6-2 砂漠の王子と水の精霊

☆★☆


 さて、裏交渉には慣れているはずが、舞台が他国で、相手が男。尚且つ、好いたアイラの兄となると話は変わってくる。ラティークはどこを見ても水の溢れる部屋を一頻り眺め終え、更に外に視線を投げたところだった。水の離宮が見える。


 ――緊張もだいぶほぐれたが、別の意味で緊張する。


 八隻の艦隊をまとめる司令官・シェザードはアイラの三つ違いの正真正銘の実兄。


 黒髪のアイラと違って、赤い髪を颯爽と揺らす、通称を赤い鯱と呼ぶ。

 法に厳しく、他人にも厳しい。ヴィーリビア次期王として精霊学と帝王学を大人しく学びきったと思うと、艦隊を結成、海賊として世界を飛び回っていると聞いた。


 そのシェザードが、今回のラティークの〝裏交渉〟の相手である。

 水の部屋で待つこと一時間。海軍姿のシェザードが現れた。


「待たせた。客人。水刑の視察をしていたものでね。まさかユーレイトのラヴィアン王国からいらっしゃるとは。妹の話ならば聞こう」


 完全なるシスコン。(まあ、そのほうが話が早いか)とラティークは策謀を巡らせた。


「アル・ラティーク・ラヴィアンです。本日は、我が国の兄の愚行の詫びを。貴国の秘宝の話ですよ。先日、王女が持ち帰ったはず。アイラ王女のご機嫌はいかがですか」


 シェザードは持ち前の鋭利な眼でラティークを睨んでいたが、徐に会話に応じた。


「言うことを聞かず、奴隷として御国に潜入。頭を冷やさせているところだ。それに、秘宝の廃棄も検討中でね。あの石を置いた途端、修行中の水の精霊が消えた。婆たちは「闇を連れてきた」と騒いだ。神官たちには箝口令を敷いた。大変な騒ぎだ」


 厳格な口調で告げ、シェザードは頭を抱えた。


「アイラは貞淑で、誰よりも巫女の素質も兼ね揃えていた。水の愛らしさに満ち、楚々とした穏やかさに満ち、清らかさに恵まれた。どうしてこんな事態に……」


 いや、ラティークから言わせれば


『水の愛らしさに満ち、堂々とかっぱらいをする荒波海賊の度胸を持ち、優しさと口の悪さに恵まれた』が正しい。


〝あたし、ネコ被ってたの〟いつぞやの済まなそうな声音を思い出した。


(しかし、僕の前では暴言は出たためしがない。ネコを被っているとも思えない。本来の姿なのだろうか? 女の子はわからないな)


「失礼ですが、妹さんは水の姫巫女ですか。それは凄い。なかなかいないでしょう」


 シェザードの鼻が上向きになった。妹の一言で戦争するとの言葉にも信憑性がある。


「そうだ。アイラには国を支える力がある。――砂の荒地で遊ばせるには勿体ない。時に、砂の王国では第二王子が焼死したと聞いたが、随分健在そうだが」


(来たな)とラティークは足を組み直した。判断を間違えば、捕獲だろう。


「そうでもしないと、兄を欺けませんので。と言えど、もう判っているでしょうが。今は私はクーデターの準備を進めているところです」


 シェザードは驚いたようだったが、すぐに感情を仕舞い込んだ。


「第二王子殿。貴方は、頭は良いが、戦略的ではないようだ。例えば、既にラヴィアンから『ラティーク王子暗殺司令』が届いているとは思わなかったのか」


 シェザードの一言で、部屋に衛兵が踏み込んでラティークに剣を突きつけた。


(ふん、こうでないと面白みがない)


「おかしな話だ」とラティークは臆さず告げた。男相手に心を傷つける杞憂はない。


「秘宝を奪われ、汚されて、尚、我が国に従う? 人質たちは死ぬまで祈りを強要され、もしかすると、水の精霊の奪い合いになるかもしれない。争えば、この地からも水の精霊は去る。住めない砂漠になる。――妹のアイラ王女が嘆く行為を?」


 シェザードは衛兵を引かせた。


「王子たる身分でありながら、敵国の司令長官にたった一人で向かい合うなど。ラヴィアン王国の不吉な噂は本当らしいな。妹に何かあれば、出撃も辞さないのだが」


(まるで印篭。アイラが「お兄、ラヴィアンぶっつぶしてぇ」と猫なで声で一言言えば、港の艦隊が海を割るわけか)


 ラティークはすっくと立ち、瞳を煌めかせた。


「私は兄より王国を取り返す。今は南部地方で情報を集めていたところです」


 アリザムの実家がヴィーリビアで大きな真珠宝飾店を営業していた。ラティークは根城にして、情報収集に勤しむも、首都の王女の話は限られる。決死の思いでヴィーリビアに足蹴く通った。この機会を逃したくはない。


「水の巫女婆様たちが言っていた。コイヌールは闇の契約に使われた。恰もガラクタのように契約に利用され、捨てられた。人の心があってはできないと。美しい宝石だった。触ることすら阻むような。輝きは何者の穢れも許さないはずだった……」


 シェザードは、沈痛な面持ちになった。


「結果がこれだ!」


 シェザードは一枚の書面を叩きつけた。兄ルシュディからの直筆の手紙だ。


 読んだ瞬間、ラティークは足元に冷風が吹く感覚に陥った。シェザードは唇を噛みしめていた。

☆★☆


〔民は随分な働きをしてくれた。最後に、そちらの姫巫女を我が国に戴きたい。姫巫女アイラと引き替えに、我が国は貴国との外交を締めくくるとしよう〕


「ルシュディ王子は闇と同調したとしか思えない。もはや人の心が死に絶えた悪魔だ! 民の代わりにアイラを犠牲にせざるを得なくなった!」


 シェザードの拳は悔しさと無念で震えていた。


(何という卑劣な条件を! 兄はシェザードが何を大切にしているかを見抜いている。愛おしい妹を奪えたなら、最強の人質だ。次の命令は目に見えている。絶対服従)


 ラティークは靜かに決意を固めた。もはや逃げ場はないのだと、察した。


(実兄の暗殺。暗黒の歴史に準え、僕の運命にも暗殺の文字は染みこんでいる)


「僕に任せて貰えますか? 最悪、ラヴィアンに戻り、兄の暗殺も辞さない」


 シェザードはラティークに、何も告げず、最後に、無残に闇に堕とされた輝石を差し出した。


「妹に持たせるわけには行かない。どうやら貴方は妹に並ならぬ愛情を抱えている様だ。悪いようにはしないだろう? 妹も、また貴方を信頼している」


 ラティークははにかんだ。指で黒い包みをそっと解いた。食い荒らされた美しき輝石は魔の石に変貌していた。しかし、少しだけ色づいたように見えるは錯覚だろうか。


 大切そうにアイラが抱き締めていた姿が浮かぶ。癒やせる奇跡はきっとある。


(ルシュディは何かを隠している。子供の精霊と契約した僕も似たようなものだが)


 大切な約束とともに転がり出た風の精霊は、役目を果たしているだろうか。ラティークは元通りに宝石を包み直した。


「一つ、お願いがあるのですが。緑色の虎がウロウロするかも知れません。妹さんの持つランプは私が預けたもの。決して危害は加えません」


「見た。手足が白く、尻尾がふわふわしていた。なぜ妹に風の精霊がと思ったが、記憶違いだったようだ。貴方の飼い猫かな? ならば私が口を出す問題ではないな」


 ラティークはシェザードの機転と男気に感謝しつつ、会談を終えた。


 衛兵に見張られて、正門を出る時、離宮が見えたが、水の精霊が張り付いていて、中は窺えなかった。


〝人の心を捨てた悪魔〟


シェザートとの会話を反芻した。闇に染まった兄が民を惨殺する可能性もあるだろう。暗黒時代の王族に倣い、ラヴィアンは文字通り、闇に包まれる事態になる。


(どうしても、言えなかった。愛した相手が絶望に染まるなど、みたくもない。普通の心だろう? 誰も不幸など望まないんだよ。兄貴。望むとすれば、もはやそれは人ではない。その場合は、僕の手でやるしかない)


 更に、アイラは民と引き替えと聞いたら、迷わずにラヴィアンに向かうに違いない。


 扉の向こうの民を救えないと号泣した姿は記憶に新しい。機会は逃さないはずだ。


 水の精霊たちが、遠巻きにラティークを見ては、怯えるように逃げて行く。


「どうしたら君たちはラヴィアンに戻って来る。どうか一緒に……」


 隠れていた水の精霊たちは集団でふいっと通り過ぎた。


 ラティークの呟きに呼応する如く、水飛沫だけが優しく舞い続けた。

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