第614話 魔獣の一匹
魔物。
つまりは迷宮に居座る者全てだ。
これほど深く潜ってくると、もはや例外はない。気まぐれに地上へ出ようという存在はあり得ないのだ。
存在そのものを魔力に依存する魔物たちはほんの数階を上るだけでも苦しくなり、無理をすると文字通り身を崩す。小さなのも大きなのもそこに違いはない。
周辺の魔物を食い尽くした大食漢に遭遇したとき、それは随分と粗末な服を着ていると僕は思った。
大きいか小さいかでいえば小さい方だろう。
人間型。いや、まあ人間そのものである。
人間のまま怪物と化した存在。
そういうのに遭遇したことがないわけではない。
なんなら、すぐ隣にノラがいるし、鏡を見ればそういった怪物が顔を覗かせる。
だが、この魔物はなんというか、すごく普通だった。
農家の娘が着るような垢じみたスカート。毛先の傷んだ髪を束ねる洗い晒しのスカーフ。日の匂いが漂ってくるように赤く灼けた白い肌。
周辺に浮かぶ数匹の赤いトンボさえ、彼女が麦畑に立っているかのような錯覚をもたらす一因であった。
「あら、久しぶりに人間を見た。ねえ、ここはどこなのか知らない?」
とぼけているのではない、困った表情で女は首を傾げていた。
言葉が届く。向こうは交戦的な態度ではない。
こういうときに限って迷宮の魔物同士は会話に興じることがある。
「どこって、何階だったかもう数えていないな」
僕は一行を代表して応える。
こちらもその気になれば一瞬後には攻撃をたたき込める距離と姿勢を保ちながらではあるが。
「そうじゃなくて、そもそもこの暗がりがどこかって訊きたいんだよね」
女は手に瓶を持っていた。腕くらいの太さの瓶には赤い砂粒が詰まっている。
それにしても不思議な女だ。年齢としては僕より年上に見えるが、では何歳かと言われると印象が掴みづらい。
三十といわれれば三十。五十といわれれば五十にも見える。あるいは年下と言われればそれも納得してしまいそうだ。
女が身に纏う服は全く魔力を帯びていない。魔力を帯びているのは、手に持った瓶と、周囲を飛ぶトンボ。
「どこって、迷宮の深層じゃないか」
「だからその、迷宮ってなあに?」
冗談ではなく、戸惑いがちに女は訊いてくる。
「迷宮は……迷宮だよ」
迷宮がなにかと、改めて問われれば僕だって知らないとしか言えなかった。
ただ、入り浸っているうちに縁が切れなくなった毒婦のような。
「なにを言っているのよ。あんただって自分の足で迷宮に入ったんでしょ?」
横から会話に加わったのはリンシュアだった。
だが、確かにその通りでこの迷宮に間違って入るなどあり得ない。
そう思っていた。
「いや、なんだか気づいたらここにいたんだよね。それで、すごい怪物も沢山いるし、どうしたもんかなって思っていたの」
僕は衝撃を受けた。はたしてそんなことがあるのだろうか。
気づいたらこの場にいた?
しかし、よくよく考えれば悪魔族や、もっとおどろおどろしい魔物は異界から壁を渡ってくるのだ。
つまり世界は一つではないのだとすれば、人間が他の世界から壁を越えてくることもあるのではなかろうか。
「あの、君はどこから来たの?」
「バグアラスタ王国。私はそこで王宮付きの魔女だったんだ。ちょっとした手違いで討伐される身になっちゃったんだけどね。まあなんやかんやあって竜と戦ってたら囲まれて……たぶん殺されたんだと思う。筈なんだけど、気づいたらここにいたんだ」
聞いたことのない国だ。博識のアンドリューでも知らないらしい。
しかし、竜と戦う?
迷宮の外で?
「よくわからないけど封印って形でどこかにとばされたのかもとは思ってたんだ。あのトカゲどもは世界を跨いで移動することもあると聞いたことがあったから」
僕は彼女の言葉を聞き取りながら脳内で整理した。
つまり、彼女は迷宮の外に竜がいるような世界から来たということか。
いや、この迷宮の竜がそもそも、そういった世界からやってきたのかもしれない。
そうだとすれば、迷宮の外では伝説として語られる悪魔や妖精、怪物が迷宮にいるのも理解できる気がする。
偶然、あるいは研究の末に異世界からやってきたものがごくわずか、存在したのだ。
そうして、そういった異形が迷宮には沢山いる。
翻って、眼前の女もそのような異形の一員なのだろう。
同時に、アンドリューがもっと話を聞き出せと心を通じて僕に告げる。
迷宮の謎の一端が見える気がして、僕も質問を重ねた。
「あのさ、君の名前を聞いていいかな」
もし、彼女の名前が古の達人や偉人で聞いたことがあるのなら、時間感覚を喪失した、徘徊する成れ果てである可能性も出てくる。
「イラ。元バグアラスタ王国第四宮廷魔術師。人呼んで『朱砂のイラ』。トンボの魔女とも呼ばれていたけどね」
周囲にトンボを纏わせたイラは、自らの手がばれることも気にせず異名までさらしたのだった。
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(以下作者より:イワトオだより)
十月に入るなり、突然涼しくなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。イワトオです。
さて、少し更新が空きましたのは申し訳ありません。
急な引っ越しと、それに伴うヘルニアの発症。それから断りきれず押しつけられた国勢調査の調査員活動。あとはもちろん、これからオンシーズンに突入していく本業により圧迫された時間と神経が執筆を許してくれなかったのです。
あのー本当にね、左足のつま先が二週間ほどしびれていて、今朝くらいにようやく消えてくれました。
腰を押さえて呻きながら、百五十件も家を回るのも大変でした。皆様、国勢調査の調査員さんには優しくして上げてください。そうして、回答がない家にはまた訪問しなければ行けないとのことで、時間の節約の為にもすっと回答をお願いします。
ネットでやるとあっさり終わりました。
国勢調査への啓蒙はこの辺にしまして、先日まで行われておりました『このライトノベルがすごい!2026』(なんで2025じゃないの?)への投票で応援をいただけたかた、ありがとうございました。
結果はまだですが、お気持ちが嬉しくて創作のガソリンとして有効に機能しております。
つきましては、ええ、すごく言いづらいんですけども『次にくるライトノベル大賞2025』のエントリーが開始されております。
こちらは私の『迷宮クソたわけ』、『はぐれ者ども、銃を撃て』ともに対象ですので是非とも推していただければ大変にありがたい。そうして、応援が作家を動かすのです。
よろしくお願いします。
すごいついでに言いますが『迷宮クソたわけ』『はぐれ者ども、銃を撃て』の他にもカクヨムネクストにて『混沌ウロボロス』という作品も同時執筆しております。こちらは、とりあえず一話を試し読みしていただけるとありがたい。
また、他の作品もいろいろと準備をしていたりしますので、是非とも末永くおつきあいください。
いや、実際ここまでつきあっていただいているんだから、永遠とも大差ないでしょう?
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