4月14日(土)21:00追加

183 - 俺たちの二週間戦争

「よう」


 3日ぶりに見た顔だった。全身煤まみれの泥まみれで、軽薄な挨拶のしるしにいつも挙げられていた右腕は、肩から下が無くなっていた。それでも存外に元気そうなのは、昨今の医療技術の発達によるものか、それとも彼自身の底抜けの生命力に起因するのか……まあ、この際だ。まずは再会を喜ぶとしよう。


「まだくたばってなかったか。ひでぇ有様だぜ」

「そっちもな。どうやら運が良いらしい」


 軍の大盤振る舞いで配給された薄いウィスキーで乾杯する。合成樹脂性の容器が鈍い音を立てた。


「終わったなあ、戦争」

「ああ、終わったなあ」


 万感の思い、とひとまとめにするには、少し苦味の強い味わいがあった。誰も彼も、もちろん俺も。思考回路はショート寸前とばかりに、どこか呆けたような空気が漂っている。それは背景に終戦という大きな安心があるが故の心地よい弛緩であり、また先の見えない戦後への漠然とした不安でもあった。


「俺たち歩兵にはさ、チイとばかししんどい戦場だったよなあ」


 愚痴というよりも、シンプルな感想に近い言葉が覚えず口から漏れていた。即効性の合成アルコールがもう頭に回っているのかもしれない。とにかく、どこか浮ついた気分で口が回る。


「デカいロボットの足元でちょろちょろしてさ。蟻かなんかになった気分だった」

「だな。踏み潰されんじゃねえかって不安はいっつも付き纏ってたけどよ。でもま、味方のロボット兵器の心強さったらなかったなァ」

「わかる。やっぱ巨大ロボってさ、ロマンがあるよな」

「敵に回ったらロマンもクソもねえけどな」

「違いない」


 くつくつと笑う。今でこそ笑い話だが、砲弾をマシンガンよろしくばら撒く連中を相手にしてよく生き残ったものだ。信じてもいない神様とやらに、少しばかりの感謝を捧げてみてもいいかもしれない。


「あとアンドロイドがさ。あいつら、やっぱり強いんだよな。同じ蟻でも格が違うというか。人間の雑魚っぷりを痛感したよ」


 すっかり空になった容器をひっくり返して、意地汚くも水滴を啜る。最後の一滴までも全部腹の中に納まってしまうと、どこか妙な寂しさを感じた。それは単なる即物的な寂寥感かもしれなかったし、将来のことだとかへの不安がない交ぜになったものだったのかもしれない。


「世を儚んで哲学者にでもなるか?」

「まさか。だけど、そうだな……」


 彼の問いは、所詮意味のあるものではない。単なるおふざけだ。だがしかし、それはある種の着想のようなものを俺に与えてくれた。


「作家にでもなるかな」


 堪らず、といったふうに彼は吹き出した。ウィスキーはとうに空になっていたから恨み言を言われる事はなかったが、その目には好奇の色が宿ったようにも見える。


「正気かよ。救護班を呼んでやろうか?」

「正気だとも。この2週間で見たもの、感じたもの、得たもの亡くしたものをさ。残そうって思ったら、いちばん簡単なのはやっぱり字だろ?」


 この僅か二週間ばかりの戦争は、あまりにも鮮烈で、あらゆる物語に満ちていた。悲喜交々の物語を纏めて大鍋にぶち込んで煮詰めたような、そんな二週間だったのだ。その渦中只中にあった身として、そういう全部を自分と一緒に風化させてしまうのは、あまりにも惜しい気がした。


「それは、そうかもな」


 彼は口の端にいまだ笑みを浮かべたままだったが、返す声音に些か真剣みが増したように感じる。思うところがあったのだろう。彼は数秒の黙考の末、どうやら結論を出したようだった。


「ならさ、お前が本を出す時には、俺がその挿絵を描いてやるよ」


 彼は往年の悪戯小僧っぷりを思わせる笑顔を浮かべた。不敵な笑み、と形容しても良いかもしれない。茫洋とした雰囲気は既になく、どこか獰猛な、ギラギラとした灯火がその目に宿ったのを錯視する。


「お前が? その腕でか?」


 彼の右腕は肩口から既になく、左腕も焼け爛れて包帯まみれになっている。彼は白い歯を見せて笑った。


「こう見えても、徴兵される前は画家イラストレイターで食ってたんだ。お前が一冊書き上げる頃までには、すっかり本調子にまで快復してみせらあ」


 彼は豪語して、包帯まみれの左手で己が胸を打った。それは同時に、俺の胸をも打つ。

 万感の思い、というのは、まさにこういうことかもしれない。彼の野趣めいた笑みが起爆剤となって、さまざまな思いが胸中に去来する。朧気だった将来に、僅かな光明を見た気がした。


「へっ、言質は取ったぞ。2年だ。2年以内には書き上げてやる」

「そのまま熨斗つけて返すぜ。絶対に完成させろよな」


 俺たちは景気づけに、空になった合成樹脂の容器を勢いよくかち合わせた。お世辞にも綺麗とはいえない、ただ鈍くうるさいだけの音が響く。それがまるで二人の前途を体現しているように思えて、俺たちは腹を抱えて笑った。



 俺たちの二週間戦争は、まだ終わらない。

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