櫻の国【月光】 諭利・帰郷

アマリ

【壱】 麗人



  一  麗人  ─ れいじん ─

  二  囁き  ─ ささやき ─

  三  花の宴  ─ はなのうたげ ─

  四  贐  ─ はなむけ ─

  五  思慕  ─ しぼ ─

  六  決断  ─ けつだん ─

  七  敗戦  ─ はいせん ─

  八  終幕  ─ しゅうまく ─

  九  唄  ─ うた ─









🌸  一  麗人  ─ れいじん ─



 その男の語る話を、しょうは熱心に聞き入っていた。

幼子のように目を輝かせ、その演技に魅入られていた。


 初春。

梅の花はすでに盛りを過ぎ、枝の端々には鮮やかな若葉が芽吹いている。

頬に触れる風は幾分かぬるみ、ひとの顔を柔和にさせていた。


 男の背景には、枝ぶりのよい六尺ほどの梅の古木があり、正面には百人余りの聴衆がいる。

わらべたちは囲みの前に陣取って、一言もしゃべらずに男の一挙一動を見つめていた。


 腰まで流れる、艶やかな黒髪が印象的だった。

かすみがかった日差しのなかで、藍色の衣装を着た男の立ち姿は光彩を放っていた。

その美しさは、さながら名工の手掛けた精緻せいちな人形のように見えていた。


 男は、よく通る澄んだ声で語りかけた。


「王は麗姫のすすめるままに、かのおんなの取り巻きたちをお側近くお召し抱えなさいました。


 これに異を唱え、詰め寄る重臣たちを、王はことごとく処分しておしまいになりました。

今や、王の周辺は奸臣ばかりとなっているのでざいます。


 こうして、権力を握った者たちは私欲を満たすために奔走するのでございます。

国内に飽きたらず、近隣諸国の肥沃な領土を奪い取ろうと、繰り返し遠征をおこなっております。

民は兵役を課せられ、重い税に苦しめられております。

働き手となる男たちをいくさに取られては、満足な収穫を望めません。

その上、その年は長雨が続き、農作物のそだちが悪く、自分たちの日々のかてにも困る有り様です。

税など、納められるはずもなく、田畑を捨てて逃げる者が後を絶ちません。


 にもかかわらず、王は麗姫と贅沢三昧の日々に明け暮れているのでございます。

王は、民の窮状をご存知ではありません。

奸臣どもは、自分たちの都合のよいように事実を曲げ、報告しているのでございます。

王は、奸臣どものごとを疑いもせず、誤った方向に舵取りをなさっているのです。


 民衆の心は、王から離れていく一方でございます。


 その様子に、きさきは胸を痛めておりました。

奸臣どもの横暴も、困窮するの民の暮らしぶりも、妃の耳には届いておりました。

そして、ただ悲嘆に暮れていたわけではなく、折に触れ、王に苦言をていしてきたのでございます。


『税収が落ちているのは、民が怠けているせいではございません。

民は土地を捨てて逃げねばならぬほどに、追い詰められているのでございます。

あってのでございます。

まずは、無益な戦争をおやめになり、民を土地へお帰しください。

田畑を耕し種をく者がいてこそ、豊かな実りを享受きょうじゅできるのでございます。


 どうぞ、国内の現状をよくご覧になり、他国の民をあやめて領土を奪い取ることではなく、本当の意味でを富ませることに、ご尽力くださいませ。』──」







🌸  二  囁き  ─ ささやき ─



「麗姫が宮中に上がるまでは、王と妃はそれは仲睦まじい夫婦でございました。

美しく賢く、慎しみ深い妃を、王はとてもいつくしんでおられました。


 頭上に暗雲が垂れ込め、心沈む日があっても、傍らには信頼を寄せる伴侶がいてくれる、──妃の微笑みは何よりも、孤独な支配者の支えとなっていたのでございます。


 それが今では。

会えば険しい顔をし、賢しげな諫言かんげんをする、わずらわしい相手でしかないのです。


 そんな王の心を見透かして、麗姫はここぞとばかりにささやくのでございます。


『悪しき流言を耳にいたしました。

女官たちの間で、お妃様と郭将軍が親密な仲にあるとの噂が、囁かれているのでございます。


 それだけではございません。

さらに恐ろしいことに、お二人は宮中を追われた者たちと共謀し、王様をはいしようと目論もくろんでいるというのでございます。』


 王の寵愛が麗姫に移って久しく、妃とは以前のような親密さは失われております。

心に隔たりが生じた今となっては、噂を嘘だと打ち消すことができません。


 眉根を寄せ、王は何事か想いを巡らせているご様子でございます。


 郭将軍は、妃の従兄いとこにあたるお方です。

王も、以前からふたりが親しい間柄であるのをご存じでした。

 将軍を王に引き合わせたのは、誰あろうでございます。

 将軍は、青雲の志を宿した颯爽たる美丈夫でありました。

 人におもねることのない誠実な人柄に、王も信頼を寄せておられました。


『あの者たちは、長年にわたり私の目を盗んで不義をはたらいていた。

 妃はして十年余りになるが、いまだ一人の子をも授からずにいる、──ゆえに、妃とその親族は己の保身を考えた。

 意のままに操れる年若い王弟を擁立し、謀反を企てたのだ。

 私は、騙されていた、──あの優しげな眼差しも、いたわりの言葉も、全てが私をあざむくための演技だったのだ!』


 一つ、疑いが生じると、妃の言動は次々に裏がえしに読み解かれてゆくのでございます。

 王の心に、懐疑のしずくは、ポタリポタリと滴り落ち、いびつな波紋を拡げてゆくのでございます。


 麗姫は、さらに囁きました。


『早々に、事の真偽をお確かめください。

 お妃様は、清らかなお方でございます。

 不義を働き、そのような恐ろしい企みに荷担なされるとは思えません。


 しかし、──火のないところに煙は立たぬもの。

 お妃様の周囲の者は、腹にはかりごとを忍ばせているやもしれません。

 大事が起こらぬうちに、手を講じておく必要がございます。』


 王の身は、戦慄わなないておりました。胸中は、『信じていた者に裏切られた』という怒りに、沸き立っておりました。

 そのため、物事を正しく見る目を失われておられたのです。


 これより、王は己が受けた屈辱を、いかに晴らすかに固執してゆくのでございます。」







🌸  三  花の宴  ─ はなのうたげ ─



「ある晴れた春の日のこと。

 宮中では、花見の宴がもよおされておりました。

 庭にしつらえた舞台では、楽師の演奏に合わせ、見目麗しい舞姫たちが、彩り鮮やかな衣装を翻して踊ります。

 満開の梅が、風に揺れ、舞台に花弁を散らせる光景に、人々はさかずきを傾け、目を細めて酔いしれておりました。


 しかし、──華やかな宴席にあってただ一人、妃の表情は冴えません。

 王は、妃を気遣うように、お声をかけられました。


『妃よ、今日の宴はそなたのためにひらいた。

 近頃、そなたは宴席に姿をみせず、気分がすぐれぬからと部屋に籠もっている。

 それでは気鬱きうつも募るばかりであろう。


 こうして日の光を浴び、美しい花を眺めでもすれば、憂いは去り、そなたの顔に笑みが戻るのではないかと考えた。


 民の幸福を願い、国家の安泰を願う、そなたの言葉に心打たれた。

 これまで、そなたの心のうちを推し量ることができず、無用な辛労をかけた。

 ──ゆるせよ。』


 王は妃を見つめていました。

 妃に向けられたその眼差しは、温かな春の陽のようでございます。

 続けて、王は述べられました。


『久しく、そなたの琴の音を聴いていない。

 昔のように奏でてみてはくれまいか?』


 その言葉に、愛し合い、心を通わせていた当時に立ち返った想いでございました。

 妃は和やかな笑みを返し、承諾なさいました。


 晴れ渡った空のもと、厳かな琴の音が響き始めます。

 その音色は、幾筋もの清らかな光りの糸となって、周囲を包み込んでゆきました。

 古来より、琴の音は邪気をはらい、家内をやすらかに保つとされております。


 王は、目を閉じて妃の爪弾く調べをしみじみと聴いておられました。


 演奏が終わりますと、王は満足げに妃を見つめ、お言葉をかけられました。


『見事な演奏であった。そなたに褒美をとらせよう。』


 側に控えていた長官がうなずいて合図をいたしますと、女官が恭しくお膳を捧げてまいりました。

 そして、……目前に置かれた膳の上の小瓶を見、妃は我が目を疑いました。


『昔と変わらぬ、たおやかな音色、堪能した。

 そなたの奏でる琴を聴くのも、本日限りであるとは誠に惜しい。』


『何故に、ございますか、……』


 妃は声を震わせ、云いました。


『それを私に問うか。』


 王は、卑しい者を見るように眉をひそめ、妃をめつけておられました。


『どうか、──私を信じてください。

 天地神明に誓い、虚偽は申しません。


 注意深く、周囲をご覧くださいませ。

 巧言令色をろうし、人をおとしめて優位に立とうとする者、国政を私欲を満たすための道具としている者、──罰すべきは、その者たちでございます。

 下の者は、上に習うもの、──世の乱れは、為政者の傾向にるのです。


 ただちに、宮中に巣くう災いの元を断ち、ご正道に、立ち返ってくださいませ。』──」







🌸  四  贐  ─ はなむけ ─



「王は冷ややかに妃を見据えます。

 宴席に居並ぶ者たちも、興が醒めたと言わんばかりに、白々とした視線を注ぐのでございます。


『私は情けをかけた。

 この宴は、黄泉へ旅立つそなたへのはなむけである。』


 希望の灯は、目前で吹き消されてしまいました。

 もはや手立てはない。

 私の言葉は効力を失い、王を動かすことは二度とない、──妃はそう悟りました。

 そして今日こんにち、国の混乱を招いた責任は自分にもあり、その罪をあがなわなくてはならないのだと覚悟をきめるのでございます。


『王よりの贈り物、つつしんで頂戴いたします。』


 王のかたわらには、麗姫が座っております。

 誇らしげに笑みを浮かべる白い顔を、妃は毅然と見返します。


 私の言葉に偽りはない、よこしまな者たちには、遠からず天の裁きが下ることでしょう、──死を決意した目が、静かにこう語るのです。


 最後まで、国母として誇り高くあろう、──妃は、盆の上の小瓶を袖に隠し、妃はひと息にあおったのでございます。

 やがて体はカタカタと震えだし、口元を押さえたあおい衣装の袖口が、赤黒く染まってゆきました。


 死にゆく妃のまなこには、おぼろにじんだ紅白が映っております。

 それは梅の花、──その梅木は、二つの幹が寄り添って、世にも珍しい紅白の花を咲かせる、一ツ木の体をなしていたのでございます。


 かつて、王と妃は、この梅木を前に誓いました。

『身を寄せて、冬の寒さを耐え忍び、花を咲かせるこの木のように、幾歳月が流れても、互いを慈しみ、心を固く結び合わせていよう』──と。


 されど歳月が流れてみれば、その誓いも遠い潮騒、時の波間を漂うままに、塵芥ちりあくたと流れ去ったのございます。


 目に映るすべては、沈みゆく夕日の色に染まり、光を失った妃のまなこから、赤い涙が流れ落ちました。

 枝に止まった小鳥が羽を広げて飛び立ちますと、花は揺られてホロホロと、小さな花弁を散らします。

 妃の体は、糸を裁たれた人形のようにくずおれました。


 王が、席をお立たちになります。

 妃が息絶えるのを確かめるまでもなく、王は麗姫を伴い、その場をお離れになりました。


 一方。──

 郭将軍は遠い異国の戦地から、都の春を想っておりました。かつて若かりし日、訪れた屋敷の庭で耳にした琴の音色と、それを爪弾く清らかな乙女の姿を想い描いておりました。

 ひと度、その姿を目にしたときから、少年の心には、雛鳥のように儚げな、淡い想いが宿っておりました。


 ──王は、私の死をお望みのようだ。


 将軍は、憂いを秘めた眼差しで城塞の外を見渡しました。

 足止めをされている間に、敵は砦の周りに兵を集め、包囲を固めつつありました。

 援軍は期待できません。

 将軍は、捨て石にされたのです。

 奸臣どもは、将軍をおとりに、敵の勢力を削ぐ作戦を立てていたのでございます。」







🌸  五  思慕  ─ しぼ ─



「都では、粛正の嵐が吹き荒れておりました。

 謀反を企てたとして、妃の親族たちが捕らえられ、十分な詮議もされないうちに、次々と処罰されていったのです。


 けれど、都を遠く離れ、異国の地を転戦している郭将軍には、そんな話しは伝わりません。

 謀反の首謀者の一人と目され、妃と不義の間柄にあるとされていることなど、知る由もないのです。


 事を進め易くするため、奸臣どもは郭将軍を辺境へと送り、情報を遮断していたのです。


 郭将軍は、麗姫を王妃にしようと画策する奸臣どもの動きに、警戒の目を向けておりました。

 目的を遂行する為にはどんな卑劣な手段もいとわない者たちです。

 できうるなら、直ぐにでも国に帰り、妃の盾になりたいと願っているのでございます。


 それは、──ひと月ほど前のことでございます。

 戦地に手紙を携えてきた家人が、都で流れ始めた とある噂を話し、『くれぐれも、お気をつけを』と云いおいて帰ったのでございます。

 将軍は、それを告げられた瞬間、怒を禁じ得ませんでした。

 しかし、間を置き、気を鎮めて怒りの根源を突き詰めてゆくと、心の深い部分を言い当てられたが故の、憤慨であったと気づくのです。


『王とはこれまで、胸襟を開き、語り合ってきた。

 しかし、私の胸のうちには、王には語れない想いがあった。

 決して、誰にも知られてはならない想いだ。


 けれど、それは自分でも気づかぬうち、あの方に接する折々に現れてしまっていたのかもしれない。

 それは王に疑いを抱かせるのに、十分であったのだろう。

 あの方を窮地に追いやったのは、私のであるのかもしれない。


 王よ、あなたは大変な過ちを犯している。

 あの方の心はあなたのものです。

 あの方は誰よりも深く、あなた愛しているのです。』


 ──妃を陥れるために流布された噂の出所は、あの白い女狐に相違ない。


 都へ帰り、あの方を助けしなければならない、──持ちははやるものの、体は留め置かれております。

 弁舌巧みなかのおんなの讒言に、王が判断を誤ることがないように。

 清らかな梅の花が、よこしまな風に散らされてしまわないようにと、ただ祈るばかりです。


『私の想いが罪だとするのなら、甘んじて罰を受けいれましょう。

 私の心臓を切りだして、差し上げます。

 あなたをお救いできるなら、この命、少しも惜しくはないのです。』


 援軍は、大河の前に待機したまま、河を渡る気配を見せません。

 再三の要請にも、返答はありません。

 その間に、事態は悪化し、いよいよ八方塞がりの状況へと陥ってゆきました。

 そして兵糧も残り僅かとなり、城内の兵士たちに憤懣が募っております。」







🌸  六  決断  ─ けつだん ─



「このまま兵糧が尽きるのを待つつもりか、城を出て戦うべきだ、こちらが事を起こしたと知れば、必ずや援軍は馳せ参じるはず、もはや一刻の猶予もない。──

 血気盛んな兵士たちが郭将軍へ訴えるのです。


 援軍は頼みにならない。

 そのうえで、動くなら早い方がいいと考え、決断します。

 萬に一つの勝負に、打って出るのでございます。


 夜明け前、──堀の上から敵の陣営目掛けて火矢を放ちました。

 方々ほうぼうから火の手が上がると、昼間以上に敵の動きがよく見えました。

 すかさず、陽動部隊による撹乱をおこない、警備の手薄な箇所を突いて、包囲を突破しました。

 援軍の到着を待つ間、兵はいつでも動けるよう調整してありました。

 水を得た魚のように、兵士たちはめざましい動きを見せていました。


 ──朝靄の中、郭将軍は馬を走らせます。

 敵の追撃をかわしながら、大河に至る緩やかな下りの山道を、二万の軍勢が疾駆します。

 途中、山間から顔を覗かせた朝日が、切り立った崖に挟まれた地形を洗いだします。

 最北のこの地では、山はまだ枯れ木に覆われていて、身を切るような風のなか、兵士も馬も白い息を吐き出していました。


 ──大河の前には敵の軍勢が居座っています。

 こちらが城を出たという一報受けて、新たに一万が加わり、四万の軍勢となっていました。

 大河の向こうには味方が待機している、必ず加勢に来る、──大軍を前にしても兵士たちには希望がありました。


 ──すでに陽は頭上高く登っております。

 吹き流しの旗が立てられ、太鼓が鳴り響きます。

 郭将軍は戟をゆったりと頭上で回し、合図をします。兵は一斉に雄叫びをあげ、一直線に敵陣目掛けて突入していきました。


 ──中央で付近で先方の騎馬隊が衝突しました。

 間もなく長槍を手にした歩兵が押し寄せてきます。

 繰り出される長槍の束を薙ぎ払い、敵兵を蹴散らして、将軍は騎馬を前進させます。

 勇猛果敢な戦いぶりで敵の陣形を乱していきます。

 双方が荒波のように混じり合い、熾烈な戦闘を繰り広げております。

 濛々と立ち上る土煙が視野を塞ぎ、兵士たちの吠声で方向もわかりません。

 すでに一刻ほどは過ぎております。


 ドン、ドドォーン。


 繰り返し、敵陣から太鼓の音が上がります。それを合図に、敵兵は引いていきました。

 浮き足立つ兵に、分散しないようにと郭将軍は指示をしました。

 河の方からゴウッと音を立て、風が入ってまいります。

 砂埃が突風に流れていくなか、前方の敵がギリギリと矢を振り絞ぼる様子がみえました。

 数千の矢が一斉に射かけられました。

 矢は風の力を得て、キラキラと光を放ちながら飛来します。

 戟を振って矢を撃ち落としながら、将軍はあることに気づいたのです。


 ──河水は、この時期、正午を過ぎると流れを変える。

 河口から海水が流れ込み、波の動きで風向きが変わる、……水嵩が増した河を渡りきるのは、難しい。」







🌸  七  敗戦  ─ はいせん ─



「矢を受けて次々に兵士たちは地に伏していきました。

 時を追うごとに、屍の山が築かれていくのです。


 ──脚を折られ、倒れ込む馬の巻き添えをくうかたちで、将軍の乗った馬が横倒しとなりました。

 将軍は地に投げ落とされました。

 われ先に、打ち取って手柄を上げるのだと、敵兵が群がります。

 将軍は起き上がりながら、嗚嗚おお、と腹の底から雄叫びを上げました。

 敵は気圧され、目を剥いて退きます。

 取り囲む敵を前に、将軍は奉天戟を立てて仁王立ちになり、云い放ちます。


『我は郭翔、この首、見事打ち取って、名を挙げよ。』


 ──功名にはやる敵兵が、奇声をあげて挑みかかって来ました。

 将軍は前に出、戟を横に滑らせて、その首を高々と斬り飛ばして見せました。

 あまりの鮮やかさに敵はジリジリと下がります。

 怯んだ敵に間髪いれさせず、葦を刈りでもするように、敵を薙ぎ払って道を開いていきます。


 一人に意識を向けると、すかさず何処からか攻撃の手がはいり、絶えず二三人を相手に戦っているのです。

 体の疲労は激しく、振るい続けている戟の切れが次第に鈍り始めていました。


 ──ここで死ぬわけにはいかない、帰らねばならない、あの方の元へ、……


 その想いが身体を奮い立たせているのです。体に受けた矢傷が熱を持って疼いております。

 ジワジワと流れてゆく血に、将軍の意識は朦朧もうろうと、視界は時折白くなります。


 少し意識が途切れた間、ドスンと腹に重みがかかりました。

 槍の先が腹に突き通り、引き抜かれると、血飛沫が吹き上がります。

 敵兵は、もう一撃加えます。

 追い打ちをかけるように数本の槍が、将軍の体を貫きます。

 歩を進めようとした将軍は、ガクリと膝を折り、前のめりに倒れました。


 そして、──まもなく、どきをあげる敵兵の声が、地鳴りのごとくに荒野を渡ってゆきました。

 熾烈な戦闘のすえに、将軍は遠い異国の地で果てたのでございます。


 すでに妃が亡くなっているとは、露も知らぬままでした。」







🌸  八  終幕  ─ しゅうまく ─



「こうして、目障りな妃の一派を宮中より掃き出して、奸臣どもはしたり顔でございます。

 しかし、強欲な者たちは、これで終いとはなりません。

 己の保身のために、今度は互いを牽制しあうのです。

 一時は手を握りあっても、目的を達した後まで手を携えている必要はないのです。


 かなえの中で蛇どもが互いの尾を喰いあっている間に、秩序は乱れてゆきます。

 地方では飢饉が続き、一揆や打ち壊しが頻発しております。

 その余波は、都にも暗い影を落としてゆくのです。

 王は享楽に耽るまま、もはや政治に感心を示さなくなっていました。


 憂国の同志たちは、辛抱強く仲間を募りながら機会を待っておりました。

 郭将軍が味方に裏切られ非業の死を遂げたことが、火種の一つとなっていたのです。

 対岸のにいた援軍は、河を渡ってくる兵士たちに、矢を射かけていました。

 戦に敗れ、一縷の望みにすがる想いで、河までたどり着いた兵士たちは、流れを泳ぎきることができず、凍える水の中に沈んでいったのでございます。


 ──月は満ち機は熟し、ついに同志たちは立ち上がりました。

 民衆の支持を得た反乱軍は、破竹の勢いで門を破り、城内になだれ込むと、麗姫とその取り巻きたちを、一網打尽にしてしまいます。


 ──新王の名のもと、公正な詮議の上に、その者たちは処罰されました。

 麗姫は斬首となり、王は領地内の孤島に幽閉され、そこで生涯を閉じたのでございます。


 ──時は流れながれて、再び春は巡ってまいります。

 宮廷の梅は今もかわらず、たおやかな紅白の花を咲かせております。


 ──今は昔の話にございます。」







🌸  九  唄  ─ うた ─



 語り終え、最後に男は歌を謳う。

 呼吸を調え、祈るように閉じられていた眼を、すうっとひらく。



 ♪〜

 あの日の誓いを あなたは忘れてしまわれたのでしょうか

 そっと私の手を取り あなたは云われたのです

『身を寄せて冬の寒さを耐え忍び 花を咲かせるこの木のように、幾歳月がながれても互いを慈しみ 心を固く結び合わせていよう』

 と


 あなたの隣りに私はありました

 私の心はあなたと共にありました


 ♪〜

 美しい花が咲いたなら ひとの目はそちらにむかうもの

 傍らの花の香りは薄れ 色褪せて見えるのです

 けれど物言わぬ花はそこにあり 再び光照らされる日を待っている

 あなたの言葉を信じ ひたすらにお待ちしておりました


 あなたの隣りに私はいます

 私の心はあなたと共にあるのです ──



 歌声に、道行く者は足を止めた。

 切なげに歌い上げるその姿に、気高く哀しい妃の姿が重なり、麗人のまなこから、ほろりと涙が伝い落ちる幻さえ見えたのだ。

 観客の多くは感じ入って、目頭を抑えている者もいた。



 ♪〜

 宮中に春の訪れを告げる鳥よ 束の間 その愛らしい姿を貸しておくれ

 愛しいひと

 ほころびかけた梅の枝に止まり 鳥の声を借りて 私は歌います


 愛しいひと

 耳を傾けて あなたの瞳に宿らせて 昔のように微笑みかけてください


 あなたの隣りに私はいます 姿は見えずとも 私の心はあなたと共にあるのです


 ♪~

 いつの日にか 遠い記憶に沈んでしまった私の姿を掬い上げて この梅を前に誓い合った真心あいを 思い出してください ──···



 声は絶え、人々の胸に、音の余韻が沁み入った。

 その場はしばらく しんと静まり、誰かが手を叩くと、一斉に歓声と拍手が涌きあがった。


「お気に召しましたら、お心づけを。」


 優美な指先は、足下に置かれた椀を示していた。

人々がこぞって入れてゆくので、小さな椀からは銭が溢れ落ちていた。


「ありがとう、ございます。」


 先ほどまでの、哀愁を漂わせていた表情から一変、男は愛嬌たっぷりに会釈をした。

花のかんばせに、人々の心は和んだ。







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