応募者全員サービスが届かない

クソザコナメクジ

応募者全員サービスが届かない

 応募者全員サービスが届かない。

 ずっと楽しみにしているのに、まだ来ない。大事なことなのでもう一度言うが、応募者全員サービスが届かない。


 毎日毎日、夕方になるとポストを開けて、玄関の前で配達のおじさんがくるのを待っている。随分と遅れているから、速達で来ることだってあるかもしれない。

 応募者全員にサービスをしてくれる程の優しい会社だ。これだけ遅れたらきっと、誠心誠意、詫びてくれるだろう。俺は優しい人には寛容なので、応募者全員サービスのサービス品が届けばそれでいい。何故ならサービスだから、お金は払っていないから。


 払っているものといえば、この数年。毎日の気分の昂りと、二十四時を回る頃の落胆だけだ。ああけれど確かに、この落差は、何回繰り返しても慣れない。特にポストを開けた時なんかは、山のように積もった大量の手紙の束に辟易する。真っ白な封筒に描かれた妹の名前。そこに俺の名前はなく、プレゼントも存在しない。それを妹に手渡す時が一番、挫折という二文字を連想させる。


「兄貴、また応募者全員サービス?」


 妹が、蛆虫を見るような目で俺を見下ろしてきた。

 応募者全員サービスに応募した当時、まだ小学生だった彼女は、いつの間にか高校の制服を着ている。髪も金髪にして、化粧をして、そうして男に媚を売る女になってしまった。


 今も、妹の携帯はうるさく喚いている。知らないアーティストの着うた。何度も何度も同じメロディーをループする。メール、電話、通知、喚いては切れ、喚いては切れ、ああ、この無常に繰り返す日常のように。


「ああもう、うるさいなあ」


 だるそうな妹の声。

 妹は女子高生というブランドを振りかざし、見事に数々の男を手玉に取っている。前に、今は誰とメールしているのかと訊ねた際、十人以上の名前が挙がった時は妹という存在を疑った。嘘だろう、と。妹より六つ年上の俺でさえ、女子とメールするなんて未知の経験であるのに、この恐ろしい妹は遥かに進んだ位置にいる。持久走で例えれば、同じ位置に立っているけれど、実はもう五、六週してきてました、みたいな。そんな絶望的な感じ。


「ホンット、飽きないよね。信じられない。来るわけないじゃん、そんなの」

 口紅だろうか。てらてらと光る唇を動かして、妹は玄関で座りこむ俺を罵倒する。

「いつまで待つつもりなの?」

「配達の車が応募者全員サービスのプレゼントを載せて、この家の前に来るまで」

「だから来ないって言ってんじゃん。何年経ったと思ってんのよ、ガキの頃の雑誌なんか信じてバカみたい」


 車と来るまで、を掛けたのだが、頭に血が上っている妹には通じなかったらしい。これだから女は。ユーモラスが足りない。何年もずっと応募者全員サービスを待つ二十四歳なんて、茶目っ気たっぷりで面白いと思ったんだが。


「来なくても信じる。それが日本人の性格だと思うけどね」

「アタシが言ってんのは、アンタが二十四にもなって働いてないってコト。くっだらないモンを信じちゃってさ。ねえ、女子高生に説教されて恥ずかしくないワケ?」

「働いたら、応募者全員サービスが来ても気付かない」

「なにソレ」

「だから配達の車が来るまで、ここで待ち続ける」

「そんなんじゃご飯は食べられないし、自分の身も守れないじゃん! 赤い郵便局の車なんて来ないよ。黄色い車なら来るかもしれないけど。アンタみたいなのが兄貴だなんて、虫唾が走るわ。情けない!」


 思い切り背中を蹴られた。ぐ、と声が出そうになるのを堪えて、俺は玄関を睨み付ける。応募者全員サービスはまだ来ない。妹の足音が、リビンクの方向へとフェードアウトしていく。

 実を言うと、黄色い車は一度だけ来た事がある。俺は狂っていないので連れて行かれなかったが、母はそのまま病院へ連行された。それからは、妹と二人暮らしだ。


「あっ、テツさん! お久しぶりですぅ。えー、今夜ですかぁ? キャハ、ごめんなさぁい、今日は予定が入っててぇ、はい、はい……ええそうなんです、色々大変でぇ」


 妹の甘ったるい声が聞こえた。いつからあいつは、あんなヘリウムガスみたいな声を出すようになったのだろう。俺には理解できない美的センスだ。金髪も、やけに光る口紅も、女子高生という肩書きも。変化が嫌いな俺にはなんの価値もない、むしろ目障りなものに思える。


「じゃあアタシ、出かけるからさ。じゃあね」

「行ってらっしゃい」


 応募者全員サービスはまだ来ない。


「……お兄ちゃん。アタシのコト、助けてよ」


 か細い声が、ふっと耳を掠める。顔を上げたが、もう妹は玄関を出ていた。幻聴、幻聴だろうか。


 ぼんやりと先ほどの声を反芻する。まだ男に汚される前の、幼い妹の声に似ていた。懐かしい――そんなことを思い返していると、いつの間にか、ふっとこの数年のことが頭を過った。応募者全員サービスに応募のハガキを送ってからの、この数年を。恐ろしく穏やかで、緩やかに崩壊していく数年を。

 赤い郵便ポストにハガキを投入した時、俺は小学校六年生だった。最早何のプレゼントに応募したのか、もうそれさえも定かではない。しかし、切手を貼り、郵便ポストの口にハガキを投函した時、言い知れない高揚感のようなものを感じたことは覚えている。

 それは父が借金を残して失踪する、その三日前の出来事だった。


「まだ来ないなあ」


 空が焼けていく。炎のような橙色。太陽に近づくにつれて、白く燃え尽きていく。空が徐々に、炎に吸い込まれているようだった。壮大な景色だ。


 父は、子供向けマンガ雑誌の編集者だった。俺が応募者全員サービスに応募すると、いつも会社からプレゼントを持って来て、手渡してくれた。きっと、応募者全員サービスを直接手渡してもらえる幸福な子供は、世界中を探しても俺だけだろう。今でもそう信じている。だから正直、品物自体には興味はなかった。俺は父から笑顔でプレゼントを渡される喜びだけを求めて、応募者全員サービスに応募していたのだ。

 あの日送ったハガキの返事は、まだ来ない。

 詳しくは知らないが、父は多額の借金の保証人になってしまったらしい。よくある話だ。そうして何も言わずに、心の弱い母と俺たち兄妹だけを残して、霧のように消えてしまった。


「まだ来ない」


 応募者全員サービスは、まだ来ない。

 

 父はまだ、帰って来ない。

 最初に狂ったのは、母だった。返済の目途もない借金地獄を前に、正気というものを手放した。自身の心を守るために、自身の理性を捨て去ったのだ。


(お父さん、まだ帰って来ないのかなあ)


 まだ穏やかだった頃の、妹の声が甦る。まだ中学校に上がるかどうかの、幼い少女の姿をしている。化粧っけもなくて、髪も黒くて、人が苦手だった。


(お兄ちゃんは出ていったりしないよね?)

(お兄ちゃん、わたし、働くことにしたよ。二人で暮らすために)

(お父さんとお母さんが、いつか帰ってくるまで)


 そしてきっと、誰よりも父の帰りを待っていた。

 茶髪の妹が、俺の横に立つ。


(ねえ、オトナの人達と一晩寝るだけで、アタシも兄貴もおいしいものが食べられるんだよ。そう考えたら、安いもんだよね)


 何枚かの札束を片手に、妹は言った。

 扇のように輸吉を広げる指先は、宝石のようなネイルで輝いている。白、赤、金、緑――そのどれもが各々に輝いて、美しいのに、向こう側の妹の瞳は濁っていた。その瞳は、もう俺を見てはいない。


(なんでアタシばっかり)


 髪を金に染めた、妹が言った。


(他の子は親がいる。そうでなくても、大人が助けてくれる。なのにどうして? どうしてアタシには、アタシ達には誰もいないのよ――!)


 応募者全員サービスはまだ来ない。


 様々な年代の妹が、俺の周りを取り囲んでいる。父が帰るまで、きっとこの責め句は止まない。

 玄関の前に、赤いランプが光った。家の前へ車が止まるのは、久しぶりの事だった。俺は期待に目を見開く。二つの人影が、擦りガラスの影に映った。


 待ちに待ったインターフォンが響く。今度こそ、応募者全員サービスだろうか。前回は黄色い車だったが、今度こそ、今度こそ。幸せだった日々が――。

 軋む膝に鞭を打って、扉を開く。

 顔を上げると、二人の警官がそこに立っていた。


「妹さんがお亡くなりになりました。身元の確認をお願いしたいのですが」


 太った警官が、俺に警察手帳を見せて来る。

 ひどく事務的な言葉だった。しかし、恐ろしく重い言葉でもある。

 妹が、と、声を絞り出す。数年ぶりに家族以外の人間と会話をした。


「詳しいことは、署でお話します」

「……」

「混乱していらっしゃるかとは思いますが、今は妹さんを」


 そこから先は、よく覚えていない。


 ◇◆◇


 断片的な記憶。切り取られたような風景。事切れた瞬間の状況を説明する低い声。対面に座る刑事。警察手帳。妹の遺体。


 ショックが大きいでしょうが、妹さんにはストーカーがいて、警察にも何度も相談を、ストーカーは電話をかけ続けていて、駅前で待ち伏せされていて、ナイフで腹部を、引きずり出した内臓を口に含んで、最期までお兄さんを呼んでいたそうで、救急車が来る前に息が途絶え――


(お兄ちゃん。アタシのこと、助けてよ)


 ぐるぐると声が回る。

 妹の身体。白いカッターシャツに絡みついた血。無理やり押し込められた妹の内臓。乾いた唇。開かない瞼。血の気の失せた顔。もう誰も帰ってくることのない、俺達の家。

 ふと気が付いた時には、妹の遺体が寝室に横たわっていた。ストーカーは捕まったらしい。しかし、妹は動かない。応募者全員サービスを待っている内に、妹は死んでしまった。

 血の匂いが漂っている。妹の生み出す瘴気は、まるで経血のように、微かな甘い芳香を纏っていた。


 ――どれだけ、そうしていたのだろう。

 妹の臭気に塗れた部屋は、明暗を繰り返し、気付くと日付は数日進んでいた。いつからかは知らないが、妹の周りには小蝿が集っている。白い肌には、同じような色の蛆虫が蠢いていた。

 純白とはほど遠い、濁った白。

 蠢く無数の蟲が、妹だった肉塊を食べていた。

 神聖な光景だと思う。生物であったものを、また新しく生まれた生物が喰らっている。仲間に加わりたい、と思った。彼らと同じようにその肉を喰らったのなら、俺も神聖なものになれる気がした。この空白を埋めるような、美しい生き物に。


(犯人は、引きずり出した妹さんの内臓を口に含んで――)


 視界がブラックアウトする。

 次に視界が開けた時、俺は妹の血肉を口に含んで咀嚼していた。血に塗れた蛆虫は、まるで死んだ妹のよう。白い制服に絡みつく赤い血を思い出す。

 びちびちと蛆虫が跳ねる。わずかに、小学校の時に食べたどんぐりのような味がした。これは肉の味ではない。おそらく、妹に群がる彼らの味だろう。妹を喰らい、己の養分とし、そうして妹は彼らの一部になる。――嗚呼、俺の口の中で、無数の妹が蠢き、事切れていく。

 人肉嗜食は禁じられた行為だと、理性が警鐘を鳴らしている。懐かしい記憶。タブー、タブーか。今俺は、タブーを犯しているのか。

 しかし、人の肉を喰らう種族も、歴史上には存在していた。彼らを模範している、という理由付けは極めて正当だ。彼らの民俗や習慣を、日本人の俺が真似する。異国の食文化を真似ることは、昔からされていた事であり、そうして歴史は紡がれて来たのである。

 俺は舞い上がっている。妹を喰らうこの状況に、天にも昇りそうなほどに。今上へ行けば、妹にも会える。否、もしかしたら、父もそちらへ逝っているかもしれない。母は――入院しているから、治ってから来るだろう。

 俺は妹を捌いたナイフで、喉を掻き切った。数年ぶりに笑っていた。数年ぶりに、自分から動いた。数年ぶりに、行動をした。言い知れない喜びで満ち溢れている。


 応募者全員サービスは、もう、来ない。

 だから、受け取りに行くのだ。

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