の命ですらも、ね」


 「……ああ、やはり、わたくしに一軍の将などと大層な役目は担えませんわね。……ホント、なんてひどい罪悪感……リリラ=リリスの鎖で縛られたのなら、きっとわたくしは一生、その戒めからは解かれることはないのでしょうね……」


 「アルル……」


 「こんなわたくしのこと……軽蔑いたしますか、イチジ様?」


 「……いや……」


 「結局はあなたを押し出すように死地へと追いやってしまったわたくしのこと……嫌いになりますか?」


 「いや……いや、ない。絶対にそんなことはないよ、アルル」


 「ふふふ、ありがとうございます。……優しいあなたがそう仰って下さることをわかっていながらこんなことを尋ねるわたくしは……ホント、ズルい女ですわ」


 そう言ってうなだれるアルル。


 沈鬱なムードに浸る俺たちを鼓舞した時の威厳も。


 先ほどまであんな狂人を前に堂々と弁舌を振るい、そして勝利を勝ち得たしたたかさもどこへやら。


 下を向き、肩を震わせ、歯を食いしばるアルル。


 ……なんだよ、もう。


 ああ、確かに君はズルい。


 女は色んな顔を持っているというけれど。


 よりにもよって、そんな、今にも泣きだしそうな顔と声で前に立たれたら。


 言いたかったことも、聞きたかったことも、もうどうでもいい。


 「……アルル」



 ギュゥゥゥゥ……


 

 「い、イチジ様?」


 「……もう……こんな風に抱きしめるしかないじゃないか……」


 「え、あ、ええ???」



 ギュゥゥゥゥ……


 

 ……きっと、俺の手を握った時。


 アルルはもう、こうなることがわかっていた。


 確かに最悪の状況は脱した。


 兵力の数にしろ、事前の段取りにしろ。


 相手が時間をかけて整えた『革命』への布陣は未だに盤石。


 こちらが不利であることには変わりない。


 だけど細くとも光は差した。

  だけど淡くても希望は見えた。


 あとは俺たちの頑張り次第。


 不利を承知で勝ちを掴み取りにいく気概次第。


 なるほど、君はすごい。


 0%と言ってもいいほどの絶望を、1%にでも希望へと引き上げた。


 それはたぶん、奇跡だ。


 魔法なんかよりもよっぽど凄い、死者を生者へと変えるくらいの奇跡を君は起こしたんだ。


 ……たとえその奇跡に。


 ……君自身の命を勘定に入れていなくとも。



 ギュゥゥゥゥ……



 「い、イチジ様……こ、これは……」


 「ごめん。別れの挨拶に、手を繋ぐだけじゃやっぱり物足りなかったよ」


 「あああああああ……ど、どうしましょう……あ、あのイチジ様が……イチジ様がハグしてる……し、幸せ過ぎて、死ねる……」


 「いや、死なれたら困るんだけれども……」


 「ハグです……ハグですわ……わたくしのこの持て余し気味の豊満な胸をご自身の厚い胸板へと押し付けてそのムニュムニュした感触を楽しみつつ、後ろ手に回した腕で魅惑的な腰のラインをまさぐり虎視眈々とその下にあるムッチリとした安産型のお尻へと狙いを定めながらハグハグしていますのぉ……」


 「えっと……アルルさん?」


 「ああ、こんな衆目の面前でわたくしはついにイチジ様と一つになるんですのぉ。滾った若きリビドーは留まることを知らず、このままわたくしのこの純白のドレスは荒々しく引き裂かれ、その隙間を縫うようにイチジ様の長くて大きくてゴツゴツした指がわたくしの体中の柔肌をこれでもかというくらいにまさぐり蕩け切ったところに優しいけれど雄々しいイチジ様の……」


 「そいっ(チョップ)」


 「ぴゃい!!」


 「……どんな時でもホントお約束を外さないな、君は……」


 「ぴゃぁぁぁ……」


 そう、どんな時でも君は君らしい。


 これからまさに自分の命を人身御供とし、敵の手の元へと向かおうとする強い君も。


 多くの人々の命運を背負い込む重さに弱気になってしまう君も。


 そして、それでも何一つ取りこぼすまい、荷を降ろすまいと前を見据えるやっぱり強い君も。


 全部、全部……君らしい。


 「……なぁ、デレク・カッサンドラ?」


 「……なんだ、ナイトよ?」


 高笑いを潜め、ジッとこちらを見ていた男に、俺は呼びかけた。


 「この通りウチのお姫様はさ、どこにでもいる普通の女の子なんだ」


 「普通の小娘が、俺の行動を曲げられるものかよ」


 「まぁ、俺には難しいことはわからない。生き贄とか姫とか、あんたの計画を見事に曲げてしまった『シルヴァリナ』とか、なんかその辺りの事情はさ」


 「ふむ」


 「俺にとってこの娘は、命の恩人であり、守るべき大切なモノであり……結局は、こんな風に恐怖や重圧に泣きそうになってしまう、か弱い女の子でしかないんだ」


 「ふむ、それで?」


 「……だから、絶対に奪い返しにいく」



 ギュゥゥゥゥゥゥゥ……



 「イチジ様……」


 「俺にしてみれば、国も帝国も王様も皇帝も革命も試練も正義も悪も知ったこっちゃない。暴れて、潰して、引き裂いて、お前を今すぐに殺してしまいたい」


 「…………」


 「だけど、それじゃ、この娘の頑張りが全部無駄になる。この娘が守りたいものすべてが失われる。……だから耐える。我慢する。今は大人しく見送ってやる。…それでも……」


 「…………」


 「それでも、俺はこの娘の為に戦う」


 「…………」


 「俺はこの娘の為だけにお前たちに挑む」


 「…………」


 「俺はこの娘ただ一人の為に……この命を使ってやる」


 「……ナイトよ、貴様の名は?」


 「イチジ……タチガミ・イチジだ。是非とも覚えていってくれ」


 「タチガミ・イチジ……」


 「それが、お前を殺す男の名前だ」


 「タチガミ……イチジ……」


 「この娘とは決して戦わせない。試練も裁きもない。その前にお前は俺が殺る」


 「つくづく、ラ・ウールという国は面白いな……くっくっくっく……」


 「イチジ様……」


 下からアルルが俺の顔を見上げる。


 「アルル。少しだけ待っていてくれ」


 「……はい」


 「ちょっと、物騒なことと、国とか知らないとか言ってしまったけれど、あれが俺の紛れもない本心なんだ」


 「……はい。……はい」


 「こんな俺を軽蔑する?」


 「いいえ……」


 「こんな俺は怖い?」


 「いいえ……いいえ……」


 「こんな俺のことは……嫌い?」


 「いいえ、いいえ。まさか自分のことをここまで想ってくれる殿方を……囚われた姫を助けに向かう勇者様を……どうして嫌うことができるのでしょう」


 「俺もまた、ズルい男だったみたいだ」


 「ええ、本当にズルくてどうしようもない殿方……でもね、イチジ様?今のあなた……」



 ギュ……



 「超カッコイイ……」



 グニャリ……



それは既視感のある発光。



 「……では、参ろうか、姫君?ちょうど迎えも来たようだ……」



 ブブブブゥゥゥゥゥゥ……


 

 それは既知感のある現象。


 リリーが指を鳴らして成した魔法モドキの魔術と同じような紅色の光とともに、デレク・カッサンドラの周りの空間が歪み、割断される。


 「……ほうほう……なるほどのぉ……」


 創世の魔女が何だか含みのある物言いで何かを納得しているその間。


 空間にできた隙間から、一人、二人と次々に人影が這い出して来る。



 一人目。朴訥とした佇まいの男。

 二人目。白い法衣を纏った男。

 三人目。軍服を煽情的に気崩した女。

 四人目。どこか青白い顔をした男。

 五人目。ニヤニヤと笑っている子供。

 六人目。ニヤニヤと嗤っている子供。

 七人目。冷めた眼差しをした女。


 総勢、七人の人間が現れ、デレク・カッサンドラの周りを囲むようにして跪く。


 「……お待たせいたしました、閣下」


 七人目の女が恭しく言う。


 「遅れたな、ネクラス」


 「申し訳ございません」


 「やはり貴様でもあの結界は破れなかったか?」


 「はい。力及ばず」


 「メイリーン。貴様の助勢あってしてもか?」


 「ええ、申し訳ありません。わたくしと副首領閣下の力を仲良く、な・か・よ・く合わせましてもなかなか……」


  三人目の女が殊勝な言葉とは裏腹に嘲弄めいた口調で言う。


 「え~メイリーンはずっとネクラスの横で茶々入れてただけじゃん。ねぇ、カノン?」


 「ずっとずっとず~っとネクラスの邪魔してただけじゃん。ねぇ、カロン?」


 五人目、六人目の子供が無邪気に言う。


 「ちっ……うるさいガキどもだねぇ……殺すわよ」


 「め、メイリーンさん。お、落ち着きましょう?」


 四人目の男が弱々しく言う。


 「ふぉっふぉっ。まぁまぁ、そういう貴方も落ち着いてはいかがかな?」


 二人目の男が場をとりなすように言う。


 「ほれ、この通り。アーガイル殿はまるで巌のごとく控えていますぞ」


 「…………」


 一人目の男は終始、無言を貫き続ける。


 「やれやれ。本当に御しがたい連中だ」


 そして、その中央。


 デレク・カッサンドラの一言で空気が引き締まる。


 「ネクラス」


 「はい」


 「貴様でも破ることの叶わなかった結界、どうして入ることができたと思う?」


 「はい、突如としてその出力が減衰し、私でも対処可能な域にまで強度が落ちたからかと」


 「減衰させてたのは、あの小娘だ」


 「……銀髪銀眼……あれが『シルヴァリナ』……」


 「いかにも。そしてこの俺にここまでの手傷を負わせたのも、あそこの姫君だ」


 「なるほど」


 「ほぉぉぉぉぉぉ!!アレが『シルヴァリナ』!?なんと……なんと美しい!!!」


 「本物の輝きはもっと美しかったぞ、ノックス」


 「ほうほうほうほう!!!これはこれはこれはぁぁぁ!!ふぉぉぉぉぉ!!!!」


 「ちっ、気持ち悪いジジィね。……デレク様もジジィも、あんな小娘の何がいいんだか」


 「あ~メイリーンってばヤキモチぃ?ねぇねぇ、ヤキモチぃ?」


 「ヤキモチだぁ!ヤキモチだぁ!若くてピチピチの女の子にヤキモチだぁ!!」


 「……このジャリガキ共……マジで殺す」


 「ま、待って待って!メイリーンさん!!」


 「……閣下、『シルヴァリナ』が健在ということは……」


 「ああ、花火は延期だ」


 「了解いたしました」


 「反論はしないのか?」


 「はい。それが貴方の御意向なれば」


 「え~殺さないのぉ?」

  「え~殺さないのぉ?」


 「今は、な。このまま彼女を我らの拠点へと連れていく」


 「な!?で、デレク様!?それは、一体!?」


 「不満か、メイリーン?」


 「あ、いえ、不満というわけではありませんけれど……」


 「やっぱりヤキモチだぁ!!」


 「やっぱり年増の醜い嫉妬だぁ!!!」


 「っっっ!!!!!!」


 「あああ、もぉぉ!!!アーガイルさん!!アーガイルさんも止めて下さい!!!」


 「…………」


 「ほうほうほうほう!!!閣下!!カッサンドラ閣下!!やはり、ワシは貴殿についてきて正解でした!!!こ、このままあの少女を連れてかえり、体中……いいや魂にまでいたるまでワシにこねくり回させてくれるのですな!!????」


 「いや、ノックス。貴様には指一本触れさせん」


 「ふぉぉぉぉぉぉ!!!な、なんとご無体なことを!!!!ワシが!我々が!!どれだけ『シルヴァリナ』の到来を待ち望んでいたか、知らないとは言わせませぬぞ!!!!」


 「ああ、貴様らの執着は知っている。それもまた『正義』だ。だが、許さん。アレは貴様らのような下賤の輩が易々と触れていい女ではない」


 「ふふふふ、ふぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 「……ぐぬぬぬ……小娘風情が……」


 「詳しくは後で話す。今は退くぞ。ネクラス、退路を」


 「はっ」


 「そして姫君は貴様に預ける。丁重に扱え」


 「了解いたしました。私の部下を一人、世話係としてつけましょう」


 「さて……それではラ・ウールの姫君、お待たせした。こちらに」


 「……はい」


 アルルが離れていく。


 今度は手のひらだけじゃない。


 全身が、

  柔らかさが、

   匂いが、

    温もりが、


 今度こそ俺の元から離れていく。


 「……では改めまして、行ってきますわ、イチジ様」


 「……ああ、気を付けて」


 「イチジ様こそ、本当に無理をなさらないで下さいね」


 「無理はしない。けど、無茶はちょっとしてみようか思ってる」


 「あらあら、ふふふ……」


 「ひ、姫様!!」

  「アル坊!!」


 「アンナ、ギャレッツ。もろもろ、お願いしますわね」


 「ひ、ひめ……ひめ……さま……」


 「……どうせ泣くのなら、愛しい殿方の胸の中がおすすめですわよ、アンナ?」


 「ぐすっ……はい。……後で存分に使わせて頂きます」


 「ええ、それでこそ我が宿敵。……帰ったら恋の鞘当ての続き、しましょうね?」


 「……っっはい!!!!」


 「幼女A!!」


 「なんじゃなんじゃ。もう挨拶は済ませたじゃろーに。お涙頂戴の場面もあんまりしつこいとその感動も薄まってしまうぞ?」


 「魔王の降臨、期待してますわ」


 「……任せろ。魔王幼女なる新ジャンルを確立して蹂躙してやるわい」

 

 コツコツ……


 アルルが遠ざかる。


 コツコツコツ……


 純白のドレスを翻し、その背中が小さくなっていく。


 コツコツコツコツ……


 そしてそのまま。


 コツコツコ……     …………


 俺たちの光が、無謬の闇へと消えていく。


 「……『シルヴァリナ』のナイトよ……」


 アルルに続いて消えていく『革命の七人』のメンバー。


 それを見送りもせず、デレク・カッサンドラは俺を真っすぐに見据える。


 「安心しろ。俺の『正義』に誓って、何人も貴様の姫君を汚させたりはしない」


 「当たり前だ。傷一つ付けようものなら、俺はお前ごと組織全部を壊しつくしてやる」


 「はっはっはっは……貴様のそれは、紛れもなく『正義』だよ」


 「……正義なんて柄じゃないが、そこだけは同意する」


 「待っているぞ、タチガミ・イチジ」

  「待っていろ、デレク・カッサンドラ」



 「貴様の悪を、殺しに来るのを」

  「お前の悪が、殺しに行くのを」

 


 こうして、戦いは幕を開ける。


 国の為じゃない。

  王の為じゃない。

   正義の為じゃない。


 ホント、身勝手な理由で申し訳ない。


 聞く人が聞いたら、それこそこんな理由で戦いへ臨む俺はたぶん、悪者だろう。



 でも、いいんだ。

  全然、知ったこっちゃない。



 俺は彼女の為だけに戦う。

  俺は彼女を取り戻す為だけに奪い、殺し尽くす。



 どんな行動も。どんな争いも。

 どんな作戦も。どんな策略も。

 どんな武器も。どんな技術も。

 どんな魔法も。どんな力も。


 それらはひとえに、ただ彼女一人に捧げられた物語。



 それは、ただ一人の為の……タクティクスだ。



  


     @@@@@




 「タチガミ・イチジ?……日本の……名前?」

 「どうしました、モリグチさん?」

 「あ、はい、すいません……なんでもありません……」




 「そう……あれがタチガミ・イチジ……ああ……なんて愛おしくて……」



 ……なんて美味しそうなんでしょう♡

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