122 - きっとそれはいつだって目には見えないものだから

「十万ですって?」

「ええ、私らも慈善でやっとるんとちゃいますさかい、これ以上はまからんのですわ」


 デスクを挟んだ向かい側にいるその二人組は、大層女の気に障っていた。その手の事情に詳しい部下に修理業者の手配は一任していたのだが、休み明けに嫌味の一つでも言ってやらねば気が済まない。


 薄汚い白衣に身を包んだ、おそらく三十路半ばのその男は、滲ませた苛立ちを忖度する素振りもなく、変わらぬ笑みを浮かべている。過度に脱色された髪といい、耳朶を穿った目立つ銀色のピアスといい、第一印象だけでも唾棄すべき人種に類する男だった。――女にとっては、だが。


筐体からだに異常は無いってうちの社員が言っていたのだけど? 余計な機能は直さなくていいから、動くようにだけして頂戴!」

「……確かに制限重量超過によるフレームの歪みだけならまだ軽度な部類ですが、擬似情動系エモーションサーキットの不具合が致命的なレベルです。三大原則ほんのうの維持にも影響が出る可能性がありますから、社員の皆様に身の危険が――」

「訳のわからない専門用語並び立てて煙に巻くつもり? 田舎の中小だからって馬鹿にしてるのかしら?」

「も、申し訳ありません!」


 ヒステリックにデスクを叩くと、唐突に口を挟んできたもう片方――オーバーオールの少女が慌てた素振りで頭を下げる。その弾みで栗色の二つ結びが、まるで生き物のように跳ねた。


「えろうすんまへん、まだ経験が浅いもんで。……せやけど、言うとる事に間違いはありませんわ。ま、ざっくり言うなら鬱病っちゅう所ですわな」

「……鬱病? お人形が鬱病ですって?」


 男の言葉を、女は鼻であしらった。ロボットなど、結局は与えられた命令に決められた行動を返すだけの人工物に過ぎない筈だ。それが人間様の精神病を発症するなど、俄かには信じ難かった。


「……社長さんの思うとる事は分かりますけども。昨今、人工知能の研究ってのはよう進んどりましてな。人間の心、っちゅうもんをかなりリアルに再現出来るようになっとるんです。ま、元は同じ命令伝達の集まり……と考えると、そうケッタイな話でも」

「……それで? 何が言いたい訳?」

「擬似情動系――ロボットの心も、人間の心と同じような理由で病気になるっちゅう事ですわ。寧ろ三大原則の縛りがある分、人間以上に繊細な部分も……あ、三大原則の説明もしときます?」

「結構よ。……言いたい事は分かりますけどね、結局は人が作った物には変わりない。中身を開けて弄くり回せば直せるんでしょう?」

「せやから、その為に」

「……チッ」


 にこやかに見積書を掲げてみせる男に、必死に噛み殺していた舌打ちがついに漏れる。……とはいえ、女にはロボット修理の相場など皆目見当もつかないのだ。例えこの男を追い返して別の業者を呼んだとして、今以上の高額を請求されなどしたらお笑いにもならない。


 女の苦悩を知ってか知らずか、青年はふと思い出したように口を開いた。


「……私らから提案があるんですけれども」

「何?」

「この際、新しい機体を導入してみるのはどうでっか?」

「は?」


 男が何事か耳打ちすると、少女が足元の鞄から分厚い冊子を取り出して、女に差し出してきた。表紙から察するに、業者向けのロボットのカタログのようだ。


「単純作業向けでしたら、次世代機が片手でお買い求めになれますさかい、私らが修理するより安上がりですわ。引き取りの料金を含めてもお釣りが来ます」

「……ふぅん」


 カタログに並んでいるのは、無意味に妙齢の女性を模したあの「社員」とは違い、円筒に手足をつけたような単純明快なロボットばかりだった。男共は残念がるだろうが、そんなものは問題にもならない。


「分かったわ。あれは処分して頂戴」

「やり手は決断力が違いますわぁ。ほんなら、お先にシステム初期化の方済ませてきます。行くで、ナナミ」

「あ、待ってください!」


 足早に社長室を後にする男を、二つ結びを揺らしながら少女が追いかける。……ふとその足が止まり、嫌味なほどにつぶらな橄欖石色オリヴィンの瞳が、女を捉えた。


「……お客様」

「何?」

「……もうちょっとだけあたしたちの事、大事にしてください」

「……は?」


 一瞬虚を突かれたその隙に、少女はするりと視界から消えた。横顔に煌めく外耳受容装置イヤーレシーバーを――「人」ならざる「物」を示すそれを、わざとらしく女の視野に残しながら。


***


「……先生ったら、あんなの殆ど詐欺じゃないですか」

「騙された方が気づかへんかったらええねん」


 助手席から睨む私に、眼鏡の「先生」が呑気な声を飛ばします。自動運転オートノマス全盛の時代に、完全手動制御マニュアルの軽ワゴン。そんな古臭い車を、先生は片手で煙草をふかしながら器用に操るのでした。


「確かに酷い有様でしたけど、十万なんて盛り過ぎです。前は同じレベルの仕事、二万でこなしたでしょ?」

「あっこはまだ改善の余地があったやろ。今回は無理や。理解する気のない奴に何言っても変わらん。コンパニオン専門の機体に雑用全般任すようじゃもうどないしようもないわ」

「……先生は、それでいいんですか?」


 前方の信号が黄色に変わり、車が緩やかに止まります。先生は新しい煙草に火をつけながら、横目でちらとわたしを見遣りました。


「……擬似情動系は、『心無い機械』のイメージを払拭するために戦い続けた人形師プログラマーの血と汗の結晶や。それでもなお、ロボットに偏見を抱く奴は絶えへん。……知っとるか? かつては人間の精神病が甘え、個人の性格的問題と見做される風潮があったんやで」

「そんな……」

「嘘は言うとらん。ええかナナミ、人間の心でさえ、正しい認識が世間に流布されるまでには長い時間がかかった。人はそう簡単に進歩せんっちゅう事や」

「……じゃあ、あたし達のやってる事は」

「今日は一機助けた。せやろ?」

「……!」


 わたしは、後部座席に横たえられた『社員』を振り返ります。身体の彼方此方についた擦り傷は消えませんが、初期化リカバリされた人工知能で、彼女は新たな生をやり直す事でしょう。


 その表情は、何処か安らかな寝顔のようにも見えました。



NEXT……123 - 彼がセクサロイドをボディに選んだ理由

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885554383

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