3-5 月夜の噴水にて ラティークのやんごとなき王子事情

★☆★


 ラティークは腰に下げたランプをガコガコ鳴らしながら、第二宮殿までアイラを誘った。月が綺麗だ。足で噴水を蹴飛ばすと、水滴の乱舞が宙に描かれる。


「噂を聞いた。他国の艦隊が、ラヴィアンに向けられると。てっきりヴィーリビアの大艦隊かと思ってきみを疑った。大艦隊と言えば、きみの国しか思い浮かばなくてね」


(お兄が気付いた?)と冷や汗が垂れたが、兄のシェザードには洩れていないはずだ。


「呼び寄せる理由もないし、連絡手段もないよ?」


「そうだよな。とんだ早とちり」とラティークは眼元を赤らめた。冷静ではあるが、相当動揺している様子だ。ちょろちょろする緑の虎が見えない事実に気付いた。


「ねえ、シハーヴは?」


「僕がいいと言うまで出てくるな! と反省させている。きみを置いて逃げただろう。契約を破棄してもいいくらいだよ。どこが精霊なんだ」

「まだ子供なのよ。それに、許してあげて。第一宮殿、怖がってたから」


 夜空に青い水が噴き出している。ヴィーリビアを思い出し、途端に不安の泉がアイラの胸で噴水となって、黒い水を噴き上げ始めた。


「ねえ、こんなに水が溢れているのって砂漠なのに、変。地下の皆の命が使われているんじゃなくて?」


「まだ言っているのか、大胆な仮説」とラティークは息を吐き、肩を大きく揺らした。


「確かに勢いを増してはいるね。闇の精霊が怯んでいる。いただろ、兄貴の側に」


 アイラは目を閉じた。レシュでいっぱいいっぱいだったが、精霊はいなかった。


「精霊……? 動物は象しかいなかったけど。まさか象に擬態してるの?」


「おかしいな。精霊は絶対につかず離れずにいるものだが。まさか、あの毛虫集団が契約精霊なはずはないし。側にいると睨んだんだが」


「あたしに探らせたわけだ……いいよ、許してあげる。いつかの助けてくれた御礼」


(やっと言えた……伝わるといいんだけどな。もうちょっと可愛く伝えたかったのに)


 ラティークは眼球を右上に持って行く癖がある。唇は引き締まっていて温かい。夜風にマント、伸びた頭布を靡かせて。黙って立っていると、やはり熱砂の王国の王子だなと思う。……なんだ。また見惚れている。


「ねえ、魔法使うの、やめていいんじゃないかな?」


 ラティークは靜かに微笑んだ。(きゅん)とアイラの胸が鳴いた。


(……きゅん? また、魔法が襲いかかってきたぞ。負けるものか)話題を変えた。


「ねえ。さっきのもう一人王子がいたって話……その王子、どうしたのかな?」


 ラティークは首を振った。頭布を乱暴に引き、パサパサの髪を揺らした。


「分からない。僕は事実上第二王子ではないかも知れないな。その、第三の王子がいつ復讐にくるか。そもそも本当にいたのか、定かではないし」


 一気に喋ると、ラティークは噴水に頭を突っ込んで、水飛沫をまき散らせた。

 ざばりと顔を上げた流し目にまた(きゅん)と心臓が鳴いた。


(なんだ。さっきからきゅうん、きゅうんと。いつ心臓に小犬を飼ったんだ)


「本当はね。たった一人をずっとそばに置いて、大切にできればそれでいい。王子なんて政治の道具。逃げられるものなら、逃げたいね」


 それは冗談めかした口調だったけれど、アイラには笑えない話だった。


(奴隷にまで身をやつして、あたしもまた、王女の立場から逃げたかった? そう、全てを投げ捨てて、一人の少女として生きたかったのかも知れない)


「あたしも誰かの大切な一人になれるかな……楽になりたいよ。普通の女の子として」


 ラティークの顔が強ばった。手がそっと髪を撫でた。どきりとして目を瞑る。唇が重なる距離をどこかで期待する。ラティークのキスは温かく、とっても気持ちがいい。


(ああん、やっぱり魔法よね、コレ……なんで期待しちゃうんだろう)


「見つけた。ずっと髪についてた。後向きなこと、考えていただろ。こいつが張り付いてたせいだ。全く油断ならないな。闇の精霊の一種だよ」


 つまみ上げたは、あの扉に無数に張り付いていたガラの悪い毛虫精霊だった。

「腹立つ毛虫!」嫌いなのも忘れて、アイラ自らつまみ上げて草むらに放り投げた。


 紫の毛虫は『お助けをぉ』と言わんばかりに地面で丸くなった。よく見ると、目がある。ぎょっろとした目がこちらを向いたが、ささっと消えて行った。


「神経に悪戯をする。タチが悪い。僕も張り付かれた覚えがあってね。最悪だ。「もう、王子なんか、僕なんか」とか嘆いたらしい。ハッ! 有り得ないね 僕は僕だろ。冗談じゃない。でも王子にも悩みはある! 逃げられるものなら逃げたい……」


 ラティークの首にチロと黒いものが見えた。「ちょっと失礼」と手を突っ込むと、二匹目の毛虫。微妙な空気が流れた。


「……ついてた。たった一人を大切にする……素敵ね」


 聞くなりラティークはうんざりした顔になって、毛虫を遠くに放り投げた。


「冗談。たった一人では、僕の愛は溢れてしまう。受け皿は多く、たくさん必要だ」


 どうやら毛虫に弱気にされていたらしい。ラティークは始末が悪いとぼやき、アイラは頬を押さえた。本気で迷惑な毛虫モドキだ。


 微妙な空気が流れる中、無言で歩いた。第二宮殿の趣味の悪い屋根が見えて来た。ラティークは早足でハレム部屋へ向かうと告げ、名残惜しくも、別れた。


☆★☆


「行ったな」ラティークはアイラが間違いなく、姿を消した状況を数度確認した。

 夜風が吹き抜ける第二宮殿と、第一宮殿の間。念の為に椰子の木に身を潜めたが、どうやらアイラはちゃんと与えた部屋に向かった様子。


(やれやれ。この大切な時期に、現れたきみが悪い。付き合わせるしかなさそうだ)


 ラティークは腰のランプを外し、袖を捲った。赤銅の腕輪を翳し、声を張り上げた。


「ラヴィアン第二王子が命ずる! 火の精霊、前に降り立て!」


(アイラに知られたら、計画が白紙に戻る。時期は早いが、やるしかない)


 ラティークの眼の前に二人の火の精霊が降りてきた。真っ赤な唇が動いた。


『んーだよ。珍しいじゃん? アタシらを呼び出すなんざ。何? 戦争?』

『言っとくけど、こちとら暴れたくて機嫌悪ィぜ……』


 ラティークは唇を歪めた。


「第二宮殿を跡形もなく焼け。第二宮殿の王子の遺体もだ。暴れておいで」


 遠くから、アリザムの姿が見えた。準備完了だ。第二宮殿は間もなく燃え上がる。


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