処分場反対運動

 勇美が宇都宮で予定していたもう一つの取材先は思井川代議士事務所だった。思井川は小選挙区制になって議席が激減した左翼政党、共民党で数少ない衆議院の議席を守っていた。左翼らしい質素な政党支部事務所での面談となった。支部長室は思井川の事務所を兼ねていたが六畳ほどの大きさしかなかった。デスクと簡素な応接セットを置くと歩くのも不自由なくらいで中学生の勉強部屋だってもうちょっとましだと思った。やぼったい田舎代議士を想像していたのに予想に反して思井川は高級なグレーのオーダーメードスーツをダンディに着こなした都会的な紳士だった。

 「勇美先生はいつもお一人で取材を?」

 「ええまあ。一人きりのほうが考え事がまとまりますし情報守秘のためもあります」

 「危なくないですか」

 「慣れましたね」

 「とにかくおかけください」

 狭苦しい応接で名刺交換をしたあと取材を始めようとした矢先、運転手を兼ねた末席の秘書が走りこんできた。「先生、二俣谷(ふたまたやつ)処分場でけが人です」

 「わかった、すぐ行こう」思井川はあわてて立ち上がった。「勇美先生、申し訳ないが今日の取材はムリのようです」

 「二俣谷は先生が建設反対運動をリードされている最終処分場ですね」

 「よくご存知で」

 「けが人は地元の方ですか」勇美は秘書に問いかけた。

 「いえ産全評(産廃処分場問題全国評議会)のメンバーのようです」

 「同行してもかまいませんか」

 「どうぞ。しかし車には乗れませんよ。うちのスタッフでいっぱいです」

 「タクシーでついていきます」

 「そうですか、では行きましょう」

 体の大きい勇美は大股に思井川を追い越して支部事務所を跳び出すと路上でタクシーを捜した。思井川の車は東北自動車道を北上し県境を越えて白河で降りた。中国の古典にでも出てくるような南湖公園に面した小さな旅館に産全評のメンバーが待っていた。治療を終えたばかりのけが人の姿もあった。

 「お怪我は大丈夫なのですか」思井川は頭に包帯を巻いた中年の男に最初に声をかけた。

 「ええ、かすり傷ですよ」

 「告訴されるのですか」思井川の秘書が尋ねた。

 「どうするかはこれから検討します」

 「みなさん驚かれないでください。今日は勇美監督が取材に同行されています」思井川の言葉にそれまで無視されていた野球帽を目深にかぶった勇美が一躍脚光を浴びた。

 「ほんとに勇美監督ですか」地元の二俣谷の環境と水源を守る会代表の抗川が最初に声をあげた。

 「思井川先生の事務所にお伺いしていたところ事故があったというので、ここまでついてきてしまいました」

 「現場をご覧になりますか」抗川が恐る恐る尋ねた。

 「そう願えればありがたいですな」

 「今からすぐに出れば日暮れまでにつけます」

 「どのあたりなのですか」

 「那須高原の北のはずれでしてね、福島と栃木の県境にかかっています。事務所は福島ですが、処分場本体は栃木でして、ややこしいかぎりなんです」抗川の言葉は地元の訛りが強かったが聞き取りにくくはなかった。

 「ご案内ください」勇美は力強く一歩踏み出した。

 思井川は自分の車、勇美は産全評の車に分乗し、白河の美しい歴史的な町並みを抜けて渓谷沿いの道を西へと向かった。渓谷を離れて未舗装の林道を一時間以上も進むと左手に二俣谷最終処分場建設予定地が見えてきた。細長い森で落差三十メートルはありそうな急斜面が何百メートルも続いていた。地下水や農地への影響を無視すれば産廃を埋めるには適地だった。逆に言うとそれくらいしか利用価値がない土地だった。

 「きれいなところですねえ。ほとんど手付かずの自然だ」勇美が感嘆するように言った。

 「もう紅葉の時期は終わってしまいましたが、それはそれはきれいな紅葉が見られるところでしてね。通り抜けられる道がないものですからあまり観光客も参りませんし、ほんとにいいところなんです」思井川が答えた。

 「ここに最終処分場ですか。なるほどねえ」

 「開発申請をしているのはアーバンフロンティアという会社でしてね。県の要綱による事前協議書を提出したんです」抗川が説明を始めた。

 「事前協議書とは?」

 「都市計画法、建築基準法、森林法、農地法、道路法など、三十以上の課に所管が分かれているさまざまな法律に基づく開発許可を調整し一括審査するための県庁の要綱による手続きなんです。宅地開発、ゴルフ場開発、区画整理など大規模な開発行為では必ず行われているものです。もちろん最終処分場も対象です。アーバンフロンティアの開発事前協議書には福島と栃木の地元6市町の首長がいっせいに反対を表明し、意見書の提出を拒否していたために協議期間が経過して失効するはずだったんです。ところが失効の期限があと数日とせまったとき開発ゴロの忍足という右翼が介入してきまして、仲間の右翼を総動員して関係する市町に圧力をかけましてね、とうとう県に一任するという趣旨の意見書をそろえてしまったんです」

 抗川の説明を補足するなら事前協議制度は縦割りになっている省庁にはない自治体ならではの制度だ。事前協議には功罪があった。許可手続きに前置されるので全体として許可になるまでの審査期間が長期化すること、法律に定めがない他法令不適合の考量(他事考量)が行われること、同意書行政(開発区域の地元の市町村長、水利組合長、土地改良区長、隣接土地所有者などの開発同意書を許可権者の裁量権による許可要件とすること)になりがちなこと、行政手続法上は受理を拒否できない許可申請を事前協議を経ていないとして不受理とすることなどが問題点として指摘されていた。省庁お抱えの御用法律学者は事前協議制度を法的根拠のない要綱行政として否定的な立場を取っていた。一方左翼の法律家は反対派住民が時間稼ぎをする余地が広がるとして歓迎しながら同時に行政と業者と水利権者の癒着の温床だとして批判するというどっちつかずの対応をしていた。

 「そんないい加減な意見書でいいのですね」

 「なんでもいいから出ればいいというのが県の意向でしてね」

 「弱腰ですね」

 「そうでもないんです。事前協議が終わったので本申請となりましたが、県は忍足の圧力に屈する気はさらさらなかったのか審査を引き伸ばしました。私どもの反対運動が実りまして地元の赤沢町の議会は住民投票の実施を決議しました。結果は反対票が八十パーセント超でした。この結果を踏まえまして県は本申請を不許可としたんです。これに対して事業者は大臣に行政不服審査請求を行いましてね。大臣は不許可の理由がないとして県に不許可処分の取消しを命じたんです。私どもは国になんらかの圧力がかかったものと見ております。そうでなければ同じ役所で県の判断を国が覆すなど考えられません」

 「ほう」勇美は何か映画の方向性を見つけたような声をあげた。

 「それでもまだ県はただちに許可することはありませんで、たまたま開発区域内に持っていた県有地の譲渡に応じないことで抵抗を試みました」

 「県もやりますね」

 「しかしとうとう前知事が勇退する間際の県議会に県有地譲渡の案件が上程されてしまいましてね。それで県は許可を引き伸ばす最後の砦を失ってしまいました。知事選では保守系候補が敗れ、私どもが推した市民派知事が誕生したんですが、それがわかっていたかのような県有地の譲渡でしてね。私どもは県有地の買戻しを訴えましたが、こればかりはかないませんでした。最後の最後で県に裏切られた心境です」

 「もう開発をとめる手段はないのですか」

 「あとは裁判です。今は工事差止仮処分申請の審尋が宇都宮地裁で始まっています。処分場設置許可取消訴訟も間もなく提起されます。廃弁連(廃棄物問題弁護士連盟)も支援に乗り出してくれております。もちろん思井川先生にもご支援いただいております」

 「もう日が暮れますね。肌寒くなってきました」勇美はジャンバーの前を併せながら山陰に沈んでいく日を見上げた。

 「監督はどんな映画をお作りになるのですか」

 「まだ決めていませんが、みなさんのお話はとても参考になりました。産廃が日本という国のかかえている矛盾の縮図のような問題だということがだんだんわかってきました」

 「このあたりは来月には雪に埋もれてしまい地元の方も近付かない場所だそうです。こんなところに処分場を造ろうなんてどうかしてますね」思井川が最後にしめくくるように言った。

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