2-4 熱砂の王子 唇から風の魔法で君を癒すよ

☆3☆


 ――ヴィーリビア王女は、扉の向こうを見たのだろうか。椰子の木の揺れる音に耳を貸しながら、ラティークは、一人物思いに耽っていた。


(遅いな。姿が見られるも厄介だと先に出て来たが、迎えに行くか)


 ラティークは爪先をオベリスクに向けた。元気のない弱い足音。ややして、アイラが俯き加減で歩いて来た。地下での話が衝撃だったらしく、顔を上げようともしない。


(何か、言うべきか……?)


 アイラはラティークの姿に気付くも、無視してスタスタ通り過ぎようとした。


「助けた僕に言う言葉はないのかな? ヴィーリビアの王女さま」


 細い足首。肩も頼りない。上半身を起こし、通り過ぎたアイラの腕を捕まえた。


「これ返す!」アイラはシハーヴの詰まったランプをぐいとラティークに差し出してきた。


 ――ぼす。小さな拳が控えめにラティークの腹に埋もれ、小刻みに震えた。


(泣いているのか? そうだよな……)


 もしもラティークが同じ立場なら、悔しさで胸が潰れるだろう。ささやかな胸には大きすぎる事実だ。平穏であっただろう水の国の王女が、砂漠の王国の残酷さに、耐えられるとは思わない。


「アイラが、悪いわけじゃない。悪いのは、ラヴィアンの王族と、この世界だ」


 名前を初めて呼んだ。ハレムで培った小技だが、アイラははっと顔を上げてくれた。


「この、世界……」アイラは指で下瞼を押さえ、砂漠を見やった。横顔は自身を責め立てている王女の表情だ。痛々しい。ラティークは低く呟いた。


「扉の向こうを、みたか?」


 アイラは首を振った。


「変な毛虫がいっぱい。集まってバカにするのよ。いつか塩振りまいてやる」

「卑怯な闇の精霊らしいが、どこから来たのか、あいつらは」

「あんただって、奴隷を買う! おんなじよ……みんな、嫌いよ……!」


 ――これ以上、何も言わないほうがいいな。


(知ればきみは耐えられない。むざむざ、哀しみの坩堝に突き落とすつもりはない)


 ガタガタ、とランプの蓋が揺れた。


〝もしも、その時が来たら――〟過去に精霊契約を結んだ手には、緑のアンクが焼き付いていた。まだ、アイラに全ては言えない。今は、まだ。手を握りしめた。


☆★☆



 時間が経つごと、アイラの涙は薄くなった。涙が溢れ切って止まるまで、ラティークは無言で砂漠の風に身を任せていたが、アイラが着ている服に気付いた。


「アリザムの服だな。それ。トーブはどうした」

「派手なんだもの。あ、でも、宮殿についたら、脱ぐよ。ちゃんと、下に着てる」

「それは結構。ではここで、服を脱がせる行為は、我慢しようか」


 ゆっくりと歩き出すと、眼を瞠ったアイラも歩幅を合わせながらついて来た。オレンジ色のヴェールを被り始めている砂漠の夕暮れは、何層にも色が重なってゆっくりと紺に変わってゆく。空までも砂漠の色になると、世界全てが砂漠に見えて取り残されたような錯覚に陥る。


 アイラが顔を上げた。少し眼が腫れている。冷やしたほうがいいだろうと、ラティークは第二宮殿へ向かうはずの進路を変えた。


「ねえ、サシャーはどうしたの?」


「悪いが、好みにはほど遠い。後は任せて貰うと告げたら、安心して帰ったよ」


「……誰も、あんたの好みにそぐうかどうかなど、聞いてない。サシャーはね。国から一緒に来たの。あ、でも、元々第一宮殿に連れて行かれて象の世話をしてるし。ね、サシャーがヴィーリビアの巫女だって見抜かれないのかな」


 途中、本殿の近くを通ったが、門は封鎖されていた。


 ザク、と砂混じりの道を踏みしめる度に、アイラは「ねえ」と早足のラティークに駆け寄ってきた。


「さっきから、何を不安がってるんだ」

「扉の向こうに連れて行かれた民の話。貴方は知っているに決まっている。ラティーク。しかも第二王子という大層な看板持ちでしょ」


 要らん看板を持ち出されて唇を曲げた前で、アイラはまた涙を浮かばせた。


「よく濡れる眼だな」

「ヴィーリビアの民が、集められて、水、搾り取られて枯れてるんじゃないの? もしくは、全員女性で水の子供を産まされて」


 なんという、大胆な仮説。アイラの力説に、ラティークはとうとう降参した。


「そこまでラヴィアンの王族は悪どくない。ラヴィアンには様々な国から奴隷が運ばれてくる。あんたは扉の向こうを知らないんだろ」


「貴方は知ってるでしょ! だって〝悪どい王族〟だものね!」


(随分な言われようだ。さすがに、ちょっと怒りを覚えるな)


 ラティークは「ああ」と口元を覆い、しらんぷりで顔を上げた。


「そこを勘違いしているんだ。知らない。だから、扉の向こうを見た? って聞いた」

「嘘ばっかり! 貴方、「きみもあの扉の向こうにやられる」って言ったよ!」


 ……確かに、言った。あの時は必死で、らしくない行動をしたと内省している。


あまり真剣にならないはずが、どうしても、アイラを危険な眼には遭わせるわけには行かないと思ったのだから。嘘はないのだが、この王女は一筋縄ではいかないらしい。


(面白い。ラヴィアンの王子と、ヴィーリビアの王女。どっちが勝つかな?)


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