4-4 砂漠の大航海 ラマージャ港の海賊商人

 アイラの手をしっかりと掴んで見上げると、宝石箱をひっくり返したような星空がラティークの頭上を埋め尽くしていた。遠くから届く未来の光だ。滑るように走る絨毯に乗った時より、月は遠く傾き始めた。


「皆、助かるよね」アイラがぽそりと洩らす。返事の代わりにアイラの手を強く握ってやり、しっかりと頷いて見せた。アイラはほ、と頬を緩めた。


「レシュも、戻って来るよね……」


「ああ、きみの親友は変わっちゃいない。兄貴も大丈夫。信じよう」


 アイラは瞳に安堵の光を滾らせた。


「怖いことなんかないね。ラティーク、大丈夫って言ってくれたもの」


 あけすけの好意にラティークは鼻の頭をかいた。相変わらず清々しいほどの愛情だが、多分アイラは無意識。ラティークが「好きだ」と言ったら「何だって? 魔法は要らない」と鼻の頭に皺を寄せるに決まっている。


(あ? ん? 好きだって言ったら? 言おうとしているのか? 王子たる僕が)


 ……調子の狂った思考を振り切った。ぞろぞろと第二宮殿の人々と、ラヴィアンの難民が列を伸ばしている様子が視界に映った。


「難民が後を絶たない。水がないと、人は生きていけない。太陽と、水、風。どれが欠けても、どこか人はおかしくなる」


「どうして、水と風の精霊がラヴィアンにはいなくなったの?」


 理由は複雑過ぎて、どこから伝えようかとラティークが悩む前で、博識のアリザムが代わりに答えた。


「勉強嫌いのラティーク樣は存じ上げない話でしょう。かつてラヴィアンの世継ぎは必ず四人と決まっていた。精霊契約は、一人につき一つの精霊しか契約ができない。これを『世襲』と言います。四人で四元素をしっかり支配していたわけです。かつて王子は火の王子などと元素名で呼ばれた。全ての元素を支配下に置いたのです」


「へえ。僕も知らん話を。勉強もしておくものだな」


「王子暗殺事件の多発により、契約を継ぐべき王子がいなくなった。精霊歴史学の暗黒の時代到来ですね。以降、欠けた元素をどう補うかに焦点が置かれたのです。そこで目をつけたのが〝闇元素〟希望を失ったかつての王族は自ら闇に染まる同化を選ぼうとした。人が闇を選んだ時、一番に〝水〟、そして〝風〟が逃げたと聞いています」


 アリザムは声を潜めた。


「闇の精霊に、この『世襲』は関係がありません。即ち彼らは元素を攻撃できる資格がある。これを相克と呼びます。ルシュディ様が生まれつき闇の素質を持っていたとしたら、好機を見逃すはずはない。闇だけは妖霊をうじゃうじゃ増やせる。人の悪意が蔓延しているから苗床はごまんとある。人もまた霊的生物。闇をぶくぶくと増やす」


 アリザムの性格の悪さか。それとも、水の素質が強いせいか。アイラはすっかり話に怯えてしまった。ラティークは何気にアイラの肩を引き寄せてみた。


 アイラは振りほどかず、小さくなって頭をすり寄せたままだ。


 ――好機とはまさに今。アイラの腰に回した腕に力を込めて、唇を開き、深くすくい上げて口づけした。アイラの舌は蕩けそうに柔らかい。


(歯止めが効かなくなりそうだ)と思いつつ、夢中になったところで、アリザムの話がピタと止んだ。砂漠の風の爺が起こす風が一瞬止まったかと思うと、暴風になった。


「じーさん! 何やってんだ!」シハーヴの怒鳴り声。アイラはふにゃんと声を漏らし、絨毯の上でラティークを押し退かそうとした。


「また魔法かけようとして! 口にいたモノが、あたしを狙い撃ちにしたの!」

「狙い撃ち? 堂々と狙っていいな? 元々、こそこそは性に合わな」


「だーっ! ごちゃごちゃやかましいんだよっ!」


 シハーヴの怒声にアイラと一緒に肩を震わせた。瞬間、浮いていた絨毯のバランスが崩れ「ふぬー!」シハーヴの声と同時に、絨毯は見事に空に舞い上がった。


 ただし、舞い上がったは第一宮殿の絨毯だけだった。人間を全部落とし、身軽になった絨毯は、くるんと格好良く宙返りし、フフンと夜空を美しく飛んで行った。


「もう、なんなの! 砂だらけ!」


 一番に振り落とされたアイラが砂から顔を上げた。シハーヴはと見ると、魔力が尽きたのか、ラティークからの失態の怒りに怯えたのか、虎に戻って背中を向けていた。


(ランプに戻すべきか迷うな。しかしアイラは「助けてあげて」と言うだろうし)


「ラティーク王子。先ほどの駱駝がオロオロしながらこちらに向かって来ます」


 結局港まであと少しの地点で、白駱駝に乗り換えとなった。


「絨毯が落ちた原因は、貴方でしょうね。絨毯の上がハレムにでも見えましたか王子」


 アリザムの恨み言の前で、風の爺さんが『やっとれんわ。寝る』と帰って行った。


**********


 駱駝に乗ったアイラはむっつりと黙っている。どうやら先ほどのラティークの行為を怒っている様子だ。


 商人たちのテントがちらほら見え始めた。見ていると、また砂船がサアアと出て行った。『眠気飛んだわ、いちゃつきよってェ』と風の爺の声。


 樹海の兆しだ。砂漠が終わる。埠頭に近づくにつれ、いくつもの船が樹海に止まっている光景が見て取れる。港町ラマージャ。海賊も商人も一緒くたに騒ぐ街。


「ラティーク樣、なにものかが、近づいているようです」


 砂漠の終わりが見えたところで、アリザムが、目を凝らした。駱駝の首に顔を寄せていたアイラも、耳を澄ませた。


「うん、確かに、ザク、ザクと駱駝の足音と砂を擦る音がするわ。歩いてるのかな」


「阿漕な商人だ。夜に移動などして、ハイエナに食われても知らんと言え。それより」


 駱駝に頬を寄せたままのアイラを見下ろした。アイラはラティークより眼の前の駱駝にすり寄っている。実はさきほどから気に入らない。


「駱駝の毛で顔を刺してる。僕では嫌か。温かいし、触り心地も」


 アイラは更に駱駝のもじゃもじゃに顔を埋め、声をくぐもらせた。


「い、いいっ! らくだ、そう、駱駝好きなの! 愛してるの! 駱駝を!」


 ――なんだと? 

 

 ラティークの前で駱駝が「そうかい、ありがとよ」とにやりとアイラに向いた。(はっ)と思うも遅い。ファ~と口が開いた。グェフと愛のげっぷだ。


 何とも言えない臭いが立ち篭め、皆、無言になった。アリザムが素早く片手で臭気を払い、小さく咳払いした。


「先ほどから迷惑を被っています。ラティーク王子。さっさとしてください。百戦錬磨の貴女が、王女の強情程度に負けるはずがないでしょうが」

「そうだな。すまないアリザム。――ほら、アイラ、こっちに来い」


 ラティークは涙目で口を押さえるアイラをようやく駱駝から引き剥がした。


 アイラは今度はほっとした表情で、眼を上げ、ラティークの首筋でくん、と鼻をひくつかせて大人しくなった。一騒動を終えた。ハイエナの断末魔が響いた。


「ハイエナが殺された様子だ。どうやら商人ではなさそうだな、アリザム」

「そのようです。ラティーク樣、御身、ご自分で御守りを。剣を手に」


「やれやれ。王子になりたきゃ、いくらでも譲ってやるのにな。アイラ、しっかり捕まって。事情が変わった」


 ラティークの言葉を待たずして、黒駱駝に乗った覆面の男達がラティークとアイラの乗っている駱駝を囲んだ。


「なんだ、団体で来られても、僕のハレムに入れるはオンナだけだが、相手になろうか。あまり武器は好きではないが、アイラに剣を向けて見ろ。容赦しない」


「かっこつけている場合ではありませんラティーク王子。――紋章を見て判断下さい」


「分かっている!」アリザムに言い返して男達の覆面の紋章に眼をやった。


(王族反対派の一味なら、捕まれば八つ裂きか、奴隷船か。しかし、兄の仕向けた追っ手かと思いきや、男達の紋章に覚えはない。しかし、戦い方は陸のものではない。ラヴィアン王国の人間ではないな。――海賊?)


 どうやらラティークの命を狙っている様子ではない。さては、破落戸に絡まれたかとラティークは剣を納めた。


(他国の人間を王子が斬っては風評ががた落ちになる。兄の追っ手でない以上、剣を抜く理由はない。ここは精霊に追い払って貰うがいいか)


「他国の盗賊か」呟いたところで、アイラがぴょんと駱駝を降りた。手には駱駝に括り付けてあった水差し。アイラはラティークの横をすり抜けた。


「こんなところで何してんのよ! スメラギ! よくもハレムの嘘、教えたわね!」


「げ! そのチッパイは! おまえこそ、砂漠のど真ん中でアイラ! おい!」


 ラティークは視線を逸らせた。アイラは水差しを男の頭上に炸裂させ、伸びた男の覆面をはぎ取った。アイラは水差しをぽいと投げ「取り調べでもなんでもして」と背中を向けた。



 黒い眼帯にこれでもかとぶら下げた宝石には見覚えがある。


 かつてラティークにアイラを売りつけた、ヴィーリビア国の商人スメラギだった。

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