6-7 再びラヴィアン王国へ――
☆★☆
「ねえ、また毛虫くっついてるんじゃない? どうしたの? 怖い笑顔」
言われて、ラティークはべし、と頬を叩いた。見せる必要などない策謀用の敵と男専用の脅し笑顔がうっかり顔を出した様子だ。
アイラの指先が珍しくラティークの頬に触れた。心配そうな瞳に向かって微笑んだ。
(判っている。国のことも、判っているし、今が大変な曲面を迎えている事実も。アイラは王女だ。国を愁う僕を理解して、相談に乗ってくれる)
しかし、ラティークの口からは理想とかけ離れた言葉が飛び出した。
「きみはネコ被りで、一生懸命だ。僕にも本心で接してくれてもいいと思う! 前も言った。眼を離すと危ないから、僕の側にいろと。いっそ王子命令にしてやろうか」
「ねえ、ラティーク、ちょっとおかしいよ? ラティークじゃないみたい」
図星を指されて、ラティークは押し黙った。スメラギとアイラが仲睦まじくすればするほど、黒い笑顔を浮かべたくなる。黒い大気が濃くなるように。遠くのラヴィアン王国の闇が、ラティークの心にも忍び寄っているのだろうか。
アイラが(ひっ)と肩を引き攣らせたところを見ると、またどうしようもない表情をしているに違いない。顔の筋肉が引き攣っている。
「きみに自由でいて欲しい気持ちに嘘はない。しかし、ずっと抱き締めておかないと、アイラを誰かに奪われる。スメラギに邪魔はさせない」
(なぜだ。感情の制御が効かない。こんな姿をこれ以上見せてたまるか)
ラティークはアイラを強く抱き締めた。
「離れている時は、ただ、きみの平穏を祈った。殺される覚悟で、敵国の司令長官殿とも向かい合った。その時でさえ、国を愁う決意は揺らがなかった……!」
腕の中モゾつき始めたアイラを、ラティークはゆっくりと見下ろした。
アイラは目をぱちくり、と大きく瞬かせ、呻いた。
「ちょっと、腕の力、強、い……っ」呻き声にはっと正気に還って、腕の力を緩めると、アイラは大きく呼吸を繰り返し、涙目を指で押さえて見せた。何だか情けない。
(何をやってるんだかな……僕は)
「……忘れてくれ。どうかしていた。このくらいなら、大丈夫か」
安心させるように、腕を緩く回した後、ぎゅっと力を少しずつ込めた。
「あ、このくらいがちょうどいい。あんまり強いと、逆に哀しくなるの、なんでかな」
アイラはラティークの両脇から腕を背中に回し、心臓の上に頬をくっつけている。
頭を撫でまくって髪に触れて、内省する。間に、スメラギなどどうでも良くなった。
「兄と父を救いたい。どうして、闇に染まっていったのか。それには離れないと駄目だと思った。僕はね、アイラ。真実を知る行為に怯えていたよ。でも、大丈夫だ。アリザムに何を聞き出そうとしていたんだ? 僕への疑問は僕が聞く」
躊躇いはない。どんなに辛い過去の筺を開いたとしても、アイラの存在は希望だ。
「ねえ、ラティーク。貴方の、お母さん……」
「やはりその話か」とラティークは切なげに笑った。
「僕は遠くの地から、母とやって来た。その日から母は王のハレムに入った。兄から父が母と逢うことを禁じたと聞いた。でも、ある日、夜こっそり見に行って、一度だけ姿を確認した。窓際にいたよ。ちゃんと、生きていた。それだけでいいんだ」
無言になった。アイラの姿はコイヌールの悲劇を知った時と同じだった。そばにいたラティークにすら、痛々しさは伝わった。アイラが消えそうに見えた。
(そうだ、あの時、何て優しい心を持っているのかと僕は驚いた。他人を退けて来たこの僕が、決して、アイラの優しい心を傷つけてはいけないとすら)
途端に、腕の中に落ち着いている体温が愛おしくなった。
「母が安否不明だと考えると色々有り得ない最悪の展開が浮かぶ。母は、第一宮殿にいるはずだ。言えないだろ? 今更、逢いたい、なんて成人間近で」
アイラは頬を胸板に預けたまま、眼を閉じていた。
「あたしは黙ってそばにいる。ラティークが泣きたくなった時に、すぐに聞いてあげたいし。ねえ、泣いても、いい……よ?」
可愛らしい慰めに、瞼が熱くなる。いつになく力強く、アイラの手を握った。掌からあたたかさが伝わって来た。
(アイラに忍び寄る全ての闇を庇うは不可能だ。庇えないなら、せめて、己の心の闇など、消してしまえ。見せないように)
――うん、大丈夫だ。
「アイラ。ラヴィアンへの砂漠地帯が見えて来る。さあ、行こう――久方ぶりの気がするよ」
どのような思惑であれ、優しい心を傷つけるなら、己の弱さなど要らない。
ラティークはしっかりと心の筺を閉じた。
やがて海は途切れ途切れになり、奴隷引き受け用の島が見えて来た。
大きな×印が刻まれた大地は陽光に照らされて輝いている。
「懐かしい。あの、孤島……出逢った場所ね。なんか、もう昔な気がするね」
――孤島の空は黒い霧に覆われていた。霧はスメラギの船をラティークもろとも包み込んだ。アイラが、一瞬遠くなる。力を込めた。
この腕の体温を逃がさないようにと。額から、汗が滴り落ちた――。
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