~ ???? view ~

 「ぐぼばぁぁぁ!!」


 吐き出されたのは血。


 「ぐががががぁぁぁ……」


 吹き出したのも血。


 「ぬぅぅ……な、なん……ごばぁぁ!!」


 そして降り積もる真っ白な新雪を溶かし、不浄に染め上げたのもまた。

 

 真っ赤な真っ赤な血液だった。

 

 ―― いったい、いったい何が……何が起こったというのだ!! ――


 男はただ混乱していた。


 右の耳を失い。

  左の眼球を失い。


 右腕を根元から失い。

  左わき腹の肉を失い。


 右足をひざ下から失い。

  左足を股下から失い。


 多量の血液を失い。

  著しく体温を失い。


 剣士としての誇りを失い。

  人としての尊厳を失い。


 他にも何かを失い。

  他のなにもかもを失い。


 そして最後に。


 その命ですら失おうという最中にあって。


 男はただただ混乱していた。


 「…………」


 そんな死に体となった英雄を見下ろす男。


 「……ケルアックが誇る大英雄、≪閃光≫がこの程度とはな……」


 こちらの男はただ失望していた。


 いや、『ただ』という表現では誤謬がある。


 細めた目には侮蔑を。

  歪んだ口元には軽蔑を。


 一言に、一文に、一文字に。


 無言に、無文に、文字にすらならない単なる息遣いの中にすら大いなる嘲りを含みながら。


 男はほとほと失望していた。


 「弱い……弱すぎる。所詮は蒙昧な魔物相手に挙げた武勲か。脆弱……いいや、その弱さはもはや惰弱。英雄という称号に胡坐をかき、更なる高みへと昇ることを怠った、お前の怠慢だ」


 「き、貴様……貴様はっ!!」


 男の容赦のない蔑みに、≪閃光≫の胸に再び火が灯る。


 怠けたことなどない。

  おごったことなど一度もない。


 ひとえに祖国のため。

  ひいては己の誇りのため。


 愚直に振るい続けてきた剣が、怠慢の一言で片づけられていいはずもない。


 「許さぬ……許さぬぞ逆賊風情が!!」


 「さえずるな、ゴミ」


 「っっつつぅ!!貴様だけはぁぁぁぁぁ!!!」


 どれだけ瀕死の状態にあろうとも。

  どれだけ言われなき誹りを受けようとも。


 ≪閃光≫は残った腕で握った剣を。

  何より譲れぬ正義を振りかざし。


 目の前に立ちふさがる悪へと斬りかかる。


 「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 その姿、なんと勇ましきことか。

  その心、なんと高潔なことか。


 まさに生ける英雄。


 四肢のほとんどを失ってもなお変わらない、かつて空を切り裂いたと実しやかに語り継がれる神速の斬撃が、悪の胴体を……。


 「さえずるなと言った」


 切り裂かない。



 パァァァァァンンン!!



 そして、己の渾身の剣が敵を切り裂かずに終わってしまったことを知る前に。


 英雄の体は爆発四散。


 純白の雪原の上に、不浄の赤き花を咲かせることになった。 


 「開幕の狼煙はおろか前座にも余興にも足らないとは……本当に無能な男だったな」


 頬にベッタリと張り付いた血糊にも眉根一つ動かすことのない男。


 彼の眼差し、そしてその心は、常冬の北国に吹きすさぶ風よりもまだ冷え切っている。


 「ネクラス」


 「ここに」


 まるで吹雪の隙間を縫って忍び込んできたかのように。


 音もなく。

  気配もなく。


 いつの間にか一人の女が男の背後で膝をついている。


 「進捗は?」


 「万事、抜かりなく」


 「予定は?」


 「万事、滞りなく」


 「そうか」


 「刻限に寸分の狂いもなく、王宮と城下の制圧は完了するかと思われます」


 「全隊に気を抜くなと伝えておけ」


 「承知致しました」


 「おごり昂り、気を緩め、怠惰に身をやつす者は容易く足元をすくわれる」


 そうして男は目の間に広がる、もはや表面が凍り付きはじめた血だまりを忌々し気に睨む。


 それは英雄だった者がつい先ほどまでそこにいたことを証明する残滓ではあったが、男が見ているモノはもっと別の何かであった。


 「俺は先に行く」


 もうそんなモノ、見るのも汚らわしいといった具合に男は身を翻す。


 「仕切り直しだ」


 「どちらへ?」


 「南へ下る」


 「南ですか?」


 「ヤツらへの義理立てで後回しにはしたが、お前の情報が正しければいるのだろう?あのカビの生えたような古国に?」


 「……はい。西の要、ラ・ウール。その第一王女である銀髪銀眼の少女」


 「やはり辺境の英雄などとは役者が違う。さぞやこの革命の序章に相応しい華やかな散り様を見せてくれることだろう……」


 ニタリ。


 辺りを埋め尽くす雪も、氷点下まで下がった空気も凍り付かせるような禍々しい笑み。


 見開かれた瞳に渦巻く欲望は、白い大地を一瞬で黒々とした悪意で染め直しかねないほど強烈なものだった。


 「お前もこちらが片付き次第、すぐに合流しろ」


 「承知致しました」


 「……待っていろ、古国の姫君。……今代の『シルヴァリナ』よ」



 次の瞬間にはもう、男の姿はそこになかった。



 音もなく。

  気配もなく。


 男が立っていたはずの足跡でさえ降り続く雪があっという間に埋めて、消していく。



 「……革命の御旗の下に……」


 残された女は、それでも傅き続ける。


 それこそが、我が忠義であるのだと。

  それこそが、己がこの革命にすべての心血を注いでいるのだと。


  姿なき主に主張するかのように。


 ……しかし。


 ニタリ……


 ……しかし、それでも内から沸き出でる愉悦を抑えられない。


 「……確かに『シルヴァリナ』はあなたの思い描く明日の贄として十二分の役者でしょう。ええ、それはもうこれ以上ないというくらい、最良な。……ですが……」


 彼女が浮かべるのは歪んだ笑み。

  主の浮かべたそれに勝るとも劣らない禍々しい笑み。


 「そうやってあなたは小娘に執心していればいいわ。もっと面白そうな……もっともっと私を楽しませてくれそうなものがその傍らにいることに気が付かないまま……うふふふふ……」


 だが、そこに。


 溢れんばかりの恍惚で紅く染まった頬と。

  官能に打ち震えて潤んだ瞳が加わることで。


 なんとも淫靡で艶やかな女の笑みとなる。


 「ああ、お姫様の忠実なる騎士……異世界からの来訪者……」


 それは恋する乙女の溜息であり。

  それは愛に生きる女の本能であり。


 それは……


 「あなたは私の玩具モノよ……ねぇ?龍神の化身さんタチガミ・イチジ♡……」



  飢えきった捕食者の、ドロドロとした欲望そのものであった。




 

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