真っ青な嘘を800回言うよ。
空唄 結。
出遭う。
村が、燃える。容赦なく、恐ろしい勢いで、燃えていく。人も物も巻き込んで、風と赤とが全てを包んで灰へと変えていく。わたしはそれを見ている。見ているだけ。きっとそのうち飲まれてしまうと分かっているから。早く、早く。この出来損ないを、殺して。無惨で憐れなわたしを、早く、死なせて。
***
わたしは誰にも必要とされていなかった。迫害。排除。村八分。生まれた時から既にそれは始まっていて、きっかけはわたしの両親だった。待ちに待ったはずの赤ん坊だった。両親はわたしの誕生を何よりも、誰よりも、喜んでくれるはずだった。わたしも、両親も、幸福に満ち溢れるはずだった。
でも。
わたしは、身体の半分が、とてつもなく醜かったのだ。
どうしてなのか村の誰にも分からなかった。分からないものは気味悪がられた。火傷の痕のように醜く引き攣れ、くすみ、恐ろしく気味の悪い肌を持って生まれた赤ん坊なんて、誰が歓迎するのだろう。わたしは生まれながらにして疎まれた。
この子は呪いの子だ。
呪いの子を産んだお前達は悪だ。
そんな空気が村中を覆い、両親はこの醜い赤ん坊を愛でるより、その空気に染まることを選んだのだ。当然だと思う。わたしだって、多分、そうする。でも、それならば、生かしてくれなくて良かったのに、なんて思う。何も分からないうちに縊り殺される方が遥かにマシだったと、思わずにはいられない。
「来たぞーっ! 呪いの子だーっ!」
「うわ、本当に気持ちが悪い皮膚だな」
「寄るな! 呪いが移る!」
罵倒が飛び交い、礫を投げられる。蔑み、不躾な視線が突き刺さる毎日。人間だと扱われることもなく、その辺の痩せこけた野良犬よりも惨めな暮らし。誰にも存在を祝福されず、認めてすらもらえないわたしは、いっそのこと幽霊にでもなれたら良かったのに、死ぬことすら許されない。何故、ってそんなの決まっている。わたしは村が困り果てた時の贄として生かされているだけ。いつか生きたまま神に捧げられるその時まで、生かされているだけ。それだけ。今と、その未来の苦しみは、何が違うのだろう。今だって十二分に辛くて死んでしまいたいというのに。神様がもしもいるのなら、村を程よく壊してくれたらいいのに。そしたらわたしも大義名分の名の元に殺してもらえるのに。
そんなことを毎日思っていたから、なのかな。
天罰が、降りたんだと思う。
それは唐突の閃光だった。
村は一度の攻撃で半壊し、わたしを呪っていた人達が沢山たくさん、死んでいった。自分以外の誰かの死を望んでいた訳じゃない。皆が死ぬのなら自分が真っ先に死ねばいいと思っていた。でも、いざとなると自分が死ぬのも他人が死ぬのも、とてつもなく恐ろしかった。
先の閃光に続いて沢山の何かが風のように駆け抜けた。悲鳴、怒号、熱、血、血、血。わたしは村の中央で鎖に繋がれていて、逃げることも出来ない。燃えていく村を眺めながら、少しでも恐怖から逃れようと手近にあった板切れの下に体を滑り込ませた。じゃらじゃらと鳴る鎖が鬱陶しい。
目の前に一つの家族が躍り出た。ぎゃああ、という悲鳴と共に父親が斬り殺される。やめてください、という悲痛な叫びに反して、母親は刀で貫かれた。小さな子供は既に物言わぬ首だけとなって大きな影の手からぶら下がっている。ああ、わたしの、家族が。家族だとも思ってもらえなかった、わたしの、家族が。あんなに呆気なく死んでいった。あの恐ろしかった父親が、あの冷たかった母親が、憎たらしかった小さな妹と、弟が、死んだ。しんだ。ころされた。ころされ、た。なんで。どうして。どうして。わたしじゃ、ないの。嫉妬にも似た感情が胸の内側を妬いていく。ああ、どうして、あなたたちが、死ぬの。あんなにわたしに死ねばいいと言っていたあなたたちが。どうして。どうして。ドウシテ?
気が付くと辺りは炎の音だけが響いている。わたしはいつの間にか気を失っていたらしい。燃え盛る炎の中にひとり取り残されて、もう残りの時間は少ないのだと悟った。
こんなに寂しく、ひとりで、炎に焼かれて死ぬのなら、かぞくといっしょに、死ねた方が、しあわせだったのに。
ふとそんな考えが頭を過ぎり、急いで必死に打ち消した。違う。わたしはそんなこと望んでいなかった。あんな人達、死んで当然だ。わたしを守ってくれなかった家族なんて、家族じゃない。家族なんかじゃ、ない。ない。ない。ない。ない。打ち消しても打ち消しても、羨望と虚しさが募っていく。わたしもいっしょにころしてほしかった。さいごのときくらいなかまにいれてほしかった。想いは涙になって頬を伝う。煙が目に沁みるせいで、喉を刺激しているからで、だからこれは、そんな涙なんかじゃ、
「苦しそうですね」
突然、の、声。
真っ赤の中に立つ、真っ黒な人影。いや、これは、ヒトじゃ、ない。真っ黒なマント、真っ黒な髪、真っ黒な尻尾。口元には牙が見え、目は黄金に輝いている。炎が反射して、まるで満月のように。見蕩れてしまったことをなかったことにしたくて、急いで返事をする。
「……くる、しくは、ないで、す」
「本当に? それで? 私にはそう見えませんけど」
随分無遠慮なヒトだな、と思った。でも、こんなに自分に興味のある顔をしたヒトは、初めてだった。わたしもこのヒトがなんなのかを、知りたいと思った。途切れ途切れになるしゃがれた声が疎ましい。瓦礫が上に乗っているし、煙に喉がやられてしまったようだ。案外可愛らしかった自分の声を嫌っていたはずなのに、いざ失うと惜しくなる。
「そういう、あなた、は、ずいぶ、ん、おそろ、しい、みた、めです、ね」
「私は魔法使いなんですよ」
魔法使い? 聞いたことなどこれまで一度もなかった。何処かには居るという魔法使い。魔物や魔獣が溢れたこの世界を正して回る正義のシンボル。でもこんな秘境にそんなヒトがいるはずは。
「……そうは、みえな、い、です」
「強情な子だなぁ」
「あ、なた、もですね」
そのヒトはきょとんと目を丸くした後、空を向いてハハハと笑った。何が可笑しかったのかさっぱり分からない。
「直してあげましょうか、君を」
「……なおせ、るの、で、すか……?」
「ただし普通の人間ではいられませんよ。あなたは今までのあなたを捨てなければなりません」
「かま、いませ、ん」
「わぉ。なんて潔い」
「もとも、と、しん、でいた、ような、もので、した、から」
「おやおや、可愛い女の子が自分を粗末にしてはいけませんよ?」
「……うるさ、いです」
可愛い。女の子。そんな言葉に不覚にも胸が踊ってしまった。このヒト、油断ならない。
「あなたのお名前は?」
「……ない、です」
「そうですか、ならば手っ取り早い」
「な、にを、」
「今からあなたの名前はラクロウです。『烙』と『琅』という文字です。あなたの額から頭蓋の中へ刻み込みます。良いですね?」
「……は、い」
「いい子だ」
何がどうなるのかも分からないし、その名前になる訳もその文字の意味も分からないまま、勢いに押されて頷いてしまったが、不快感はない。わたし、このヒトのこと、信用し始めているの? どうして? どうしてこんなにも、胸の内が穏やかになるの?
オトコノヒトはわたしの上から瓦礫をひょいひょいと軽々しく退けていく。あまりにも容易くやってのけるものだから、もしかして物凄く軽かったのでは、なんて疑ってしまう。わたしの力じゃピクリとも動かないのに。あっという間に救出され、わたしはオトコノヒトがわたしを引き摺り出していくのをただ感じている。というのも、既に体の感覚が消えかかってきたのだ。これは大変なことのような気がする。立たせてくれようとしたが、足に上手く力が入らず、へたりこんだ。オトコノヒトは困ったような顔で笑って、同じようにしゃがみ込む。オトコノヒトの指が額に触れる。何か、文字のような何かを額に書き記し、掌がそれを覆う。あったかい。でも何だか、押し込められていくような感覚で少し気分が悪い。体の奥底、頭の真ん中から、わたしは少しずつ『何か』に染まっていく。これは、なに? わたしは、なにに、なっていくの?
一通りのそれが終わったのか、オトコノヒトはゆっくりと手を離す。それまで閉じさせられていた瞼が開く。
「烙琅」
「……はい」
「どうですか、新しい躰は」
そういえば、と自分を見下ろす。何処も痛くない。体が軽い。力が入る。不思議。思わず立ち上がる。動く。からだが、動く。そして目に入った自分のからだは、傷一つなく、生まれ持ったあの醜い皮膚すら、美しくつるりとしたものに変わっていた。わたしは、悟った。わたしはさっき一度、死んだ。死んでしまった。内側から喜びが溢れていく。死んだ。わたしは、死んだんだ!
「……悪く、ないです」
「それは良かった」
「あの」
「何でしょう」
満月の瞳がわたしを見つめている。何処までも何処までも見透かされている気がして、急に恥ずかしくて堪らなくなっていく。でもどうしてだか、そんな恥じらいの気持ちは体の表面上に浮き上がってこない。わたしの体は気持ちに比例しなくなっている。どういうこと? 訊きたかった疑問は再び彼と目が合うと融けていった。
「あなたのお名前は」
あっ、と思った瞬間にはみるみるその端正な顔付きがくしゃっと崩れた。しまった。これは訊いてはいけない質問だったんだ。それでもこのヒトは笑顔を貼り付けている。まるで意地を張っているみたいに。
「……ない、のですよ」
暗く、そして、儚げな笑顔に胸が締め付けられた。
「……なら、わたしが付けても、良いですか」
せめてもの罪滅ぼし。そんな顔をさせてしまったお詫びにと思っての発言。驚いたようなそのヒトは、満面の笑みで応えてくれた。
「……勿論」
でもいざとなると、どんな名前を付けていいのやら分からない。わたしには学も知識もない。このヒトに相応しい名前は、きっとあるはずなのに。
「うーん……」
辺りは少しずつ炎が鎮火していて、深い夜の闇が広がっていた。彼の背後に美しく真ん丸な月が昇っていく。村を焼き尽くしたせいで煙が霞のように月を包んでいく。こういう月のことをなんというんだっけ。紺色の闇の中でぼんやりと輝く月の夜。爛々としているはずなのに、掴み切ることのできない儚い月夜のことを。
「……決めました、あなたは朧です」
彼は目を丸くした後、興味津々と書いてあるかのような顔でわたしに迫る。
「何故? 何故、朧と?」
わたしは少し驚いて体を引いて、でもきちんと応えようと言葉を探す。
「あなたの姿は真っ黒で、恐ろしい夜の闇のようでもあります。でも、その瞳はお月様のようでとても美しいなと、出会った時に思ったので」
オトコノヒトは何だか変な顔で黙ってしまった。
「駄目、でしょうか」
「……いえ、悪くないと思います」
「それは良かったです」
不思議な言い回しだったけど、悪くないのなら多分良いのだろう。彼の名前は、朧。今、決まったんだ。
ふと、思い出す。自分のことを。
「ついでなのですが」
「何か不都合でもありましたか?」
「いえ、ただ単に今までの「わたし」は死んでしまいましたから、これからは「ぼく」と名乗りたいなと思いまして」
「ほう……けじめ、というものですね」
「そのようなものです。……もしかして、許可は必要ありませんでしたか?」
「まぁ……特には」
思わず舌打ちが出てしまう。
「訊いて損しました」
「んんんんん!?」
面食らいながらも朧は何だか楽しそう。
「何がそんなに楽しいのですか」
「いや、久方ぶりにヒトと話したから、ですかね」
「おや奇遇ですね。ぼくは人と会話すらして来なかったので、自分がこんなにお喋りだとは今までちっとも気付きませんでした」
朧がクックッと喉を鳴らしながら笑う。
「ああ、私は良い相棒を得たようだ。宜しくお願いしますね、烙琅」
「相、棒」
不思議な響き。それの真意は分からずとも、何だか心踊ってしまう。
「仕方ありませんね、引き受けてあげます」
「……面白い子だ。私が直してあげたのに」
ふんだ。そんなの土下座して頼んだ訳じゃない。謹んで話題を変えさせて頂く。
「つかぬことをお訊きしたいのですが」
「……私の話は流すんですね……で、なんでしょうか」
「ぼくの『烙琅』という名前の意味を知りたいです」
「……そんなの気にすることありませんよ、悪い意味ではないですし」
「何ですかそれ。ぼくには自分の名前の由来を訊いておいて」
大人はいいんですよー、なんて言いながら朧は歩き始める。
「ちょっとそれは狡いですよ朧! もう、待ってください! 朧ってば!」
叫んだら左眼が燃えるように熱くなり、おかしいと思う間もなく、左腕から炎が巻き起こった。ぎょっとする。が、朧は驚きながらも感心したように頷いた。
「魔力の定着も完璧ですね。発動まで余りにも早い。やはりあなたには素質があったようですね、烙琅」
魔力? 発動? 素質? この人は何を言っているの?
「冷静に言ってないで、早くこの火を消してくださいよ! 熱い! 怖い!」
「何を言ってるんです、熱くないでしょう」
火が熱くないだなんてそんな馬鹿なことある訳な、――熱くない。左腕の炎は激しさを増すばかりなのに、何故だかちっとも熱くなかった。
「なになに、何ですかこれ。逆に怖いのですけど」
「あなたの左眼は元々機能していなかったようなので、義眼として再利用させてもらいました。自分の物なら拒絶反応もありませんしね。その時にちょっと細工を施したのです。私の魔力をすこーし込めたので、魔力が全身及び精神に定着し次第、あなたの属性に従って発動することになっていました。つまりあなたは火を操ることが出来るようになった、ということです!」
ドヤ顔が腹立たしい。なんだそれ、聞いてない。
「聞いてないのですが、そんな話」
「今言いましたからね」
「……元には」
「戻せますが、その時にはあなたはちゃんと死にますよ」
ちゃんと、死ぬ。つまりは今だって半分以上死んでいるということだ。そうだよ、死んだんだから、この体が今更どうなったって別に気にすることないじゃないか。
「……分かりました。受け入れます」
「いや、良かった。断られたらあなたを始末しないといけなかったので助かりました」
この人は本当に信用出来るのだろうか。どうにも胡散臭い。でも、今は、この人が頼みの綱。溺れる者は藁をも掴むものなのだから、ぼくが魔力と引き換えに命を繋いだってどうってことはないはずだ。朧の目的は分からない。もしかしたら利用価値がなくなり次第、殺されるのかもしれない。でも、それでいい。ぼくはその時まであなたと共に。
「改めて。私は朧。魔法使いです」
「烙琅、です。魔法使いの見習いってところです」
にやり、と朧が牙を見せる。
「ようこそ、世界の裏側へ」
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