毒に塗れた嘘吐きの。

空唄 結。

はじまり。

­­ 毒ノ国。それは恐ろしくも美しい国。この国に暮らす人間は全て、体内に毒を潜ませている。

 毒を摂り、毒と共に生きる人々。食事に少しの毒を混ぜ、刺激を求める若者ならアルコール代わりに呷ることもある。生まれる前からそれを浴びるのは必然だ。

 母親の摂った毒は血の流れに沿って赤ん坊へ届き、そうして半数の赤ん坊が胎内で死んでゆく。無事に生まれ落ちたうちの3分の1は何らかの異常を抱えており、産声を上げたその場で産婆によって絞め殺され、残りの赤子はその身に毒を宿している。更にそのうちの一握りは毒性がより強く、そして大層美しい生き物となる。よってこの国の人間は蝕まれている者ほど、美しい。

 その中でも毒しか食さず、全身の体液が染められても尚気高く在るものは何故かいつも女児と決まっており、そうしてかの国では『毒ノ姫』が造られてきた。


 その国に産まれたら、生きるも死ぬも自分次第。生き延びたければ毒に打ち勝て。己の体内で毒を制せ。

 お前の命運は既に定められた。


 これはある世界に存在した、毒と共に生きた純粋な姫の物語。


……

…………

………………


 木々のざわめきは子守唄。

 彼方の頂に希望を寄せて。

 その温もりの刹那を胸に。

 無垢な瞳を曇らせるな。



「カルミアー!!」

 一人の少女の叫び声が森に響く。チノネ。それが彼女の名前だった。毒ノ国に誕生した彼女は幸か不幸か、生まれ落ちたその瞬間からありとあらゆる毒への耐性を身に付けていた。その為に彼女の母は命を落とす。我が子に特別な力があるとも知らず、どれほどの毒を与えても顔色一つ変えない赤ん坊は毒を相殺してしまうのだと思い込み、罪の意識に囚われ、自害したのだ。


 国にとって最大のタブー。

 それは『毒を打ち消すこと』。


 幸いにもチノネは毒を浄化する力は持っていなかった。『毒性が違っていても、取り込めば自分のものに変えられる』力を持っていただけ。基本的に毒性は母体の摂取したもので決まる。従って親子間のそれは自然と似るはずだったが、彼女は突然変異だった。

 チノネの母は死なずとも良かったのだ。彼女の特性は国が喉から手が出るほど欲しがり、手に入れ、『姫』達の為に利用すべき戦力となったのだから。

「もー! 何処に隠れてるんですか、カルミアー!」

 チノネにはもう一つ特筆すべき力があった。

 母の死により彼女は必然的に国の所有する孤児院で育てられ、そしてその力を見極める為に、ありとあらゆる毒を摂取した結果の副作用とも言える力。

 それは、著しい成長の遅れ。

 その精神が成熟すればするほど、チノネの身体の成長は緩やかになっていった。今ではもう止まっているも同然。そしてその副作用すら、国にとっては垂涎の的だった。

 どんな毒にも負けない毒を持ち、だがしかしそれで人を害することはなく、年を取らない少女。それはまさに『姫の世話役』として申し分ない存在。

「ほんとにあの子ったら、もー……」

 純白の緩やかなサマードレスを纏う、真白い少女。胸辺りで切りそろえられた髪を耳元でふんわりと一つに束ね、垂らしている。髪の毛も肌も瞳も、何者かに色素を奪われたように真白だ。成熟しているはずの精神を持っているとは凡そ思えないほど頬をぷっくりと膨らませた姿は、まさに『少女』である。

「いるんでしょー、カルミア! 出てこないとあなたの分まで食べちゃうからね! 折角美味しいスコーンを焼いてあげたのに!」

「あーいるいるここにいるしスコーンも食べるー!」

 チノネの頭上、樹の上から声が降ってくる。

 それはカルミアのお気に入りの場所だ。緑に覆われ守られ、秘められた国の全貌が見渡せる、巨木。国の中心にあり、『姫』しか触れることを許されない生命ノ樹。

「あっ、またそんな所に! 何かあったらどうするの、姫も生命ノ樹も他に代わりはないんだよ!」

「何もないって〜、怒らないでよチノネ」

 チノネがハラハラと見守る中、するすると滑るように枝を伝って降りてくる少女。彼女こそが現在の『姫』、カルミアだ。14歳のはずだが、もう少し幼く見える。

 肩辺りで切り揃えられた薄桃色の髪は所々焦げ茶色に染まっている。パフスリーブで薄手の黒いブラウス、ブルーのショートパンツ、そして腿まである白いソックスと履き古された黒いエンジニアブーツという姫らしからぬ出で立ちに、チノネは眉を顰める。

「またそんな格好をして!」

「あー……い、いいじゃんっ、私がどんな服を着てたって!」

「もっと姫の自覚をしなさーい!」

「うるさいうるさーい!  チノネきらーい!」

「あら、そんなこと言うならやっぱりこれはあげられませんっ」

 地上に降り立ったカルミアは慌てて媚を売るようにチノネに抱き着く。

「嘘うそごめーん! チノネ大好き! 今度は服もちゃんとするし、木にも登らないから!」

「んもー、調子いいなぁ。いっつもそう言ってるじゃないですかぁ」

 やれやれといった様子でチノネは腕に提げた籠から菓子の包みを取り出す。待ってましたと言わんばかりに、カルミアはすぐさま飛び付いた。

「こら! カルミア、お行儀悪いよ!」

「うははーうまー! チノネって本当にお料理の才能あるよねー! はぁ、しあわせぇ……」

「おだてたって駄目なんだからねっ」

 屈託なく笑う少女達。彼女達の体内に蠢く毒の気配など、微塵も感じないさせないほどに輝く笑顔。

 『毒ノ姫』。それは気高く美しく、孤立する。体内の毒によって人との関わりを絶たねばならず、孤独という精神ストレスはよりその毒性の強化を促し、彼女達自身を内側から喰らい尽くす。

 自身の毒性が耐性を上回れば人の形を保つことは出来ない。『姫』は国の宝であり、戦力であり、そして経済の要だ。彼女達の毒が国の糧。それを研究し貪り尽くすことで、国は永らえてきた。孤独などという感情如きで失う訳にはいかなかった。

 だが『姫』の孤独を紛らわそうとしても、毒を持たない人間、毒性の弱い人間には軽い接触すら不可能だ。

 『姫』の毒に対抗出来るのは『姫』でしかない。

 『姫』は同時期に存在しない。

 つまり『姫』は孤独により衰弱するしかない。

 その命運の為に、『姫』を造り上げる為に、『姫』を絶やさない為に、幾人の赤ん坊が『姫』になり損ね、死んでいったのだろう。国は感情では動かない。幾人の女共が泣こうが喚こうが、死のうが関係はない。

 そんな中現れたチノネという『姫のなり損ない』はまさに最高の手駒だった。


 永遠とも思えるほどの時間、あらゆる『姫』を見つめ続けた少女。そんな彼女の手を煩わせるほどに危うく幼い姫。

 二人の少女はまだ知らない。

 彼女達に迫る暗雲の存在と、国を巻き込む嵐の予感を。

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