第8話 オオカミ
案山子の弓が引き絞られ、新左衛門たちに向かって矢が放たれた。飛来する矢の前に出たのは白蛇の伝太郎だ。白蛇が地を這って進み行く間に、その身体がみるみる肥大していき堅い鱗が矢を弾いた。白蛇の横を白い影が通り抜け、案山子の群れの先頭にいた鍬を持った案山子に体当たりする。白狼のハヤチだ。引き倒した案山子に絡みついた蛇を鋭い爪で引き裂いた。
さらにハヤチを追走するように飛び出した新左衛門の放った斬撃がハヤチに向かって振り上げた鉈を持つ案山子の腕を切断し、返す刀で胴を薙ぎはらった。
「蛇の毒に気をつけてください!」
木蓮の放った矢が案山子の頭を射抜いたが絡みついた蛇を倒さなければ意味がないようだった。しかも数が多すぎる。前に出た新左衛門たちを抜けて木蓮の前にも包丁を持った案山子が迫る。そこは松吉が落ちていた木の棒で横合いから突き飛ばした。
「松吉様、これを」
渡されたのは外法箱を包んでいた風呂敷だ。紺地に白い線が交差している。
「魔除けの効果があります!払えば効くはず」
×の模様は禁じる、通さぬ、という意味があり魔除けに使われる事がある。また角度を変えれば耶蘇教の象徴、十字にもなるので赤い蛇の力を払う効果がある。松吉は訳は解らなかったが、突き倒した案山子に風呂敷を広げて被せた。案山子が震えたかと思うと、麻痺したように動きを止めた。
「こりゃ、凄い!」
「あくまで一時凌ぎです。また起き上がりますから注意して」
それから木蓮は口笛でハヤチを呼び戻した。白蛇も新左衛門も上手く立ち回っていたが数に差がありすぎる。
「外法箱を使います。松吉様、ハヤチ、案山子を私に近寄らせないでください!」
木蓮は急ぎお堂に入り、外法箱の前に座った。祝詞を厳かに唱え、外法箱のおわす神に捧げ始めた。
「ヌゥゥ、あれは彼の方が言われたものか。襲え、あれを使わせてはならん!」
般若面が叫び、案山子の群れが新左衛門や白蛇に構わずお堂に向かって動き出した。新左衛門の気が一瞬、そちらに逸れたの見計らったように般若面が何かを投擲した。
寸前に気づいて身体を捻った新左衛門だったが、投擲された物が脇腹を裂いて傷つけた。よろめいた所に走り寄る般若面の服の袖から数匹の黒い蛇が、飛び出した。刀を振るえる体勢ではない。間に合わん、と思ったそのとき白蛇が般若面にぶつかるように間に入り込んできた。
「伝太郎!邪魔をするか。お前とて伊兵衛が憎いであろう」
「確かに憎しみはございました。しかし、今は我が孫や曾孫の幸せや姿に伊兵衛を許したのです」
互いに威嚇し合う者の後ろで新左衛門は幸い傷が深くはないことを確認した。投げつけられたのはあの日、自分が影に投げつけた小刀であった。
一方、木蓮を守るハヤチと松吉もジリジリとお堂に向かって押し込まれつつあった。松吉は槍でも使うように棒を上手く使って相手をいなして、器用に避けては風呂敷で案山子を払いのけていた。ハヤチも俊敏に蛇の噛みつきを躱して、足元を払って倒したりと善戦していたが段々と案山子の攻めを受けて傷を負っていた。蛇に噛まれていないのだけが、幸いだ。しかし、それも時間の問題か。松吉は肩で息をして、顔にも疲れが見え始めていた。
「木蓮様、早く…早くしてくださいよ」
そう叫んだ瞬間、足元の石に躓き案山子を突き放し損ねた。案山子の鉈がその左腕を切り裂いた。松吉は痛みに棒を取り落としてしまった。さらに違う案山子が丸太を振り上げた所で、駆けつけたハヤチがその案山子の一本足を咥えて振り回し放り捨てた。ハヤチの白い毛も血で汚れている。
「…奉る…畏み畏み、伏して願い奉る」
木蓮の祝詞が進むにつれて外法箱の蓋がガタガタと揺れる。
「我、大神(おほかみ)に傅き…ササに…歌に…血…肉…を捧げ奉る。日輪に等しき権能を崇め…お出でませ」
外法箱の蓋が弾けるように開き、白い輝きがお堂を満たした。
松吉は痛みに耐えながら案山子を避けていたが、いよいよお堂の前にハヤチと追い詰められていた。
「あかん!どうすりゃええんや⁈」
その悲鳴に応えるようにお堂から陽の光のような白光が飛び出した。それはハヤチを二回り、三回りも大きくしたような狼であった。まさに電光石火のごとく、案山子を爪の一振りで切り払い雄叫びを上げた。松吉はその威容に首をすくめた。神とは人に優しいものではない。ただただ畏れ敬われ、山野を駆ける人を超えた存在である。神鳴りや嵐の如く自然そのものが現れたようなものだ。
その雄叫びに般若面は打たれたように震えた。案山子の群れも統率を失ったように、ある物は倒れ、ある物はあらぬ方に武器を振り回し、ある物は蛇が離れて動かなくなった。
「な、なんと言う荒々しい叫びだ。心の臓を掴まれたようだ。」
白蛇の伝太郎の独白の間、新左衛門は般若面に出来た隙を逃さなかった。夜刀神波平行安を大上段に構えると大神の雄叫びにも負けぬ、気合いと共に振り下ろした。
捕らえた!確信の斬撃が般若面を立ち割るはずであった。しかし、般若面の首や肩。いや身体中の関節が歪に有り得ない動きをして、刃が断ち切ったのは般若の面だけであった。顔を袖で隠しながらぐるり、と首を背後に捻った般若面はそのまま黒蛇に変じると草叢に飛び込んだ。着ていた着物と縦に割れた般若の面が地に落ちる。逃がすかと踏み出した新左衛門であったが、般若面が残した般若の面が蛇に変じて跳ね上がってきた。舌打ち、その蛇を蹴り飛ばしそのまま刀で首を斬り落とす。その間に黒蛇の姿は消えていた。
「く…逃したか」
気が付けば夜の闇に輝いていた白光が消え、大神の姿も消えていた。後には蛇が絡み付いていた案山子が、ただの案山子に戻り地に倒れていた。
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