第9話 大蛇はだれか?
「全く大変な一夜でしたな」
早朝、まだ陽が昇らぬうちに新左衛門と松吉はお堂を出て寺の敷地の端にある離れ小屋に向かって歩いていた。二人とも昨夜の騒動で新左衛門は脇腹に軽い傷を、松吉は左腕の肘の辺りを斬りつけられ軽くはない傷であった。利き腕でなくて良かった、と松吉がこぼす。しかも一刻半(3時間程度)しか寝ていない。
「いや、あれくらいで済んで良かった。出来れば仕留めて起きたかったがな」
寺の離れの前に来ると軒下に蹲る白い狼、ハヤチがジッ、とこちらを見た。
「おぉ、あたしの命の恩人さん。もう、朝飯は食ったんですかい?これを食べやせんか」
上等の干し肉やで、と懐から取り出した袋の中から小さな指先ほどの黒い塊を幾つか取り出した。ハヤチがくんくんと臭いを嗅いでから、干し肉を食べ始めた。
「干し肉?珍しい物を持っているな」
この時代、あまり肉食の印象が無いように思われるかもしれないがイノシシ、シカ、カモシカ、クマ、ウサギ、タヌキ、カワウソなど様々な肉を食べていたようだ。高温多湿な気候のため、食品の保存方法としては発酵や塩漬けにして水分を抜いて乾燥させるなどがおもであるが、干し肉の場合は肉を細かく裂いて乾燥させていたようだ。塩が貴重品であるのも関係しているのだろう。どちらかと言えば貴族の食卓に上がっていた食べ物であるので新左衛門は珍しいと言ったのである。
「あたしの爺様は狩りが上手くて、良く干し肉を作っとりましたんや」
「まぁ、こいつのお陰で死なずに済んだと思えば安いものか」
「ははは、いい食いっぷりや。流石は狼やな」
小屋の中には粗末な布団に木蓮が寝かされていた。昨夜、あの外法箱を使用して蛇どもを撃退した直後に気を失ったのである。そのまま寺に運び込んだのだった。白蛇の伝太郎曰く、あの外法箱の中の大神(おほかみ)を外法箱から出して動かすことは術者にはかなりの負担が掛かっていたらしい。霊力をごっそり持って行かれて倒れたのだという。あれは相当に荒ぶる神らしい。しかも何か異常な霊力を発していたというのだ。二人からすると訳がわからないことばかりだ。今はただ静かに眠っている。こうしてみると昨日の勇ましさはなりを潜め、10代の幼さの残る美しい少女が眠っているだけだ。
「さてお二方、詳しく話しをきけますかな」
木蓮の様子を見て外に出ると境内の掃除をしていたらしい和尚がやってきて言った。それからお堂に戻ると事の仔細を和尚に語った。
「まさかそのような事が…宗閑と申しましたな?それから伝太郎とも。確かに先先代の庄屋の主人の名前ですな。私がこの寺に来た年に亡くなりましたか」
「宗閑という僧侶はご存知ですか」
「宗閑は私の次の住職を任せたいと、当寺で修行をしておりましたが…まさか姿を消したのがそんな理由があったとは…」
和尚はしばらく瞑目していたが、やがて顔を上げて、しかし面倒なことになるやもしれませんな、といった。
「直に案山子が消えたことに気づかれるでしょうし、昨夜の村はずれの光を見たものがおるでしょう。迂闊なことを言えば、逆に疑われるやも」
「出来ればその前に蛇を捕らえたいが…難しいか」
「とりあえずは惣右介ですな。あたしが調べた事を本人に確かめやしょう。その後のこともあたしに少し考えがありますんで」
とにかく急ごうと和尚に木蓮を頼むと二人は寺を出た。
惣右介は女中のヨネから文を受けとると指定された庄屋の屋敷の裏手の藪に現れた。
「そ、惣右介です。薬屋さん、何かお話があるそうで」
藪の中からひょっこり顔を出した松吉が、惣右介を見てにやり、と嫌な笑い顔をして見せた。
「やぁ、惣右介さんわざわざすいませんねぇ。ちょっと秘密の話しをしたいと思ったんやけど。あ、あたしは衆道やないから安心しなはれ」
「秘密でございますか?」
「そうそう一昨日の夜になあたしとお侍様に村の入り口辺りで会いましたな?」
松吉の問いに惣右介は不安そうな素振りで頷いた。惣右介は大袈裟な素振りで考えるような仕草をしてから、
「それから昨日やけどね」
「はぁ…あの一体なんの御用なのでししょうか?」
問われた松吉はしばし惣右介の顔をみて間を開ける。それがますます、惣右介を不安にさせたようだ。
「いやぁ、昨日の手の傷や。どうです薬は効いてますやろか?惣右介さん、あんた嘘をつきなさったね」
「嘘でございますか?はて、なんのことでしょう」
「その傷な。昨日の朝、草刈鎌でつけた言うたな」
「ええ」
「そりゃあ、おかしいやろ?一昨日の夜におうた時に手に手拭いを巻いとったやないか」
惣右介の手が怪我をした辺りを押さえた。
「…確かにそうですが、それが薬屋さんに関係がございますか」
開き直ったように言った惣右介を見て、意外に肝が座った所があるようだと松吉は考える。
「それがあるんや。あたしはあんたが最近、ここいらに出る大蛇やないかと思っとるんや」
「また妙な誤解をされましたな」
「誤解、誤解ですかい?あんたあの夜、キクと言う娘と逢引しとったそうですな」
「人聞きが悪いことを確かにキクとは一時、関係がありましたがあの日は別れを切り出したら最後に一目会ってくれと言われたのです」
「なるほど、庄屋様にばれると面倒ですからなぁ」
「薬屋さん、あなたは私を揺する気ですか」
柔らかな物腰の優男ではあるが、毅然とした目つきはヤワな雰囲気が消えていた。とはいえ、松吉は飄々と視線を受け流し、
「それこそ誤解ですな。あたしは大蛇探しをしとるわけでして、一昨日の夜にすれ違ったときにあんたから臭いがしましてな」
「臭いですか?」
「ええ、峠であたしが大蛇にぶつけた特製の臭い玉の臭いがね」
「…それは」
「ご説明願えますかな。その傷の件、香取様が大蛇につけた傷ではないかとかんぐっとります。後は亀太郎があんたの方を見て蛇と言ったのも気にかかるんやね〜」
松吉は全ての疑惑を惣右介にぶつけてからさらに言葉を添えた。
「今日、来られる長岡様のご家来の方にも同じことをお話ししても良いんやけどね」
流石に不味いと惣右介の顔色が変わり、しばらく俯いていたが絞り出すように解りましたと言った。
「一昨日の夜にキクと会ったのは本当です。実はその際にキクが別れてくれるな、と言い出しまして。揉めているうちに手に強く爪を立てられたんですよ。私としても説明し難かったのでお尋ねのときに誤魔化してしまった訳です」
「はぁ、別れ話が拗れましたか」
「それはキクもすでに納得はしたはずです」
「それで何処に臭いの話が出ますのや?」
「あの夜、キクと別れて村の田の畦道を通り抜けたのですが、そこで助丸におうたんです」
「助丸?」
「私と同じ頃に屋敷で働き出した男です。」
「その男、何をしとったんです?」
そこで惣右介は話しを一度止めて難しい顔をした。
「それがあの日、助丸は隣村に使いに出ておったはずなのです」
「は?じゃあ、なんでそんな所に助丸さんはいはったんやろ」
「それが用事が早くに済んだので帰ってきたと…そのときです。助丸はあの酷い臭いをさせてましてね。肥溜めに片足を落としたとか、なんとか。納得は出来ませんでしたが、おキクとの逢引を旦那様に黙っているからお前もいらんことを言うなと」
「それはまた…怪しげですな。夜中にわざわざ帰ってきて黙っていろとは」
「そ、そう言えば左腕の肩近くが着物が破れて傷があったような」
「…助丸は今は何処におります?」
「はて、蔵を片付けておりましたが…薬屋さん、まさか助丸に大蛇が憑いておるのでしょうか」
「さて…新左衛門様?」
松吉は惣右介の背後に立っていた。見るものを斬り裂かずには入られないような鋭い目つきで、惣右介を睨みつけていた。
「ここにいたか大蛇めが!」
「な、何を言われる。薬屋さん、なんとか」
「新左衛門様!如何なさいました。他に怪しげな奴が…」
「いいや、そいつが大蛇に違いない。なぁに、斬れば解ろう。どけ、松吉!」
間に入った松吉を突き飛ばし鬼の形相で惣右介に迫る。一体、何が起こったのか。新左衛門は問答無用とばかりに尻を地につけて、怯える惣右介に刀を振り下ろした。惣右介は身がすくみ動けずぎゅっと目を瞑った。しかし、いつまでたっても何も起こらないので惣右介は恐る恐るめを開いた。
「新左衛門様、どうやら本当に大蛇ではないようですな」
いつの間にやら刀を納めた新左衛門に松吉が話しかけた。新左衛門もいつもの穏やかな顔付きに戻っている。
「惣右介さん、申し訳ない。大蛇探しが埒があかんので一芝居うったんですわ」
松吉が手を合わせて謝った。昨夜の襲撃で大蛇を逃した彼らは確かな証拠がないため、怪しげな惣右介を追い詰めて、大蛇であるかを試したのだった。
「惣右介、済まなかった。この村で被害が出る前に大蛇の正体を突き止めたいのだ」
深く頭を下げた新左衛門を呆然と見ていた惣右介は慌てて立ち上がり、どうして良いのか解らず松吉と新左衛門を交互にみた。しかし、新左衛門と言う男は侍でありながら時にはこうして頭を下げる。相手に関係なく必要であればそうするのだから、百姓や商人などからすれば変わり者に映る。だからといって、軽く見られるのかと言えばそんなことはない。それがあまりにも自然体なので、相手も受け入れてしまうのかもしれない。
「新左衛門様、そんなに頭を下げられては惣右介さんも困っていやすよ」
「そうか?まぁ、惣右介よ荒っぽいやり方を許してくれ」
「いえ、これで疑いが解けたなら幸いでございます」
立ち上がった惣右介が礼を言った。
「ふむ、ところで惣右介。お前がつくり方を広めた案山子だが、確かにお前の故里のものなのか?」
「案山子…あ、そう言えば先ほど案山子が皆、消えたと村のものが言っておりましたが」
「仔細は省くがあれが昨夜、我らを襲ってきたのだ。やむなく処分した」
「なんと…実は…香取様、あの案山子ですが確かに故里で作っていたように思うのですが…」
「ですが?」
「私はこの村で行き倒れる前の記憶も、鮮明にあるのですが故里の事となると亀山のある村である事は覚えていますが、それ以外は靄がかかったように不鮮明でして…ただ案山子のつくり方をは良く覚えているのです」
惣右介は不安な面持ちで語った。しかし、助丸と言う男が果たして大蛇の正体なのか。新左衛門と松吉が顔を見合わせたその時!
絹を裂くような悲鳴が何処からか響いた。惣右介が裏の蔵の方ではないかと走り始めた。
◇◆◇◆◇◆◇
庄屋の屋敷の女中ヨネは使用人の中では一番の古株で面倒見の良い年増女だ。その分、噂話が好きなところもあるのだが。
その日は朝から田畑に仕事に出た村人たちが、案山子が無くなっていると妙な話しを屋敷に伝えに来ていた。最近は妙な話しが多い。隣村に向かう山の峠に大蛇が出て旅人を襲ったりだとか、流石に能天気なヨネにしても幾ばくかの気味の悪さを感じていた。それに昨今は領主も変わり、田辺の城下町が栄え始めたのは良いが同時に得体の知れない者も入って来ている。昨日は若い渡り巫女が村内にいたようだし、薬屋の松吉の連れらしい侍にしたところで何者かは知れないのだ。そこへ若い女中のユキが台所から出てきた。
「おユキちゃん、なんだい助丸のところに飯を持っていくのかい?」
「はい、皆さんの朝ご飯の支度も済みましたし助さんが朝一から蔵を掃除されてましたから」
はにかみながら言うユキを見て、しっかりおやりよ、と発破をかけてヨネは台所に入った。味噌汁の香りや米の炊ける匂いが漂い、数名の使用人がヨネに挨拶をした。他の使用人たちの仕事を見回り、そのまま庄屋の娘ハツの様子を見に行こうとした時である。台所の小窓から村娘のキクが屋敷の敷地から出て行くのが見えた。キクは今年16になる娘で切れ長の目が印象的な冷たくは見えるが美しい娘である。ヨネは露骨に舌打ちをした。惣右介とキクの仲は公然の秘密であったが、すでに別れたものだとヨネは思っていた。まさか悋気に駆られて、惣右介の所に来たのではないかと心配したのだ。ハツと惣右介の婚礼の準備が進む中で要らぬ厄介が起きては堪らない。ヨネがキクに釘を刺そうと台所を出たとき、甲高い悲鳴がこだました。使用人たちが顔を上げて、ざわつく中でヨネは恐らく蔵の方だと当たりをつけて、近くにいた若い衆を連れて、そちらに向かった。
蔵の前には二つの人影が見えた。一人はユキである。地面に尻を落として、喉から絞り出すように、ヒィヒィと怯えた様子であった。もう一人は蔵の掃除をしていたはずの助丸で、こちらも呆然とした様子で開け放たれた蔵の中を見つめていた。
「ちょいと!あんたたち、何があったんだい」
ヨネが声を張り上げ尋ねると、助丸がびくりとしてから蔵の中を指差して、
「六造さんが…」
「六造?六造がどうしたって?」
使用人の一人で初老だが壮健な男であるが、確か助丸と一緒に蔵の掃除をしていたはずだ。ヨネは蔵に近寄り足を踏み入れようとして、足を止めた。六造と目が合ったのだ。だが六造の首から上が瓶の上に無造作に乗っているだけで、首から下がない。一瞬、意味が解らずヨネは足りない体を探してから理解が及ぶと同時にけたたましい悲鳴を上げた。
瓶の上に置かれた六造の首は苦痛に歪んだ形相でカッと目玉を見開き、血を流してヨネを睨んでいた。
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