夜の帳の社畜姫

マキナ

プロローグ/宵に至るまで


 ――汝に捧ぐは総べて也。我が知、我が智、我が体、我が才、我が歳月、

 ――与えるは世界を紡ぐ智、開くは歪曲の鍵。

 ――我、綻ばせし者。我、結び繋ぐ者。罪はここには在らず。ただ純然たる功在りて、


 ――授けるは、我が尊きただひとつの、愛とせよ



「始まった」


 広大な屋敷の面積の大半を埋めるのは、門をくぐった先にあるこの庭だ。

 この世の白よりも白く美しい、と評された最高硬度の魔石であるザグデンナイトを加工し敷き詰めていた筈のこの場所は、常であればその通りの色になっていたことだろう。

 夜の色を映した天、その対に位置するこの地。白よりも白い庭園の地面は、今だけは剥がれない黒色に染まり始めていた。

 魔石の一つ一つの極小さな脈に全て絡み、深く食い込んでいる糸に見えるようなそれは巨大な魔法陣を形成する記号の端の端である。


「まさか、本当に実践なされるとはねえ、正直驚きだ」


 屋敷の屋上より、更に上。正しく、今この景色が見える範囲では上空に一番近い地上という場所。感嘆の声を漏らしつつ、周囲に厳戒態勢を敷いていた。

 ほとり、白い頁にインクを落としたかのように。庭の中心から広まっていく魔方陣と、その黒色に飲み込まれていく途方もなく広い敷地を見下ろす者がそこにいた。


「っとに、お師匠さんのやることはいっつもハイレベルすぎて下級出身にはプレッシャーがひどすぎるよ、っと」


 これよりこの地は、誰も近づけてはならぬ禁忌の地へと変容する。


 地上の魔方陣が不気味な光を少しずつ放ち始めるのを合図に、ローブを深くかぶりこんでいた男は人為的に吹いてきた風の上に立つ。まるで、地面の続きがそこにあるかのように自然に、屋上の道が途切れた場所である空中へと足を踏み入れた。見えない障壁を下に敷いているのか、確かに床が無い場所でもカツン、とブーツが立てる足音が存在した。

 ヴ、とノイズが走るような音と共に。男が両の手を広げた刹那、空中に連鎖して魔方陣の展開が始まっていく。口角を上げて笑うその表情は、明らかに無理をしていると分かる虚勢だ。震える腕の先、更に遠くを見やれば三方向で自分と同じように大量の魔方陣を展開し始める者達の姿が豆粒のような大きさでかろうじて瞳に映る。

 地上の魔方陣は、手が加えられた庭だけでは無く、更に敷地内の森の地面までその黒さで凄まじい速さで汚していく。早く、早く、地に追いつくように。あの魔方陣の中心に立つ男の力に追いつくように、天蓋も完成させねばならぬと焦りそうになっていた。


『ドーレン、気が乱れていますよ。落ち着きなさい』


 そんな心を見透かされたかのように、彼の傍を羽ばたく一羽の梟から声が響く。性格には、梟がしっかとその脚で掴んでいる水晶からその声は響いていた。


「わかってるよ。こんな時でまで、一番若いから仕方ないなんて自分を甘やかす気は、無いからね、」


 これ程までの強力な魔法は、初めて見る。こんな、誰も見た事がない高次の魔法に、弟子として携われることが何より誇らしい。言葉が詰まったその時、ローブが強風で煽られはしたもののドーレンと呼ばれた青年は姿勢を全く崩す事無く立ち続けていた。夜の色には似合わない、明けのようにまばゆい茜の頭髪を風に遊ばれながらも必死でくらいついていた。


『よろしい。アベルダ、ネェラは引き続き更に陣の展開を早くお願い致します。今だけでも膨大な魔力が発生していますから、既に協会からは感知されていることでしょう』

「ま、やったもん勝ちでしょ!お師匠さんの四年間の準備を無駄にさせるわけにはいかないからね、っ!」

『旦那様がこの世全ての魔法、錬金術、世界の構成式、えーと、あと何やかや!それら全ての詠唱を完璧に終えるまで目標時間は丸一日!変わりは無いね、ネクル?』

『変化無し。外部からの異常を感知次第、都度呼びかけます。どの瞬間でも対応出来るようお願い致します』

『ネェラ、了解。ゴーレム回路、最大出力。冷却は魔法混濁反応による強風により代替可能。丸一日以上の維持が出来る魔力は十分にあります』


 ドーレンの他、三人の仲間からも鬼気迫る空気が漂っていた。その声色だけで、今から行うことに対する本気が伝わってくる。


「……ワタシは、絶対に!お師匠さんの願いを叶える手伝いをするんだ!」


 ――例え、その願いを、秘匿されていたとしても!



  ×   ×   ×



 リゴクレス大陸。

 魔法と錬金術が栄える王国、ガーアイト。

 かつてその地には、異端と呼ばれた最上の魔術師が存在した。

 二人の使用人、一体のゴーレム、そして一人の弟子だけを連れ隠遁した彼の魔術師の名は、ラウル。


 後に、彼の経歴に”異なる世界の人物の召還に成功する”という在り得ない偉業がまた一つ増えることは確定事項であった。

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