第五章・その男、漢につき~ICHIJI‘S view③~

 ……人質。

  とはまた随分と過激な単語だ。


 朝食の席の弛緩した牧歌的な空気。


 俺の体に蔓延る問題について指摘したリリーの勧告と、俺のこれからについて示したアルルの宣告によって引き締められた空気。


 ギャレッツ・ホフバウワーという破天荒な男の登場でそぞろに砕け散った空気……。


 刻々というよりは、誰かの言一つによって諾々と移り変わりを見せたその場の雰囲気。


 それを今度は凍りついたように固めてしまうだけの強さを『人質』という単語は持っていた。


 「…………」


 それゆえに、だ。


 数ある例えや比喩表現の中からあえてそれを選択したアルルの、その内心に渦巻く苛烈なる激情が手に取るようにわかってしまう。


 ……人質。


 こと交渉ごとのカードの一枚として古くから用いられ、そのくせ決して使い古されるということのない有効手。


 どこまでも汎用的にしてどこまでも安易で安直。


 そのくせ大抵の場合、最大の切り札となりえてしまう強力な一枚。


 相手の倫理観が高ければ高いほど、相手にとって大事なモノであればあるほど、秤を釣り合わせるための一方に乗せられるものも比例して重くなる。


 ……さて、ゼノ君の場合はどうだろう?


 確かに年若い身空の割に、生き方のビジョンみたいなものが明確に見えていて、それに殉ずることに誇りすら抱いているような芯の通った若者だったとも思う。


 倫理観が高いか低いかについては一度戦ったことがあるだけの俺には何とも言えないけれど、まぁ『何でも屋』の何でもの範囲に暗殺稼業まで含んでいる以上、あるいは常人よりも命に対する意識は薄いのかもしれない。


 金、地位、名誉、女。

  同情、恋情、激情。

   泣き落とし、コケ脅し、なだめすかし。


 このどれかを材料にしたところで、あの強かな若者を懐柔するにはまだ足りない。


 足りないし、足り得ない。


 たぶん一筋縄どころか、丸太のように太い縄を二筋、三筋といくら持ってきたところで彼の巌のごとき意思はきっと揺るがないような気がする。


 チリーン……


 「ん??」


 ……しかし、ゼノ君は揺らいだ。


 揺らいで、曲げて、頷いた。


 倫理も信念も矜持も何もかもを押し殺して。


 ゼノ君はラ・ウール議会の下した決議を受け入れた。


 ……受けざるを得なかった。


 チリーン……


 巨万の富を積まれたわけではない。

  世界の半分を分け与えられたわけでもない。


 チリーン……


 秤に乗せられたのはただ一人。


 俺と命のやり取りをしている際にも常に背後でかばい続け。


 昏倒から覚めてイの一番に『どこだ?』とその所在を確認するのに暴れ回るほど彼にとって大事なモノ。

 

 チリリーン……


 「なんだゾ???」


 大人たちの視線をその小さな小さな一身に集めた意味がよくわかっていないと、可愛らしく小首をかしげた……。


 狐耳の幼女、ただ一人のために。


 ゼノ君は体制の前に屈したのだった。



 「うーむ、人質とは人聞きが悪い」


 ギャレッツが困ったような顔をして言う。


 「そんな人道に反するような真似、仮にも一国の議会が公にするはずがなかろうよ」


 「ええ、ええ、それはもちろん」


 アルルが目を細めて、ひどく皮肉な調子で言う。


 「公式に宣言なり宣告なりをしたわけではないのでしょう。何と言っても長い歴史と資源の潤沢な領土、繁栄と豊かさと国民の幸福・満足度には定評のある誇り高きラ・ウール王国の運営基盤である議会ですものね。人質などと人道に反する脅迫めいたこと……いえ、畜生にも劣るような下劣で卑劣なことなど決してするはずがありませんわ」


 「嫌味な物言いだな、おい」


 「普段の姿形はヒトそのもの。さらには自身の隠形の技術でいくらでも正体を誤魔化すことのできるゼノさんと違い、見るからに無力、明らかにヒトならざる者であるココさん。これまでどうやって隠匿してきたのかは存じませんが、さすがに今回の件で彼女の正体が露呈してしまいました。それも個人という少数で限定的な単位ではなく、それこそ一国の議会規模で。こうなってしまっては、脅し以前に我が国もその存在を認めて公表せざるを得ません。いえ、たとえ秘匿しようとしたところで遠からず世間にも知れ渡ります。獣人族……潰えたはずの≪王を狩るセリアン・スロープ≫は生きていた、と。……もはやゼノさんたちは今までのように自由気ままな『何でも屋』業に勤しむことは難しいでしょう。そればかりか今世にあっても獣人族を特別視して崇め奉る一部のエドラドルの国々や、その希少性を珍しがる者たちから付け狙われないとも限りません。……安寧の保証が……なくなってしまったのです」


 「ココはせりあんすろーぷだゾ。生きてるゾ」


 「……はい、そうですね、ココさん」


 傍らで耳と尻尾を垂らしてシュンとしてしまったココの頭を、アンナが優しく撫でながら言う。


 「ココとゼノ君……いっしょにいられなくなるんだゾ?」


 「……大丈夫、大丈夫ですからね」


 アルルのように感情をむき出しにするでもなく。

  内心の底から湧き出る嫌気を滲ませるようなこともなく。 

 

 「団長、お聞きしてもよろしいですか?」


 きっと性格的にも、この場での立ち位置的にも、自分が徹するべき役割を十分に理解した上で冷静な態度に努めているんだろう。


 アンナベル=ベルベットはとても静かに、とてもクールに、そして直属の上司相手でも臆することなく問いかける。


 「おう、なんだ?」


 「人質でもまして脅迫でもない。……しかし、これからのココさんの身の安全をダシにしたことは確かなのですね?」


 「お前まで人聞きが悪いことを言うか」


 「申し訳ありません。他にうまい表現が見つからなかったものですから」


 「近衛騎士団の知恵袋にして知識箱たる才女がなにを」


 「いいえ、本当に他意はありません。今の時世、自国の防衛のための軍事力や即戦力たりうる戦士の確保は最優先とまではいかずとも急務であることも承知しています。……そもそも私だって団長と同じく組織に属する身。その上層部たる議会の決定に異を唱えることはできるわけがありません」


 「その割には憮然……いや釈然としないといった感じだが?」


 「異は唱えません。何の意も表明しません。……ただ、他にやりようはなかったのか?という疑問は正直残ります。はい、知恵袋にして知識箱の才女らしい立場からあえて言わせていただくならば……わざわざこんな強引な手段を取るその意味や利点が皆目、解せないのです」


 「ううむ。なるほどな」


 「……そう、強引。あまりにも強引に過ぎるんですわ」


 アンナの言をアルルが継ぐ。


 「確かにお父様……ラ・ウール十三世がこの場にいない今、あらゆる事案の決定権は議会にあります。ええ、お父様の代理として王族としての発言権はわたくしやお兄様にそのまま委任されてはいますが、実質、そんな権利はあってないようなもの。審議の場にわたくしが呼ばれていないことがそのいい証明でしょう。国王不在の際は原則として議会による『多』の採決により重きをおかれるというはるか昔から続く因習ですわね。しかし、それだって『個』……どれほどの『多』が束になったとしても敵わない絶対的な『個』たるお父様が帰っていらして否と言えば簡単に覆ってしまう程度の重み。そしてとうのお父様の性質上、このように権力を笠に着て人権を易々と踏みにじるような行為、必ずや否と言うはずですの」


 「ふむふむ」


 ジョリジョリと顎髭を撫でるギャレッツ。


 鈍いのか、はたまた体格の通りに大物なのか……。


 二人の見目麗しい女が切り口も鋭く詰め寄ってもなお、柳に風といった具合。


 ここまで超然とした態度を維持できる精神力は本当に凄い。


 それが、あるいは充実したその体躯よりもよほどこの男が近衛騎士団の団長という大役を仰せつかわせる強みかもしれない。


 「吾輩、お前たちのように頭を使うことは苦手であるから難しいことは何もわからんし、お年寄り方のねらいがどこにあるかも知らん。吾輩は吾輩の職務として、事実を事実として報告したまでに過ぎんからな」


 「…………」


 「おっと、どこへ行くつもりだ、アル坊?」


 無言で横を通り過ぎようとするアルルの行く手を、ギャレッツが携えた大斧を傾いで阻む。


 「どこってもちろん議事堂ですわ。あなたとここでこれ以上やり取りをしていても埒が明かないようなので」


 「行ったところでとっくに解散しているぞ」


 「ええ、承知していますわ。ですので今から議会メンバーを再度招集し改めてゼノさんの処遇を審議します」


 「おいおい、無茶を言うな。只でさえ皆、老体に鞭打って深夜まで熱心に議論を重ねていたのだ。ゆっくりと眠らせてやれ」


 「……わきまえなさい、ギャレッツ・ホフバウワー」


 ゾクリ……


 一段と鋭く、細くなった目でもって、アルルはギャレッツを睨む。


 頭二つ三つ以上の身長差も、二回り三回り以上の体格差も感じさせない威圧的な視線。


 いつものキンキラとした高音とはかけ離れた低い声。

  いつものキラキラとした輝きが鋭利な閃きに見えてしまう冷徹な目。


 瞳や髪の色。

  名前や彼女の心をそのまま全身に纏わせた高潔な佇まい。


 可視的にも不可視的にも、アルルには穢れのない白銀色が本当によく似合う。


 誰かの人となりを説明する時、こんなにもわかりやすく色で例えられる者も珍しいだろう。


 純潔の象徴。

  高尚で健全なる魂の具現。

   侵しがたき神域。


 ……そんな白銀そのもののような少女が垣間見せる一面ばかりを俺は見すぎたんだろう。


 今の今まで忘れていた。

  今の今のたった今まで失念していた。


 アルル=シルヴァリナ=ラ・ウール……この美しくて誰よりも善良な少女が、何万人という人の上に立つ一国の王女であることを。


 白銀色……彼女が存在そのもので体現せしめるその美しき煌めきが、万物を凍てつかせるほどの冷たさと皮膚や肉のことごとくを切り刻む刃物のような鋭さをも併せ持つことを。


 俺は、直接視線を向けられたわけでもないというのに反射的に反応した背筋のざわつきでもって思い出したのだった。


 「仕えるべき王女に向かって武器を構えるなど不敬以外の何物でもありませんわよ」


 「何をいまさら。武技の師たる吾輩が何度お前に傷をつけたと思っている?」


 「今は鍛錬の時間ではありません。政治の時間です」


 「いいや、政治の時間でもない。今は落ち着いて吾輩の話を聞く時間だ」


 「これ以上、わたくしが聞けるような話があるんですの?職務としての事実以外で?」


 「もちろん、職務としての話だけだ」


 「では聞くだけ無駄ですわね。その口からこぼれ出でる言葉が変わらず事務的なことだけであるならば書面で十分に事足りますので後程、報告書を提出してくださいませ」


 「先に口頭で済ませた方が早いだろうに」


 「いえ、むしろ余計に情を昂らせないで済むだけ紙での報告の方がよほど早いかもしれませんわ」


 「すまんが公式の書面をまとめているほど暇じゃない」


 「お忙しいようで」


 「ただでさえゼノ青年の監視役ならびに一連の事件の調査という管轄外の仕事を押し付けられた上に、その流れのまま審議会にまで駆り出される羽目になったからな。おかげで吾輩の本来の職務たる近衛騎士団、職責たる団長の業務が滞っているのだ」


 「それは申し訳ないことをいたしましたわ」


 「さっさとこちらの仕事を終えていい加減、復帰させてもらいたいのだが?」


 「ではどうぞご自由に」


 「ありがたい」


 「ですのでわたくしも自由にさせていただきます。……さぁ、道を開けなさい」

 

 「それはできない」


 「どうして?もうあなたの任は解いたのです。近衛騎士団団長の業務とやらに戻りなさい」


 「仕事を終えたら、の話だ。さっきから言っているだろう?まだ報告には続きが残っている」


 「あら、仕事熱心ですこと」


 「その律儀さゆえにお前は吾輩を選んだのだろう?」


 「今はその人選を誤ったと後悔しきりですわ」


 「これは辛辣。だが癇癪を起したお前が本気で暴れまわった時に被害を最小限に抑えて止めることなど吾輩以外にはできないだろう?抑止力、そう言った意味では素晴らしい人選だった」


 「抑止力など考えもしませんでしたわよ。それも自身を対象としたものなどなおさら」


 「ま、結果良ければなんとやら。それを含めて慧眼だったということだ」


 「……まだあなたにとって結果が良いものになるとは限りませんわよ?」


 「押通るか?吾輩相手に、武装もなしで?」


 「なにも拳での語り合いは殿方だけの特権というわけではありませんから」


 「やめておけ。お前には無理だ」


 「そうでしょうか?以外になんとかなるような気がしてますの、わたくし」


 「やれやれ、年齢を重ねてようやく淑女らしくなってきたかと思っていたのに。……最近、元来からのじゃじゃ馬が顔を出す機会が多くなったという噂は誠のようだな、アル坊よ?」


 「懐かしいんじゃありませんの、先生?」


 「ああ、まったくだ。そう呼ばれるとあの頃のように生意気な教え子のその尖った鼻を増長ごと徹底的にへし折ってやりたくなるくらいに」


 「…………」


 「…………」


 かたや怒りに冷えきった鋭利さ。

  かたや穏やかに燃え立った柔らかさ。


 そんな対照的な視線を交差させ合うアルルとギャレッツを中心に、ピリリとした空気が空間を支配する。



 「……まずいかな」


 まさに一触即発といった感じ。


 その迫力に気圧されていたわけではなかったけれど、それでも二人の間で交わされる若干辛めのやり取りに入り込む隙間を見つけられずに傍観してしまったのは事実だ。


 「……(ぎゅっ)」


 「……心配ありませんよ……」


 アンナの陰に隠れて身を固めるココ。

  そんなココを相変わらず優しくなだめるアンナ。


 彼女たちにも同じことが言えるようで、現状、静観を決め込むほかない。


 「…………」


 王女と騎士。


 「…………」


 弟子と師匠。


 「…………」


 通りたい者と通したくない者。


 「…………」


 通すべき正義という矛を振りかざす者。

  通さない正義という盾を構える者。


 「…………」

 「…………」


 『矛盾』の言葉が本来内包している意味とはまた毛色の違う。


 単純にどちらが強いだとか弱いだとかではなくて。

  複雑にどちらが正しいとか誤りだとかでもなくて。


 ただ、己の強さと正しさを心から信じている者同士がどちらも譲ることのできない意地みたいなものを正面からぶつけ合うことにより生じた、長くたなびく平行線。


 「…………」

 「…………」


 平行に並行し続ける二人の意思は交わらない。


 「…………」

 「…………」


 平衡の均衡を保ち続ける二人の想いは重ならない。


 「…………」

 「…………」


 もしも、そんな膠着状態を打破しようとするならば。


 「……えっと……」


 こんな風に、傍観者から第三者へと換わった誰かが介入するか……。


 「ちょっといぃ……」


 「……(ニッ)」


 こんな風に、それまでの経緯も空気も構わず一緒に破壊する、大きな破顔一笑でもこしらえなくてはならない。


 「……いい出会いをしたようだな、アル坊?」


 「……ギャレッツ?」


 開かずの踏切といった具合にアルルの進路をふさいでいた大斧をあっさりと引っ込め、肩に担ぎなおしたギャレッツ。


 そうして開いた方の手を目の前で困惑する少女へとゆっくりとのばす。


 「いい経験もしてきたんだろう。なんとも素晴らしい覇気だったぞ」


 「ちょ、え、なっ……」


 ガシガシガシ……


 「あのチンチクリンがよくぞここまで立派に大きくなったなぁ、がっはっは!!」


 「ちょ、な、なんですの、いきなり……」


 ガシガシガシ……


 「いたい、いたいですわ……」


 「がっはっはっ!!」


 アルル顔くらいならすっぽりと覆ってしまうのではないかというくらいの大きな手のひら。


 ギャレッツはそれをあくまでも乱暴に、どこまでも粗雑に動かしてアルルの頭を撫でる。


 「やめ……いた……ギャ、ギャレッツ……」


 「がっはっはぁぁ!!」


 「……い・た・いって……(すっ……)」


 「がっはっはっはっっ……」


 「言ってるんですのぉぉぉぉ!!」


 「がはぁぁぁぁ!!」


 「…………」


 おもむろに沈めた腰にためを作り、そこから真っ直ぐに放たれたアルルのアッパーカットがギャレッツの顎にクリーンヒット。


 無防備かつ無警戒に当てられた方も方ならば。

  まったく躊躇いもなく本気の拳を振り上げた方も大概だ。


 「お、乙女の頭を無断でナデナデしていいのは心を許した愛しい殿方だけですの!!それ以外はセクハラ!!ってゆーかナデナデちがう!!それ、ガシガシ!!ただの暴力!!」


 「…………」


 純然たるただの暴力をクリティカルさせた子がなんか言っている。


 意味はともかく、字面的にはモロにパワハラなヴァイオレンスだ。


 「うむ、いい一撃だった。成長したな、アル坊!!」


 そしてこちらはこちらでノーダメージのままグッと親指なんて立てている。


 その圧倒的な心と体の強靭さが、俺にはもはや一種のギャグにしか見えない。

 

 「さて、本当に時間がない。改めて報告の続きだが……」


 「また何事もなかったかのように!?」


 「ざっくりと言って残りは三項目。……まぁ、大体似通ったものばかりなので重複する部分は割愛して要点だけ述べさせてもらう」


 「え?あれ?さっきまでのシリアスは?わたくしという『矛』とあなたという『盾』の火花散る睨み合いは?いつの間にか互いの道を違えてしまった二人が織りなす哀しくも美しい師弟対決の展開は?」


 「ホントそういうノリ大好物だな、この姫様……」


 なんでちょっと残念そうなんだよ。


 「一つ、近衛騎士団預かりとなった獣人・ゼノであるが……」


 「そしてこっちも完全にスルーか……」


 まったくブレずに我が道を行くギャレッツ。


 ……そういえば、と俺はそこで気が付く。


 「団員の処遇について全権を委ねられている吾輩、近衛騎士団団長の名において本日付で懲戒解雇とする」


 「……だから話を……え?解雇??」


 いろんなインパクトが強すぎてわかりにくくなってはいるけれど。


 改めて今までのやり取りを思い返してみると、最初から彼の発言や行動理念は一貫している。


 「素行や言動に大いに問題有り。素性も曖昧なればそもそもラ・ウール王国に対する愛国心、守るべき王族に対する忠義心が著しく欠けている。王族の傍仕えとしてなにより品行を重んじる近衛騎士に相応しくないと判断した」


 「ギャレッツ……あなた……」


 「団長……」


 この男は終始、自分の職務をこなし与えられた職責を全うしているだけなのだ。


 その場にいる誰もが感情なりなんなりを揺さぶられて自己を見失う中。


 ギャレッツ・ホフバウワーだけが一度も揺らがず。

 

 ただラ・ウール王国を愛し、王族に忠義だて、その利益になることしかしていない。


 「とはいえそれでは議会のメンツが丸潰れだからな。さすがにゼノ青年、ココ殿の身柄を完全に解放するわけにもいかなかった。力不足で申し訳ない」


 「ん?ん??どーゆーことなんだゾ、おねぇさん?」


 「私にも何が何だか……姫様?」


 「わたくしだって混乱してますけれど……ねぇ、イチジ様?」


 「俺にふられてもなぁ。……ただ完全には自由になったわけじゃないようだから、たぶん、何かしら譲歩して誰もが納得いく落としどころ……代わりの妥協案で手打ちにしたってところじゃないか?」


 「うむうむ、慧眼であるなタチガミ殿。まったくもってその通り。お目付け役として吾輩の管理下に置くことは変わりないが、あくまでとある大きな仕事を一つこなしてもらうまでのこと。それが終わればどこにでも好きに行くがいいとゼノ青年には告げているし本人の了承も得ている。議会の方も渋々といった具合が甚だしいが一応承認はしてくれた」


 「あなたにそんな交渉事ができるだなんて……見直しましたわ」


 「なに、ちょいと脳ミソの筋肉を使っただけにすぎん」


 「それただの脳筋……いえ、とにかく感謝いたしますギャレッツ。これで国を挙げての人質などという恥を世間に晒さずに済みましたわ」


 「なに、なんということもない。それにまだ肝心の仕事はこれから。それも命の危険と言う話なら、こちらの方がよっぽど危うい大仕事だ」


 「これから……大仕事……もしや!?」


 「うむ、ゼノ青年には反帝国組織『革命の七人』討伐連合軍に参加してもらう」


 「やはりそうですか……確かに命の保証がまったくできない大仕事ですわね……」


 「革命の……七人……」


 図らずもまた、その名前を聞くことになった。


 赤毛の熊の乱入でその辺りの説明がまだうやむやだったけれど、ようやくここで繋ぐことができ……。


 「……時にタチガミ殿よ」


 「え?あ、はい?」


 唐突に、ギャレッツが俺に話をふる。


 「実はな、ゼノ青年の審議の際、貴殿の処遇に関する話題も挙がっていたのだ」


 「俺?」


 「な!?ギャレッツ、それは本当ですの!?」


 「うむ、第一王女がひどく懸想し、これでもかというゴリ押しで王宮内に食客として滞在させてはいるが、はたしてそれに相応しい人物であるのか?とな」


 「っく!また性懲りもなく!!」


 「≪現世界あらよ≫という異世界が存在するなど眉唾だと思っている頭の固い年寄りばかりだからな、仕方あるまい。そして頭が幾らか柔らかい連中にしてみたところで、異世界人だからといってどうしてあそこまで特別扱いしなければならない?そもそも本当に異世界の人間なのか?我らが姫は詐欺師にでも騙されているのではないか?……まぁまぁ、不平不満の雨あられだった」


 「なんたる……なんたる侮辱!!その議論は最初に散々交わしてもう結論が出たはずじゃありませんの!!イチジ様の身元の健全性はわたくしが保証すると!!」


 アルルが再び激昂する。


 ギャレッツと睨み合っていた時のような静かで、それゆえに空恐ろしい怒りとは違ってわかりやすかったけれども、度合い的には似たり寄ったりというところだ。


 ここまで俺のことで怒ってくれるアルルの想いは素直に嬉しかった。


 自分がこちらの世界に拉致してきたという責任感もやっぱりあるんだろう。


 けれど、俺という存在に対する純粋な信頼なり信用なりが、その必死な表情からひしひしと伝わってくる。


 ……であればこそ、だ。


 「落ち着いてくれ、アルル」


 「落ち着いてなんていられませんわ、イチジ様!!」


 「俺のことは別にいいから」


 「いくない!!全然いくない!!」


 「本当はもっと早く……うん、それこそここに来た最初に俺自身の口からハッキリさせなくちゃいけなかった問題なんだ、これは」


 「しかし……しかし、イチジ様!!」


 「アルルの好意に甘えすぎた俺の過失だ。周りの人たちの厚意に甘んじて色々な面倒事をサボってきた俺の罪だ」


 「罪だなんて……そんな悲しいこと……言わないでくださいまし……」


 「アルルのお兄さんが俺の命を狙った理由だって本当はよくわかってる。異世界人?現人あらびと?転生?アルルのことを心から心配する人たちにしてみたら、そんなわけのわからない素性しか持ちえないどこぞの馬の骨、本来、受け入れちゃいけなかったんだ。……アンナだって警戒してたろ?」


 「……はい、そうですね。警戒のレベルは最大級に監視をしていました」


 「それが普通の反応。いや、むしろ素性や人物がハッキリするまで軟禁でもしておく方が当たり前だったんだ」


 「でもそれは!!……わ、わたくしがどうにかしなければ……」


 「ほら、また悪い癖(デコピン)」


 「ぴゃい!!」


 「俺をここに連れてきたことに関しては一切、罪悪感を感じなくていいって言ったろ?とゆーか、ホント、これは俺に全部の責任がある。一人の大人として、一人の人間として、礼節をかいていたのは俺の方なんだから。……自分のことながら今更かよってほとほと呆れる。やっぱり、俺ってどこか『人間』として致命的に欠落しているところがあるんだろうな」


 「イチジ様……」


 「イチジさん……」


 ……なんとなく、胸のつかえがとれたような気がした。


 そう、これは俺の甘え。


 アルルやリリーと過ごす騒がしくも平穏な日々が尊くて。

  そこにアンナやココまで加わってより面白おかしくて。


 こんな穏やかな気持ちで自分が生きていける日が訪れるなんて思ってもみなかった俺は、ズブズブと、その甘ったるい時間に溺れていた。


 俺が今までやってきたことややってこなかったもの。

  俺がこれからやらなければいけないこと。


 そんなものを全部棚上げにしたまま、静かで怠惰な時間に埋もれていた。


 ……だってそうだろ?


 こんなにも風が気持ちよく吹き抜けて。

  こんなにも空が青く澄んでいて。


 こんなにも美しい……どこかのお節介な姉がただ『バケモノ』のためにこしらえた素晴らしい世界の中。


 やがて遠からず追い付いてくるであろう死の手のひらが触れる間際まで。


 俺は……生きることを許されたのだから。


 それまでの間くらい……。


 「うむ……うむ!!合格だ、タチガミ殿!!」


 「ん?」


 ……そして、なんだかよくわからないけれど、俺は赤い熊さんからも何かを許されたらしい。


 「今のアル坊とのやり取りで人となりは大体わかった。貴殿が稀代のジゴロで、口八丁の甘言を囁き、手八丁を駆使してアル坊の女の部分にうまく取り入りその庇護を甘受するだけのフヌケた男であればどうしてくれようと思っていたが、杞憂であったようだ!!いやいや、申し訳なかったタチガミ殿!!」


 「ジゴロて……」


 「し、失礼な!口八丁はともかく、まだ手八丁は出してもらってないですわ!!」


 「口八丁だってしてねーよ」


 しかも手八丁は出してもらってないって、なんでむしろバッチコイ?


 「これで残った報告の二つ目は結論まで済だ。タチガミ殿が無害であることは吾輩が命に換えてでも議会に認めさせよう」


 「えっと……ありがとう?」


 「そして最後の一つ。……タチガミ殿は自身がこれから為すべきことをどの程度把握している?」


 「為すべきこと」


 「そう、貴殿がアル坊ないしラ・ウール王国。ひいてはラクロナ大陸のために為さねばならぬこと、だ」


 「……『革命の七人』の討伐?」


 「うむ、したり」



 ブオォォォォォンンン!!



 「ん?」

  「ちょ?」

    「え?」


 ボバギャァァァァァァンンンン!!

 ……パラパラパラ……


 「よい反応だ」


 「えっと……?」


 「ちょ、ギャ、ギャレッツ!!??」


 「え、だ、団長!!??」


 戦斧一閃。


 唐突に閃き、マキ割のように真っすぐに振り下ろされた大斧が、一瞬前まで俺の立っていた地面を破砕する。


 「『革命の七人』の討伐。はたしてその大義を共にできるだけの実力があるのか……僭越ながらこのギャレッツ・ホフバウワー、ただ今より討伐連合軍西方部隊司令付騎士長として計らせてもらう」


 「……まじか」


 「存分に語り合おうぞ、タチガミ殿。もちろん……拳でな!!」


 拳?

 え?拳??


 いやいや、その地面をえげつない感じにくり貫いてるやつ、まごうことなく凶器だよ?凶悪な武装だよ?



 「いざ参らん!!!!」


 「……まじかぁ……」


 ああ、なるほど。


 死の手のひらって、こんなバトルアックスみたいな形してたんだな……。

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