E-2 ラヴィアン王国第二王子。アル・ラティーク・ラヴィアンの名において

 片手で空に翳したランプは青緑に光り、いつか見た緑の環が小さな爆発を起こした。


 中央に現れたシハーヴは、眼を真っ赤にさせていた。

 膝を付いて、ラティークを赤い瞳で見上げた。


「ご主人様……ご用は何ですか。みろ、主人が泣くから、涙、覚えちゃったよ」


「おまえが僕を〝ご主人樣〟と呼ぶ日が来るとはね。シハーヴ、長い間ご苦労だった。そして、ありがとう。もう一つの約束を、今こそ果たそう」


 ラティークは腕を伸ばした。ランプを更に高く掲げた。シハーヴと頷き合った。


「ラヴィアン王国第二王子。アル・ラティーク・ラヴィアンの名において、おまえたちを解放する。風の精霊との契約、及び僕と交わした精霊契約は全てここに破棄する! 今までありがとう。万物に戻り、どうか、自由を謳歌してくれ」


 ランプの中から、鏡から、腕輪から、灯籠から。文字が浮かび上がった。ラティークの瞳にも同じ紋様が浮かび、剥がれて消えた。鎖はすべてシハーヴに吸い込まれ、気付けば、そこには大人の風の精霊が立っていたのだった。


(いったいいくつの精霊契約をこなしていたの? 違反どころじゃない)


 ラティークは満足そうに微笑み、下から包み込むように、アイラの手を持ち上げた。


「たった一つの僕の大切なものが見つかるまで。共に戦おうと誓った。アイラ、眼を閉じてくれる? 最大の魔法をかけてみせる」


(また言ってる。懲りないな。もう)眼を閉じた。さわさわとした布が擦れる音。

 頭上にそっと何かが置かれた感触。ふわっとアイラの周りに風が舞い降りた。


「かかったな。僕の愛の真実。もういいよ。眼をゆっくり開けて」


 青真珠のティアラだった。花嫁に花婿が贈る大切な結婚の装飾だ。ティアラから長く伸びたヴェール型の頭布から透けた向こうには、砂漠と、愛する人の優しい眼差し。


 いつでも、どんな窮地であろうと、アイラしか見ない、美しい金の瞳がまたたいた。


「ラティーク王子と、アイラ王妃。新しい時代の二人に万歳と祝福を!」


 民衆の誰かが声を張り上げた。スメラギも混じって、またたくまに大合唱だ。

 声にならなかった。抱いていた秘宝にも、この嬉しさが伝わればいい。


(あたしを、たった一つの大切なものと言ってくれた……ありがとう、ラティーク)


「綺麗だろ。シハーヴ。さぁて、どう思う? 羨ましいか」


 シハーヴはラティークと同じ笑顔でニヤと笑い、夜空に眼を輝かせた。


「うん。羨ましくなったから、僕も仲間を探す。水に負けてばかりでは、シャクだし、精霊も幸せになりたいからな! そうだろ! みんな!」


 お調子者の風の声。一番に反応するは、火の精霊だ。『やってやらぁ』と相変わらずの口調で、ゾロゾロと姿を見せた。水の精霊も、恥ずかしそうに顔を覗かせた。精霊たちが、ラティークを通して人を許し、この国をきっかけに動き出そうとしているなら、これが奇跡でなくて、なんだろう?……とシハーヴがニヤついた。


「祝いに魔法贈るよ、王子サマ。そうだな、民衆に見てもらってもいいかもな」


 シハーヴが腕を翳すと空に蜃気楼が浮かび上がった。精霊たちはニヤニヤしていた。


☆★☆



 ×印を飛び越えた、スメラギの守銭奴色の腹黒い卑しい笑顔が空一杯に浮かんだ。


『どうよ、王子さま。あんたのハレムに一匹。毛色が違うし、イキがいいですぜぇ?』


(これ、シハーヴの視ていた過去? あたしがニンフとして売りつけられた瞬間)


 蜃気楼の中で、アイラは眩しそうに、目を細めていた。ラティークもまた不機嫌そうにアイラを見下ろしている。手が伸びてきた。あっちこっちを試している。


(やだ、あたし、一度もラティークから目を逸らしてない。もみもみされてるのに、完全に見惚れているな、これ。ちょっと、恥ずかしい! 気付け、ほら。あれ? でも、ラティークも、じっと見てる? なんて優しい眼……魔法、かかっちゃうよ)


 アイラの頬が赤く染まっていく。ラティークも眼元をほんのりと赤らめていた。

 場面はふいっと何故か熱帯雨林にたわわに生る果物へと映った。


 目を背けたシハーヴの顔が浮かぶ。


 二人をしっかりと映した蜃気楼は、ゆっくりと時の彼方に溶けて消えて行った。


☆★☆


 ラティークがごほ、と咳払いをして、口元を片手で隠し、ぼそっとやった。爪先を打ちつけて、そっぽを向いた。


「どこで、見ていたんだ、あいつは。……ったく。黙っていたのに」


「ねえ、ラティーク、最初から一目惚れ……魔法なんてかけてなかったの?」


「ああ。最初から……きみの潔さと、愛おしさに惹かれた。魔法にかかったは僕だ。違う、もう魔法なんて言えないな」


 ラティークは瞳を煌めかせた。


「僕と、きみの真実だ」


(それって……魔法が真実? ならば魔法はなかった?)


 アイラの前で、悪戯な緑の光は、長く伸びて、遠く流れた。


 その後の戴冠式が、思わぬ余興で盛り上がりに盛り上がったことは、悪戯な風の精霊に感謝すべきかも知れない。大勢の祝福は、未来を明るくさせる。きっと。信じて行けば、きっと。


 たくさんの精霊がラヴィアン王国の空を飛び去る光景は、極彩色の虹の波が押し寄せるようだった。



「さよなら。もし、本当に助けてくれるなら、その時は己の意志で、また逢おう――」



 ラティークと二人で並んで夜空を見上げる。ラティークはどこまでも、強く、歓喜溢れた眩しい光に溢れた瞳でアイラを映していた――。



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