第四章・王を宿す者《タチガミ・イチジ》~ICHIJI‘S view②~

『グヲォォォォォォンン!!』


 離れたところからザザァッと勢いよく獣の前に躍り出た俺。


 理性を飛ばし、前後不覚、傍若無人に暴れまわっていた彼にとって、突如して面前に現れた俺はどんな括りに入るのだろう?


 粉々にした天井らしき瓦礫。

 木っ端微塵にした祭壇らしき石片。

 砕け散ったドラゴンと思しき石像。


 たぶん、そんなうち捨てられた無機物と何ら変わることのない位置づけでしかないんだろう。


 そう、今の彼にしてみれば、俺ごとき矮小な存在なんて単なるモノ。


 ただ破壊衝動のおもむくまま、本能の気の向くまま。


 暴虐の限りを尽くし、砕いて破って壊し尽くすだけの対象にしか過ぎないのだ。


 『グヲォォン!!』


 ブゥゥゥゥゥンンン!!


 「……っと」


 まるで小うるさい蚊でも払うかのような単調で気のない横なぎを、体を捻って躱す。


 ものすごい風圧。


 実際、彼にしてみれば羽虫を払いのけたくらいのつもりだったのかもしれないけれど、尖り澄ました爪と、それを乗せた右前足の充実した筋力によって放たれたそれは、直撃しただけで半身がスッポリと持っていかれるのではないかというくらいの破滅的威力があった。


「……獣人じゃなくて怪獣人の間違いだろ」


『グヲォォン!!グヲォォン!!』


 獣人という種族について俺が理解していることは少ない。


 結局は他人。


 自分ではない存在。


 同じ種族で同じ言語を話し、同じ時を生きて同じ志を持った者であっても、十全にわかりあえているのかは甚だ定かではない。


 もっと穿った言い方。

 もっと元も子もない言い方をすれば。


 自分自身のことですら完璧に理解しているのか、時に曖昧になってしまうくらいなのだ。


 それを一つの種族。


 歴史の表も裏も問わず、遥か昔の現実に確かに息づいていた一生命のことを隅から隅まで知りつくそうとするなど、そもそもがおこがましいことなのかもしれない。


 だから俺は、彼らのことを知らない。


 かつてヒトを差し置いてこの≪幻世界とこよ≫に君臨したというドラゴン。


 その覇王に唯一対抗できる種族として称えられた誇りも。

 その生物の頂点に結局は駆逐されてしまった無念も。


 俺にはわかるわけがなかった。


 ……ただ、わかろうとすることくらいはできる。


 アンナベルの……アンナのざっくりとしていても要点をとらえた解説と。


 実際に矛を交えてみたことによる所感。



 ドクン、ドクン、ドクン……



 そして、『獣化』という彼らの種族にだけ許されているらしい特性ないし異能をこうして不格好な猿真似ではあるけれど行使してみたことで、俺は少しでも獣人というものの一端に触れることができた。


 『グヲォォォォォォンン!!』

 

 「ホント、君、よくそんなに元気でいられるもんだ」

 

 軽い。


 自分が思い描く以上に敏感に反応する体。


 さっきまでなんとも言えない具合に纏わりついていた気怠さは、ただの一瞬で霧散した。


 冷たい。


 冴え冴えと澄み切った頭。


 抱え込んだあらゆる悩みやしがらみ、戦いに必要のないものすべてが取り払われてしまったかのように、思考は驚くほどにクリアだ。


 なんという多幸感。

 なんという全能感。


 この身体的にも精神的にも軽くなった今の俺ならば、きっと空だって簡単に飛べる。


 こんなに澄んだ頭で考えたならば、この世に俺のわからないことなんてきっとない。


 俺はもはや神。


 世界を創り上げたという≪創世の七人≫。

 全知全能を地でいく大魔女。

 覇王だとか言われているドラゴン。


 そんな力にしても知名度にしても伝説級の奴らですら、神にも等しい存在を前にすれば烏合の衆やただの幼女、下等なトカゲに成り下がる。


 そういえば、ここは聖堂だったよな。


 ちょうどいいじゃないか。


 俺の力を、俺という神を称えるのにおあつらえ向きの場所だ。


 さぁ、世界にあまねくすべての生物たちよ、俺を崇め奉れ。


 遠慮することはない。

 思慮することはない。

 躊躇うこともない。


 いいや、そもそもそんなことできないだろ?


 誰もが俺に頭を垂れ、かしずき、畏怖を抱いてへりくだる。


 そうだ、そうだ。


 誰も俺の上に立つことなどできない。


 誰も俺を侵すことも犯すこともできないんだ。


 ………

 ……

 …

 

 「……って、ヤク中の人か」


 危ない、危ない。


 フっと気を『民俗・民族学的見地から見る自己証明』みたいなテーマの考察へと逸らしただけで軽くトランスしかけてしまった。


 いや、そもそもが何でこの場面で俺は哲学なんてしてるんだ。


 そぞろで移り気な思考。

 根拠もない多幸感と全能感。


 それらは誤魔化しようもなくドラッグ中毒の症状そのままだ。


 昔、仲間の些細なミスの巻き添えをくって敵勢力の虜囚となり、自白剤やら何やらと、とにかくやたらめったら薬品を投与された時に、こんな感じのヘブン状態に陥ったことがあった。


 どうにもその手の薬が効きにくい体質な俺に業を煮やした敵勢が、ありったけの麻薬という麻薬をミックスしたオリジナルドラッグ。


 酔った勢いでそこらの酒を適当に混ぜて罰ゲームカクテルを作った飲み会の大学生でもあるまいにとも思ったけれど、そんな悪ノリで出来上がったドラッグにはさすがの≪龍神の子≫の内臓機能でも中和が追い付かないくらいの中毒性があったらしい。


 何も怖くなかった。

 何でもできる。

 何にでもなれる。

 自分に不可能はない。


『ワレハカミナリ』みたいな、いわゆる気が大きくなると呼ばれる精神状態をはじめて体験した時でもあった。


 ちなみにその大きくなった気が命ずるままに暴れまくり、結果、とある兵器バイヤーの裏組織を密やかに壊滅させるという任務を俺一人でやってのけてしまったわけなのだけれど、その後、解毒のために随分と嘱託医には苦労をかけた。

 

 ―― イチ……あんたの血液検査の結果、世界のドラッグ博物館みたいになってるさね ――


 『グヲォォォォォォンン!!』


 ぶんぶん、と振り回される獣の両腕。


 その度にひらりひらりと躱す俺。


 しかし、余裕があるわけじゃない。


 単調ではあるけれど、その一撃一撃は、彼が人型の時に巧みに操っていて槍のごとき速さと鋭さを持っている。


 体が軽い?

 確かに軽い。


 脳と運動神経が直結しているみたいな反応速度。

 自分が思っている以上に俊敏に動いてくれる。


 思考がクリア?

 確かに冴えている。


 敵の攻撃に対する演算スピードがとにかく速い。


 途中の計算式や未知数に何かを代入するということもなく、俺が何かを考える前

に瞬時に最適解を導き出す。


 特にトランスしていなくとも全知全能だと思い込めてしまうほど高水準の各能力値。


 だったら別にいいじゃないか。


 そんな神気取りのまま、あの時一組織を殲滅せしめた時みたいに、この怪獣も蹂躙してしまえばいいじゃないか。


 お前の目的の成就。


 誰かを守るための力を欲したお前の願い。


 これはちょうどおあつらえ向きじゃないか。


 ……なんて。


 そんな単純なものだったらどれだけ良かったことか。

 


 ドクンッ……



 「……っく」 


 『グヲォォォンンンン!!グヲォォォンンンン!!』


 ガキィィィィィィィンンンン!!


 一瞬の硬直に襲われた俺をついに獣の爪がとらえる。


 躱しきれなかった俺は、どうにか小太刀を体との間に差し込んで直撃は防ぐことはできたけれど、まるでトラックに衝突されたような重厚な衝撃がストレートに体に伝わる。


 「……扱いにくい……」


 体が軽すぎる。

 綿毛にでもなってしまったかのように、フワフワと地に足がついていない感じ。


 反応だって過剰気味にピーキー。

 自分が思っている以上に動ける敏捷性なんて、ようする自分の思い通りに動いてくれていないのと同義だ。


 そして思考が冴えすぎている。

 冴えすぎて冷めすぎて見えすぎて、むしろ集中ができない。


 ともすれば自分が今、一体なんのために、こんな寂れた場所で、こんな怪獣の攻撃を必死で防いでいるのだろうという理由さえ忘れてしまいそうになる。


 まるで自分の体と頭じゃないという心地。

 まるで自分が自分じゃないという心持。


 どうにも誰かが好き勝手に俺という器を操縦している感が拭えない。


 ……まぁ、ようするに。


 俺は内側で渦巻くこの力を盛大に持て余し、振り回されているわけだ。


 「ケモ耳少女に怒られるのもやむなしか……」


 『グヲォォォンンンン!!』


 そして、ここにももう一人。


 自身で生み出した膨大にして超大な魔力に飲み込まれた男が一人。


 俺に向かって愚直に爪やら牙やらを振り回している獣が……一人。


 「……そういう角度からもココを守ってたんだな、君は」


 もちろん、容赦なく攻撃は浴びせられるのだけれど、俺はあくまでも『人』として彼に話しかける。


 「……ホント、いい奴だよ、ゼノ君」

 

 『グヲォォォォォォンン!!』

 

 「(ガキィィィンン!!)っとっと……そんな君が。獣化のリスクを重々理解している君が、自我のボーダーラインを越えてしまうまで魔力を廻さざるを得なかった……それくらい俺は敵として厄介だったって誇ってもいいのかな?」

 

 『グヲォォン!!グヲォォン!!』

 

 「それとも君にとっても、これは予想外の展開だったりするんだろうか?」


 『グヲォォン!!グヲォォン!!』

 

 「我を見失い、人の形さえ失い(ガキィィィンン!!)……そんなケダモノになってまで、俺に殺すような価値なんてないだろうに……」

 

 『グヲォォォォォォンン!!』

 

 「はぁ……それにしてもシンドイな獣化ってやつは。うまく使うコツがあったら教えてくれる?」

 

 『グヲォォ!!グヲォォ!!!』

 

 「俺の右目の色が変わっているらしいんだけれど、やっぱりこれは獣化の副作用?……タイミング的にそれしか考えられないとはいえ、やっぱり先達の意見も聞きたいんだよ」

 

 『グヲォォ!!』

 

 「お、なんだか『知るかっ!!』に聞こえるグヲーだ。やっぱり同じ『バケモノ』同士、それなりに意思疎通ができてきたかな?……そのうちに俺たちは種族を超えた熱い友情を育み、その様をネットにアップすれば、癒しのモフモフ動画として話題に……」

 

 『グゥヲォォォ!!』

 

 「それは間違いなく『ねぇよ!!』だな、うん」

 

 

 ブォォォォォンンン!!

  ブォォォォォンンン!!

   ブォォォォォンンン!!



 爪に牙。

 発達した前腕菌と充実した咬筋。

 それらを余すことなく駆使した攻撃。

 

 躱すのもギリギリ。

 

 ただでさえ意識と体に結構なズレが生じている中、相変わらずの脅威だ。

 

 ……けれども、躱せる。

 

 「ふっ!」


 ビシュゥゥゥ!!


 『グヲォォンンン!?』


 そして、反撃だって繰り出せる。


 「はっ!」


 ビシュゥゥゥ!!

  ビシュゥゥゥ!!

   ビシュゥゥゥ!!


 『グヲヲヲヲォォォォンンン!!』


 裂ける皮膚。

 飛び散る血しぶき。


 刻まれる傷。

 漏れ出でる苦悶。


 続けざまにヒットする俺の小太刀に、獅子の獣はたじろぐ。


 「……くっちゃべる余裕はなんとかあるみたいだ」


 どれだけあちらの動きが速くて重くとも。

 どれだけこちらの心と体の連結が微妙にズレていても。


 まだ人型を保っていた時の青年が繰り出す、槍や弓矢や体術を織り交ぜたトリッキーな戦い方と比べれば、なんてことはない。


 単調で大振り、駆け引きも技術も何もない攻撃はさばくことも容易く、攻勢にも回れる。


 「ライオンみたいな魔獣との戦い方は、一度経験してるし……ねっ!!」

 

 ビシュゥゥゥ!!

  ビシュゥゥゥ!!

   ボグシャァァァ!!

    ビシュシュシュゥゥゥ!!


 ホーンライガーとの一戦が、俺を優勢にしてくれている。


 まだこっちの世界に来たばかりで存在そのものが儚く、脆いものだった俺が初めてまみえた魔獣。


 アルルが殆ど瀕死状態にまで追い込んでくれていたおかげで本来のパフォーマンスを発揮できてはいなかったとはいえ、獣型の魔物への対処法は予め備わっている。


 躱して、薙ぐ。

 晒して、斬る。

 流して、蹴る。

 躱して、躱して、薙ぐ、斬る、突く……。


 『グヲォォォォ……』


 致命傷までには至らずとも、着実に確実にダメージを与え、削いでいく。


 しかし、必殺の一手を持ち合わせているわけじゃない俺には彼のことをボッコボコにもギッタンギッタンにもできるわけもない。


 もしも混じりけのない殺し合いをしているのなら、こんなチマチマとした戦略しか立てられない俺に、勝機の芽は薄かったことだろう。 


 「…………」


 攻撃の間隙にちらりと目を向ける。

 視線の先にいるはずのアンナとココの姿はもう見えない。


 「行ってくれたか……」

 

 ……これでいい。

 ……これでいい。

 

 これこそが狙いの通りの展開。

 ようやく場は整ってくれた。


「助けを呼んでくれ……ねぇ」


 我ながらそんな嘘、よく素知らぬ顔で言えたもんだと俺は自然と苦笑いになる。


 二人が安全なところへと避難するまでの時間稼ぎ。

 リリーが来てくれるまでのその場しのぎ。


 筋も通っているし、実際にそれ以上にベターな解決策はない。


 万事がそれでうまくいく。


 アンナの安全も、ココの願いも、青年の暴走も、すべてがうまいところに着地する。


 多少、俺が無茶をすることが前提ではあるけれど、誰も不幸にならない幸せな結末。


 だからこそあの才女も納得して去ってくれたのだろうし、俺だって何事もなければ憂いなくこの策を採用していただろう。


 『グヲォォォォォ……』


 「…………」


 けれど、何事があった。


 憂うべき、懸念すべき、事柄がはじめからあった。


 『グヲォォォォ……ヲォォォォォォンンン!!』



 キュビビビィィィィィンンンンンンンンン!!!



 「ちっ……」


 またしても高まる獣の魔力。

 ただでさえ膨大ともいえる力の発露がことさらに強まっていく。


『グヲォォォォ……』


 吹き荒れる魔力の暴風。

 乱気流のごとく渦巻く力のための力。


 そんなものに全身の毛をあおられている獅子の顔には、もはや正気どころか精気すらも見受けられない。


 「やっぱりこうなったか……」


 獣化……それは身体能力を著しく強化する魔術。


 特に大仰な詠唱や飛びぬけて豊かなイメージ力も必要としないシンプルなもの。


 マッチを擦った程度にすら炎を出せない俺にでも簡単に真似できたくらいだ。


 そんな単純な原理で発動できる魔術がどうして世間にはあまり浸透せず、あまつさえ『獣化』などという特定の種族固有のものとして扱われているのか……。


 アンナの言葉がよみがえる。


 ―― 彼の中に流れる獣人の『血』による内側からの強化 ――


 外側から覆うようにするのが強化魔術とすれば、獣化は内側から押し出すように地力を上げる。


 体の外郭を取り繕うものと体を内側から作り変えるもの。


 単純で、効果も似たようなものでありながら、その実、原理はまったく異なる両者。


 アンナの解説を聞いた時から、どうにも引っかかるところがあったのだけれど、何がそんなに気になるのか、正直、わからなかった。


 まだまだ魔術や魔力といったものに馴染めていない無知故の疑念なんだと思っていた。


 しかし……。

 


 ドクン、ドクン、ドクン……



 こうやって実際に体感することで俺は理解した。


 外側と内側の違い?

 いやいや、そんな次元の話じゃない。


 魔術と獣化……これらはもっともっと根幹というか根源的な違いがある。


 体の中で暴れまわる力。

 まるで意思を持った生物のように縦横無尽に駆け巡るエネルギーの塊。


 行き場を探してさまようでもなく、自由を求めて決起しているわけでもなく。


 俺を……俺の存在を明確に食い散らかそうとするかのように、内へ内へと潜り込もうとしてくる。


 ああ、そうだ。


 こんなものは魔術じゃない。


 炎を出すにしても傷を癒すにしても内から外へと魔力を干渉させるのが魔術であるならば、この獣化というやつは、あくまでも魔力を内から内へとひたすらに向けたものなのだ。


 なんて内省的で、なんて孤独な能力。


 有事の際には群れをなし、仲間と絆を結び、徒党を組んで臨んだという獣人族。


 堅牢な魔力炉や丈夫な魔力路を持ちいて王を狩ってきた一族。


 その『血』が、この獣化という能力を彼らに与えたのだとしたら、その『血』のなんと孤高なことか。


 これではまるで、敵よりもまず自分と戦うのだけで精いっぱいじゃないか。


 『グォォォォォ……グヲォォォォ……』


 「…………」


 ハッキリと苦悶の表情を浮かべ、痛々しげな声を上げる獅子の獣。


 高まりすぎた魔力が、彼の内側を容赦なく痛めつけているのだろう。


 そうやって主をグシャグシャにかき回してもなお、魔力は精製と上昇をやめてく

れない。

 

 ―― ゼノ君を、止めてほしいんだゾ ――

 

 ココの言っていた言葉の意図はこれにあった。


 もはや、彼は自分では止まらない、止められない。


 ≪現世界あらよ≫側の言語でも魔術的見地からでもなく、獣人族にとっての『オーバフロウ』という単語の持つ意味は、この終わりのない強化にこそあったのだ。


 やっぱりリリーを待っていては手遅れだった。

 だましだまし時間稼ぎをするだけの猶予は元から皆無だった。


 このまま放っておけば、そうかからずに彼は自滅するだろう。


 有り余る力におぼれ。

 手に余る力に食われ。


 きっと死んでしまうのだろう。


 「……ふぅ……」


 俺は荒れ狂う魔力に至近距離で巻き込まれながら、静かに目を瞑る。


 予想よりも早かったけれど問題はない。


 これから俺が辿るであろう先の成れの果て。


 それを目の前でまざまざと見せつけられている中、それでも躊躇いを抱けない俺は、やっぱりどこか壊れているんだろう。



 『グヲォォォ……」

 

 苦しいと、痛いと、訴えかけるような獣の唸り声。

 

 そんな弱弱しい彼の声を聞きながら、俺は予定通り行動に移す。

 

「……≪接続セット≫」


 

 キュィィィィィィンンンン……



 上昇していく体温。

 チリチリと体の節々に走る痺れ。


「≪展開オーバー≫」



 ヴゥン、ヴゥン、ヴゥン……



 グルグルと駆け巡る魔力。


 ピシピシと裂けていく皮膚。

 プシュリと弾け飛ぶ血潮。


「…………」


 別に、本当なら助けてやるような義理はない。


 アンナには心当たりがあったようだけれど、俺には理由もわからないままに問答無用で殺しにかかってきた相手。


 友達でもない。仲間でもない。


 単に命を狙うものと狙われるものというだけの関係。


 戦いに酔って、ボーダーラインを一人勝手に飛び越えた、自業自得もはなだしい。


 同情はしない。

 同調だってしない。


 このまま彼を放置して、さっさとここから離脱しても薄情にはならないくらいの正当性を俺は持っている。


 ホント……無理して止めてあげるだけの筋合いなんて一つもない。


 「……ただ……まぁ……」


 ポリポリと頭をかきながら、誰が聞いているわけでもないというのに言い訳をこぼす。


 「はっちゃけ過ぎた若人をたしなめる……これも大人の責務だよな……」

 


 ―― ゼノ君を助けてくれる? ――



「ああ……約束通り……ギッタンギッタンにしてやるよ」



 ヴゥン!ヴゥン!ヴゥン!



 キュィィィィィンンンンンン!!!!



 オーバフロウした獣人のごとく高まり続ける魔力。


 本家にも負けず劣らずの身体強化。


 多幸感も全能感ももうない。

 頭の冴えももうない。


 ……というか、何も感じない。

 


 何も……なにも……



 ナニモ……カンジナイ……。



 そういえば


    ついこの前も


        こんな風に

    

 意識が

       沈んで


 真っ白な空白のような

         

          真黒な虚無のような

        

 意識の一番深いところに



    俺は


         俺 は

          


  おれ   は   



「……リ……」


「束縛の十字・≪クロス・シェイド≫!!!!」



 シュゥゥゥ……



 ガキガキガキガキガキガキィィィィンンン!!!!


「うぐっ!」


『グヲォォォンンンン!!』



 ≪解放リリース≫の言葉を遮られ。

 沈み行く意識が猛烈な痛みでもって引き上げられた俺が最初に認識したのは。


 体を真横に貫く二本の十字架。


 黒くて、大きくて。


 そして、抵抗する気力を根こそぎ奪ってしまうかのような。


 そんな終わりとしてのはりつけをこちらに科す……。



「ホント、浅はかです」



 ……浅はかな男の体を戒めるにはいささかもったいないほどの神秘性を帯びた。



 美しい十字だった。



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