182 - 英雄譚の終わりと始まり

御剣兜みつるぎかぶと、時は来た! アイゼンビートルを出動させ、侵略者インベーダーの強襲部隊を叩き潰せッ!』


 通信機に傍受された、獰猛な叫びが私の聴覚を刺激する。

 この戦場に新風が吹き抜けたのは、その直後だったが――それ・・を目の当たりにしても私は、抜け殻のように座り込んでいた。


 ◇


 灰色の空に、慟哭が響き渡る。瓦礫と機械の破片が入り混じる、モノクロの地獄が私の視界に拡がっている。大きく傾き、倒壊寸前となっている時計塔の痛ましさが、この世界の無情さを物語っているかのようだった。

 だが、この惨劇を前にしても――愛する母を、目の前で喪っても。その骸を抱く私には、何の力もなくて。ただあるがままの現実を、眺めているしかない。


『デリンジャー隊員! その区域にはもう民間人はいない、君も速やかに離脱しろッ!』

『お願い、クレア逃げてッ! クレアまで巻き込まれちゃうよッ!』


 腕の通信機からは、絶えず上官や戦友の呼び声が聞こえてくる。だが、亡き母の身体を抱く私は、そこから一歩も動けずにいた。

 ――空を仰げば、まだ激しい戦闘が続いていることがわかる。彼女達の言う通り、すぐさまここを離れなければ、確かに私も危ない。


 だが、そうと知りながらも。私は金縛りに遭ったかのように、微動だにせず――この紅い瞳で、空を駆ける人型兵器ロボットを見つめていた。

 赤と白で塗装された、全長18mもの体躯を誇る鋼鉄の巨人。全身を固める雄々しい超合金ボディは、他者を圧倒する気迫に溢れている。額の紅いツノと、背部に搭載された可変翼がその特徴だ。


『ロケットアントラーッ!』


 操縦士パイロットである男性の声が、地上まで轟くと同時に――額のツノがジェット噴射と共に撃ち出され、私達を襲う異形の怪物を粉砕する。外宇宙から飛来してきた、巨大な蠅のような怪獣は――巨人の額から放たれた一角に貫かれ、瞬く間に爆散してしまった。

 その肉片が私の周辺に降りかかり、大きな水音と共に悪臭が立ち込める。だが、その死臭に苛まれる中でも、私は絶えず上空の巨人を凝視していた。

 ――鋼鉄の拳を振るい、次々と怪物を撃滅していく勇姿を。


『超光波ビームッ!』


 そう。彼には、大命がある。圧倒的な力を振るい、人類に牙を剥く侵略者インベーダーを屠る――その使命を帯びた彼には、私達のような地上の人間に構っているいとまなどないのだろう。

 巨人の蒼い両眼から、眩い熱光線が放射され――巨大蠅の群れが次々と焼き払われていく。その骸が矢継ぎ早に、この街に降り注いでも……決して、彼が攻撃の手を緩めることはない。


 ――もしこれで地上の人間に犠牲者が出たとしても、それは「やむを得ない」のだろう。……そんな、意地の悪い見方をしてしまう。


「ギ、ィ……」


 すると、熱光線を浴びても死に切れなかった個体がいたらしく。私の眼前に墜落した生き残りが、醜い複眼でこちらを射抜いてきた。

 それでも、私は動かない。恐怖で足が竦んでいるのではない。……お母様を喪ったことを受け止めきれず、ただ座り込んでしまっているだけのことだ。

 お母様を置いて、逃げることなどできない……ただ、それだけのことだ。


 1人でも多く、道連れにするつもりなのだろう。生き残りの巨大蠅は牙を剥き、私ににじり寄ってくる。

 ――このまま殺されて、お母様の所へ逝けるのなら、それもいいのかも知れない。


『させるかッ! ――ビートルミサーイルッ!』


 だが、あの巨人はそんな自棄さえ許してはくれなかった。側頭部のポッドに搭載された小型弾頭が連射され、一瞬にして生き残りを跡形も無く焼き尽くしてしまう。絶妙に、私にだけは被害が及ばないように。

 しかも地上に降りてきた巨人は、墜落した全ての個体を念入りに捻り潰して行く。鋼鉄の鉄拳は死を偽ることも許さず、侵略者達は悉く断罪されて行った。


『バリアブルウィンガーッ!』


 ひとしきり地上の敵を掃討した後。巨人は、一瞬だけ私を一瞥すると――背部の可変翼を展開させて、再び灰色の空へと舞い上がって行く。その鋼鉄の翼を刃に変え、群がる新手を切り裂きながら。


 ――たった1機でこれほどの強さを誇る巨人を前に、巨大蠅の軍団はなす術もなく。10分も経たないうちに、侵略者達は全滅してしまうのだった。


 だが、民間人の・・・・生き残りがいないこの街に、彼の活躍を讃える者などいない。巨人の操縦士も、そんなことはとうに理解しているのだろう。

 彼は痛ましい街の惨状になど目もくれず、次の獲物を探すかのように――遥か彼方へ、飛び去ってしまった。


「……どう、して」


 我が防衛軍の誇る、最新技術の結晶。侵略者共を撃滅するべく開発された、人型決戦兵器。


 それがあの「アイゼンビートル」であることは、私も話に聞いていた。日本でのテストを終えた機体が、つい先日ロールアウトされたということも。

 ――恐らく今回の戦闘が、そのデビュー戦なのだろう。丁度近くの街に侵略者が現れたから、試運転がてらに出撃させた。そんなところなのだろう。


 それは、分かっている。分かっているのだ。彼は別に、遅れてきたわけではない。

 むしろロールアウトされて間もない機体だと言うのに、早速実戦で期待通りの戦果を挙げたことについては、大いに賞賛されるべきだろう。彼によって、多くの人命が救われたことも事実なのだから。


 ――だのに。


「なんでッ……!」


 浅ましいことに。


「どう、してぇッ!」


 私は、この街ロンドンを守る防衛軍の隊員でありながら。


「私のお母様を……助けてくれなかったのッ!」


 私情のままに、感謝すべき英雄ヒーローに罵声を上げていた。


 ◇


 今では、ただ恥ずかしい限りだが――かつて私は、この街を守る英雄ヒーローと呼ばれていた。お母様も、そんな私を誇りに思ってくれていた。

 だが、奴らに敗れた私は目の前で、そのお母様を喪い――街の英雄から、ただの浅ましい敗残兵に成り下がった。


 もしほんの一時でも、私が英雄だったのなら……その英雄譚は今日で終わってしまったのだろう。そしてきっと、「アイゼンビートル」の英雄譚が新たに始まったのだ。

 ならば私は、何としてもこの戦争を生き延びて――見届けなくてはならない。今日という「終わり」と、明日からの「始まり」を。


 それがきっと、あの時に英雄ヒーローを恨んでしまった私にできる、数少ない贖いなのだから――。

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